残滓

犬神弥太郎

残滓

 葉ずれの音と、僅かな鳥の声。かすかに聞こえる寝息。


 体は思うように動かない。


 飛行機が落ちてから、どのくらい時間が経っただろうか。


 瓦礫の下じきになり、足はあらぬ方向に曲がっている。


 不思議と痛みはない。


 おかしいと思うが、痛くない。


 非常事態過ぎて、頭がおかしくなったのだろうか。


 急な急降下を感じたと思ったら、CAからのアナウンス。頭を抱えて低くして、と。


 アナウンスに従う前に凄まじい衝撃。正直、細かいところまで覚えてない。


 シートベルトが腹に食い込み、強烈な衝撃に意識が刈り取られる。


 寸前に見えたのは、真っ赤な景色。


 あの赤はなんだったのか。


 やっぱり火災だったんだろうか。


 そして、気づくと子供が泣いていた。


 俺の周りには、その子供以外、誰もいない。


 いや、居ないという表現は違う。有った。


 ちぎれた手足、焼けただれた顔。飛び散った臓器。それらが機体の残骸に張り付いてる。


 壮絶な状態の中で、子供が一人で泣いていた。


 親が庇ったのか、何かの奇跡か偶然か、かすり傷程度で済んでいるようだ。


 なぜか安心した。


 この惨劇の中で、ひとりきりじゃない。


 なんとか這いずり、子供のところに行く。


 怖がっているが、知らない人だ。それも仕方ない。


 大丈夫だよ。と声をかけても、通じていないのかもしれない。


 妙な異臭。


 ジェット燃料とかは特別な臭がするという。それだろう。


 ここがどこかがわからない。下手に動けば遭難する。


 選択肢としては、自力で脱出するか、落ちたところの近くで救助隊を待つかだろう。


 自分の足が妙な形になっているのがわかる。コレで満足に動けない。


 救助を待つしか無いかな。


 子供をなんとか機体の残骸から離すと、意を決して自分は残骸に潜る。


 国際便だ。機内食はまだ出ていなかった。そうなれば、多少食えるものがあるだろう。


 食欲は無い。周りの惨劇のせいもあるだろう。けど、子供には体力を付けさせないと。


 まだ自分は体力が有る方だと思う。落ち着いてからでも食べれば良い。


 フリーズドライの機内食。水があれば食べさせることは出来そうだ。


 幸運なんだろう。残骸の中にミネラルウォーターのペットボトルもあった。


 なんとか食べさせれば、救助が来るまで、来てくれれば、なんとかなる。


 怖い。救助が来ないという想像が頭をよぎる。


 このまま何日も、何週間も、救助が来なかったらどうしようか。


 ペットボトルの水が有ったのが助かった。


 フリーズドライの機内食を水で戻し、子供に勧める。


 あまり食べたそうにしないが、ショックのためかな。


 自分もそうだし、こんな時に食欲がわくとも思えない。けど、食べなければ死ぬ。


 頭をなでてあげると、子供はビクつきながらも、少しずつ食べ始めた。


 良かった。


 残骸で運べるものをなんとか運んび、木で支え、簡単な屋根を作る。


 空からの救助からは見づらいかもしれないが、雨が振って体が濡れたら夜の寒さに耐えられない。


 幸いにも炎上した部分は翼と後方部分だったらしい。


 機首部分は燃えずに残っていて、食料や毛布を確保できた。


 子供が震えてる。毛布をかけて、横に座る。


 意外に寒くない。感覚がおかしくなってるのかな。


 体の痛みも感じない。


 自分の服は結構な出血だ。それ以前に、体をまさぐるとボロボロだ。


 よくこんな状態で生きていられるものだ。


 それよりも、子供が無事な事を安心する、自分のお人好し加減に呆れる。


 この子がいるから、まだ頑張ろうと思えるんだろうな。そう思う。


 子供は声を発しない。


 聞いた声は言葉ではなく泣き声だけだ。


 しかしその泣き声も、いまはしない。


 フリーズドライの食料は、少しずつ食べなさいと言い聞かせたつもりだ。


 しかし、自分自身は腹が減らない。


 たまに貧血なのか意識が薄らぐ。


 空をずっと見ているが、ヘリが通る気配もない。


 葉ずれの音と、鳥のさえずりだけ。


 当分、救助は来ないかもしれない。


 食料が半分を切ったら、自力での脱出も考えないといけないか。


 食料は半分で足りるのだろうか。


 そんなことを考えていると、一日が終わる。


 また今日も救助は来ない。


 頻繁に運行されてる航路のはずだから、落ちた事自体はわかってるはずだ。


 今はどこで落ちたかも推測が早いって、なにかで見た。


 ここは人里から随分と離れているのだろうか。


 大して気にもせずに居た事に、後悔する。


 大体の場所がわかれば、自力で脱出するかどうかの判断も出来る。しかし、どこだかわからない。


 子供はすやすやと眠っている。


 毛布を体に巻きつけ、快適とはいえないだろうが。


 時折、残骸で作った屋根から出て空を見る。


 夜じゃ捜索もされないよな。


 気になるのは、昼間も空を飛行機が飛んでいない。


 航路から外れて落ちたなら、救助はあまり望めない。


 どうしよう。


 この子だけでも無事に生還させたい。


 そんな気がして、一生懸命に考えを巡らす。


 全然わからない。


 自分がパニックになってるのはわかる。まだ、パニックになったままだ。


 痛みも空腹も感じない。ずっとこの調子。


 たしか、背骨をやられたりすると神経がおかしくなって……とかあったよな。


 そんなことを思い出す。


 けどそれだと辻褄が合わない。


 自分はどうやって残骸を動かして屋根を作った?


 自分はどうやって残骸の中から食料や毛布を持ってきた?


 感覚は無くとも体は動くのかな?


 まあ、いいさ。なんでもいい。


 昼になると焚き火。ジェット燃料に引火すると大変だから、少し開けたところで。


 燃料をすくって着火剤代わり。


 遺体の中から喫煙する人のライターを頂いた。


 せめて、煙がのろしになれば。


 墜落してからの数日、そんな感じだ。


 なんとか拾い集めた食料はまだある。自分は全然食べてない。


 妙な気分だ。


 何度も意識を失いかける。


 明日には、自力で脱出を考えないといけないか。


 そう思った時、上空をヘリが横切った。


 低空飛行してる。


 機体の残骸には気づいたはずだ。


 焚き火もしている。


 残骸があって焚き火があれば、生存者がいるかもしれないと解ってくれるだろう。


 助かる。


 助かると思った瞬間、力が抜けた。


 そして、なんとか保っていた意識は、そこで途絶えた。




 救助隊が旅客機墜落事故現場に到着した。


 要救助者は一名。


 子供が一人、残骸の近くで泣いていた。


 殆どの遺体はやはりあとかたもなく、無残な状態。


 ただ、墜落後すぐに死亡したと思われる男性の遺体が、子供の近くにあった。


 事故の傷で下半身が無残な状態になりながら、しかし、失血死でもなく、その死体は餓死していた。


 事故調査に入った調査員も不思議に思うような遺体。


 事故自体ではなく、餓死だったのだ。


 内蔵を損傷しており、ほぼ即死だっただろうと。なのに、餓死。


 そして調査員達は不思議な声を聞いた。


 救助隊の第一陣が到着した時に、子供を発見し保護した。そのとき、聞こえたという。


「よかった」


 たしかに、遺体の方から聞こえたという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残滓 犬神弥太郎 @zeruverioss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ