犬神弥太郎

第1話

  出張はいつも車だ。


 社用車を使えと言われるが、さすがに商用車のツルツルのタイヤで峠道は勘弁して欲しい。


 課長に頼み込んで、いつもの様に自分の車で。しかし、労災は出ないぞと脅されているので安全運転だ。


 往路は埼玉から峠道を越えて山梨へ。復路はその逆。


 会社も自宅も埼玉の北部にあるので、下手に東京に出るより早い。しかし、峠道だ。


 昔は走り屋なども居て、事故も多かったが今では静かな道。


 所々に集落もあり、道の駅もある。昼間なら立ち寄るにも良い場所だろう。


 今の時間はというと、既に深夜になりかけている。


 システム屋の仕事は楽だと思って就いたが、日中のログ監視と社員が仕事を終えてからの調整。楽だと思ってたら残業だらけだ。まあ、好きなことを仕事にしているので仕方ないと諦めている。それに、自分の車でいろいろイケるのが嬉しい。


 調整に時間がかかると、こうやって夜中に帰路につくハメになる。


 先日、車のライトをLEDに変えた。しかし、よせばよかったと思う。


 山道で青白い光は不気味だ。


 昔見たホラー映画だとオレンジ色の光が怪物を照らしだしたが、この青白さは日本の怪談風だなとか思う。


 青白い光が交互に照らしだすガードレールと山肌。そして、灯りの消えた寝入ってるだろう民家。


 往路では早朝から登山かハイキングなのか、結構この道のはじを歩いてる人も多かった。


 カーナビは静かだ。


 ずっと一本道だし、次に音声案内が有るときは県境だろう。


 山側への道は私道だろうか、カーナビには表示されない。


 ガードレールを超えると清流だ。日中ならば森林浴に適した場所と思えるだろうが、今はまっ暗で奈落に見える。


 車で落ちたらまさに奈落だ。


 下手なことを考えて、そっちに意識が行くとハンドルをとられる。そう聞いたことがある。


 僅かにそう思っていただけなのに、センターラインに寄っていた。


 ちょっと冷や汗をかきながらも、車の進路をなおす。


 大きめの連続カーブをいくつか超えた時、最後のカーブを超えた時に、あれ?っと思った。


 人が居た気がする。


 まあ、気にすることもない。しかし、この時間に出歩いてるのか。


 会社に入ってから工場へ行くのに、結構何度もこの道を使っている。


 最初の頃は社用車だったな。しかし、その頃から、この時間に人を見かけるなんてめったになかった。


 見かけても、大体が数人だ。一人でとかは珍しい。


 そんなことを考えつつ、またカーブだ。


 違和感。


 ここからは結構直線じゃなかったかな。


 道を間違える以前に、間違えて曲がる場所がない。


 スピードの出しすぎに注意しながら曲がると、視界の隅に何かが入った。


 あれ? また人か。


 こんな時間に人が男人も別々に歩いてるなんてな。


 しかし妙に気になる。


 使い慣れた道。この辺だと民家もない。


 しかたないか。と車を止め、Uターンした。


 なにかイベントか何かだろうか。それか、事故でもあったのだろうか。


 この辺は携帯電話が圏外になりやすい。今はどこでも繋がる携帯電話だが、山間の道路は途切れるところもある。


 もし事故なら圏外じゃない場所まで乗せてあげよう。


 だが、事故にしてもどこでだろう。


 Uターンした後ゆっくりと戻ったが、人が居たと思った場所には誰も居ない。


 通り過ぎたか、それとも、川に降りたか。


 山肌の方には上る場所もなく、民家へは数キロ戻ららないと無い。


 見間違いだったかな。


 そう思うことにして、またUターン。


 カーナビが再計算で騒いでいるが、とりあえず家までの進路は表示してるからと無視。


 帰路に戻るも、妙な違和感が続いた。


 道が違う気がする。


 何度も通ってる道だから、ある程度は覚えている。


 しかし、カーブはともかく全く民家が見えない。


 民家自体の灯りは消えていても、民家の周辺には街灯がある。それがない。


 結構な時間を走っているのに、ダムとの交差点に着かない。


 さっきの場所から10分もすれば、ダムとの交差点のはずだ。しかし、一向に着かない。


 カーナビも交差点案内をしない。チラチラと見ているが、地図も一本道だ。


 おかしいな。思わず声に出して呟いた。


 --おかしいね。


 耳元で声がした。


 うわっと思いながら思わず急ブレーキしてしまった。


 ルームミラーには何も映っていない。


 暗くて見えないだけかもしれないが、しかし、確かに車内には何も映っていないはず。


 恐る恐る振り向いたが、誰も居ない。何も居ない。


 カーナビの案内を聞き間違えたか。


 そう思うことにして、また車を発進させた。


 依然として街灯は見えない。


 ガードレールと山肌が交互に見えるだけ。


 おかしいな。思うが声に出せない。


 また変なのが聞こえたら嫌だ。


 ルームミラーが気になる。


 さっきのはカーナビの声。さっきのはカーナビの声。


 自分の心音が早まってるのを感じる。


 妙に怖い。


 この道、こんなだったか?


 この道、こんな長かったか?


 やっぱりおかしい。


 アクセルを踏む足が震えてる。


 手も震えてる。


 怖い。


 そういえば、なんでだ?対向車も全然居ない。いや、いつも殆ど遭わないけど、こんなだったか?


 まだ着かないのか? まだ走るのか?


 いつもだったら鼻歌交じりに走っている道。


 時計は1時を指している。


 会社を出てから、もう3時間も走ってる。


 3時間も走れば、とっくに埼玉の住宅街だ。


 おかしい。おかしい。おかしい。


 ここ、どこだ。また口に出してしまった。


 --どこだろうね。


 ヒィッと悲鳴をあげてアクセルを踏み込んでしまった。


 目の前にはガードレール。


 次の瞬間、視界を覆うエアバッグ。


 ハンドルから弾かれる手。


 何も出来ない。


 落下する感覚。


 そして、車は湖に落ちた。


 ガードレールの向こう側は川だったはずなのに。


 いつもの峠を、山と川の間の道を走って居たはずなのに。


 エアバッグがしぼまない。


 シートベルトが外せない。


 ドアが開けられない。


 助けて。誰か。






 --連れてってあげる……。


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