第36話 善意で舗装された道

「おはよ、う……?」


 朝、いつもの様に登校して挨拶をすると、中にいたクラスメイトがばっと一斉に鶫の方へと振り向いた。

 その勢いに引いた鶫は、思わずそっと教室の扉を閉めた。ちょっとしたホラー体験のようだった。


……まさかとは思うが、昨日の小学生女子に対する大人気ない振る舞いがバレたのだろうか。それとも男二人でファンシーなお店に入ったところを誰かに見られたのか。どちらにせよ、引かれるか馬鹿にされるかの二択だろう。

 鶫がそう考えていると、トンッ、と背中を軽く叩かれた。


「つぐみん、扉の前で突っ立って何してんのー?」


「お、驚かすなよ冬野ふゆの


 驚いて振り返った先に居たのは、鶫のクラスメイトの女子だった。

 名前を冬野といい、適当に切り刻んだ髪の両サイドに、赤いメッシュを入れるという不思議な髪形をしている子だ。

……なぜこの進学校の中で、そんなパンクな髪型にしようと思ったのだろうか。もしかしたら美術部だから感性が尖っているのかもしれない。ある意味では、鶫が所属するF組もんだいじぐみに相応しい人材である。


「なぁに、そのだっさい眼鏡・・。似合ってないけど」


「……変装代わりだよ。コンビニで度無しの眼鏡はこれしか置いてなかったんだ」


 鶫は不満げにそう答えた。いま掛けている黒縁の野暮ったい伊達眼鏡は、鶫だって好きで使っているわけではない。

 理由は単純である。昨日の葉隠桜のインタビューが影響しているのか、今朝はいつもよりしつこい人が多かったのだ。

 さすがにこのままではまずいと思い、急遽コンビニで眼鏡とマスクを買ったのだが、こうして開口一番に似合ってないと言われたら、いくら鶫でも少し凹む。


 昨日はベルから「話し過ぎだ」「なぜもっと早く切り上げなかったんだ」「よくも我の設定をねつ造したな」と一晩中ぐちぐち言われて寝不足なのに、朝からこの仕打ちはあんまりだろう。


「あはは! 有名人は大変だね」


 そんな鶫の憂鬱な気持ちを知る由もない冬野は、けらけらと笑いながらおもむろに鶫の顏に手を伸ばし、スッと眼鏡を取り上げた。


「別に俺が有名なわけじゃ……、おい、返せって」


 鶫がそう言うと、冬野は取った眼鏡を自分の頭の後ろに掛け、そのままずいっと近づいて顔を覗き込んできた。

 鶫は思わず後退ろうとしたが、閉めた扉が邪魔で動けなかった。そして冬野は鶫の嫌がっている様子など気にもせずに、鶫の顔を観察している。


「やっぱりそっくりだよ。――本当に兄妹とかじゃないの?」


「ちょ、近いから……」


 顔を逸らそうとしたが、両頬を手で固定されて動かせない。女子に対して実力行使に出るわけにもいかないので、どうするべきかと鶫が悩んでいると、背にしていたドアが、がらりと開いた。

 支えを失った体がぐらりと後ろに傾く。このまま倒れたら二人とも大惨事になる思い、何とか踏みとどまったが、足に掛かる負荷が大きくてかなり痛かった。


 苛立ちを込めて後ろを睨むと、そこに立っていたのは、怪訝そうな顔をした秋山だった。おそらく、いつまで経っても入ってこない鶫にしびれを切らしたのだろう。


「……七瀬たちは何やってるんだ? もしかして修羅場?」


「断じて違う。ほら、もう放せって」


 秋山が、呆れた顔をしてそう言ってきた。何を勘違いしているのか知らないが、これはそんな色っぽいものではなかった。冬野のあの目は、あくまでも鶫の顏の造形・・しか見ていなかったのだから。


「つぐみん何だか最近可愛くなったね。今度の大会の絵に描いてもいい?」


「止めてくれよ。もし賞なんか取られでもしたら、俺が大変なことになるだろうが」


「ちぇっ」


 冬野はそう言うと、興味を失ったかのように自分の席へと歩いて行った。……頭につけたままの眼鏡は返してくれないのだろうか。だが、取り返しに行くのも少し面倒だ。


 鶫は自分の席に座ると、大きなため息を吐いた。どうにも朝から疲れることばかりが続く。けれど、そう簡単に平穏は訪れない。


「さっきは何で扉を閉めたんだよ。今朝からお前の話で持ち切りだったんだぞ?」


 当たり前のように前の席に座った秋山に、そう話しかけられた。我が物顔で座っているが、その席は別人の物である。


「どうせ俺じゃなくて『葉隠桜』の話だろ?」


 鶫が呆れた風に言うと、秋山は「ばれたか」と言いながら誤魔化すように笑った。


「昨日のニュースで彼女が話してるところを見たけどさぁ、お前ら本当に血縁とかないわけ? ほら、立ち振る舞いとかは千鳥ちゃんそっくりだったし」


「少なくとも俺は知らないぞ。千鳥も知らないみたいだし、やっぱり他人の空似だって」


 鶫はできるだけ興味がなさそうに聞こえるように、そう静かに答えた。鶫が『葉隠桜を意識している』と思われるのは、あまり良い傾向ではない。

 秋山に「千鳥に似ている」と言われた時は少しドキリとしたが、よく考えてみればわざと似せたのだから似ていて当然だ。別に焦ることはない。


「……うーん」


 秋山はしばらくジッと鶫の顏を見つめていたが、へっと鼻で笑って肩を竦めた。


「まあ確かに七瀬と葉隠ちゃんじゃ、品格からして違いすぎるもんな。気のせいか」


 そう言ってあっけらかんと笑う秋山に行き場のない苛立ちを覚えたが、ぐっと我慢をした。その言い方だとまるで鶫には品性がないみたいじゃないか。


「……そう言えば、お前葉隠桜に投票するって言ってたよな? 代わりに誰に投票するんだ?」


 鶫は話題を変えようと、そう口に出した。葉隠桜は昨日の時点で、事実上六華になることを放棄したことになる。これで鶫が六華に選ばれることは無くなったわけだ。ある意味、ひとつ肩の荷が下りたことになる。


 けれど秋山は不思議そうに首を傾げると、ゆっくりと首をに振った。


「え、別に投票先は変えたりしないぞ?」


「は? だって彼女『投票しないでほしい』ってインタビューで言ってただろ?」


「だって今回は他に投票したい子がいないし。どうせ他の奴は投票しないだろうから、俺が入れたとしても有効票には届かないって!」


「……まあ、そうなのかな?」


 何となく釈然としないものを感じたが、あえて葉隠桜に投票するような奴はきっと少ないはずだ。何人かが葉隠桜に票を入れたところで、特に問題はないだろう。


「ほら、そろそろ前の席の奴が登校してくるぞ。邪魔にならないうちに退けって」


 しっしっ、と追い払う様に手を振った。後で前の席の奴から文句を言われるのは鶫の方なのだ。

 秋山はそんな雑な扱いを気にも留めずに席を立つと、あ、と小さく声を上げた。


「そういえばさ、今日の放課後空いてるか? クラスの連中とカラオケに行こうかって話が出てるんだけど」


 秋山がそう問いかけてきたが、鶫は指で小さくバツを作った。


「ごめん、今日はパス」


「なんだよ、また天吏あまりの奴と出かけるのか?」


 不満そうに言う秋山に、鶫は首を横に振った。そして小さく笑みを浮かべると、大事な秘密を語るかのようにそっと口を開いた。


「――いいや、今回は可愛いお姫様のお見舞いに行くんだよ」





◆ ◆ ◆




「――って格好つけて言ったら、過呼吸になるくらい爆笑されてな。正直一発くらい殴っても許されたと思う」


「あははっ! お兄さんのお友達って面白いね!」


 そう言って、虎杖叶枝いたどりかなえは笑いすぎて出た涙をぬぐった。くすくすと、収まりきらなかった笑い声が部屋に響いている。


――どうやら緊張は解れたみたいだ。


 学校が終わり、虎杖が入院している病室に来た鶫は、硬い顔をした彼女に出迎えられた。このままではまともな話が出来ないだろうな、と感じた鶫は、何となしに今朝の出来事を話してみたのだが、それが思っていたよりも受けたようだ。


……鶫としても、今になって考えるとあの台詞はない・・な、と思う。笑われても仕方なかったかもしれない。もしかしたら昨日の女優モードが抜けきってないのだろうか。


 そんなこと頭の片隅で考えつつ、鶫は虎杖に向かって話しかけた。


「体調はもう大丈夫なのか?」


「うん。明日には退院できるって先生も言ってたよ」


「そっか、良かったな」


 鶫がそう言って笑うと、虎杖は困ったように眉を下げた。彼女のその表情を見て、鶫は失敗したな、と思った。

――退院するということは、その後はまた学校に通わなくてはいけない・・・・・・・・・・ということだ。彼女の立場からしてみれば、あのいじめっ子の少女達と顔を合わせるのは、苦痛にしかならないだろう。


 気まずい空気になりながらも、その後は話題を逸らすように当たり障りのない話をしていたのだが、虎杖は何かを決意したかのように自分の手をぎゅっと握ると、鶫のことをジッと見つめた。


「あのね、お兄さんはわたしのお話聞いてくれる?」


「ああ。構わないよ」


 その問いに鶫が頷くと、虎杖は安心したように微笑んだ。


――そして彼女が語りだしたのは、鶫が予想もしていない事柄だったのだ。


「わたしね、今年の新学期からクラス替えになったの。特魔クラスって知ってる? 魔法少女の適性――受容体レセプターが大きい人ばかりが集められるクラスなんだって」


「特魔クラス……? 噂だと思ってたけど、実在していたのか」


 鶫は驚きながらそう口にした。おそらく彼女の言う受容体とは、ベルがよく言っている『器』のことだろう。器が大きければ大きいほど、魔法少女として行使できる力が大きくなる。

 それを調べるための機器は政府にしかないと聞いていたが、もしかしたら今時は名門校には配備されているのかもしれない。


「新学期の前に測定があったんだけど、その時の数値がすごく高かったみたい。学校始まって以来の数値なんだって。学校の先生は奇跡だって笑ってたけど、私はあんまり嬉しくないんだ。魔獣と戦うなんて、怖いからあんまりやりたくないし」


 告げられたその内容に、鶫は思わず息をのんだ。

――魔法少女とは、この日本では花形の職業である。小中学生の子供ならば、きっと誰もが一度は夢に見たはずだ。

 そんな世の中で【優秀な魔法少女になれる可能性がある】と持て囃された子どもは、いきなり出てきた強力なライバル――虎杖のことをどう思うだろうか。


――答えは言うまでもない。排斥である。


「……もしかして、そのせいであの子達からあんな目に合わされていたのか? そんなのただの嫉妬じゃないか」


「でも、わたしも悪いんだと思う。……クラスを移りたくないのに、嫌だって言えなかったから」


「どうしてだ? 学校の先生にでも強要されたのか?」


 鶫がそう聞くと、虎杖は悲しげに首を横に振った。


「ううん。――お母さんが、嬉しそうだったから。だから言えなかったの」


 それから虎杖は、ぽつぽつと自分のことを話し始めた。

 去年の四月に両親が離婚し、虎杖は母親に引き取られた。入院費などの医療代や、明日香学院の高い学費は今でも父親が払っているが、父親はこの前のような特別な時にしか会いに来てくれないらしい。


 そして母親は、虎杖を養うために必死で働いている。いつも疲れた顔をしている母親が心配で、虎杖はずっと不安だったようだ。そんな母親が、虎杖に魔法少女の適性があることを涙を浮かべて喜んでくれていたのだ。……どう考えても断れるはずがない。


「お母さんは小さいころ、危ないところを魔法少女に助けてもらったんだって。だからずっと憧れだったって言ってた。わたしが、そんな魔法少女になってくれたら本当に嬉しいって……。でもわたしは、本当に魔法少女にならなくちゃいけないのかな……?」


 そう言って虎杖が俯くと、ぽろりと涙の雫が落ちた。

――母親の期待と、自分の想い。どちらも大切で、選ぶことができなかったのだろう。鶫にも、似たような思いをした経験がある。

 鶫は自分の選んだ道を後悔していないけれど、もし別の方を選んでいたらどうなっていただろうか。答えはきっと、永遠に出やしないだろう。


 鶫はそっと虎杖の頭に手を置き、優しく撫でた。


「いいんだよ、今はまだ迷ってても。叶枝ちゃんがやりたくないなら、それでいいんだ。お母さんだって無理強いしたりはしないよ」


「……本当に?」


「ああ、本当だ。誰に何を言われたって気にしなくていい。――最後にちゃんと胸を張ることができれば、それが正解なんだ」


「正解?」


「そう。答えはきっと、君だけが知ってるはずだよ」


 鶫がそう言って微笑むと、虎杖は安心したように笑った。もしかしたら、誰にも相談できずにずっと悩んでいたのかもしれない。鶫にできるのは、その背中を押してやることだけだ。


「あのね、魔法少女になるかどうかはまだ分からないけど、もうちょっとだけ頑張ってみようと思う。お兄さん達のおかげで、あの子達は多分もうわたしに関わってこないだろうから。……それに、お母さんをがっかりさせちゃうのは嫌だからね」


 しっかりと前を見てそう告げた虎杖は、震える手を隠すようにぎゅっと布団を握りしめていた。その言葉を告げるのに、どれだけの勇気が必要だったのだろう。それはきっと、彼女自身にしか分からない。


――何故かその姿が、かつての鶫の姿と被った。だからだろうか、こんなにも彼女のことを放っておけないのは。


「じゃあ、お兄さんが一つ約束をしてあげようか」


「え?」


「指切りをしよう。――もし叶枝ちゃんが助けを求めた時は、俺が絶対に助けに行くよ。ほら、これで少しは怖くなくなるだろう?」


 鶫がおどけた様にそう言って小指を差し出すと、虎杖はきょとんとした顔をして、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「……うん。約束だよ?」


――指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。

 二人で声をそろえて、そう歌った。気休めにしかならないことは、お互いに分かっている。それでも、生まれた誓いはきっと嘘にはならない。


 その後、そろそろ帰らないと、と言って鶫が腰を上げようとした時、虎杖が何かを思い出したかのように声を上げた。


「――そういえばね、再来週に校外学習があるんだ。しかも土曜日なんだよ。嫌になるよね」


「へえ、どこへ行くんだ? 明日香学院の校外学習となると、かなり良いところに行きそうだけど」


「えっと、確か新しくできる遊園地だって言ってたよ。――名前は、天麻遊園地だった気がする」


 虎杖の言葉を聞いた鶫は、ぽかんとした表情を浮かべると、驚いたような声を上げた。


「こんな偶然・・もあるんだな。――俺もその日、同じ所へ行くんだよ」


 そう言って、鶫は無邪気に笑った。


――運命の鎖は、ゆっくりと彼らを雁字搦めにしていることも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る