第63話 各々の思惑

 ひらひらと服を靡かせながら駆けまわる鶫の姿を、ベルは遠くから眺めながらぽつりと呟いた。


「……随分と自信満々に動いているようだが、本当に大丈夫なのか?」


 別にベルは鶫の実力を疑っているわけではない。恐らく本人は否定するだろうが、今の鶫であれば、糸の強度を極限まで上げ、泥の中で魔獣を切り刻むという力業だって可能なはずだ。ただし、一気に力を引き出した反動で半日は寝込むことになるだろうが。


 多少のデメリットはあるが、わざわざ小賢しい策を練らずとも、十分に勝ち目はあるのだ。だが鶫は、あえて戦略を立てて魔獣に挑むことを選んだ。その辺りの機微が、ベルには理解できなかった。


――きっとそれは、ベルが【持ち得る者】だからに他ならない。

 ベルの様なかつて栄華を誇った気高き神は、本質的な意味で人間つぐみのことを理解することができない。


 今でこそ鶫は『葉隠桜』として地位を築いているが、本来の鶫は優秀な姉や奇抜なクラスメイトの影に隠れていた【持たざる者】である。


 七瀬鶫という人間は、自分が平凡だということを誰よりも理解していた。自分自身に過度の期待はせず、決して驕らず、出来ることだけを無難にこなしていく。極限の状態にでも追い詰められない限り、鶫はその辺にいる普通の高校生とそう変わらないのだ。


 だがベルから見れば、鶫は高貴で偉大なじぶんが自ら選んだ特別な人間である。それはとても名誉なことであり、鶫はベルの契約者だということをもっと誇るべきだと考えていた。

 それに対して鶫は、力を得た今になっても、平凡という枠から抜け出そうとしない。ベルにとって、それは許容できることではなかった。


――力を持つ者には、それに見合った態度が許される。ベルは本気でそう考えていた。


 世間から認められ、尊敬され、信仰を得る。ベルは最初、『葉隠桜』を使って人間や他の神の愚かさを嘲笑ってやろうと思っていた。派手に着飾った魔法少女を己の代弁者とし、疑似的な信仰を得て細々と暮らす滅びかけの神々たちはいきぶつ

 あの頃のベルには、彼らが何故そんなにも人間に傾倒できるのか理解できなかったのだ。


――鶫と契約した今となっては、彼らの気持ちは痛いほどに理解できるのだが。


 鶫に輝かしく活動してほしいと思う一方で、必要以上に目立ちたくないと願う鶫の意志も否定はできない。

 それに以前、ベルは鶫に対し「戦闘に関することは一任する」と宣言してしまっている。今さら鶫の戦術に、ベルが口を出すわけにもいかないのだ。


「……ふん。ままならぬモノだ」


 そう呟きながら、ベルは瓦礫に背中を預けた。小さく纏まろうとする姿はいただけないが、鶫の努力くらいは認めてやらなければならない。ベルは、とても寛大な神なのだ。


「精々やってみるといい。――人の浅知恵も、時には馬鹿にはできないからな」



◆ ◆ ◆





 大小の吸盤が付いた触手が、ビルに絡みつくようにして地面に引きずり込んでいく。ビルが泥の中に消えるにつれ、液状化した地面は段々とその面積を広げている。……このままだと、動くための足場が無くなってしまうかもしれない。


「フィールドを自分に合わせて変えていくタイプの魔獣か。流石にB級はやることの規模が違うな」

 

 鶫は沈みかけのビルの合間を器用に走りながら、そう呟いた。

 魔獣――クラーケンの本体は地面の中から出てこず、見えるのは鞭のように蠢く触手だけだ。液状化した地面は直接触っても手や糸が溶けることはないが、その泥の中で糸を操るのはかなりの難易度だろう。


 その割に魔獣はスイスイ泳いでいるようにも見えるが、それがこの魔獣の特性の一つなのかもしれない。観察した限りでは、地上よりも泥の中の方がずっと動きが速い気がする。

 何度か軽く攻撃してみようと泥の中に糸を伸ばしたが、簡単に避けられてしまった。


 不思議に思い触手をよく観察してみると、触手の吸盤の一部が大きな目の様になっていた。……確かにこれだけの数の眼があれば、目に見える糸なんて簡単に避けることができるだろう。


 転移を使って飛び回る鶫のことを、魔獣が空いた触手で捕えようとするが、鶫は華麗な身のこなしで触手を躱していく。


――この程度、ラドンの尻尾に比べれば蠅がとまるスピードだ。だが、このまま攻撃を避けるだけでは敵を倒すことはできない。


 泥の中に糸を張り巡らせて攻撃してもいいが、あの魔獣がイカやタコの性質を持っていたとしたら、その方法も難しい。イカの様な軟体動物は硬い骨が無いので、僅かな隙間さえあれば簡単に通り抜けることができるのだ。下手な攻撃では簡単に躱されてしまうだろう。


 そして罠を仕掛けるにしても、そんなに大量の罠を仕掛けることは出来ない。逃げられないくらいの強度の罠を作るとなれば、込める神力だって比例して増えていくことになる。罠に完璧な精度を求めるのなら、一ヵ所か二ヵ所くらいの設置が限界だろう。


「かといって、あの巨体を釣り上げるには支柱が足りない。……なんだか漁でもしてる気分だなぁ。まあ、最終的には食べちゃうんだからそんなに変わらないか」


 そう笑いながら呟いたが、残された時間はそう多くはない。沼の規模はこうしている間にも拡大を続けている。このままだと、移動に必要な足場すら無くなってしまう。


 攻撃の手が届かない場所で逃げの一手をとられたら、もう鶫には為す術がない。魔法少女の力が有限である以上、持久戦を仕掛けられたら結末は目に見えている。


――だが、解決策はある。

 今の『葉隠桜』に出来る方法で、この泥の沼の特性を生かし、そして泥の中なら攻撃されないと思い込んでいるクラーケンの横面を張り倒すような、とっておきの策が。


「……よし」


 小さく決意の声を上げた鶫は、真っすぐに目の前の景色を見つめた。そしてちらりとベルが居る方を向いて微笑むと、速やかに行動を開始した。


――魔獣が沈めているビルに透明化を施した糸を巻き付け、相手に気づかれない様に糸を沼の中に潜り込ませる。今の鶫の力では、沼中に張り巡らすほど大量の糸は出すことが出来ない。だが、今回はそこまでする必要は無いのだ。


「クラーケンの全長はおよそ百メートル。誤差は手足を切断して調整すればいい。結局は、魔石がある胴体を捕獲できればそれでいいのだから」


 そう口に出しながら、鶫は送り込んだ糸を操り何かを作り始めた。イメージするのは、糸を編み込んだ丸い壺だ。抜け出す隙間ができない様に、糸を慎重に組んでいく。

 張り付くような泥のせいで糸の動きは鈍いが、それでも糸を一ヵ所に集めるだけならそこまでの負担はかからない。


 そして鶫は魔獣が十棟のビルを沈めている間に、捕獲用の罠を完成させた。魔獣は、まだ罠の存在には気づいていない。


――もしもこの相手が最初に戦った大猪程度の知能の持ち主だったならば、罠に追い込むのはきっと簡単だったはずだ。だがあの魔獣は自分に有利な陣地を作り、こちらの動きを見て行動を変えるだけの知性を有している。単純な方法では、罠を看破され逃げられてしまうだろう。


「あの魔獣は、恐らくそこまで頭は悪くない。――けれど、今回はその学習能力が徒になる」


 鶫はずぶずぶと沼の中に糸を流し込み、魔獣がいる場所から罠のある場所まで、ジグザグの迷路のような簡易な糸の壁を作り出した。糸自体は綿のように柔らかいもので、魔獣が体当たりしたら簡単に千切れてしまう程度の強度しかない。――だが、それで十分だ。


 準備を終えた鶫はビルの上で立ち止まり、ピッと勢いよく魔獣を指さしながら、高らかに宣言した。


「――さあ、狩りの始まりだ」




◆ ◆ ◆




 クラーケンは薄暗い泥の中を、悠々自適に泳ぎ回っていた。天敵である魔法少女は、魔獣がいる場所までは追ってこれず、地上で右往左往している。

 ちょこちょこと糸のような物で攻撃してくる時はあるが、泥の中を自由に泳げる魔獣にとっては羽虫の様な物だった。


――このまま魔法少女が力尽きるまで下に潜っていれば、それだけで自分の勝ちだ。


 侵食する泥の沼は、やがて足場を奪い魔法少女を泥の中へと導くだろう。そして自分は、落ちた魔法少女をじっくりと捕食すればいい。魔獣はそう考えていた。


 そしてグルグルと沼の中を移動していた魔獣は、目の前に何かぶよぶよとした壁があることに気づいた。不思議に思い、触手の一本を壁に向かって伸ばしてみる。やがてぶつりという感触の後、触手に生えている眼球で壁の外を見た魔獣は驚愕した。


――泥が、無い・・


 壁の向こう側は、空間が切り取られたかのように泥が無くなってしまっていた。まるで、その場所だけが消えてしまったかのように。


「――そこか」


 そんな小さなつぶやきと共に、魔獣の腕に衝撃が走った。一瞬にして、触手に接続されていた景色が黒に変わる。――切り落とされたのだと気づいたのは、暫くしてのことだった。


――あの魔法少女は、空間を切り取る能力を持っている。魔獣はそう判断した。ならば、このぶよぶよした壁は、その能力の境目ということになる。下手に近づくのは危険だ。


 そして魔獣は壁から離れるように移動を開始したのだが、すぐに別の壁へとぶつかってしまう。移動する分にはそこまで問題はないが、所どころに仕掛けられたわなは巧妙で、何度か攻撃を受けてしまった。


 だが、その程度の怪我は魔獣の行動の阻害にはならない。触手はすぐに復活するので、そこまで問題には思っていなかったのだ。

 うっかり本体を壁の外に出してしまえば一巻の終わりだろうが、魔獣はそこまで馬鹿ではなかった。あらかじめ千切れてもいい触手を先行させれば、無駄な怪我を負うこともない。


 そうして魔獣は壁を器用に避けながら、自分自身も知らない間にある場所へと誘導されていったのだ。そう――鶫が仕掛けた罠の中に。


――それ・・に魔獣が気づいた時は、もうすでに手遅れだった。


 魔獣が水の流れに違和感を覚えた瞬間、周りにあった泥が魔獣を押しつぶすかのように襲い掛かってきた。

 魔獣は焦ってその場から離れようとしたが、行けども硬い壁ばかりで、触手を出す隙間すら見当たらない。魔獣は、完全に糸で出来た球体の中に捕らえられたのだ。




◆ ◆ ◆




――倒壊せずに残ったビルの上で、鶫は頬杖をつきながら泥の沼を眺めていた。


 眼下には迷路のような形をした泥の道が残っており、それ以外の部分は切り取られたかのように何もかもが無くなってしまっている。


「まあ無くなったわけじゃなくて、一部を透明化してるだけなんだけどね」


 鶫が考えた作戦は、極めてシンプルなものだった。

 柔らかい糸を壁の様に配置し、それ以外の部分を透明化で見えなくすることで視覚的な『壁』を作る。実際は透明になっているだけなので、実は移動しようと思えば簡単にできるのだ。


 けれど魔獣は、壁から出た触手が攻撃を受けたことで『壁の外は危ない』という先入観を持ってしまった。実際は壁沿いに巡らせた攻撃用の糸を必死で動かしているだけなので、触手以外の物――本体の胴のような大きな物は切れる自信がない。


 だが魔獣は壁の外を危険だと思い込み、鶫の思惑通りに罠の中へと自ら入り込んでくれた。もしこれが大猪の様な単純なモノが相手だったなら、そもそも壁の存在など気にもかけなかっただろう。半端に賢いというのも考え物である。


 泥の沼を見つめながら、鶫は迷路の透明化を解除した。そして魔獣が囚われている場所にのみ、改めて透明化のスキルを施す。ぽつんと穴の開いたように見える沼の中には、毛糸の塊のような球体が鎮座していた。


 罠の作成に使った糸は特別に力を込めた物で、簡単には破壊されない。出口を塞ぎ、動けなくなった魔獣は、もはや鶫の手のひらの上だ。


「中身は、……別に見なくてもいいか。どうせグロいだろうし」


 鶫はそっと右手を伸ばし、薄っすらと笑みを浮かべながら呟いた。


「逃げ切る手段は悪くなかったけど、残念――相手が悪かったね」


 指を一本ずつ、ゆっくりと内側に折っていく。それに連動するかのように、泥の中に浮かんだ球体が、まるで大きな人の手・・・・・・に握りつぶされるかのように歪んでいく。

 ぎゅっと鶫が拳を握り終えた瞬間、ギィィ、と甲高い悲鳴を上げながら球体の中の魔獣が絶命した。……何だか少し悪いことをしている気分だ。


 そして罠の糸を解除するのと同時に、自動発動で【暴食】のスキルが魔獣――クラーケンに美味しそうに食らいついていく。そのグロテスクな光景からそっと目を逸らしながら、鶫はベルのいる方向に手を振った。――はたして、ベルは今回の戦いを褒めてくれるだろうか。


 鶫はそんな風に思いながら、ベルの元へと走り出したのだった。

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