第52話 美術部のコーチ?

 授業が終わり、俺は美術室の教卓で項垂れた。


「まさか先生がここまで大変だったとは……」


 授業はほぼ毎時間。クラスによっては進み具合が違うし、生徒の性格、勿論名前や学年も違う。


「ハード過ぎる」


 と言うのが、先生をやってみての一番の感想であった。


 これをやっている先生、改めて尊敬に値するな。

 そんな事を思いながら、昇降口から出て来る生徒達を見ていると、椿先生が欠伸をしながら教室へと入って来る。


「おー、世理。無事に終わったかー?」


 俺は呑気に入ってきた椿先生へと、詰め寄り言った。


「今日1日だけで十分学ぶ事が出来ました。これ以上は厳しいので辞めます。さようなら」

「まぁ、待ちたまえ青年」


 しかし、これまた腕を血管が浮かび上がるぐらい強く握って来る椿先生。


 いやいやいや…どんだけ授業任せるのに全力だよ。


 そんな事を思っていると、椿先生は親指を立てて言った。


「君をコーチへと任命してやろう」

「コーチって……また面倒そうな……」

「面倒! もしかして今面倒だと言ったか!?」


 あまりの言葉につい本音が溢れてしまった。


 俺はゴホンッと咳払いを一つする。


「だってそうでしょ? コーチって事は指導しないといけないって事じゃないですか。俺なんて臨時で教師の代わりをやってるだけでコーチなんてとても…」

「これも学びの一種だと納得していただろう!?」

「…別に納得はしてないですけど」


 …捏造が酷い。俺は仕事を了承しただけで、納得はしていない。


 世理がそんなの言っていないと不満気に眉を顰める中、それを見た椿は余裕綽々に鼻で笑った。

 そして胸ポケットから2枚のチケットを取り出し、世理へと見せびらかしながら言った。


「……はぁ、折角世理の好きな"ユニバーサルタウン"のチケットがあげようと思ったのに」

「!!!!!」


 椿が出したのは、有名なテーマパークの入場チケット、そして乗り物が早く乗れるファストパスだった。


「何で椿先生がそんな物持ってるんですか…?」


 俺が聞くと、椿先生は何処から引っ張り出したのか、背もたれのある椅子に深く腰掛け、目を細めた。


「ふっふっふっ、実はこの前の文化祭で行われた商店街のくじ引きで1等を当ててしまってな」

「へー。あのくじ引き当たった人初めて見ました」


 椿先生が言っているのは、恐らく商店街の大きなガチャポンの中に、幾千のくじの中、当たりは数個しか入ってないが商品は豪華と言う『夢のドリーミング商店街くじ』の事だろう。


「なんて言ったって私だからな」


 大きな胸を張り、得意気に笑う椿。


 しかしーー


「…椿先生1人では行かないんですか?」


 世理の何気ない一言で、それは変わった。


「あー……実はこれ、ペアチケットでな。若い未来ある世代に譲った方が良いだろうと思ったんだ………因みに私に友達が居ないとかではないぞ? 居るんだが丁度皆んな家庭を持って用事が……別に私だってーー……


 ……どうやら藪蛇だった様だ。これ以上続いたら話をするのも難しくなりそうである。


「まぁ……俺が部活のコーチを引き受けてくれるならチケットを譲るって事ですよね?」


 聞くと、椿先生は勢いよく顔を上げた。


「受けてくれるのか!?」

「ただし、どうなっても知りませんよ?」

「大丈夫大丈夫、美術部って基本大人しい子しか居ないから」


 確かに……俺達の時も大人しい奴ばっかりだったよな。


 世理は、ルンッルンッという効果音が出そうなスキップをしながら美術室を出ていく椿を見で、思い耽るのだった。


 ***


 美術室の前の廊下の人通りが少なくなってきた頃。美術室には数人の人が集まっていた。


「あー、初めまして。神原世理と言います。えー…これから2週間という短い間ではありますが、椿先生の代わりとして指導をする事になりました。よろしく」


 俺は立ち上がり、頭を下げた。

 ありきたりの挨拶ではあるが、自分のコーチらしさを出す事は出来ただろう。


 そう、納得しながら俺は顔を上げた。



 パチパチパチッ



 閑散とした美術室に、1人の拍手音が鳴り響く。


「よろしくお願いします」


 6つ程の大きな長方形の机が並び、その1つにポツンっと座る少女が1人。黒髪のオカッパで、言い方は悪いが座敷童子の様に見える。


「ん〜……他の部員はどうしたのかな?」

「今は私1人だけ」


 淡々とした口調に、幼さが隠せない声音。

 そして部員が1人だけしか居ないという事実に、世理は思わず肩をすくめた。


 椿先生…部員が1人なのにサボるって…。


「早く部活動しましょう」


 短くも急かす様な彼女の言葉。


「あ、あぁ。今何かやってる事とかあるのか?」


 それに俺は少し焦りながらも問い掛ける。

 俺の時はよく椿先生に言われ、物の模写を良くした。模写をする事が画力の向上に効果的だと言われていたからだ。

 模写をしているのなら、それの続きを描かせた方が良いだろう。


「何もやってません」

「ん? そうなのか?」


 この時期なら、何のコンテストにも被っていない筈だから模写しててもおかしくないと思ったんだけどな……


「じゃあ取り敢えず好きな絵を描いてみるか」

「はい」


 俺はその子の真正面に座り、一緒に絵を描き出すのだった。





「その、なんだ…伸び代が良くあるって言うか……独特な作品だな」

「……別に。無理に褒めなくていいです。自分でも分かってるから」


 数分後。書き上がったのは言い表すのも難しい程の作品。まぁ、所謂駄作だった。


 中学生からしたら下手。高校生からしたら超下手ぐらいの実力だと思う。


「神原さんのは…上手いですね」


 彼女は世理の絵を見て、目を細める。

 俺が描いたのは、正面で絵を描いている彼女の姿だった。


「そんな事ないさ。長く、一生懸命描いてればそれなりの画力はつく。俺のはそれだけの絵だ」

「そんな事……でもいつかは……」

「ん? 今何か…」

「……」


 その子は何も言わずに、また絵を描き始める。



 いつか、何かになりたいのだろうか。


 何かに全力で取り組めるというのは、それだけで人生に一本の芯が通る。それに向かい、何をして、何を為すのか。


 それを中心に世界が周る。



(この時の俺は…何が中心だっただろう)



 親父、絵、那由さん、それとも他の何か。



(…彼女にとっての芯は何だろう?)



 俺はまだ、彼女の名前も知らない。

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