葉隠桜は嘆かない

玖洞

第1章

第1話 プロローグ

『魔法少女』


 その名を聞いて、人はいったいどんなものを連想するだろうか。


 手鏡に向かって呪文を唱える魔法界のお姫様?

 それとも、人の町で修行中の見習い魔女の事?

 はたまた、正義のために悪い奴らと戦う勇敢な女の子たち?


 どれも別に間違ってないけれど、この世界の彼女達・・・は少し事情が異なる。


 国家防衛魔道契約志願者――通称『魔法少女』。彼女達は、無限に湧き続ける魔獣・・に対抗するために、自ら戦う事を選んだ『護国の守り人』だ。


 ある者は地位を。

 ある者は理想を。

 ある者は希望を。

 ある者は平和を願い、その道を選んだ。


『魔法少女』となった者に待ち受けているのは、死と隣合わせの危険な日々。己が才能のみが物を言う実力主義の社会。

 そんな孤独な戦いの中、――敗走は決して許されない・・・・・・・・


 勝つのが当然。負けは、そのまま死を意味する。



 ――これはそんな運命さだめに絡めとられた、一人の少女、あるいは少年・・の物語。


 ――――葉隠桜はがくれさくらの物語だ。









◆ ◆ ◆




 深夜二時。静かな夜中の住宅街の通りに、一人の少女がいた。花柄のパジャマを着たその少女は、壁に手を突きながらよろよろと道を歩いている。体調が悪いのか、辛そうに荒い息を繰り返しているようだった。


『魔獣出現まで、あと五分です。北西の方向へ速やかに避難してください』


 そんな機械音声が、少女の持っている携帯から流れた。


「はやく、ここから離れなくちゃ……」


 少女は辛そうに呟くと、自分を叱責するかのように唇を噛みしめ、震える足に力を込めた。


 ――警報・・が出てどれくらいの時間が経ったのだろうか。早くしないと、本当に間に合わなくなる。


 ケホっ、と少女は咳をした。風邪を引いているせいか、熱が高く眩暈もしている。そんな状態なのに少女が外に出ているのには、理由があった。


 そう――魔獣・・がやって来るからだ。


『――E級の魔獣アークエネミーの発生予測が確認されました。存在の出現まで、あと三十分となります。マーカー付近にいる地域の皆様は、速やかに指定の場所まで避難を開始してください』


 夜中にそんな警報を、朦朧とした意識の中で確かに聞いた。やや記憶が定かではないのは、熱のせいで眠りが深かったせいだろう。


 ――E級の魔獣。携帯のマップから推測すると、政府が予測した魔獣の出現場所は少女の自宅付近から半径二百メートルの範囲だ。


 この程度の距離であれば、通常なら両親と一緒に避難が出来ていただろう。けれど、少女の両親は親戚の葬儀のため遠方に行っており、明日の夜まで帰ってこない。それ故に、少女は不調を抱えた体で一人逃げることしかできなかったのだ。


 このご時世、魔獣によって死者がでることはそう珍しいことではない。年間にある程度の数が犠牲になる――いわば交通事故のようなものだ。


 だが、いくら魔獣による死が珍しいことではないとはいえ――自分がそれに巻き込まれたくはないと思うのが人間という生物のさがである。


 ……けれど、ほんの数十年前には、魔獣なんて存在していなかったと少女の祖母はよく言っていた。



魔獣アークエネミー


 その性質の悪い冗談のような存在は、突如として現実を侵食し始めたのだ。



 ――事の始まりは三十年前。七月七日、午後二時のことだった。


 ふと空を見上げた人々が、こう口走った。

 空が割れている・・・・・・・と。


 そのひび割れとしか言いようがない亀裂は、見上げただけでは端が分からないくらいの大きさで、日本列島に覆いかぶさる様に広がっていた。

 その怪現象に人々は何事かと不審に思ったが、現れた亀裂はすぐに空の蒼にとけて消えてしまった。当日のニュースでは、季節外れのオーロラか何かだと放送していたらしい。


 ――そう、その日こそが全ての始まりであった事を、まだ当時の人々は知る由も無かったのだ。


 空が割れた次の日、通行人が多い朝の出勤ラッシュの都会のビル街に――その化物は何の前触れもなく現れた。


 大型の熊をさらに凶悪にしたかの様なその獣は、計数十人の死傷者を出し、数時間後に警察機動隊によって射殺された。……それだけならば、ただの原因不明の獣の凶暴化事件と銘打ち、いずれ人々の記憶から消え去ったかもしれない。


 ――でも、そうはならなかった。


 その日以降、獣のような生物は形を変え、場所を変え、毎日およそ数回のペースで日本列島の各地に現れ始めた。

 不可思議な獣たちは破壊の限りをつくし、暫く経つと霞のように空気にとけて消えていく。まさに、魔獣は未知の侵略者と呼ぶしかなかった。じわりと広がっていく不安と恐怖。人々はまだ、世界が変わってしまったことを認めることが出来ずにいた。


 そして事件の始まりから数日後。解決の目途すら立っていない政府に対し、とある霊能者が『これは昨日のオーロラが原因だ。あの亀裂から悪しきモノが日本に入り込んでいる』と大々的にSNSで警告を始めた。


 当初は胡散臭い霊能者の言葉だなんて信じられない、といった嘲りの声がほとんどだったが、その声も徐々に小さくなっていった。……単純に、そんな事に構っていられる余裕が無くなっただけとも言える。


 外国のメディアは、挙ってこの魔獣事件を報道した。初めはまるで出来の悪い怪獣映画を紹介するような論調だったが、それらは時間が経つにつれ、段々ときな臭いものに変わっていったのだ。


「現代の地獄」

「無神教の末路」

「神に見捨てられた国」

「あの魔獣たちは悪魔に違いない」

「――こんな恐ろしいことが起こる国に関わると、我が国も破滅させられる!」


 ……いくら神秘が薄れ、神という存在が形骸化されてしまった現代とはいえ、まだまだ世界の国々には宗教が深く根付いている。未知の恐怖を、既知の存在と結びつけるのは当然ともいえた。


 日本にとって最大の不幸だったのは、諸外国を巻き込めなかったことだ。魔獣は、何故か日本にしか・・・・・現れなかったからだ。


 そんな日本の現状に、下手に関われば自分の国に飛び火するかもしれない、と考えた国は少なくなかった。

 外国の動きは早く、アメリカ、EU、ロシア、アジアの国々、最初の事件から三か月も経たない間に全ての国の大使館が閉ざされ、日本人の入国禁止措置をとる国すら出てきてしまった。

 三か月――たったそれだけの時間で、日本という国は無情にも孤立に追い込まれたのだ。


 ……薄情に思えるかもしれないが、他の国々にとっても魔獣は恐怖の象徴になりつつあった。中には同調圧力もあっただろうが、遠く離れた島国のことなんて他の国には所詮他人事に過ぎない。カルネアデスの板の話のように、自分達が助かるためには仕方ないことだと、世界は簡単に日本という国を切り捨てた。


 ほぼ強制的に鎖国状態に追い込まれた日本は、魔獣によってライフラインも壊滅し、壊滅状態に陥ってしまっていた。昼夜を問わず魔獣が襲い掛かってくる恐怖に怯え、日本に住む人々は疲弊していった。


 その一方で、財産のある上流の人間はとうの昔に国外に逃亡し、日本にいた外国籍を持つ者は、早々に母国に逃げ帰っていった。そうして、逃げ切れなかった者だけが日本に取り残されたのだ。


 ……そんな悪夢のような事態から三十年。誰も予想だにしなかった奇跡につぐ奇跡がおこり、今の日本の現状は大幅に改善されはしたが、こうして常に命の危機に晒されていることには変わりない。


 ――だって、魔獣はまだ消えてなんかいないのだから。



「あっ」


 不意に足がもつれ、少女はその場に倒れこんだ。衝撃で視界がくらくらと歪む。

 ただでさえ、高熱のせいで体調が悪いのだ。そこに焦りと恐怖が加われば、満足に動けなくなるのも無理はない。だが、このまま蹲っているわけにはいかなかった。


 少女は最後の力を振り絞り、立ち上がろうとした。

 ――けれどその決意を嘲笑う様に、けたたましい音が携帯から鳴り響いたのだ。


『警告、警告。今すぐにその場から離脱しなさい。繰り返す。今すぐにその場から離脱しなさい。予測される出現場所は現在地から二十メートルです。繰り返す。今すぐに――』


「えっ、うそ……。マップでは確かこっちは安全だったはずなのに!」


 慌てて携帯のマップを確認するが、少女の期待も虚しく、現在地の表示が緊急アラートで赤く塗りつぶされていた。


「な、なんで? なんで最初と表示マップがちがうの? そんな不具合なんて聞いたことなかったのに……!」


 ――逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ!

 焦った少女が体の痛みを推して駆けだそうとしたその瞬間、病による寒気とはまた違った悪寒が、少女の背筋に走った。


「あ、あぁ、そんな……」


 ざりざりと奇妙な音を立てながら、何か得体のしれないモノが真横の路地から近づいてくるのが分かる。分かってしまう・・・・・・・


 ――逃げなくてはいけないのに、足がまるで凍り付いたように動かない。少女は、震えながら横に目を向けた。


 それ・・はまるで、大柄な男のようなシルエットをしていた。けれど、人間の男とは決定的に異なる点が一つある。


「グルルルッ、――ガァァァァッ!!!!」


 満月の光を背負い、それ――狼の顔をした魔獣が、殺気を振りまきながらそこに立っていた。


 ひゅっ、と声にならない悲鳴が上がる。

 おぞましいほど強烈な恐怖が少女の思考を支配した。今すぐこの場から逃げ出すべきなのに、魔獣から目が逸らせない。


 ――ああ、そんな。うそだ、ありえない。


 魔獣の姿なんて、今までいくらでも見てきた。だがそれはいつだってテレビや本を通した非現実なものばかり。猟師ですら、野生のクマに遭遇すれば狼狽えるというのに、はたして普通の少女が魔獣を見て平然としていられるのだろうか? そんなことは、考えなくたって分かる。


「う、うぅっ」


 ボロボロと両の目からとめどなく涙がこぼれていく。堪えきれずに小さな嗚咽が漏れた。絶対的なまでの、死への恐怖。少女は、ただただ目の前の化け物が恐ろしくて仕方なかった。


 魔獣はその大きな口をニタリと歪め、少女を見ている。まるで新しいおもちゃを手に入れたかのように、楽しげに。その表情が、少女のこれからの処遇を物語っていた。


 ――もう駄目だ。自分はここで終わってしまうんだ。この狼男にズタズタにされて殺されちゃうんだ。


 少女がそう諦めかけたその時、肩に何かが触れた気がした。


「目を閉じて」


 その声は、驚くほどにするりと少女の中へと入っていった。言われるがままに、目を閉じる。何故だかそうしなければならない気がしたのだ。


 その刹那、ひぅん、という鋭い風を切る音と、何か大きなものが地面に叩きつけられる音が聞こえてきた。ぐちゃり、とした生々しい水音が耳に残る。びくりと思わず体を揺らしたが、目を開ける気にはならなかった。


 あまりのことに言葉も出ず、少女はふらりとその場に膝をついた。少女が手で顔を覆うようにして震えていると、ぱしゃり、と水たまりを歩くような足音が聞こえた。その足音は、ゆっくりと少女の方へと近づいてくる。


 ぞくり、と背筋が凍る。いったい今自分に近づいてきているのは、一体なのだろうか。きっと顔を上げて目を開ければ、それが何なのかが分かる。けれど、少女は恐ろしくて仕方がなかった。


 ――もしも、今目の前にいるのが別の魔獣だったら?


 もしそうならば、正気を保っていられる自信がない。このまま目を閉じている内に終わってしまった方が、本当は幸せなんじゃないだろうか。そう思ってしまったのだ。


 少女がそうして震えていると、少女の肩に何かが触れた。


「ひぃっ!?」


 びくり、と大きく体を揺らす。――怖い、怖い、怖い、夢ならどうか覚めてほしい。そう願いながら、少女は身を竦めた。けれど、その予想は裏切られることになる。


「……大丈夫? 怪我はない?」


 ――それは、ひどく透明な音色だった。けれどその声はどこか懐かしく、不思議と安堵感さえ覚えたのだ。


 背中をぎこちなく撫でられ、動揺のあまり過呼吸気味になっていた少女の息が、ゆっくりと正常に戻っていく。謎の声の主は、少女が落ち着くまでそっと彼女に寄り添い続けた。


 ――この人は、いったい誰なんだろう。


 少しずつ落ち着いてきた少女は、恐る恐る目を開けて顔を上げた。そこには心配そうな顔をした、少女よりも二、三歳上の女性がいた。

 涼し気な目元に、すらりとした面立ち。どこか少年じみた印象をうけるが、ただ漠然と美しいと思った。


 彼女の姿を見て、それが誰なのか少女はすぐに分かった。いや、――その『存在』の総称を知っていたのだ。


「まほう、しょうじょ?」


 少女の問いに、女性が頷く。


 ――この世界に魔獣が現れるようになって、それに続くように突如として現れた存在があった。それが『魔法少女』だ。


 魔獣に対抗するために、奇跡と契約・・した少女と同じ年頃の女の子達。目の前の女性は、きっとその内の一人だろう。


 ――ああ、助かったんだ。

 そう気付いた瞬間、どっと体から力が抜けた。まるで、鉛のように体が重い。


 倒れ込んだ少女をそっと支えながら、女性はさっと少女の体を確認し「どうやら怪我はないみたいだね」と告げた。


「けれど、次からは体調が悪い時に警報が出たら救急機関に連絡をするんだよ。一人で無理をする必要はないんだから」


「あっ……」


 彼女にそう言われて、少女は初めて救急車の存在を思い出した。熱のせいで、早く逃げなきゃと思うばかりで、そんなのは全く思いつかなかった。


「熱も高いし、このまま病院まで送る。君は少し眠っているといい」


 彼女はそう言って、そっと右手を少女の額にあてた。ひんやりと手の温度が心地いい。そのまま少女の意識が微睡みの中へ落ちようとしたその時、少女はふと思いついたように呟いた。


「お姉さんの、名前は?」


 ――今日起こった出来事は、きっと一生忘れることはできないだろう。だからこそ、自分を恐怖のどん底から助けてくれた恩人の名前を知っておきたかった。

 すると女性はふわりと綺麗な笑みを浮かべ、囁くようにその名を呟いた。


「――私の名は、葉隠桜。別に覚えなくていいよ。どうせ取るに足らない名前だから」


「はがくれ、さくら」


 ――少女が覚えているのは、そこまでだった。


 気が付くと、少女は病院のベッドの上で点滴を受けていた。ぼんやりと目を擦る少女に、泣きそうな顔をした母親が駆け寄ってくる。どうやらあの後、女性――葉隠桜は少女のことを病院まで運んでくれたようだった。


 お医者様いわく、動き回ったせいで風邪が悪化して肺炎を起こし、少女が病院に運ばれてから一週間ほど意識不明の状態だったらしい。病院に来るのがあと少し遅れていたら、最悪命はなかったかもしれないと神妙な顔で告げられた。


 そして意識を失った少女を背負ってきた女性は、少女を医師に引き渡すと、忽然とどこかへ消えてしまったらしい。

 彼女は名乗りもしなかった、と不思議そうに語る医者を見て、少女は目を細めて笑った。なんだかあの人らしいな、と漠然とそんな風に思ったのだ。


 無事で良かったと泣く母親を宥めながら、少女はあの夜のことを思い出す。恐ろしい思いをした。けれど――それ以上にこの不思議な体験を誰かに聞いて欲しかった。


「あのね、お母さん。――わたし、魔法少女に助けてもらったの!」





◆ ◆ ◆





 ――少女が魔獣に襲われかけた事件から、数か月後。


 すっかり元気になった少女が駅のホームで友達と談笑しながら歩いていると、石畳に足を取られ前から歩いてきた男子高校生とぶつかってしまった。少女のよろめいた体を、少年が慌てたように支える。


「あっ、その、ごめんなさい!」


「いや、別にそこまで気にしなくていいよ。ぼんやりしてた俺も悪いし」


 前を見ていなかったのは少女の方である。怒られると思い、さっと顔を青くして謝った少女に、少年はとくに気にした様子もなくそう告げて去っていった。


 ほっと胸を撫で下ろし、その背中をジッと見つめていると、友人がにやにやしながら服の袖を引っ張ってきた。


「なになに? もしかして一目ぼれでもしちゃった? かっこよかったもんね、さっきの人。優しそうだったし」


「ち、違うよ! でも、何ていうか、その」


 そこで少女は口ごもり、考え込む様に口元を押さえた。


「――誰かに似ている・・・・・・・気がしたの」


 友人は少女の返答につまらなそうに「ふぅん?」と返すと、遅刻しちゃうから早くいこ、と少女の手をとって歩き出した。

 そして少女もまた、その時抱いた既視感を追求するわけでもなく、穏やかな日常へと帰っていた。


 離れた場所で少女の方へ振り返り、「元気になったみたいで、何よりだ」と少年が呟いたことなど知らないままに――。



あとがき――――――☆☆☆


『葉隠桜は嘆かない』を読んで頂きありがとうございます!

次の話から本格的に主人公の話が始まりますので、どうかお付き合いください(´∀`*)

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