第32話 悪い子たち
――カツカツとわざと大きな足音を立てながら、行貴は路地へと入っていった。
当たり前の話だが、そんな物音がすれば誰だって後ろを振り向く。それは周りを囲んでいた少女たちだって例外ではない。
「あ、気にしないで続けていいよ。僕はただ通りがかっただけだから」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべながら、行貴はそう言った。少女たちがいる路地の奥からは逆光となって表情は見えないため、彼女達からすると不気味な男が来た、くらいにしか思わないだろう。
すると、少女たちの中のリーダー格らしき子が一歩前に出てきた。勝気なその瞳は、意志の強さが感じられる。
「……何ですか、貴方は」
「べつに? あの
ばっと大仰に両手を広げ、まるで道化が前説を語るかのように行貴はそう言った。そんな行貴の奇行に怯んだのか、取り巻きらしき女の子たちは一歩引いた様子でリーダー格の子を不安げに見つめている。
――明日香学院。それはこの近辺にある名門お嬢様学校のことだ。中には魔法少女の適性がある者だけを集めた特別クラスがあると噂されているが、真実は定かではない。行貴はおそらく制服を見て判断したのだろう。
「あら、虐めだなんてあり得ません。私たちは仲良くお話していただけですもの。――ねえ、
そしてリーダー格の少女は、蹲っている女の子――先ほどまで暴行を受けていた子にそう問いかけた。
けれどその子は、びくりと肩を揺らしただけで返答はせず、下を向いたまま誰とも目を合わそうとはしなかった。その姿が現状を物語っていると言ってもいいだろう。
そんな少女の態度に、リーダー格の少女は眉を顰めると、「知らない人が居る場所で話すのは恥ずかしいみたいですね」と嘯いてみせた。
「仲良く、ね。今時の小学生は相手の服に飲み物をかけてから話すんだ。知らなかったよ」
そう言って行貴は人為的な水溜まりを指さした。その中心にいる少女の髪の毛はじっとりと濡れており、ぽたぽたと水滴が滴っている。これを見て「仲が良いんだね!」と言えるのは、余程の馬鹿か物事に無関心な奴だけだろう。
流石に分が悪いと思ったのか、リーダー格の少女は行貴の方を見て小さく舌打ちをした。
「たとえそうであったとしても、貴方には関係のないことでしょう?」
「まあね。だから言ったじゃん、
ふてぶてしくそう告げた少女に、行貴はにこりと綺麗な笑みを浮かべた。
「君たちは君たちなりの信念をもって
まるで聖書を読み上げるかのように、行貴はそんなことを高らかに告げる。言っている内容はあまりにも人道から外れており、真っ当な人間であれば耳を疑うだろう。
「あ、貴方は何を言って――」
あまりにもおかしい行貴の様子に怯んだのか、勝気なリーダー格の少女ですら及び腰になっていた。彼女はまるで狂人を見るかのような目で、行貴の方を見つめている。
行貴はそんな畏怖の視線をものともせずにケラケラと笑いながら、小首を傾げて言った。
「だって、それが正しいかどうかを決めるのは
そして、行貴は鶫がいる方向――路地に隣接したビルの二階部分を指さした。
六対の瞳が、ビルの窓から顔を出した鶫に注がれる。――正確には、鶫の構えている携帯の方へだが。
鶫はひらひらと下に手を振って、二階の窓から飛び降りた。これくらいの高さなら、何の問題もなく着地できるだろう。
すとん、と音もなく地面に降りた鶫は、構えたままだった携帯を降ろし、こう囁いた。
「さて、賢い君たちに一つ問題です。――この
鶫のその言葉に、少女たちの顔がさぁっと青くなる。まるで弱い者いじめをしているような気分だが、これくらい灸を据えてやった方が、彼女達の為にもなるはずだ。
――先ほどのやり取りはおろか、少女たちが飲み物をかけているシーンだってしっかりと動画に残してある。
「学校にでも言うつもりですか? 好きにすればいいですよ。――それくらい、どうとでもなります」
顔を悔しげに歪めながらも、リーダー格の少女は毅然とそう言い放った。明日香学院に通っている時点でそれなりの家のお嬢様なのは確実だが、この口ぶりだと、その中でも権力を持っている家の子供なのかもしれない。
そんな少女を見て、行貴は楽しげに口を開いた。
「学校には言わないよ。だってそんなの
「だったらどうすると? 私の父を脅してみますか? その時に痛い目をみるのは、どちらでしょうね」
くすり、と少女は笑みを浮かべた。自分の権力に絶対的な自信を持っているのだろう。
――けれど、そんな理屈が行貴に通用するはずもない。
「君は自分のお父さんに愛されている自信があるんだね。――じゃあ、その
「え?」
「その動画はネットに公開することにしよう! 大丈夫さ、ちゃんと顔は隠してあげるよ。ああ、でもネットの住民は詮索が大好きだからなぁ。――きっと君たちのことも、すぐに見つけちゃうかもね」
にこり、と行貴は目を細めて笑う。鶫にはその笑顔が、とても恐ろしいものに見えた。
――そんなことをすれば一瞬で動画は炎上し、あっという間に映っている人物が特定されるだろう。ただでさえ明日香学院の制服は特徴的なのだ。半日もすれば彼女達の住所だって晒されているかもしれない。
鶫と同じことを考えたのか、取り巻きの少女たちは一様に青い顔をして震えている。まさかこんな大ごとになるとは思っていなかった、といった表情だ。
「さて、世間から【悪い子】だと思われた君のことを、はたしてお父さんは変わらずに愛してくれるのかな?」
心底楽しそうに語る行貴を横目に、鶫は小さくため息を吐いた。
――相変わらず、行貴は子供相手だろうとお構いなしだ。けしかけたのは鶫なのでそのやり方に文句は言わないが、やりすぎる様なら止めなくてはいけない。
だが灸を据えるという意味で見れば、これくらいでちょうどいいのかもしれない。
リーダー格の少女は、泣きそうな顔をして叫ぶように言った。
「い、いくら払えばいいの。好きな額を言いなさいよ! どうせお金が目当てなんでしょう!? だからっ……!」
「そうだなー。どうしようかなー。迷っちゃうねぇ」
必死でそう訴える少女に対し、行貴はのらりくらりと返答を誤魔化している。
……流石にこのあたりが限度だろう。これ以上追い詰めると恐喝だと疑われかねない。
鶫はしゃがみこんで震えている少女――
そして鶫は、こちらを伺う様に見ている少女たちに向かって静かな声で言った。
「本当にネットに公開したりはしないさ。――君たちが【良い子】でいればね。……この意味は、分かるよな」
鶫は虎杖と呼ばれていた少女を目線で示し、言葉を続けた。
「この子とはちょっとした知り合いなんだ。言っておくけど
鶫が強い口調でそう言うと、取り巻きの少女たちは口々に「ごめんなさい」「もうしませんから」「許してください」と矢継ぎ早に謝ってきた。中には泣いている子もいた。
……流石に少しやりすぎたかもしれない、と鶫は反省した。小学生相手――見た目から考えると高学年くらいだが――にこの行いは大人げなかったかもしれない。泣かせるまで追い詰めるつもりはなかったのだ。
けれど冷静に考えれば、高校生の男二人に詰め寄られたらどんなシチュエーションだろうと恐ろしいはずだ。いくら大義名分があったとはいえ、もう少し別の方法を取った方が良かったかもしれない。
――これではどちらが【悪い子】だか分からないな。そう思い、鶫は苦笑した。
そしてリーダー格の少女の方を見ると、彼女は悔しそうな顔を隠しもせず、しぶしぶといった風に小さく頭を下げた。どうにも納得はいっていないようだ。けれど、ここで行動を起こすほど考えなしではないだろう。
――何はともあれ、今回のことが抑止になれば上々か。一先ずはこれで安心だろう。
そして鶫は、
取り巻きの少女達からは、何度も映像を公開しないで欲しいと懇願されたが、別に鶫だってそこまでするつもりはない。さっきのはあくまでもブラフだ。
まあ、行貴の語りがあまりにも堂に入っていたので、彼女達は疑いもしなかったようだが。
最後まで恨めしげにこちらを見ていたリーダー格の少女のことは気になるが、鶫たちにできるのはここまでだろう。
「……平気か?」
鶫はずっと黙り込んでいる少女――虎杖の背をそっと擦った。制服もまだ濡れていて、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。
ずっと下を向いて震えていた虎杖は、おそるおそる、といった風に顔を上げ、隣にいる鶫の方を向いた。ぼんやりとした瞳が、鶫のことを見つめる。
彼女は何度か瞬きをした後、あ、と小さく声を漏らした。
「……病院で、ぶつかったお兄さん?」
「ああ、そうだよ。――って、おい! 大丈夫か!?」
虎杖は安心したように微笑むと、そのままふらっと横に倒れこんだ。地面にぶつかる前に抱き留めたが、声を掛けても返事が返ってこない。まさかと思い、そっと彼女の額に触れてみるとそこは異常なほどに熱を持っていた。
「熱が出てる……。もしかしたら最初から体調が悪かったのかもしれない」
「え、救急車呼ぼうか?」
横から覗き込んだ行貴がそう声を掛けてきた。確かにその方がいいかもしれない。多少状況を説明するのに苦労するだろうが、このまま放っておくわけにもいかないだろう。
救急車を呼び、路地から出たところにあるベンチに少女を横たえた。少女はゼェゼェと荒い呼吸を繰り返し、時折苦しそうに咳をしている。
「あの子達との間に、何があったんだろうな」
鶫はそう呟くように言った。この子とは病院で一回会っただけだが、あんな陰湿な虐めを受けるような子には見えなかったのに。
「さあね。なんか地雷でも踏んじゃったんじゃないかな。人間って割といい加減なことで他人を排斥するし、この子もそんな感じだったんじゃない?」
そして行貴はぐっと伸びをすると、面倒そうに欠伸をした。
「救急車がきたら僕は先に帰るよ。あー、珍しく人助けみたいなことをしたから鳥肌がすごいや。何かでバランスを取らないと」
行貴は両腕を擦りながら、茶化すようにそんなことを言った。そんな行貴に、鶫は苦笑いながら口を開いた。
「そんな歪んだ天秤なんて捨ててしまえ。……それはともかく、今日は助かったよ。ありがとう」
行貴があらかじめ少女たちを動揺させていたお陰で、話が簡単に済んだのだ。鶫だけなら、こうも上手くはいかなかっただろう。
後になっておかしいと感じるかもしれないが、こちらが動画を持っている以上、彼女達だって下手な行動はとらないはずだ。
鶫がそう言って頭を下げると、行貴はまるで変なものを見るような目で鶫を見つめた。
「鶫ちゃんは、赤の他人の為に頭を下げられるんだね。僕にはそういうのよく分かんないや」
「……別にそんな大層なことはしてないけど」
「ふうん、まあいいや。――あ、救急車が来たみたい」
「そうみたいだな。――すみません! こっちです!」
鶫は手をあげ、大きな声を出して救急車を呼んだ。するとすぐに救急車は鶫たちの側に停まり、救急隊員が降りてきた。
そして鶫は少女と一緒に救急車に乗り込み、行貴とはその場で別れた。行貴が何だか物言いたげな顔をしていたのが気がかりだが、きっと何かあれば連絡してくるはずだ。
「……そこまで悪い奴じゃないんだけどな」
鶫はそう小さく零した。少なくとも、鶫にとっては良い友人なのだ。
周りの人達は行貴のことを【悪】だと断じるが、鶫にとっては善悪のわからない子供のようにも見える。
――まあ、今そんなことを考えても仕方ないか。
鶫はそう考えて、救急隊員に処置をされている少女のことを見つめた。まずはこの子が病院で落ち着くところを見届ける方が先だろう。
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