第97話 両手に花?

 激戦から一夜明け、眠りから目が覚めた鶫は政府へ報告へと赴いた。そしてイレギュラー戦での異常が無いか研究室で診断を受けた後、政府の食堂で遅めの昼食をとることにした。


 受付で日替わり定食とパンケーキのセットを頼み、空いている席に着いた鶫は、一息つきながら昨夜のことを思い返していた。


――イレギュラーの行動理由。不自然な復活。そして謎の火傷の女性のこと。分からないことがあまりにも多すぎた。


 そもそも、イレギュラーとは一体何なのだろうか?


 様々な知識人による考察の結果、イレギュラーの魔獣は一定以上の知恵と悪意を持ち、何らかの存在から指示を受けている可能性が高いということは分かっている。だがそこから先は何の情報もなく、全くの手詰まりとなっていた。


……神々の協力さえあればもっと調査は進展するのだろうが、現状ではそれも難しい。純粋に手が足りないのだ。

 天照は結界や魔法少女システムの維持で手一杯であり、追随する天照の従属神たちもその補助で忙しなく動き回っているので、イレギュラーを調べることにまで手が回らないのだ。


 そして政府に属さない神様の中には、イレギュラーについて何か重要な事に気付いている者もいるかもしれないが、そちらからの情報はあまり期待できないだろう。


 現在、天照が管理する箱庭にほんには様々な神々が訪れているが、そこに上下関係は存在していない。あくまでも天照は管理者であり、彼らの上に立っているつもりはないのだ。


 だが対等である故に、他の神々から何らかの情報を得るためには、それなりの『対価』を用意しなくてはならない。そして『対価』の内容によっては、ギリギリの所で保たれているパワーバランスが崩れる可能性もあるのだ。下手をすれば、結界の崩壊にも繋がりかねない。そんな切実な理由もあり、神々からの情報は断念せざるを得ない。


――神々が手を貸してくれないのは少し薄情なようにも思えるが、本来であればそれが当然なのだ。そもそも魔獣とは、人間側で起きている問題である。神々の力添えは、あくまでも善意によるものが大きい。あれもこれもと全てを頼り切ってしまうのは、お門違いにも程があるだろう。魔獣の問題は、本来は人間が背負うべきものなのだから。


 鶫がお茶を飲みながらそんなことを考えていると、背後から元気よく声を掛けられた。


「あ、葉隠さん。奇遇ですね! 今からお昼ですか?」


「ええ。吾妻さんもですか?」


 鶫がそう答えると、吾妻は小さく頷き、鶫の前の席に食事の乗ったトレーを置いて、当然のように着席した。どうやら彼女もここで食べるつもりらしい。


「それにしても昨日は災難でしたねぇ。急に呼び出されたんでしょう? 女神サマの我儘も程々にしてほしいですよね!」


 くるくると器用にパスタをフォークに巻きながら、吾妻はそう言った。


「ああ、うん。それなんだけれど、何だか話の行き違いがあったみたいなの」


「行き違いですか?」


「ええ。対策室のスタッフが話してくれたのだけれど、厳島の三女神としては【今回の敵は厄介だから、力がある神と契約した魔法少女が来た方がいい】と神託をしたつもりだったみたい。恐らく、神託を受けた宮司が上手く聞き取れなかったのでしょうね。……女神様達には少し悪いことをしてしまいました」


……折角善意で忠告をしてくれていたのに、ベルのあの行動は喧嘩を売りに行ったようなものだ。結果的にはその勘違いのお陰で鶫は命拾いをしたのだが、それでも非礼を行ったのは確かだ。ベルはともかく、鶫は後できちんと厳島にまで謝りに行った方がいいのかもしれない。


「そんなことがあったんですねー。――それにしても、最後に出てきた女の人は何だったんでしょうね。アレだけ毛色が違ってましたし。葉隠さんは何かご存じですか?」


「いいえ、特に何も。……正直、私の方が聞きたいくらいですよ」


 鶫はそう答えると、疲れた様にため息を吐いた。戦闘内容などを報告に行った際にも、あの火傷の女性の事をしつこく聞かれたが、鶫自身が覚えていない者に関しては返答のしようもない。


 吾妻はその返答に納得いかなかったのか、少しだけ不満そうな表情をしたが、すぐに取り繕うような笑みを浮かべて言った。


「ふぅん、そうなんですか。何か分かったことがあったら私にも教えて下さいね!」


「はい。その時はちゃんと吾妻さんにも報告しますね」


 鶫はそう答え、その後は特に大きな話題もなく吾妻と別れた。吾妻の不穏な空気が少しだけ気にかかったが、恐らく『火傷・・の女性』というのが気にかかったのだろう。あそこまでの火傷を負う事態――そんなもの、大火災くらいしか連想できないのだから。


……今にして思えば、初めて会った時に鶫の事情――大火災の件について情報共有の契約を結ばなくて正解だったかもしれない。

 大火災の詳しい事情について知ったのはつい昨日のことだが、単純な立場で言えば、鶫は加害者の立場に近い。完全なる被害者である吾妻にとっては、主犯の弟である鶫も唾棄すべき悪と同じに見えるかもしれない。


 いくら自分には記憶がないとはいえ、身内があの大火災を引き起こしたという事実は一生消えない。大火災で死んだ、何千、何万もの人々。鶫が一生をかけて平和のために戦ったとしても、その罪の重さには敵わないだろう。


……もしかしたらあの火傷の女性は、そんな鶫の罪悪感が生み出した幻影だったのかもしれない。


 パンケーキの最後の一切れを口の中に放り込みながら、鶫は小さな声で呟いた。


「本当に、儘ならないなぁ」








◆ ◆ ◆







 波乱のイレギュラー戦から二週間が経ち、鶫は知ってしまった事実に落ち込みはしたものの、少しずついつもの調子を取り戻していった。


 結局のところ、記憶が無い鶫からしてみれば『君のお姉ちゃんは大火災の犯人なんだ!』と言われても、あまり現実味を感じられなかったのだ。


 梔尸沙昏おねえちゃんは、何故あんな事件を引き起こしたのだろうか。それが分からない限り、鶫は大火災と本当の意味で向き合うことは出来ない――そう思ったのだ。


……これが逃げだとは分かっていたが、今の鶫にとってはこれが精一杯だった。いくら鶫が嘆いたところで、過去が変わるわけじゃない。ならば、前を向いて真実を追い求める方が、よほど建設的だ。そう開き直るように考え、鶫は小さく息を吐いた。


――それにしても、今日は随分とクラスが騒がしいな。何かイベントでもあったのか?


 鶫が登校した時から、学校内には俄かに浮足立った空気が流れている。特に鶫の所属するクラス――F組はそれが顕著だった。

 席に着いた鶫は、顎に手を当て考えるような仕草をみせると、すぐに合点がいったように頷いた。


「――そういえば、例の転入生が来るのは今日だったか。……なあ行貴、あんまり面倒は起こさないでくれよ」


 ざわざわとまだ見ぬ転入生について騒いでいるクラスメイトを横目で見ながら、鶫は隣の席に座っている行貴にそう投げかけた。


「別に興味ないし。だってアイツの親戚でしょ? 碌な奴じゃないって」


 行貴は手元の携帯から目を離さず、憮然とした声でそう答えた。……行貴が芽吹の何をそんなに嫌っているのかは分からないが、今回に限ってはその方が都合がいいのかもしれない。芽吹に頼まれた以上、鶫には転入生を行貴のちょっかいから守る義務があるのだから。


「何でお前はそんなに芽吹先輩に対して辛辣なんだよ。別にあの人に何かされたってわけじゃないだろ?」


 鶫がそう問いかけると、行貴は顔を上げて嫌そうな顔をしながら口を開いた。


「世の中にはいるんだよ、骨の髄から受け入れられない存在っていうのがさ。アイツのことを聖人だと思ってる鶫ちゃんには一生分かんないよ」


「いや、別に聖人だとは思ってないけど……」


 そう言いながら、鶫は小さく首を傾げた。確かに芽吹は優しくて面倒見もいいが、その一方で強かな面もある。鶫はどちらかというと可愛がられている方だが、それでも良いように使われる事も多い気がする。

 それでもホイホイとお願いことを聞いてしまうのは、やはり彼女の笑っている顔が好きだからなのかもしれない。鶫がそう告げると、行貴は呆れたように言った。


「あのさぁ、顔に誑かされるのも大概にした方がいいよ。あの手のタイプは笑いながら人を顎で使うくせに、さもそれが善意のように振る舞うんだから。反吐が出るよね」


「……それ、特大のブーメランだと思うのは俺だけか?」


「僕は別にいいんだよ。アイツと違ってきちんと自覚があるからね」


 そんな話を行貴としているうちに、ホームルームの時間が来てしまった。チャイムと共に、緊張した面持ちの涼音が教室に入って来る。教卓に着いた涼音が、口を開く。


「ええと、みんな多分もう知っていると思うけど、今日からこのクラスに転入生が来ます。少しだけ変わった所がある子だけど、仲良くして下さいね」


 そう涼音が告げると、何人かの男子生徒が待ち遠しそうな声を上げた。

……事前に鶫が『芽吹先輩に似ている可愛い子が来る』と言っておいたからだろう。現金にも程がある。


 それに比べ、女子生徒の方は至って冷静だった。いや、どちらかといえば騒いでいる男子生徒のことを呆れた目で見ている気がする。不穏な空気にも見えるが、そこまで心配はいらないだろう。


 女性陣に対しては『芽吹先輩の遠縁が来る』とちゃんと伝えてある。彼女達もまた、芽吹先輩とは親しくしていた。その縁者に対して変な真似をするとは考えにくい。鶫はそう思いながら、前を見つめていた。


「ではレークスさん、入ってきて下さい」


 涼音がそう告げると、カラカラと扉が開いて、煌めく金色の髪が目に飛び込んできた。その姿に、思わずクラスメイト達は息をのんだ。


 その芽吹によく似た美しい髪を持つ人物は、涼音に促されて教卓の前に立つと、にっこりと笑って口を開いた。


「皆さん初めまして。の名前はアザレア・レークスと言います。基本的な日本語は話せるので、遠慮しないで話しかけて下さいね」


 アザレアと名乗ったその人は、確かに芽吹によく似ていた。だがある一点で、決定的に芽吹と異なる点がある。


 鶫たちと同じ黒い詰襟を身に纏い、スカートではなく黒いスラックスを穿いているその人は、どう見ても『可愛い少女』ではなく――『美しい少年』だったのだ。


「ねぇねぇ鶫ちゃん」


「………………」


「鶫ちゃんさぁ、前に転入生のこと女の子だって話してなかった?」


 行貴が鶫の肘をつんつんと突きながら、小馬鹿にするような声音でそう呟いた。それとほぼ同時に、クラスの男子からじっとりとした恨みがましい視線が鶫に向けられる。


「……いや、だって芽吹先輩が可愛らしい子だって言うからてっきり……うん、なんかその、ごめん」


 そんな言い訳をしようとしたが、クラスの男子から『お前、後で、屋上』と怒りが混じったジェスチャーを送られ、鶫は素直に頭を下げた。


 今にして思えば、あの時の芽吹の台詞は転入生が女だと勘違いさせるための誘導だったのだろう。……本当に、あの人は悪戯っ気が多くて困る。


 そして静かに不満を募らせる男子と対照的に、正統派美少年に歓声を上げる女子たち。どうやら期待していなかった分、喜びが大きいのかもしれない。……どうやら、現金なのは男子も女子も変わらないらしい。


――それにしても、彼のことを何処かで見たことがある気がする。

 芽吹に似ているからではなく、直接顔を合わせたことがあるような、そんな気がしてならないのだ。


 鶫が首を傾げながらアザレアのことを見つめていると、ふと視線が交わった。アザレアが、面白いものを見つけたかのように、目を細めて微笑む。


 ズキリ、とベルとの契約の証がある指が痛んだ気がした。


「じゃあ、レークスさんの席はあそこの三列目の一番後ろ――七瀬君の隣に座って下さいね。七瀬君、手を上げて」


「あ、はい」


 唐突に名前を呼ばれ、小さく右手を上げる。そして涼音に言われるがままに鶫の隣に座ったアザレアは、穏やかに口を開いた。


「貴方のことはけいさんから聞いています。――これからよろしくお願いしますね?」


「ああ、こちらこそよろしく」


 そう言って、二人はにこやかに挨拶を交わした。


 だがこの時、鶫が背を向けていた人物――行貴がどんな表情で彼らを見ていたのかは、知る由もなかった。

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