第37話 神はサイコロを振らない

 虎杖の見舞いに行ってから早二週間。

 今週の初めにあった六華の投票も無事に終わり、おそらく明日には集計結果が政府から発表されるだろう。今回鶫は序列五位の柩藍莉ひつぎあいりに票を入れたのだが、クラスの連中の半数は葉隠桜に票を入れたらしい。ある種の嫌がらせか何かなのだろうか。

 それとなく理由を聞くと、鶫の顔を見てから「いや、だってなんか親近感があるし」と言われた。

……なんとなくでそんな大事なことを決めないで欲しい。まあ、たかがクラスメイト数人の票なんて微々たるものなんだろうけど。


 そして現在鶫は、千鳥と一緒に電車に揺られていた。約束した遊園地に向かうためである。

 ベルも一緒に行かないかと誘ってはみたのだが、人混みには絶対に行きたくないと拒否された。まあ、そう答えるだろうと予想はしていたが。


「ふふ、そういう格好をしてると何だか面白いわね。前が見えにくくないの?」


「意外と視界は悪くないな。でも似合ってるだろ? これ、芽吹先輩のお墨付きなんだぞ」


 そう言って、鶫は顔に掛けている薄い色ガラスが入った眼鏡を指さした。数日前に、わざわざ芽吹先輩に付き合ってもらい、似合う眼鏡を見繕って貰ったのだ。


「うーん。私はいつもの鶫の方が好きだけど」


「そんなの何時でも家で見られるだろ。……まあ、こんな機会じゃないと使うこともないだろうけどな」


――それにしても、眼鏡を掛けただけでこんなに印象が変わるんだな。

 鶫は電車のガラスに映る自分の顔を、しげしげと眺めた。ぱっと見ただけでは、いつもの鶫とは結び付かない。眼鏡の効果は抜群で、今日はまだ誰にも声を掛けられていない。その点では、芽吹のチョイスが正確だったと言えるだろう。


 そして鶫は、冷えた片手を上着のポケットに入れた。だが、指先に触れた物・・・・の存在を思い出し、小さくため息を吐いた。


――先輩の善意はありがたいんだけど、こんなの貰ってもなぁ。


 芽吹と一緒に眼鏡を買いに行った時に「最近は物騒だから」と彼女お手製の護身グッズをいくつか手渡されたのだ。一つ一つはビー玉くらいの大きさで持ち運びしやすいのだが、中身がとりもちや煙幕など使用に困る物ばかりで、正直いらないものを押し付けられたとしか思えない。一応人体に影響は無い素材らしいが、使ったら使ったで別の問題が起こりそうだ。


 今日も本来なら家に置いてくるつもりだったのだが、鶫が気付いた時には上着のポケットに小袋ごとねじ込んであったのだ。おそらく千鳥がこっそり入れておいたのだろう。もしかしたら、あらかじめ芽吹から話を聞いていたのかもしれない。


「鶫と二人きりで遊園地なんて初めてかもしれないわね。何だか変な感じ」


 鶫がぼんやり外を眺めていると、そう言って千鳥は楽しそうに笑った。


――確かに言われてみればそうかもしれない。一緒に買い物などに出掛けることはあるのだが、こういったレジャー施設には行ったことがなかった。

 小さい頃は保護者の同伴が無いために遠出ができず、中学に上がって行動範囲が広がっても、思春期や周りの目もあり、こんな風に二人で遊びに出かけること自体が少なくなっていた。むしろ出来を比べられるのが面倒で、鶫自身が千鳥と共に行動するのを避けていた節もある。


――小さな頃は、千鳥が俺の世界の中心だったのにな。


 そう考え、鶫は苦笑した。よくよく考えていれば、今もそんなに変わらないのかもしれない。


「楽しみだな、遊園地」


「ええ、本当に楽しみ!」





◆ ◆ ◆




――天麻てんま遊園地。そのアミューズメントパークは、年間二百万人程の来場を計画して作られた新進気鋭の施設だ。

 入口で貰ったパンフレットによると、童話を軸にしたファンシーな要素と、大人も楽しめるミステリーの謎解き要素を複合した、新しい感覚を味わえるテーマパークを目指しているらしい。

……ちょっと詰め込み過ぎではないだろうか。


「最初は中央の広場でセレモニーがあるみたいだな。まあ、プレオープンだから仕方ないか」


 鶫はパンフレットと一緒に貰った予定表を見ながら、そう呟いた。セレモニーの開始は今から十五分後。それから大体三十分くらい偉い人の挨拶やパレードを眺めた後に、ようやくアトラクションが解禁されるらしい。


「別に待つの構わないけど、こうも寒いと少し辛いわね……。せめてセレモニーが外じゃなければ良かったんだけれど」


 千鳥は寒そうに両手をすり合わせ、はあ、と白い息を吐いた。

……無理もないだろう。この一月から二月の頭に掛けての気温は、一年の中で最も寒い時期にあたる。鶫はそこまで気にならないが、女性にとってこの寒さはかなり辛いものなのかもしれない。


「俺のマフラー使っていいぞ、ほら」


 そう言って鶫は自分の付けていたマフラーを外すと、返事を聞かないでぐるぐると千鳥の首に巻き付けた。どうせ普通に問いかけても、遠慮するに決まっているからだ。ならばこうして勝手につけてしまった方が楽でいい。

 千鳥は申し訳なさそうに微笑むと、巻き付けたマフラーに触れながら礼を言った。


「……うん。ごめんね、後でちゃんと返すから」


「気にするなよ。俺は別にそこまで寒くないし」


 もし寒くなったとしても、売店でマフラーくらい売っているだろう。割高になるかもしれないが、こういう施設は何もかもが高いと相場が決まっているし、諦めはつく。


「そういえばさ、今日ここに知り合いも来てるみたいなんだ」


「同じクラスの人?」


「いや、この前入院した時に知り合った子。線が細そうだから、人混みに紛れると見つからないかもなぁ」


 鶫がそう答えると、千鳥は緊張した面持ちで口を開いた。


「まさか、女の子だったりする?」


「ああ、うん。あの明日香学院の生徒なんだってさ。校外学習の一環らしいから、多分制服のままだろうし、見たら分かるよ。……どうした? なんか変だぞ」


 何故か千鳥から妙な圧を感じ、鶫はたじろいだ。……そんなに変なことを言っただろうか。別に普通だと思うのだが。

 鶫がそう聞くと、千鳥はハッとして首を振った。


「ううん。何だかちょっと驚いちゃって……」


「えっ、驚くことなんてあったか?」


――まさか千鳥は、鶫には学校関係者以外の知り合いはいないとでも思っていたのだろうか。だいたい間違ってはいないが、身内からそんな評価をされるのは流石に心に刺さる。


 鶫は内心気落ちしながらも、気を取り直すかのように笑って言った。


「まあ、小学生が集まってるところにわざわざ話しかけに行ったりはしないから、その辺は安心してくれ。手を振ったりとかはするかもしれないけど」


 その鶫の言葉に、千鳥は大きく目を開くと、困惑した表情を浮かべた。


「……えっと、知り合いって小学生なの?」


「うん? そうだけど」


「そう、だから校外学習……。ということは、全部私の勘違い……」


 千鳥はブツブツと小さな声で何かを呟いていたが、鶫には聞き取れなかった。そして千鳥は、喜びとも悲しみとも取れない微妙な顔をして、大きな溜め息を吐いた。本当にどうしたのだろうか。


 その後、千鳥は何でもなさそうな顔をして振る舞っていたが、どうやら先ほどの話題には、もう触れてほしくないようだった。別に鶫としても、虎杖に関してあれこれ吹聴する気はなかったので、深く追及されないのはありがたい。



――そして、セレモニーの挨拶が始まり、そのままパレードに移行しようとしていたその時、広場に集まった人々の携帯から、けたたましい音の警報が鳴り響いた。


「な、なんだ!?」


「まさか魔獣? えー、嘘でしょこのタイミングで!?」


 そんな声が周りから聞こえてくる。鶫は苦々しい顔をしながら携帯を取り出して、警報の画面を確認した。


「――今から一時間後に、D級の魔獣の襲来か。……なんでこうも付いてないんだよ」


「本当にそうよね……。今度一緒に厄払いにでも行く?」


「その方がいいかもしれないな」


 鶫と千鳥は顔を見合わせて、肩を落した。前回の箱根に引き続き、今回の遊園地でも魔獣が現れるなんて。まだD級だからマシなものの、きちんと魔獣が退治されるまで、この付近に足を踏み入れることは出来なくなる。

 短く見積もっても、アトラクションで遊べるようになるのは今から二時間は先のことになるだろう。


「どうする? 一度ここからは出なくちゃいけないだろうし、別のところで昼飯でも食べてからまた戻ってくるか?」


「その方がいいかもしれないわね。……流石に二時間入り口で待つ気にはなれないから」


 千鳥は悲しげにそう言って、目を伏せた。その姿を見て、鶫は申し訳ない気持ちになった。悲しませたくてここに誘ったわけじゃなかったのに。

 それにしても、なぜ今日に限って魔獣はここ・・に降りてこようと思ったのだろうか。他にも人が集まっている場所なんていくらでもあるだろうに。


 携帯に届いた続報によると、どうやら出動する魔法少女が決定したようだ。その子は政府所属の魔法少女ではなく、在野で活動している子らしい。

 活動開始は鶫――葉隠桜とほぼ同時期で、討伐件数はE級が二件に、D級が一件。戦績に少々不安は残るが、政府も念のため予備の魔法少女を寄こすだろうし、そこまで心配はいらないだろう。


 そう判断し、鶫と千鳥はスタッフに誘導されながら、ゲートがある東門へと足を進めた。途中で南にあるゲートに向かう明日香学院の制服を着た集団を見かけたが、虎杖を見つけることは出来なかった。

 彼女達の中にも、今日のイベントを純粋に楽しみにしていた子だっていただろう。可哀想だが、早めに魔法少女が魔獣を倒すことを祈るしかない。

 





◆ ◆ ◆





「……なかなか列が進まないな」


 鶫は遠くに見えるゲートを睨み付けながら、そう呟いた。ゲート付近に辿り着いたはいいが、列がほとんど前に進まないのだ。


「たぶん再入場の為の手続きの準備が大変なんでしょうね。ほら、この人数だから」


「そうだけどさぁ。いまいちみんな危機感が足りない気がする」


――別に魔獣の出現までに移動するのが間に合わなくても、普通の人間は結界から弾かれるからそこまで問題はない。だが、それに胡坐をかいて避難をおろそかにするのは違うと思うのだ。

 いくら人々が魔法少女を信頼していると言っても、それでももしも・・・ということがある。最低限の危機管理くらいはきちんとすべきだ。今まで散々な目に遭ってきた鶫だからこそ、強くそう思うのだ。


「もう、鶫は心配性ね。そんなに気にしなくても、あと三十分もあるんだから大丈夫よ」


――千鳥がそう答えた瞬間、隣にいた子供が空を指さして大声を上げた。


「ねえママ! あれ見て、――大きな虹が出てるよ!」


「……虹? 雨も降っていないのに?」


 その言葉につられるように、鶫は空を見上げた。そこで鶫は、信じられないもの・・・・・・・・を見ることになる。


――空に浮かんでいたのは、虹ではなかった。オーロラがぐちゃぐちゃになったような、境界の歪み。その光景を、鶫は嫌というほど知っていた・・・・・


「……あ、れ? なんだか視界がぐらぐらする」


 すると、隣にいた千鳥が額を押さえ、ふらつくようにして鶫の腕にしがみついた。辛そうに目を瞬き、苦悶の表情を浮かべている。

 ざぁ、と全身の血の気が引く。そんなことが、あっていいはずがない・・・・・・・・・・。そう思うも、鶫は思い当たった考えを否定できなかった。


――千鳥のその様子はまるで、魔法少女が結界を張るときの様子に酷似していたのだから。


「――っ、千鳥!!」


 そう叫び、千鳥の手を掴んで自分の胸に抱きこんだ。小さな悲鳴と、微かに抵抗するような身じろぎを感じたが、そんなことを気にしてはいられない。


「な、なに? どうしたの?」


 千鳥は顔を赤くして鶫の体を押し返そうとしたが、離れるわけにはいかなかった。今この手を放してしまえば、きっと鶫は一生後悔することになる。そして千鳥に続くように・・・・・、くらくらと歪み始めた視界に安堵しながら、鶫は吐き出すように言った。


「……俺が守るから」


 まるで誓いを立てるかのように、鶫はそう告げた。


 おそらく事態は、最悪・・のケースに向かっている。どうして、何で自分達が、と叫び出したい気持ちを抑え、鶫は千鳥を抱きしめる力を強めた。

 ベルに助けられる前――ガーゴイルに殺されかけた時に感じていた絶望を、鶫は今でも昨日のことのように覚えている。あんな思いを、千鳥にさせるわけにはいかない。


――たとえ相手が魔獣であろうとも、絶対に千鳥のことだけは逃がしてみせる。


「俺が、絶対にお前を助けるからっ……!!」


――その言葉を最後に、鶫と千鳥はその場から消失した・・・・・・・・・



 想定よりもかなり早い魔獣出現により、急遽展開された結界に巻き込まれた人数は、現時点で六名・・。はたして彼らは、生き残ることができるのだろうか。

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