第26話 白き部屋の少女

――真っ白な部屋の中で、少女が人形を抱きしめて泣いている。少女の顔は影がかかっていて、よく見えない。その腕の中の人形は、手足が一本ずつ取れて無くなっていた。

 少女は一生懸命ほつれた部分を直そうとしているが、欠けてしまった手足のパーツが見つからない限り、どうすることも出来ないだろう。

 それにしても、なぜあの人形はそんなひどい状態になってしまったのだろうか。鶫は何かを忘れているような気がしたが、頭がぼんやりしているせいで何も思い出せない。


 鶫が少女を見つめていると、やがて少女は何かを決意したかのように目を閉じた。



――暗転。



――真っ白な部屋の中で、少女が人形を持って笑っている。人形の手足は綺麗に繕われ、まるで新品のようになっていた。

 だが、気になる点が一つある。少女の体が一回り小さく・・・なっているのだ。元は十歳ほどだったその体は、今や七歳ほどの矮躯になってしまっている。

 鶫はそれを見て、何故か叫び出したい衝動に駆られた。


「――やめろ。頼むからやめてくれっ!! ――なんでアンタがそこまでするんだよ!!」


 鶫自身、どうしてそんなことを叫んだのか分からない。けれど直感で分かった。少女はあの人形を直すたびに擦り切れていく・・・・・・・。あんな人形にそこまでする価値なんてないのに。


 そんな必死な鶫の声が聞こえたのか、少女は立ち上がって鶫のいる方へと歩いてきた。近づくにつれて、影がかかっていた少女の顔が露わになる。


――少女は、『葉隠桜』と同じ顔をしていた。

 いや、縮んで幼くなっている分、葉隠桜よりも印象が柔らかい。そして決定的に違うのは、その目だ。美しいルビーのように赤いその瞳は、優しげに鶫のことを見つめている。まるで、愛おしい人でも見るかのように。


 そして少女は、大事そうに抱えていた人形を鶫にそっと差し出した。これを、受け取れというのだろうか。


――だが鶫はそっと少女を押し返し、首を振った。

 この人形を受け取ってしまえば、きっと少女はこれからも人形が破損するたびに直し、自身をすり減らしていくだろう。そして最後には消えてなくなってしまう。そう思うと、寒気がした。

 胸の奥から湧き出るかのような、焦燥と喪失への恐怖。目の前の少女がいなくなってしまうのが、ただ恐ろしかった。


 そんな鶫を見て少女は悲しそうな顔をすると、少女は人形を無理やり鶫に握らせて、ゆっくりと口を開いた。


――頭の中で警鐘が鳴る。その言葉を聞いてはいけない・・・・・・・・




「         」




――その台詞を脳が認識する前に、鶫は飛び起きた。


「――ああああああぁぁ!! ゲホッ、ゴホッ」


 意味のない叫び声が自分の喉から出てきた。急な大声で喉が切れたのか、咳に血が混じる。鶫はゆっくりを呼吸を落ち着かせながら、痛む胸を擦った。


「はぁ、はぁ、……ゆめ、か?」


 ぼんやりとした目で、辺りを見渡す。見覚えのあるその場所は、鶫の部屋だった。いつの間に自分は部屋に戻ってきたのだろうか。首を捻るが、何も思い出せない。


「――起きたのか。体調はどうだ? 何か不具合はないのか」


 鶫の大声に気付いたのか、ベルが転移で鶫の部屋に現れてそう聞いてきた。そのベルの声には、隠しきれない心配がみてとれた。


――そして鶫は、自分が仕出かしたことをようやく思い出した。


「ベル様、……俺、生きてるのか?」


 鶫はにわかに痛み出した頭を押さえながらそう聞いた。あの時、ラドンに氷を落とした後のことを、鶫は憶えていなかったのだ。起きた瞬間だって、本当は自分が生きているかどうかも半信半疑だった。


――命を轟々と燃やし続けるかのような、あの戦い。思い出すだけで恐ろしい。はっきり言って、今こうして息をしていることすら不思議で仕方がない。


 鶫はそっと震える体を抱きしめた。今になって震えが出てくるなんて、本当に笑えない話だ。

 そんな鶫を見て、ベルはふっと微笑んで言った。


「ああ。お前が勝って、生き残った。――よくやったな」


 その言葉を、しっかりと咀嚼する。ラドンを打倒し、鶫がこうして生きている事こそが勝利の証なのだと。


――ああ、そうだ。自分はやり遂げたのだ。


「そう、か。……よかったぁ」

 

 そう言って、鶫はようやく安堵の息をはいた。


――自分は賭けに勝ったんだ。

 そう思うと、どっと疲れが出てくるような気がした。それにやけに体が重い気がするし、胸にも刺すような痛みを感じる。


「全身が痛いし、胸も痛い。……筋肉痛みたいな感じなのかな」


「……それくらいで済めばいいのだがな。五感が上手く働かなかったり、記憶の混濁があったりはしていないか?」


「うーん、特にはなさそうだけど」


 最悪現実でも手足が欠けるくらいの覚悟はしていたのだが、特にこれといった問題はない。少し拍子抜けだった。


……もしかして先ほど見た夢が関係しているのだろうか?

 そう考えるも、釈然としない気持ちだけが残る。


――あの少女は、一体何だったのだろうか・・・・・・・・・


 鶫が戦いの時に失った手足と同じ場所が取れた人形を持っていた少女。

 悪いモノは感じなかった。むしろ奇妙な懐かしさすら覚えたくらいだ。けれど鶫は、あの少女のことを何も思い出せない。

 葉隠桜と似た――つまり鶫にもよく似ている少女は、あの時鶫に何かを訴えようとしていたが、一体なにを言いたかったのだろうか。そう考えるも、答えは出ない。


「ふむ、色々他にも聞きたいことはあるが、暫くは様子をみるしかないか。……後で知り合いから検査のできる道具を借りてくるとしよう。奴に頭を下げるのは癪だが、致し方あるまい」


「……ごめんね、迷惑をかけて」


 鶫は申し訳なさそうな顔をして、ベルに頭を下げた。そもそもあの戦いは鶫の我儘から始まったものだ。ベルを無謀な戦いに付き合わせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。

 だがベルは特に気にした様子もなく、軽く肩をすくめてみせた。


「なに、構わんさ。――今回の件は、我にも利があるからな」


「どういうこと?」


「いつの時代も、神々は『英雄の戦い』というものを好む。今回の貴様の戦いはそれなりに評判が良かったからな。契約神である我の鼻も高いぞ」


 ベルはそう誇らしげに語ったが、まるで剣闘士のように扱われるのは少し複雑である。けれどベルの評判が神々の中で上がったのなら、鶫としても嬉しい限りだ。


「……そうだ、千鳥はどうしてるんだ?」


 ハッとして鶫は言った。結界は問題なく張ったので被害は出ていないと思うが、避難の際に事故に巻き込まれていないとは限らない。

 今の時間は夜の九時半。鶫が戦いを始めたのが昼だから、九時間近く眠っていたらしい。

 急いで携帯を確認すると、何件もの着信履歴が表示された。一番上の通知は五十分前。そこには旅行が中止になったので、一時間後には家に帰る、との内容が書かれていた。


「……よかった。千鳥たちは無事みたいだ」


 鶫はほっとして胸を撫で下ろした。これで千鳥が大けがをしていたら、何のためにがんばったのか分からなくなるところだった。

 あと十分で家に帰ってくるというなら、出迎えた方がいいだろう。ただでさえ連絡を無視したような形になってしまっているのだ。これ以上余計な心配をかけるのはよくない。


「ちょっと下まで降りていくよ。千鳥と話さないと」


「明日にしたらどうだ? 今日はまだ休んでいた方がいいと思うが」


 ベルが心配そうに言うが、鶫としてはそこまで体に異常があるという感じはしなかった。下まで降りて少し千鳥と話すくらいなら問題はないだろう。


 部屋に留めようとするベルをやんわりと振り切り、鶫は玄関へと向かった。すると、階段を下りているところで、ちょうどよく玄関の開く音が聞こえてきた。


「ただいまー。……なんでこんなに真っ暗なの?」


 千鳥の不満そうな声が聞こえてきた。確かに電気をつける暇もなかったので、一階は暗くて何も見えない状態だ。

 鶫は廊下の電気をつけて、玄関へと向かった。


「わっ、びっくりした。いるなら声を掛けてくれればいいのに。電話にも出ないし心配したのよ?」


 スーツケースを引きずって玄関から廊下に入ってきた千鳥が、咎めるようにそう言った。けれどそれに対して、鶫は声が出なかった。


――千鳥の顔を見た瞬間、全ての思考が吹き飛んだのだ。


 ふらふらと、千鳥に向かって歩く。


「……千鳥」


「どうしたの、鶫。顔色が悪いわよ? え、あ、なに?」


 ぎゅっ、と千鳥の背に手を回すようにして抱きしめる。そのほのかな温かさに、鶫は泣きそうになった。


――生きている。千鳥は生きているんだ!!


 そのことが、無性に嬉しかった。これだけですべてが報われたような気さえしたのだ。


「怪我がなくて、本当によかった」


 その声は、震えていた。戦う前に、本当は覚悟していたのだ――もう二度と彼女と会えなくなることを。だからこそ、こうしてもう一度会えたことが嬉しくて仕方がない。


 そんな鶫の不安定な様子を悟ったのか、千鳥はそっと気遣う様に鶫の頭をやさしく撫でた。


「……うん、心配かけてごめんね」


 その言葉に、鶫は抱きしめる力を少し強くした。

――千鳥。鶫のたった一人の家族。彼女を失うなんて、鶫には考えられない。

 だって鶫に残っているのは、もう彼女だけ・・・・・・なんだから。


「無事なら、それでいいんだ」


 鶫がそう言った次の瞬間、ゴホッ、と大きな咳が出た。痰が絡んだのかと思い口に手をやると、手のひらがいやに赤かった。


 千鳥から手を放し、そのままずるずると廊下に座り込む。足に力が入らなかったのだ。そして、ゲホゲホと断続的な咳――吐血は止まらない。


「……鶫? いやっ、嘘でしょう? ねえ、鶫!!」


 事態を察した千鳥が焦ったように悲鳴を上げて鶫を揺するが、口の中の血のせいで上手く言葉が出てこない。


 くらくらと視界が歪む。誰かに呼ばれる声が聞こえるが、それを判断する気力もない。

――そうして鶫は、自らの意識を手放したのだ。




あとがき――――――☆☆☆


この話で一章が終了となります。

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