第62話 尊敬の対象

 行貴から写真を渡されてから数日が経過したが、鶫は千鳥に何も話せないままでいた。

 千鳥が政府に呼び出されて忙しいという理由もあったが、鶫は何よりも今の二人の関係性が壊れることを恐れていた。失くしてしまった記憶――それがパンドラの箱のように思えたのだ。


 そんな躊躇いもあり、鶫は千鳥への相談を先送りにした。――十年前の事故について、詳しいことが分かってからでも遅くはない。鶫は、自分自身にそう言い聞かせた。


 何はともあれ情報を得るために十華として働く以上、鶫は『葉隠桜』として一定以上の力を身に付けなくてはいけない。その強化の一環として、鶫はようやくB級の魔獣に挑むこと決めたのだ。


「でも少し緊張しちゃうな。何だかんだでB級の魔獣と戦うのは初めてのことだし」


「ふん。貴様の今の実力ならばB級程度の魔獣は相手にならないだろう。だが、油断はするなよ。敵の相性次第では苦戦もあり得る」


「分かってる。気を付けるよ」


 地方都市にあるビルの屋上で、魔法少女の姿に変身した鶫は真剣な顔でベルにそう返した。

 風にたなびく横髪をそっと耳にかけ、ビルの下を覗き込む。ビル街にいる人々はぞろぞろと列をなして移動を開始しており、この調子なら魔獣が現れるまでには避難は完了するだろう。


 避難民の中に、きょろきょろと落ち着かない様子で上を見上げている人が何人かいた。だが彼らは、しばらくするとがっかりした様子でビル街の外へと歩き出している。……もしかして『葉隠桜』の姿を探していたのだろうか。


 そんなことを考えながら、鶫は何だか不思議な気分になった。

――『葉隠桜』の世間への露出は極めて低い。実際に直接顔を合わせたことがあるのは、ごく一部のメディアの人間くらいしかいない。

 例外として、逃げ遅れた人や体調が悪くて蹲っている人を保護したことは何度かあるが、彼らがその時のことを覚えているかどうかは定かではない。


――はたして、世間一般の人々は『葉隠桜』のことをどんな風に思っているのだろうか。

 メディアの報道では慈悲深く正義感のある少女の様に扱われているが、あまり現実つぐみと乖離しすぎても後がきつくなる。かといって、今さら猫を被るのを止めるわけにもいかない。


……もっと事前にキャラ設定を練っておくべきだったかもしれない。そう後悔したが、もう遅い。これから先も葉隠桜として活動する以上、ぼろを出さないように気を付けるしかないだろう。


 葉隠桜の姿でいる時は、人目がない時もできるだけ言葉遣いを柔らかくするように心がけているが、その影響でたまに学校でも同じような感じで話してしまいそうな時がある。クラスの女子からは「なんだか話しやすくなった」と評判だが、鶫が彼女たちに異性として意識されているかどうかは少し疑問である。


「それにしても、B級が相手だと三時間も現地で待たなきゃいけないなんてちょっと面倒だよね」


 B級の魔獣の出現が分かるのは、約三時間前からだ。在野の魔法少女である鶫は、政府が魔法少女を派遣する前に現地に赴いて戦うことを宣言しなくてはならない。

 最大の問題は、宣言した後は戦いが終わるまでその場から離れられなくなることだ。一時間程度ならまだしも、三時間も同じ場所で待機を続けるのは少しだけ面倒だった。


「事前に予約とかができれば楽になるんだろうけど、ちょっとそれは難しいよなぁ」


 鶫はそう呟いたが、それが無理なことは重々分かっていた。

 在野の魔法少女においては、戦いの予約というシステムは一切許可されていない。少し効率が悪いような気もするが、それに関してはやむを得ない理由がある。


――そもそも在野の魔法少女は、基本的に戦闘の義務を負っていない。いわば有償ボランティアのようなものである。政府所属の魔法少女とは、そもそも立場からして異なるのだ。


 そういった背景もあり、在野の中には戦闘に対して意識の低い人間も複数存在している。戦闘の予約が可能になった場合、下手をすると予約したが現地は現れなかった、という事態が起こりかねない。……人の命が掛かっている以上、政府が在野の魔法少女の行動を制限するのは当然のことだろう。


 それに最近はイレギュラーの影響で、魔法少女はできるだけ早く現地に向かうべきという風潮が政府側にも生まれてきている。この分だと、予約のシステムなんて一生実装されそうにもない。


……十華になったら『葉隠桜』だけでも特例扱いにならないだろうか。その辺は今後の活躍と交渉次第だろう。


「最近はずっと他の魔法少女の戦闘動画を見ていたようだが、何か収穫はあったのか?」


 ゆらゆらと鶫の隣に浮いているベルが、そんなことを聞いてきた。鶫は小さく頷きながら、口を開いた。


「うん。チェックしたのは『葉隠桜』と同じような中距離から遠距離の間で戦うタイプのやつなんだけど、かなり参考になったよ」


 数えきれない程の戦闘動画を見たが、強い魔法少女には戦い方にいくつかの共通点があった。


「六華の魔法少女もそうなんだけど、基本的に彼女達って戦い方が一貫してるんだ。確かに魔獣のタイプ別に対応は変えているけど、最終的には自分の一番得意な【型】に当て嵌めるように戦いを進めている。その戦闘スタイルがきちんと確立されていれば、攻撃特化のスキルが無かったとしても、A級の魔獣すら簡単に撃破できる。六華の柩さんとかが良い例かな」


――例えば遠野すみれであれば、恵まれた広域殲滅能力で対象を焼き尽くす方法を取るだろう。

 壬生百合絵は相手を自分の土台にまで引きずり落として急所を一刀両断し、鈴城はじわじわと遠くから猛毒で敵を追い詰め、雪野雫は理詰めで魔獣を解体していく。序列五位の日向に関しては、魅せるための戦い方が主だったので今回は言及しないでおく。


 そして鶫が六華の中で一番『戦い方』が上手いと感じたのは、序列六位の柩藍莉である。


 柩以外の六華の面々は魔法少女として非常に優秀な器を持ち、行使できる力の規模は一般の魔法少女よりもかなり大きい。

 だがその一方で、柩の器の大きさはそこまで恵まれたものではない。それは生まれ持った資質であり、幾ら努力を重ねても覆すことは出来ない。戦いを繰り返すことによって多少は器を拡張することはできるが、元の土台が違う以上追い越すことはできないのだ。

 例えば柩藍莉が遠野すみれと同じ能力スキルを有していたとしても、遠野以上のパフォーマンスは発揮できないだろう。


 ただ柩藍莉には、長い間魔法少女として第一線で戦ってきたという得難い経験がある。

 彼女は自分の能力スキルを完璧に把握し、少ないコストで戦い続ける器用さがあり、臨機応変に戦い方を変更できる柔軟さがあった。キューブを出現させて攻撃と防御を両立するその戦闘スタイルは、鶫から見てもため息が出るほど見事なものだった。


――戦いの経験が浅い鶫は、今の六華の足元にも及ばない。【暴食】のスキルのおかげで器の拡張率は人よりもかなり高いが、六華の少女たちに追いつくのはまだまだ時間がかかるだろう。

 そういった事情もあり、自分の実力だけで六華に上り詰めた柩藍莉は、鶫にとって尊敬できる目標だった。


「戦闘を繰り返して魔法少女みことして器の容量を広げることも大事だけど、一番重要なのは『葉隠桜』に合った戦闘スタイルの確立だね。力押しができるなら楽なんだけど、葉隠桜の能力構成は攻撃特化じゃないから」


【糸】というスキルは基本の攻撃力が低い分、高い自由度を併せ持っている。今の鶫に必要なものは、それを十全に生かすための発想力と咄嗟の判断力だ。

 トライ&エラーを繰り返すには少し時間が足りないが、それでも数か月あれば戦闘スタイルの雛型くらいはできるだろう。十華として政府に出向くまでには、何とか間に合わせなくてはならない。


 ちなみに以前のラドン戦で使った湖の水を丸ごと転移させるような大技は、今の鶫には使えない。一度くらいなら恐らく可能だろうが、それでガス欠になってしまっては何の意味もない。しばらくは日の目を見ることはないだろう。


「……でもラドンの時みたいに、水中とか地面に潜られるタイプの魔獣とは少し相性が悪いかな。糸が届かないし」


「まあ、今回はそんな心配はいらんだろう。なにせ、ここはビル街だからな」


「あはは、確かにそうだね」


 一人と一柱はそんな取り留めのないことを話しながら、魔獣が現れる時を待ち続けた。


――まあ、結局はその会話がフラグになってしまったのだが。





◆ ◆ ◆




――三時間が経過し、魔獣の出現に伴って辺りに結界が張られていった。景色の全てが反転した鏡面世界の中で、鶫は現れた魔獣のことを見つめると、そっと両手で顔を覆った。


 隣に浮かぶベルは魔獣の形状を確認すると、心底呆れたように鶫に話しかけた。


「なあ、貴様もしかして何かに呪われているのではないか?」


「ちょっと否定できないかも……」


 そんなベルの言葉を聞き流し、鶫は陰鬱とした雰囲気を漂わせながら肩を落した。


――ビルの下に見える魔獣の全長は、およそ五十メートルから百メートルの間。魔獣は白っぽい表皮を持ち、無数の足を器用に操って次々とビルを倒壊させている。そして魔獣はどろどろに液状化・・・した地面にビルを引きずり込みながら、魔法少女――葉隠桜の出方を伺っているようだった。


「だから、潜るタイプの魔獣はヤダって言ったのに……」


 大きなため息を吐きながら、鶫は疲れた様にそう呟いた。まさかこんなにも早く苦手なタイプと戦うことになるとは思っていなかったのだ。


「過去のデータによると、あのタイプの魔獣は【クラーケン】と呼ばれるようだな。本来は海の怪物として名を馳せている存在だが、まさかこんな水も無い場所に現れるとは……」


 眼下にうごめく触手のような足を眺めながら、ベルはしみじみとそう呟いた。


「いきなり苦手なタイプが相手かぁ……。はあ、強くなるためには、楽は出来ないってことなのかな」


 鶫はそう呟きながら、手のひらを魔獣に向け、指をファインダーのように形作った。四角に囲われた景色を眺めながら、鶫はスッと目を細めた。


「上にまで引きずり出すか、それとも泥の中で片を付けるか。悩みどころだね」


「ほう? 何か手があるのか?」


 にやりと口角を上げて笑いながら、ベルが問う。

 鶫は不敵に笑い返し、大きく頷いてみせた。


「もちろん。にだって少しは頭を使った戦いができるってことを、ベル様にはちゃんと見ていてもらわないとね!」

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