夏とラムネと女の子と

珠璃

「あら湊くん、いらっしゃい」


部活帰り?と聞いてくるおばさんにそうです、と返して奥の冷蔵庫を指さす


「おばさん、ラムネ2つ」

「2つね。はい毎度あり」


お礼を告げて涼しい商店の扉を開け、外へと出る

途端に肌にまとわりつくような湿気とじりじりと照りつける太陽の光に晒される

もう汗をかいてきているラムネ瓶をタオルで包んで重い足を動かした


今日は妹である美月の一周忌だ

美月は1年前に事故死した

なんでも車道に飛び出した狐を助けようとして自分が轢かれたらしい

昔からあいつは心配になるくらいのお人好しだった

兄の俺から見ても贔屓目なしに可愛く、その上そんな性格だからか男女ともによく好かれていた

自慢の、大好きな妹だった


あいつの好きなラムネも買えたので墓参りでもして帰ろうと炎天下の中、唸りつつも足を動かしていた

が、あまりの暑さに意識がぼーっと遠のくのを感じる

流石に休憩をしようと辺りを見渡すと、太田稲荷神社と書かれた古びた石柱が目に飛び込んでくる

あそこの境内なら木陰もあるから休めるだろう

倒れる前に、と足早に境内へと歩を進めた


『涼しい…』


思わずそう零しながら神社の境内を歩いていく

四方八方からはアブラゼミの声が重なり合い、大合唱のように耳へと入ってくる

こんな暑さのせいか、拝殿には人っ子一人見えなかった

寂れた古い賽銭箱や鈴の中からも蝉の声が聞こえてきそうだ


一休みのために拝殿の端の石畳の上に腰を下ろし、ラムネを1本タオルから取り出す

べりべりと上のラベルを剥がし、ピンクの玉押しをビー玉に当ててぐっと手のひらで押す

するとかこんっとビー玉が落ち、しゅわしゅわとした泡が吹き出した

水色の瓶を木漏れ日に翳すと炭酸が星のように抜けていく

1口飲むと弱い刺激と独特なあの味のお陰で体がひんやりとしてくる気がした


「わぁ、ラムネだ!」


突然の声にびっくりして顔を上げるとそこには長い白髪に赤い瞳を持った少女が立っていた

巫女装束のようなものを着た少女は目を輝かせながら俺の手の中にあるラムネ瓶を見つめてる

先程まではまるで人の気配なんてしなかったのにいつ彼女が現れたのか、不思議で仕方なかった


「…君、誰」

「ねぇねぇ私もラムネ飲みたいー!!」


俺の質問を無視して無邪気な目でねだられる

何故かその姿に見覚えがあった

どこで見たのかまでは思い出せなかったが、それでも無意識にもう1つのラムネを開け、少女へと渡していた


「やったぁ!お兄ちゃんありがとう!」


無邪気に笑って少女はラムネを飲む

俺もそんな彼女を見ながら残り少ないそれで喉を潤した

少しすると彼女はちょこんと俺の隣に腰を下ろす


「君、ここの子なの?」

「うん、ここが私のお家なの!」

「そっか……ん?」


でもこの太田神社の神主さんは奥さんはいるが、もうかなり高齢だったはずだ

孫なんて今まで見たことも聞いたことも無い

じゃあこの子は…


「ねぇねぇ、これほしい!」

「び、ビー玉のこと?」

「うん!!」


これ、と言って彼女が指さしていたのはラムネ瓶の中に入っている青いビー玉だった

そういえば美月も小さい頃、よくこれを欲しがって親父に瓶を割ってもらっていたな


「貸して」


彼女から瓶を受け取り、少し歩き回って鋭利そうな石を見つける

これならうまく跡がつきそうだ


「危ないから離れててね」

「はーい!」


飲み口のすぐ下のところを石でぐるりと1周傷をつけ、それから飲み口の青い部分を石で何度か叩く

すると薄青色の硝子破片が飛び散り、ころころと青いビー玉が石畳の上を転がる


「わぁ!」

「はい、どうぞ」


タオルでビー玉を拭いてから目をキラキラとさせている彼女に手渡すと、はしゃぎながら青いそれを太陽に当てて嬉しそうに笑っていた

もう1つのラムネ瓶も同じようにして割り、転がり出てきた


「これもあげるよ」

「いいの?!」


頷いて渡すと彼女はしばらくそのビー玉を見つめる

硝子の破片でも刺さってしまったのかと心配になり、立ち上がって近寄ると彼女は突然ばっと顔を上げる


「ねぇお兄ちゃん、お礼にすごいの見せてあげる!」

「すごいの?」

「うん!見ててね」


そう言って少女は瞼を閉じ、深呼吸をしてからゆっくりと目を開ける

その目は気のせいか分からないが、先程よりも赤みを増しているようだった

少女が手の中のビー玉に優しく息を吹きかける

するとビー玉が突然青白く光を帯びた

夏風に騒いでいた木々も、耳を劈いていた蝉の音もこの一時だけは聞こえなくなる

まるで少女の周りだけが別世界であるかのような感覚にすら陥る

光が段々と弱まるとビー玉の中には小さな七宝文様が浮かび上がった


「はい!お兄ちゃんにこれあげる!」


少女が満面の笑みでビー玉を俺へと差し出す

また境内には先程と同じように夏の音が戻ってくる

ただただ呆然とそれを見つめ、俺は声にならない声に口をぱくぱくとさせた


「もらってくれないの?」


眉を寄せ、泣きそうな顔になる少女から慌てて笑顔でビー玉を受け取る


「も、もらうよ!ありがとう…」

「良かったぁ」


改めて貰ったビー玉を眺める

形は変わっていないが、確かに硝子のそれの中には文様が入っている

暑さにやられて疲れているから変なものが見えているんだろうか

そんなことを考えていると少女は急に走り出し、本殿の脇道の奥の方へと向かう

引き留めようかと足を踏み出した時、少女がくるりと振り返る


「またいつか会おうね、湊お兄ちゃん」


え、と口から言葉が零れる

あんな呼び方をするのは、あいつくらいしか


「待ってくれ!!」


大声で何度もそう叫ぶが、奥へと姿を消した少女は戻って来ない

少女を追いかけようと1歩踏み出した途端、急に目の前が暗転する

ぐらりと全身の力が抜けて指先すらも動かせなくなる

もうこの後の記憶はなかった

意識を失っていたらしい

次に目を開けた時には静かなクーラーの音と電子音が聞こえるところに俺はいた

すぐ脇にはスタンドから吊るされた点滴がぽつ、ぽつと落ちている


「湊!!目が覚めたのね、あぁ良かった…!」

「あ…母さん…」


起き上がろうと体に力を入れるが、思うように動かせずに顔を顰める


「まだ動いちゃ駄目よ。かなり酷い熱中症だったのよ」

「熱中症?でも俺、太田神社の境内で休んでて…」


そう言うと母さんは首を傾げて、不思議そうな顔で口を開く


「湊、何を言ってるの?貴方が倒れてたのは美月の墓の前よ」

「は…?いや、俺はあいつの墓まで行ってない。途中で疲れたから神社で休んで…女の子に会ったんだ。巫女装束を着た小さい子に」


覚えていることを必死に説明するが、母さんはますます顔を曇らせる


「貴方、本当に大丈夫?あの神社にお子さんなんていないわよ」

「そんなはずない…本当に見たんだ!白い髪に赤目で、俺の事を湊お兄ちゃんって呼んでくれた女の子が」

「湊」


俺の話を遮って母さんが手を握る


「落ち着いてよく聞いて。あの神社に女の子なんていないのよ」

「でも!」

「でもね湊」


柔らかく、どこか寂しげな顔をした母さんが優しく俺のことを制して話を続ける


「私が小さい頃に聞いたお話があるの。太田神社で祀られているお稲荷さんのお話」

「お稲荷さん?」

「そうよ」


母さんは窓の外を眺めながらぽつりぽつりと話していく


「大昔にあの神社の神主さんの子供が罠にかかっていた狐を助けたの。それから暫くしてその子は流行病で亡くなってしまったのだけれど、ちょうどその1年後に白い狐が神主さんの元にやってきてこう言ったの」


『私は貴方の子供に助けて頂いた狐です。亡くなってしまったあの子の魂をこの中に引き入れました。あの時のお礼としてどうか最期に、あの子が成仏する前にあの子に会ってくれませんか』


「それから神主さんと女の子の姿になった白狐は話をして、終わると白狐はどこかへと消えてしまったらしいわ」


その話を聞いて思わず黙りこくる

その女の子と美月のことをつい重ねて考えてしまう

狐を罠から助けた女の子、狐を車から助けた美月

もし、母さんの話が本当に起こったとしたらあの女の子は白狐で、その中には美月の魂が


「湊、そんなに怖い顔しないで」

「でも、その話がもし…」

「少し気になったから話しただけよ。私がこの類の話を信じないのはよく知ってるでしょ?」

「…うん、そうだね」


きっと俺が暑さで頭をやられて見た、変な妄想に違いない

こんなおとぎ話みたいなことなんて起こるはずないんだ、と自分に言い聞かせた


「さて、と。何かお菓子買ってくるから売店行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


母さんを見送ってからふと気になり、ポケットの中を探る

何か固くて小さなものがこつん、と爪先に当たったそれを取り出してみる


「……違う、妄想なんかじゃないんだ」


思わずそう呟いた俺の手の中には、七宝文様の入った青いビー玉が握られていた

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夏とラムネと女の子と 珠璃 @neko_12

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