第145話 とある噂と竜

 そう言った少女――遠野すみれと名乗ったその女性は、山吹に促されるようにしてエドガーの前に立った。


「遠野さん。こちらは外務省のエドガー・バートン氏です。今回の遠征任務のイギリス側の責任者になります」


「そう。貴方が私たちに厄介事を押し付けてくれた元凶と言う訳ね。まあ、短い間だけれどよろしくお願いするわ」


 遠野は頬に掛かった髪をさらりと指で払いながら、そう尊大に言った。

 本来であればそのぞんざいな対応に怒りを感じるべきであるところだが、エドガーは遠野の持つ生来の気品に気圧されていた。


 足運びから表情、話し方から指先の動きまで異常なほどに完成された王者の立ち振る舞い。まるでどこぞの王族でも相手にするかのようなプレッシャーが、エドガーに圧し掛かっていたのだ。


 いや、エドガーだけではない。他の職員や、物見遊山でこの場にいる海千山千の猛者たちですら、この歳若い女性の一挙一動から目を逸らせずにいる。


 そしてそのすぐ後ろで、遠野と同じ服を着たすらりとした少女が、微笑んだままジッと何かの言葉を待つように静かに控えている。その鳶色の目に宿る闇のような虚無に、エドガーはゾッとするような寒気を覚えた。


 こちらが少しでも妙なことをすれば、一瞬で首を跳ね飛ばされるかのような緊張感。この場においての支配者は、間違いなくこの少女達だった。


――これが、日本の最高戦力まほうしょうじょか。我々は少し甘く見過ぎていたようだ。


 そう考えながらエドガーは冷や汗を流した。とある筋・・・・からの強い勧めで日本から魔法少女を呼ぶことを議会で選択したが、これは本当に国に招き入れて良い生物だったのだろうか。そんな後悔が心の中に浮かぶ。


 だがエドガーはその動揺をなんとか押し殺し、笑顔を浮かべて日本語で話し出した。


「ようこそ我が国へ。我々は日本政府の皆様を歓迎いたします。……我々の都合で貴方がたを呼び出したのは、本当に申し訳なく思っています。ですが、これより先はかの国の奇跡に頼るしか方法が無く……」


「別に謝罪はいらないわ。そういったことは私ではなく交渉担当の山吹にして頂戴。私たちはただ魔獣を殺しに来た――ただそれだけよ」


 遠野はそう告げると、ツンとした顔をしてエドガーから目を逸らした。取り付く島もない。

すると山吹がそっと遠野の前に出て、庇う様に言った。


「申し訳ありません、Mr.バートン。彼女達は初めての外国で少々気が立っているようです。――それに、見知らぬ人間に囲まれるのも慣れていないもので」


 そう言って山吹はぐるりと周りの人物たちを見渡した。そのけん制するかのような仕草に、こちらを見ていた諸外国の外交官たちがびくりと肩を揺らした。


「この後は国防省の方から魔獣についての説明があるのでしょう? これ以上彼女達の機嫌が悪くなる前に、早く移動してしまった方が得策かと」


 山吹のその提案に、エドガーはホッとするように息を吐きながら答えた。


「あ、ああ。では日本の皆様方は隣の会議室に移動してください。私が案内しましょう」


――エドガーがそう告げて歩き出そうとした瞬間、大広間の奥にいた若い外交官の一人が動いた。


「……少し、宜しいでしょうか。私はどうしても彼らに聞かねばならないことがあるのです」


 若い外交官――エドガーの部下である男リチャードは、そう言って魔法陣の方へと向かって歩き出した。

 そしてエドガーが止める間もなくリチャードは遠野の前に立つと、顔をしかめながら口を開いた。


「現在イギリスでは、貴方がた――日本に対する噂が流れています。ご存じでしょうか」


「いいえ? 全く知らないわ」


 遠野が微笑みながらそう告げると、リチャードはギッと睨みつけるように遠野を見ながら言った。


「……このロンドンの現状は、日本の魔女が差し向けた魔獣によるものだとまことしやかに囁かれています。三十年の時を経て魔獣を操る術を獲得し、かつて自分たちを見捨てた国々に復讐をしようとしているのだと。――魔法少女である貴女は、どう思われますか」


「そう。貴方達って本当にお馬鹿さんなのね。魔獣を操るなんて、そんなこと出来るわけがないじゃない。下らない噂だと思うわ」


 遠野はクスクスと笑うと、リチャードを小馬鹿にするように目を細めた。


……その噂はエドガーも聞いたことはあるが、所詮は荒唐無稽なゴシップである。

 市街の民――特に精神が疲弊しているロンドン市民たちはそういった噂に流されやすい傾向にあるが、日本がそんなことを出来るならとっくの昔に世界は滅んでいてもおかしくない。

 こうして嫌々ながらもイギリスと協力する体制を見せている以上、その可能性は極めて低いだろう。


……まあマッチポンプの可能性も捨てきれないが、だからといって今のイギリス軍にロンドンに現れた魔獣――赤い竜・・・を倒す力はない。


 日本から魔法少女を呼ぶというのはエドガー自身も思うことが無いわけではなかったが、化物には化物を――つまり日本の魔法少女に頼るしか他に道が無いのだ。


 エドガーはため息を吐きながら、リチャードに歩み寄った。


「リチャード。もういいだろう、その辺で――」


「――私の妹は、先月ロンドンに出た魔獣の襲撃によって死んだ」


 リチャードはエドガーの静止を振り切り、怒りを押し殺すような声でそう告げた。


「妹は運び込まれた病院で、うわ言のように『魔女・・がいた』と叫んでいた。――なあ、本当にお前たちの仕業ではないんだな!?」


 それは慟哭のような叫びだった。

 この若い外交官が、魔獣の襲撃によって家族を亡くしたとは聞いていたが、まさかその裏でそんな話あったとは流石に知らなかった。


……だが肉親の死ぬ間際の言葉を信じたい気持ちは分からなくもないが、他にそんな目撃例が上がってきていない以上、彼の妹のそれはただの戯言だろう。


 そして対する遠野も、不快だという感情を隠しもせずに冷たい声音で告げた。


「いわれのない侮辱はそれくらいにしてくださらない? いい加減聞いていて耳障りだわ」


「答えられないのか。それとも図星を突かれて何も言えないのか?」


「ふうん? でも私が何を言ったところで、貴方は信じないでしょう? 最初から黒だと決めつけている人には何を言っても無駄よ」


「……なんだと?」


「はあ、こんな不快な思いをするくらいならもう帰ってしまおうかしら。結局のところ、遠い国の出来事なんて本来私たちには関係ない事だもの。勝手にすればいいわ」


『ツッ、この魔女がっ……!』


 吐き捨てる様にそう告げた遠野に対し、英語で罵るような声を上げたリチャードが遠野に向かって掴みかかる様に右手を伸ばした。


 その瞬間――遠野の後ろに控えていた少女が一歩前に出た。


 その少女は指揮をとる様にくいっ、と右腕を上げ、そのまま横に薙ぎ払う様に腕を振るった。それと同時に、リチャードの体がガクンと横に傾く。


『ぐっ、ガぁ……!』


 床に倒れ込んだリチャードが呻く様な悲鳴を上げ、右の膝を抱えた。心なしか足が大きく腫れている様に見える。


 カツカツとブーツの底を鳴らしながら、すらりとした少女が倒れ込んだリチャードへと近づいていく。

 そして呻くリチャードの前でぴたりと足を止めると、見下すような口調で少女は言った。


「――本当に、勘違いも甚だしい。変な言いがかりは止めてくれませんか?」


 そう言ってつい、と指遊びをするように少女は淡々と手を動かしていく。

 少女が指を動かす。ガキリ、とリチャードの右肩から嫌な音がし、だらりと右腕が地面に向かって伸びる。

 少女が指を動かす。左肩の関節が外れた。

 少女が指を動かす。顎の関節が外れて口が閉じられなくなる。

少女が指を動か――


「それくらいで止めておいた方がいいわよ、葉隠さん。人って存外痛みに弱いから。こんなことで壊れてしまっても困るでしょう?」


 少女の行動を遮るように、遠野は葉隠と呼ばれた少女にそう言った。

 すると葉隠はゆっくりと手を下げると、無機質な目であたりを見渡し、小さく頭を下げた。


「すみません。いきなり攻撃されたので過剰に反応してしまいました。――でも所詮は関節を外しただけなので、命に別状はないと思いますよ。ええ、綺麗にはめれば何の問題もありません」


 遠野に従う犬のように淡々とそう言った葉隠は、ゆるりと人形のような笑みを浮かべた。

 この場には似つかわしくないその穏やかな笑みに、カタカタとエドガーの手に震えが走る。


――一切手を触れずに人ひとりを破壊したこともそうだが、何よりもその残虐さと凪の様な穏やかさが同居している精神性が恐ろしい。これならまだ物言わぬ兵器の方がましだ。


 そうしてエドガーが未知の恐怖に震えていると、すっと山吹がエドガーの前に出て言った。


「――困りますよ、Mr.バートン。部下の管理はきちんとしておいていただかないと。彼女達は我々にとって何よりも大切な人材なのです。無断に触れようとされては困ります。今回はこちらもやりすぎたので不問にしておきますが、今後は気を付けて頂きたい。」


「も、申し訳ない。彼にはしっかりと言い聞かせておくとも。その、ま、まさか君たちはこのまま帰ったりは……」


 エドガーがそう恐る恐る聞くと、山吹は首を横に振って言った。


「しませんよ。命じられた仕事はきっちりと行うつもりです。――ですが我々は先に会議室ではなく、控室の方へと向かわせていただきます。魔獣に対する会議は、その後でじっくりと行いましょう」


 山吹は呆れたようにエドガーにそう告げると、先導するように遠野たちの前に立ち、ぞろぞろと人を引き連れて外への扉へと向かって歩いて行った。


 日本から来た者たちが全員扉の外へ出て、バタン、と大広間の扉が閉まる。


 エドガーは倒れ込んで気絶しているリチャードの無残な姿を見ながら、呆然と呟いた。


『さ、最悪だ……。こんなこと上にどう説明すればいいんだ……』




◆ ◆ ◆



 一方、足早に別の場所にある控室に入った面々は、困ったように顔を見合わせると、小さく溜め息を吐いた。


 その中でも一番顔色を悪くしている人間――葉隠桜は苦虫を噛みつぶしたような顔をして呻くように言った。


「まさか本当に喧嘩を売ってくる人間がいるなんて……。私たち、一応は呼ばれた側の人間ですよね? このまま此処にいて本当に大丈夫なんでしょうか」


――運が悪ければ反意を持つ者からの襲撃の可能性もありえる、とは事前の会議で言われていた。

 だから鶫は、イギリスに転移した瞬間から極小の見えない糸を大広間に張り巡らし警戒を続けていたのだが、結果があれだ。


……こちらは呼ばれた側だというのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。先行きが不安である。


 鶫がそう考えながら額を押さえていると、遠野が物憂げにため息を吐きながら言った。


「そうよねぇ、確かにいざという時は相手を傷つけずに制圧できる貴女が動くように言われていたけど、まさか最初からこんなことになるなんて誰も考えてなかったと思うわ。まあ死人が出なかっただけマシじゃないかしら。葉隠さんは少しやり過ぎだと思うけど」


 遠野がそう告げると、周りにいた職員たちも肯定するように首を縦に振りながら「あれはちょっと……」「正直引きました」「自業自得とはいえ、少し可哀想でしたね」「糸で拘束するだけでもよかったのでは?」と言い出した。せっかく頑張って動いたというのに酷い裏切りである。


 だが、鶫にだってちゃんと言い分はある。

 鶫は椅子に座り、両手を顔の前で組むと神妙な顔をして話し出した。


「あの場では黙っていましたが、あの人左の胸ポケットに小型の拳銃を隠し持っていましたよ。一応拳銃は使えないように破壊しておきましたけど、それでもしばらくは動けないように無力化しておいた方がいいと思ったので……。流石に流血沙汰はどうかと思って避けましたけど」


 鶫としても人間に攻撃を加えるのは少し躊躇いがあったが、それが敵なら話は別だ。

 武器となる拳銃は破壊したが、それでも生身で襲ってこないとは限らない。他に武器を隠しもっている可能性もあるし、確実に動けないようにするには関節を外すのが一番楽だったのだ。

 それに関節はできるかぎり綺麗に外していったので、そこまでの痛みはなかった筈だ。まあ、それでも何日かはまともに動けないだろうけど。


 鶫がそう控えめに告げると、職員たちは押し黙る様に下を向きながら、ぽつりと「第二陣の護衛はもっと増やした方が良いかもしれないな」と静かに言った。

 どうやらあれがただの小競り合いではなく、命の危機だったかもしれないことにみんな気付いたらしい。


 だが、護衛の戦力を増やすのは鶫も賛成である。非戦闘員――千鳥を確実に守るためにも、最低でもA級もしくは十華クラスの人材は引っ張ってきてほしい。


「何にせよ、色々とやりにくくなったのは変わらないわね。……あそこで私が彼らの神経を逆撫でするような言動を取らなければ少しはマシだったんでしょうけど、『外国に侮られないようにしろ』という上の指示もあったし、どうしようもないわ。はあ、やっぱりこんな国見捨てて帰ってしまってもいいんじゃないかしら?」


 遠野は呆れたようにそう言うと、小さくため息を吐いた。先ほどの女王然とした立ち振る舞いとは違い、随分と気を抜いた様子だった。


――イギリスに来る前の会議で遠野と鶫は、外では十華として堂々とした振る舞いをするように強く言い含められていた。まあつまりは諸外国に対する威圧である。

 目に見える戦力があれば早々に害されることはないだろう、というのが上の判断だったが、今となってはその対応は間違いだったかもしれない。まあ、もうこの段階では方向修正は出来ないのだが。


「そう無体なことを言わないでください、遠野さん。明日この国の魔獣を駆逐すればすぐにでも帰れますから。――それに、この案件はかの教皇も絡んでいます。無理に断らない方が得策でしょう」


 日本側の外交官である山吹がたしなめる様にそう言うと、遠野は困ったように眉を下げた。


「……本当に面倒なことね。――まあ細かい交渉は貴方にまかせるわ。上手く調整して頂戴」


 遠野が手をひらひらと振りながらそう言うと、山吹は小さく頷いて口を開いた。


「ええ、誠心誠意努力いたします。――さて、それでは会議の前に情報の共有をしておきましょうか」


「情報ですか?」


 鶫がそう聞き返すと、山吹は静かな口調で言った。


「はい。明日お二人が戦う予定の魔獣――【ウェールズの赤い竜】についてです」


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