第31話 人違いとパンケーキ
――退院からはや一週間。冬休みもあっという間に終わり、鶫はいつも通り学校へと通っていた。休み明けのテストも終わり、疲弊して机に突っ伏していると、頭の上から声を掛けられた。
「鶫ちゃん、テストどうだった?」
「可もなく不可もなく。お前の方は、……聞くまでもないか」
鶫はだらりと四肢を伸ばしながら、だるそうに答えた。それに対し、話しかけてきた男――行貴は目を細めて猫のように笑った。
「まあ、僕は勉強なんかしなくたってそれなりの点数が取れるからね。ほら、皆とは頭の出来が違うしぃ?」
「くっそ腹立つな。いっそのこと解答欄がずれてて零点になればいいのに……」
鶫がジト目でそう言うものの、行貴は意に介さず笑っている。しかも本人が言う様に、本当に頭の出来がいいのが余計にむかつく。
「そういえばさ、もう体は大丈夫なの? 年末年始はずっと入院してたんでしょ?」
「まあ、何とか。……おい、笑うなよ」
「くっ、だってさぁ。あまりにも間抜け過ぎない?」
くつくつと笑いを噛み殺しながら、行貴はニヤニヤと鶫のことを見つめている。
行貴は鶫が入院していたことも、
「ごめんごめん、そんなに睨まないでよ。――でも災難だったよね。まさか僕もあんなことが起こるとは思ってなかったから」
行貴は申し訳なさそうに眉を下げ、そう言った。あの箱根行きの旅行チケットを贈ったということもあり、もしかしたら行貴も多少は責任を感じているのかもしれない。
「……そうだな。あんな思いをするのは、もう二度とごめんだよ」
七瀬鶫としても、
「そんな鶫ちゃんに、はいこれ!」
「なんだよこれ。……遊園地のプレオープン?」
行貴が差し出してきたのは、ここから三駅ほど先に新しくできた遊園地のチラシだった。そこには再来週にあるプレオープンのペアチケットを、抽選販売する旨が書かれている。
「今回の埋め合わせに連れて行ってあげたら? ここから近いんだし、日帰りだって楽勝でしょ」
「それはそうだけど、これって抽選だろ? 当たらない確率の方が高い気がするんだが……」
そもそも、こういう抽選の類は当たった試しがない。鶫がげんなりしながらそう言うと、行貴はニヤリと笑った。
「大丈夫。関係者に伝手があるから、一組くらいなら確実に手に入るよ。チケット代さえ貰えたら用意してあげるけど、どうする?」
「お前はよく分からない人脈があるよなぁ。……そうだな、あとで千鳥に都合が合うか聞いてみるよ。大丈夫そうならお願いしようかな。――行貴は行かないのか? こういうイベントごと好きだろう、お前」
「んー、今回は遠慮しようかな。人混みが酷そうだし、そのうち平日の空いてる時にでも誰かと行くよ」
――いつもだったら率先してついてくるくせに、珍しいな。鶫はそう思ったが、行貴にだってそんな気分の時もあるのだろう。
「そうか? ――で、俺はチケットを取ってもらう代わりに、お前に何をしたらいいんだ?」
鶫は肩をすくめてそう言った。物事にはいつだって対価が必要だ。行貴がこんな風にうまい話を持ちかけてくる時は、だいたいそれとセットで『お願いごと』が付いてくる。
「さっすが鶫ちゃん! 話がはやいね!」
行貴は嬉しそうに手を叩いて笑った。それに対し、鶫は苦笑で返した。この様子だと、また厄介なことを頼まれかねない。
行貴は鶫の机に手をつくと、鶫の耳もとに顔を寄せ、囁くように言った。
「――今日の帰り、ちょっと付き合ってよ」
◆ ◆ ◆
白い壁に、可愛らしい花柄模様の絨毯。動物のぬいぐるみが所狭しと置かれ、テーブルのクロスはすべて繊細なレース編みでできていた。甘ったるい香りが漂う
その真ん中に陣取るかのように、鶫と行貴は向かい合うようにしてテーブルの席についていた。
鶫は少し頬を赤く染めながら、小さな声で行貴に話しかけた。
「あの、俺たち場違いじゃないか? 周りからの視線が痛いんだが……」
先ほどから、四方八方から突き刺すような好奇の視線を感じる。その多くは行貴の方へ向いているが、中には興味深そうに鶫を見ている者もいる。
「えー、だってここのパンケーキがどうしても食べたかったんだもん」
「だもん、って子供かお前は」
頬を膨らませながら、行貴は子供のようにそう言った。鶫は呆れたように肩肘をついて、ため息を吐く。行貴の突発的な行動には慣れているが、まさかこんなファンシーなお店に連れてこられるとは思っていなかった。
そしてこれは鶫の個人的な感情に過ぎないのだが、行貴が何かを言うたびに、小さく黄色い声が上がるのが少し納得いかない。こいつは顔は良いが性格は最悪だぞ、と声を大にして言ってやりたい気分だ。
「別に文句を言うつもりはないけど、なんで俺とここに来ようと思ったんだよ。いつもみたいに女の子と一緒にくればよかっただろ」
「ふふ、鶫ちゃんの恥ずかしそうにしてる顔が見たくて――あ、うそうそ、そんなにドン引きした顔しないでよ」
「そうか、俺はお前が特殊性癖に目覚めたのかと思って心配になったぞ……」
一瞬で体感温度が十度は下がった気分だ。下手をすると鶫の方が社会的に死ぬことになりそうなので、言葉の扱いには気を付けて欲しい。
砂糖がたっぷり入ったコーヒーを飲みながら、行貴は言った。
「最近鶫ちゃん付き合い悪かったでしょ? 放課後もすぐに帰っちゃうしさぁ。だから少し困らせてやりたくなっちゃって。あ、でもパンケーキが食べたいのは本当かな」
「別にそんなことは無かったと思うけど……。まあ、お前がそう感じてたならそうなんだろうな。悪かったよ」
鶫は三段重ねのパンケーキをナイフで切りながら、そう言った。切り分けたものを、口に運ぶ。……本当に美味しいのがなんだか少し悔しい。
「本当に美味しいな、これ。客層がもっと、こう、あれな感じじゃなかったらまた来たんだけど」
流石にこの店に頻繁に来る勇気は鶫にはない。葉隠桜に変身すれば気にならなくなるかもしれないが、年末の一件で知名度が跳ね上がったせいで、暫くは食べ歩きも出来そうにないのだ。これに関しては、鶫よりもベルの方が残念そうにしていたが。
「ふーん、僕は別に気にならないけど」
行貴は周りの視線など気にもせずに、優雅にフォークを口に運んでいる。もしかしたら心臓に毛でも生えているのかもしれない。まったく羨ましい限りである。その豪胆さだけはぜひとも見習いたい。
そんなことを考えていると、背後から控えめに肩を叩かれた。
「ん、なんだ?」
口に入っていた物を急いで飲み込み、振り返る。そこに立っていたのは、同い年くらいの、高校生の女の子達だった。彼女達は、鶫の顔を見て「やっぱりそうだよ!」と色めき立っている。
「えっと、何か用ですか」
鶫が怪訝そうにそう聞くと、他の少女たちに促され、真ん中にいたお下げの少女が頬を染めて口を開いた。
「あの、もしかして『葉隠桜』さんの御兄弟の方ですか?」
――ああ、またか。
鶫は心の中で大きくため息を吐きながら、へらりとした笑みを作った。
「……あー、すみません。確かにちょっと似てるかもしれませんけど、全くの無関係なんです」
「えっ、そうなんですか?」
鶫がそう告げると、彼女達はひどくガッカリしたようにその場から去っていった。色んな意味で心が痛い。彼女達が興味があるのは、鶫ではなく葉隠桜の方なのだ。
「鶫ちゃんも大変だねぇ。変装用に眼鏡でも買ったら?」
「そうした方がいいかな、やっぱり」
かれこれ、年が明けてから日に三回は同じようなことを聞かれている。先ほどの子達はすぐに引いてくれたが、中にはしつこく食い下がる者もいるのだ。そろそろ本格的に苦痛になってきている。
「似てるだけの俺がこんなに大変なんだから、世の中の魔法少女はもっと大変だよな。ほんと、頭が下がるよ」
「別にいいじゃん。その子達は好きでやってるんだから」
「そうかもしれないけどさぁ……」
昔は鶫も同じように思っていたが、魔法少女側の事情を知るにつれて、あまり強いことは言えなくなってしまった。彼らにも彼らなりの苦労があることを、知ってしまったから。
――その後、ぐだぐだしながらもパンケーキを食べきり、店から出た。会計は鶫のおごりだ。これでチケットを頼む分くらいの礼にはなっただろう。
「そういえば、鶫ちゃんは来週の投票だれに入れるの? やっぱりあの巨乳?」
「仮にも六華の序列一位をそんな呼び方するなよ……。いや、それで分かる俺も駄目なんだろうけど」
六華序列一位、遠野すみれ。ここ五年の間、連続で一位を取り続けている魔法少女だ。
その実力もさることながら、抜群のスタイルの良さと、容姿の美しさが話題を呼び、狂信的な人気を誇っている。鶫としては千鳥や芽吹先輩のほうが可愛いと思うのだが、その辺りは好みの問題だろう。
今までは特に興味がなかったので、リストの一番上の名前を書いて投票していたのだが、今年からは、だれに投票するかをもう少し考えようと思う。
「どうかな。今年は鈴城蘭か、柩藍莉に入れようと思ってるんだけど。ほら、箱根に応援に来てくれたし」
まあ、それは結局無駄足になってしまったが。あの後で、最初に対応してくれた政府の因幡さんにもお礼を言いたかったのだが、ベルが端末を貸してくれなかったので何もできなかった。別にもう変なことはするつもりはないのに。
「へえ、そこは葉隠桜じゃないんだ」
「……俺も複雑なんだよ」
本当はエントリーすらしたくなかったのだが、辞退する前にリストが発表されてしまった手前、途中辞退は出来ないらしい。年末にゴタゴタしていたので、その辺りの行動が遅れてしまったのだ。
葉隠桜が六人のうちの一人に選ばれることはまずないだろうが、クラスの連中は揃って葉隠桜に入れると言い出していて、少しうんざりしている。鶫をからかうためにそこまでしなくてもいいだろうに。
「僕は柩の方が好きだけどね。ほら、あの人ってなんだか六華の中では
「真面目だし言動も常識的だもんな。他の五人はたまにちょっとアレな部分が見え隠れするけど」
他の五人を一言で表すと、上から順に「火炎愛好者」「剣狂い」「ゆるふわギャル」「絶対零度」「副業アイドル」となる。何を言っているか分からないかもしれないが、鶫もよく分かっていない。
魔法少女として戦っているうちに変になったのか、それとも元々変だったからそこまで強くなれたのか。真実は謎のままである。
「ま、別にどうでもいいけど。――あれ、そっちの路地から何か変な音が聞こえない?」
そう言って、行貴は右手にある路地を指さした。
「音? ……いや、これは人の声だな」
耳を澄ませて、神経を集中させる。すると行貴が指さした路地の方から、何人かの子供――しかも女の子の声が聞こえてきたのだ。その中には悲鳴のような声すらあった。
……これは、かなりまずい気がする。
この道は駅への近道だが、基本的には人通りは少ない。だから、と言ってはいけないのだろうが、何かが起こったとしても気づけない可能性の方が高いのだ。ひそかに犯罪率が高い場所だと言ってもいい。
「……様子を見てみよう。最悪警察に連絡を入れないと」
鶫は忍び足で路地に駆け寄ると、そこにいる人達にばれない様に、そっと路地を覗いた。
――そこに居たのは、五人の少女達だった。有名なお嬢様学校の制服を着た小学生くらいの女の子が、一人の少女を囲む様にして立っている。
遊んでいただけか、とその時は思ったのだが、まじまじと見るとやはり様子がおかしい。座り込んでいる女の子の服が、不自然に濡れているのだ。その隣では、空のペットボトルをもった少女がケラケラと甲高い声で笑っている。……どう見ても、いじめの現場だった。
所詮は子供の喧嘩である。口出しするべきか迷ったが、鶫はあることに気が付いてしまった。
「――あの子、もしかしてこの前の女の子か?」
座り込んでいるあの女の子は、つい先日に鶫と病院でぶつかった少女だ。俯いていてわかりづらいが、間違いない。
「……これも何かの縁かもな」
鶫はそう言って、行貴の方に振り返って言った。
「――なあ、行貴。少し手伝ってくれ」
「別にいいけど、何をするのかな?」
怪訝な顔をしてそう言った行貴に、鶫は目を細めて笑った。
「
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