第3章

第57話 秘密と嘘

 退院した次の日の月曜日。鶫と千鳥は学校からの呼び出しを受け、普段よりも早めに登校していた。


 どうやら政府から連絡を受けた学校側は、昨日の段階で緊急の会議を開いたらしい。今日は昨日決まったことのすり合わせをするので、六時半までに登校するように連絡が来ていた。夜に電話をかけてきたのは祈更だったのだが、その際に貴重な休みが潰れたと電話口で愚痴られた。……少し悪いとは思うが、今回ばかりは不可抗力なので許してほしい。


 鶫は隣を歩く千鳥の暗い顔を見て、小さくため息を吐いた。


――きっと、この後に待っている部活仲間への説明が気がかりなんだろうな。


 控えや幽霊部員ならばともかく、千鳥は剣道部の部長かつエースである。いきなり辞めると言っても、部員だってすぐには納得できないだろう。

 一応顧問からの説明があるだろうが、場合によっては千鳥が部員から責められる可能性もある。運動部にとって主力選手が抜けるというのは、かなりのダメージだ。ただでさえ気落ちしているのに、そんなことになったら千鳥はひどく落ち込むに違いない。

……けれど、鶫にはどうすることもできない。かえって鶫が口を挟む方が拗れてしまうだろう。これは、結局は千鳥自身が解決するしかないのだから。


 だが幸いなことに、部活の面々はみんな千鳥のことを慕っている。千鳥が誠意をもってきちんと説明すれば、悪いようにはならないだろう。


 そうして職員室にたどり着いた鶫と千鳥は、校長から今後の対応の説明を受けた。主には千鳥の仕事に関することである。政府に呼び出された際の遅刻や早退は、公欠扱いになるそうだ。

 この学校は以前にも魔法少女が在籍していたことがあるので、基本的な決まりごとはもう明文化されているのだろう。その辺りの説明は、かなりスムーズに終わった。


 そして今回の一件で何よりも気を付けてほしいと言われたのは、マスコミへの対応だ。

 今はまだ鶫たちの名前は表に出ていないが、千鳥が魔法少女として活動する以上、騒ぎになるのは確実だった。

 学校側としては、鶫たちがこれ以上悪目立ちしてしまうのを防ぎたいのだろう。そのためか、マスコミ関係者に話かけられた時は、決して一人で対応せずに近くにいる教師を呼ぶようにキツく言明された。


 他にもいくつかの注意事項はあったのだが、詳しいことは後で冊子にして渡してくれるらしい。至れり尽くせりだ。だが教師達はそんな面倒な手間を掛けさせられているにも関わらず、何故か皆協力的だった。


 こっそり後で他の教師に話を聞いたところによると、魔法少女が在籍している学校には助成金が出て、学校側の貢献度によっては臨時ボーナスも出るらしい。……純粋な好意ではないのは残念だが、大人なんてそんなものだろう。


――何はともあれ、これで千鳥が魔法少女運び屋として働くための土台はできた。学校と政府両方からのバックアップがあれば、そこまで苦労はしないはずだ。

 一時はどうなることかと思ったが、とりあえずは普通の生活が送れそうだ。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていれば万事解決だろう。


 鶫がほっと胸を撫で下ろしていると、大まかな説明を終えた校長に声を掛けられた。


「では、七瀬千鳥さんはこのまま顧問の先生と一緒に部活へ説明に行って下さい。それと、七瀬鶫さんですが……」


 校長は千鳥にそう告げると、付け足すかのように鶫に向かって言葉を続けた。


「祈更先生と涼音先生が生徒指導室で君を待っています。直ちに向かうように」


「……はい?」


 その校長の言葉に、鶫は目を丸くして疑問の声を上げた。


――職員室にいないと思っていたら、まさかの呼び出しか。


 何の件かは分からないが、呼び出された以上は向かわないわけにはいかない。鶫は千鳥と分かれ、何となく気が進まなかったが、渋々四階にある生徒指導室へと足を運ぶことにした。





◆ ◆ ◆






 重たい足取りで生徒指導室にたどり着いた鶫は、釈然としないものを感じながら扉を開いた。


――別途で呼び出されるようなことをした記憶はないし、もし何かあったならば昨日の電話で話せたはずだ。どうにも厄介事の気配しか感じない。そんなことを考えながら、鶫は指導室に足を踏み入れた。


「失礼します……」


「ようやく来たか。まあ、座れ」


 窓の外を眺めていた祈更が、入ってきた鶫にそう告げた。祈更に指差されたテーブルの方を見ると、すでに涼音は席についてるようだった。だが涼音はなぜか感情の読めない瞳で鶫のことをじっと見つめていて、何だか気味が悪い。


 いつもと違う涼音の様子に戸惑いながらも、鶫は指定された席に座った。場所は、涼音の目の前である。……何となく居た堪れない。


 祈更が席についたのを確認すると、鶫は気を取り直すかのように口を開いた。


「それで、今日は何の用事ですか? 土曜の事件の対応とかについては校長先生から説明を受けましたよ」


「それとは別件だ」


「じゃあ他に何かありましたか? ちょっと思いつかないんですけど」


 不満げに鶫がそう言うと、祈更はすっと目を細めて鶫のことを睨み付けた。


「心当たりが無いとでも言うつもりか?」


「ええ? 急にそんなこと言われても……」


 ここ最近のことを思い返してみるが、特に変わったことはない。思い当たることがあるとすれば、小学生を脅した件くらいだが、あれはもう和解済みなので問題はないはずだ。たぶん。


 そもそも最近は入院や見舞い、葉隠桜としてのリハビリなどが忙しくて、鶫のF組落ちの原因である諸悪の根源トラブルメーカー、行貴とあまり一緒に行動していないのだ。呼び出されて怒られる理由がない。


 鶫が困惑した様子で首を捻っていると、それまで黙っていた涼音が静かに口を開いた。


「私、あの時に言ったはずよね。――何かあったら、相談してって」


 涼音は俯いており、前髪で表情は伺えない。だが喉の奥から絞り出したかのような涼音の低い声に、鶫はたらりと冷や汗を流した。


――もしかして怒っている? でも何を?


 涼音の様子がいつもと違うことだけは分かる。だが、彼女が何に対してそこまで憤っているのかが分からない。

 普通に考えれば今回の事件のことなのかもしれないが、相談と言われてもあの場では電話すらできない状況だったのだ。怒られるのはお門違いである。


「そ、そうですね。でも特に先生に頼らなくちゃいけないことは何もなくて……」


 とりあえず何かを言っておこうと考え、鶫が弁明のようにそう言うと、涼音はこちらをキッと睨み付けて両手で勢いよくテーブルを叩いた。

 ドン、という鈍い音が部屋の中に響き渡る。


 いきなりのことにびくりと肩を揺らし、鶫は呆然と涼音のことを見つめた。


「どうして?」


 そう呟いた涼音は、ゆるりと顔を上げて鶫のことを見ると、くしゃりと顔を歪めた。そしてそのまま、大きな瞳からポロポロと大粒の涙を流し始めたのだ。綺麗な透明の雫が、彼女の頬を通り過ぎていく。

 そして涼音は、震える声で鶫に問いかけた。


「わ、わたし、そんなに頼りなかった?」


「え、あの、涼音先生?」


 それだけ告げてしゃくり上げるように泣き出した涼音に対し、鶫はおろおろと両手を彷徨わせた。いきなりの急展開に、どうしたらいいのか分からなくなったのだ。鶫は混乱しながらも、助けを求めるように祈更のことを見た。

 そんな鶫の視線を受け、祈更はひどく面倒くさそうにため息を吐くと、おもむろに告げた。


「もうあまり時間が無いので、単刀直入に言わせてもらう。――俺達は、お前の秘密・・を知っている」


「俺の秘密?」


 その祈更の言葉に、鶫は思わず目を見開いた。――鶫の秘密。そんなもの、一つ・・しかない。そう、――そう、『葉隠桜』のことだ。


……涼音には以前、鶫が死にそうなところを魔法少女に助けられたという嘘の説明をしたことがある。

 だが、今考えてみればその時の説明はあまりにも穴だらけだった。怪我や入院の時期を含め、葉隠桜の活動時期と合わせれば、鶫の正体に当たりを付けていてもおかしくはないのかもしれない。


――だけど、それでも鶫は祈更の言葉を認めるわけにはいかない。


『葉隠桜』の正体は、絶対に隠しきらなくてはならない。ベルとの約束というのもあるが、変に有名になってしまった今、葉隠桜の正体の露呈は鶫の命に係わる。たとえ目の前の二人が信用できる人間であろうとも、鶫は自分から秘密を話すつもりはなかった。ならば、誤魔化すしか方法はない。


 鶫は一瞬だけ考え込む様に目を伏せると、わざと困ったような表情を作って口を開いた。


「……何のことですか? 先生たちが言おうとしている事の意味が分からないのですが」


「今さらとぼけるな。俺はともかく、コイツにはきちんと確証があるみたいだぞ。この姿を見て、それでも疑うつもりか?」


 祈更はチッと舌打ちをしながらそう言った。……確かに涼音の泣く姿は異常なほどに説得力がある。


……もし本当に秘密がバレてしまったならば、どう誤魔化すべきか。口止めを。泣き落とし。ベルに頼んで記憶を消してもらう。最悪千鳥にだけはばれない様にしないと。そんな色々な考えが、グルグルと頭の中にうず巻いていく。未だかつてないほどの焦りが、鶫の心を支配していた。


 鶫がどう言葉を返すべきか言葉に悩んでいると、ひくりと喉を鳴らしながら涼音が話し始めた。


「……テレビの映像を見て『もしかしたら』と思っていたけど、昨日の会議で政府から渡された映像を見て確信したの。七瀬君がこのことを言いづらかったのは分かるわ。でも、それでも私にだけはきちんと話して欲しかった」


 おもむろに涼音は立ち上がり、グイっと自分の方に寄せるように鶫の頬を両手で抱えた。涙で濡れた瞳と、目が合う。そして鶫は、一瞬で自身の敗北を悟った。


――ああ、これは駄目だな。


 涼音の瞳には、間違いなく確信が宿っている。きっといくら鶫が否定したとしても、彼女は絶対に自分の考えを曲げないだろう。

……完全にバレてしまったならば、それはそれで仕方がない。幸いにも、この二人の口は堅い。この後の対応さえ間違えなければ、変に正体が広まることはないだろう。すっぱりと誤魔化すことを諦めた鶫はそんな風に考え、涼音の次の言葉を待った。


――だが、彼女が放った言葉は予想外のものだったのだ。


「走り出した瞬間の迷いのなさ。鬼の首から溢れる糸へと刃を突き刺した時の、視えている・・・・・かのような太刀筋。――ねえ、七瀬君は私と『同じモノ』が見えているんでしょう?」


 涼音はそう言って、縋るような顔をしてふわりと笑った。


 奇妙な静寂が部屋の中を支配する。鶫は五秒ほど涼音の言葉を反芻し、ようやく彼らの言っていた『秘密』の意味を理解した。


 鶫は心の中でダラダラと安堵の汗を流しながら、ぐっと右手を握った。


――ば、バレたのは葉隠桜のことじゃなかった!! よかったぁ!!


 心の中で、大きく「セーフ!!」と叫ぶ。恐らく涼音が言っているのは、鬼へと挑む時に視えた、死へと導く紅い炎のことだろう。なぜそちらの方が先にバレたのかはいまいち謎だが、涼音は似たような能力を持っているので、通じるところがあったのかもしれない。

 だが、葉隠桜のことがバレたわけではない。それだけが重要なのだ。


 鶫は本命の秘密がバレていないことに安堵したものの、また別の心配事が出来てしまったことに気づいた。

――この死の炎を見る能力のことを他人に話していいものなのだろうか?


 昨日逃げるようにベルが去った後、再度話す機会には恵まれなかった。タイミングが悪かったこともあり、この異能については全く相談できていなかったのだ。使用条件がいまいち不明なこともあり、鶫としてはそこまで優先度が高くないと考えていたせいでもある。


 おそるおそる、鶫は視線を上げて涼音の顔を見つめた。彼女は静かに鶫の言葉を待っている。その顔には、懇願するような色と僅かな怯え、そして抑えきれないほどの期待が見て取れた。


――おそらく涼音は、鶫が同じ異能を持っていると信じたいのだ。自分一人だけが有していたはずの悍ましい異能を、他にも持っている人間がいる。それに気づいた時、彼女は一体どんなことを考えたのだろうか。

 それを踏まえて考えれば、今日の涼音の狂乱ぶりも理解できる気がした。


……この場で異能のことを肯定しても、否定しても、どちらにせよ面倒なことになるのは変わりない。正解が見つからないのであれば、できるだけマシな方を選択するべきだろう。鶫は少しだけ迷って、答えを決めた。


 鶫は涼音から視線をそらし、自身の頬に添えられた手に右手をそっと重ねながら、儚げに笑ってみせた。そしてスッと顔を上げて涼音のことを見つめ、重い口を開いた。


「――涼音先生の、仰るとおりです」

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