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「……二件目だな」
「二件目ですね」
優成が思わず零した呟きに、神楽が同意するように答える。
優成達は今、今朝方通報があった事件の現場を訪れていた。
此度の現場は住宅地のど真ん中。高級マンションや庭の広い家などない、一般的なサラリーマン家庭が暮らしている町並みだ。付け加えれば、通学する子供達の笑い声がよく似合う素朴さもある。
実際、優成達がいる道は通学路に指定されていてもおかしくない一般道。だからこそ優成は、今が夏休み真っ只中で良かったと心から思う。道路に横たわる常軌を逸した惨殺遺体を、心が未熟な小学生や中学生が見なくて済んだのだから。
……残念ながら、部活の朝練で早起きしていた女子高生が第一発見者になってしまったが。
夏の朝日に照らされて、熱々になっているコンクリート道路の上に横たわるのは老人の遺体。身分を証明するものを持っていなかったため現時点では身元不明だが、見た目から判断するに六十歳ぐらいの男性だ。顔こそ年齢を感じさせるが、身体付きは健康的な中年男性ぐらいにはしっかりしていて、日頃から鍛えていた事が窺い知れる。服装がタンクトップである事から推察するに、まだ気温が高くない早朝にジョギングないし散歩をしていたようだ。
そこを『犯人』に襲われ、殺害されたのだろう。
五日前に近くのビル街で起きた、女性惨殺事件のように。
「また腸を引きずり出されてますね……」
神楽が言うように、男性の腹からは内臓が出ていた。司法解剖の結果を待たなければ正確には分からないが、恐らくまた内臓の一部が食べられていると優成は感じる。
更に、血溜まりに出来た裸足の足跡、その足跡が――――マンホールへと続いている事も、先日の女性惨殺事件と同じだ。
同一犯である可能性が高い。
「まさか下水道に跳び込んで生きてやがったとはな……」
「ん、んん? あ、いや、ならもしかすると別の犯人なんですかね? だって大雨の後の下水道に跳び込んで生きてるとかおかしいですし」
優成がその考えの元に呟くと、神楽から否定的な意見が出てきた。しかし彼女の考えは決しておかしなものではない。
殺人事件について捜査する時、注意しなければならないのは模倣犯の存在だ。
報道された事件を真似しよう、或いは『手柄』を横取りしようと思い立って犯行を起こす輩が稀にいる。そして異常な犯行であればあるほど、そうした輩の気を引くというもの。
女性惨殺事件については既にテレビ報道もされ、ネット上でも騒がれている。模倣犯が現れる可能性は低くない、というより「大雨で増水した下水道に跳び込んだ犯人が生きていた」と考えるよりは遥かに自然だろう。
だが優成は神楽の意見に対し、首を横に振る。
「いや、遺体の状況からして女性惨殺事件と同じだろう。報道されていない特徴が幾つもあるからな」
優成が指摘すれば、神楽は「あー……」と覇気のない声を漏らす。納得はしている。だが受け入れたくないという気持ちが如実に現れていた。
模倣犯によるものか否かを判断する上で重要なのは、殺害方法などの特徴が先の事件と『同じ』か、という点だ。例えば犯行現場に手紙を残すなど、犯人しか知り得ない痕跡があれば同一犯の可能性が高い。だからこれを逆手に取って殺害方法を変えたりすると連続殺人を誤魔化せる……というほど日本の警察は甘くないが。時刻やターゲットの特徴など、連続殺人かどうかは複合的に判断するものだ。殺害方法は要素の一つでしかない。
しかし特徴的な殺し方であればあるほど、同一犯の可能性が高くなる。故に警察がマスコミに事件を公表する際、通常その特徴的な『殺し方』は伏せておく。犯人しか知り得ない情報を隠しておけば、取り調べなどで犯人を炙り出せるだけでなく、模倣犯か否かの判断にも使えるからだ。
先日の女性惨殺事件について警察がマスコミに発表したのは、犯人が被害者の身体を『損壊』させた事、事件が発見時刻の一時間前……明朝四時半に行われた点、そして死因が失血性ショックの三点だけ。
模倣犯が事件の真似をするとすれば、ニュースや新聞に乗るであろうこれらの情報を参考にする。裸足で歩き回っている、被害者を生きたまま喰らう、腹を手で引き裂く、内臓を引きずり出す……これら『特徴的』な部分を知らないままに。
「人殺しを真似しようなんて異常者に常識なんて通じねぇだろうが、だとしても『普通』に考えれば、ちゃんとした靴を履き、刃物を使って真似するだろうな」
「ですよね。これで直接食べた形跡があったら同一犯確定って感じですか。まぁ、こんな輩が何人もいてほしくないですけど」
「刑事が希望的な事言ってんじゃねぇよ。気持ちは分からなくもないが」
「はい、すんません。しっかし、ほんとマジでバケモンなんじゃないですかね。下水道に跳び込んでも死なないし、人を喰うし、そっちの方が納得出来ますよ」
乾いた笑いを浮かべる神楽。しかし目は全く笑っていない。
彼女もまた警察官だ。殺人、それも恐らく動機などない、被害者に過失のない事件となれば怒りを感じるのも無理ないだろう。
そうした怒りは優成も抱いている。若い神楽ほどの情熱はないが、犯人を許すつもりはない。
「ま、兎も角だ。恐らく先日の事件と同じ犯人だろう。現場も近いしな」
今回の遺体が発見された現場は、先日女性が殺された路地裏……駅前に並ぶビル街から徒歩二十分ほどの距離である。
人間というのは意外と行動範囲が狭いものだ。というより日本で普通に暮らす身の場合、通勤などの関係であちこち動き回れないという方が正しいだろう。故に連続して事件を起こそうとした場合、どうしても自宅から同心円状の場所を現場として選びたくなる。同一犯と思しき犯行が複数ある場合、それを元に犯人の居住地を割り出すのは有効な捜査方法の一つだ。逆説的に、近い場所で起きた事件は同一犯の犯行の可能性が高いと言える。
無論、あくまでも可能性の話だ。証拠がなければただの推測に過ぎない。
「指紋とゲソ痕は十分に取れたわ。ゲソ痕の方は今回も裸足だけどね」
その証拠を集めている鑑識官こと後藤律子が、近くにやってくるなり大変心強い情報を教えてくれた。証拠は多ければ多いほど良い。裁判は勿論、そもそも犯人を絞り込むためにも証拠は欠かせない。
しかし……
「(……随分と顔色が悪いが、どうしたんだ?)」
何故証拠がたくさんあるのに、律子の顔色は悪いのか。
確かに、証拠がたくさんあるからといって「わーい」と喜ぶようなものではない。しかしあれば嬉しいものなのは確かだ。いや、そもそも証拠を見付けて顔色を悪くするとはどういう事なのか?
まるで、気付いてはいけない事を理解してしまったかのようではないか。
「(いや、なんだそりゃ)」
創作オカルト神話じゃあるまいし――――脳裏を過ぎった考えを否定するように、優成は頭を振りかぶる。
どうせアレだ、生理とかに決まってる。そう考えようとするも、長い刑事人生の中で、律子がこれほど顔色を悪くしたところなど見た事がない。初めての状況に、認めるのも癪だが、『不安』を覚えてしまう。
「おい、どうした? 随分と顔色が悪いじゃないか」
その疑問を払拭しようと、優成は単刀直入に尋ねる。
律子の反応は、息を飲む事。
隠そうとしていた、という訳ではないだろう。だが「見透かされた」と言いたげな仕草に、優成の方も息を飲む。
何かが奇妙、そして不気味だ。
不安の解消を求めたのに、一層強くなる感情。それを察したかのように律子は無言のまま歩き出す。
優成はその後を追う。神楽も同じく付いてきて、無言のまま三人で向かったのは――――血塗れのマンホール、そしてそれを塞いでいたであろう蓋。
今回もマンホールの傍に置かれている蓋の前で、律子はぽつぽつと話し出す。
「科捜研の分析結果から、マンホールの蓋は『素手』で開けられている事が分かったわ。本来開けるための道具を差し込むための穴に、指が入っている。それも一本だけ、ね」
「……マンホールの蓋って、確か四十キロはあったよな。それを指一本で?」
「無理とは言わないけど、かなりの馬鹿力ね。でも、それは大した問題じゃない。問題はこの中から検出された指紋よ」
律子が目線で示したのは、マンホール内に設置された下水道へと通じている梯子。
梯子から指紋が検出された、と言いたいのだろうか。だが、路地裏で女性が殺された時にもマンホール内の梯子から指紋が出ている。以前と同じ状況でしかなく、動揺する理由が未だ優成には分からない。
「何が問題なんだ?」
つい、答えを急かしてしまう自分に苛立ちながら、律子に尋ねる。
しかし人間というのは身勝手なものだ。
「指紋の向きから考えると、どうやら頭から下水道に侵入したみたいなの」
あまりにも想定外の答えを前にしたら、理解や疑問よりも早く、否定の気持ちが込み上がってくるのだから。
「……いや、お前、それは……なんだ? 頭から?」
「ええ、分かるわ。混乱する気持ちは私だって同じよ。でも、間違いない。前回の事件で採取されたものも、科捜研の解析で手が下水道の方を向いていたと分かった。良い? 梯子をそんな風に握るのは、頭を下に向いている時だけなのよ」
念を押すように、律子は指紋の、そこから分かる手の向きを強調する。
頭から下水道に侵入する。
姿を想像した途端、ぞわりとした悪寒が
優成の背筋を走った。特段異様な『姿』ではない。真似しようと思えば、極めて不安定でごく短時間の間だけだが、優成にだって出来るだろう。だが、人間が取るにはあまりにも奇怪な姿勢は、相手が人間だと認めたくなくなる異様さを有している。
それと同時に胸の奥から沸き立つ、疑念。
もしかすると、自分達は何か思い違いをしているのではないか?
最初の事件の際、何故犯人が下水道に逃げ込んだのか、様々な可能性を考えた。目的を果たした末の自殺、雨が止んでいるからという甘い状況判断、殺しの直後の興奮状態の所為……されどどの理由だとしても、梯子を頭から降りようとする奴はいない。人間の骨格的にバランスを取るのが極めて難しいし、濁流に少しずつ顔を近付けて恐怖心が湧かない筈がないのだから。
ならば前提が違うのではないか。
犯人にとって濁流は恐れるものではないのだとすれば。むしろ、一刻も早く戻りたい場所なのだとすれば――ーー
「……………」
そんな馬鹿なと思えども、心の中で感情的に否定するほど、不気味さが際立つ。
気付けば優成は、自身の『足下』をじっと見下ろしていた。
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