魔術の天才だが仕事で正体を隠して学園に通うことになったから、給料分は働きつつ折角だし学生生活を楽しもうと思う

瑠美るみ子

第1話 噂の編入生

 その日、ルフェニラ魔術学園にちょっとした珍しいニュースが入ってきた。魔術学校の中でも最難関と名高い我らがルフェニラに、編入生がやってきたという噂だった。

 転入生ではなく、編入生が、だ。ルフェニラは六年制の学園であり、中等部三年間、高等部三年間といったカリキュラムを組んでいる。基本的に入学試験は中等部のみしか受け付けておらず、高等部に外部試験を設けてはいるが合格定員は少ない。設立から千年の歴史を持つルフェニラは、名門としての格と高水準な教育を保つため、無闇に生徒数を増やすことを嫌っていたのだ。

 そのため、外部入学者はもとより、他校からの転入生を受け入れることも異例だった。ましてや、他校を退学した生徒が、我らがルフェニラに編入してくるなんてあり得ない。大半の生徒はそう考えていた。

 しかし、現実はいつだって凡人の想像を超える。学園側は編入生を、しかもよりによって就学経験の無い生徒を受け入れたそうだ。

 この事実にルフェニラの生徒は大盛り上がり。やれ学園長の隠し子だ愛人だ、実はやんごとなき身分のお方だ、いやいや裏社会の大物が学園を強請って編入させたなど、面白おかしい憶測があちこちに飛び交った。

 彼らにとって真実はどうでも良い。ただ、退屈を紛らわすおもちゃが欲しいだけ。だからこそ生徒達は、突飛な噂話も冗談として受け取り、娯楽の一つとして消費する。

 どんな奴かと楽しみにする者、下卑た妄想をする者、下らないと鼻で笑う者——それぞれ思い思いに、子供達は与えられたおもちゃで遊ぶのだ。

 だが、そんな彼らにも共通点があった。口にせずとも、皆、心の中で無意識に思っていた。


 ——その編入生は、きっと只者ではない。もしかしたら将来、魔導師になるような逸材かもしれない、と。


 何の根拠もない、漠然とした共通認識。憶測と呼ぶにはお粗末で、願望にしては自信に満ちている。子供の勘、とでも言うべきか。

 妄言に近いそれはしかし、意外にも的外れではなかった。

 生徒達の考えは、当たらずといえども遠からず。ただ一人真実を知る学園長のみが、彼らの噂を笑って誤魔化すのであった。


*****


「やあ。君が、編入生のラース・ハイドラゴンで間違いないな?」


 昼休み。学生食堂でクラスメイトと食事を取っていると、馴れ馴れしく名を呼ばれ、少年は思わず眉を顰めた。


「……あ? 何の用だよ」


 ラースと呼ばれた少年は食事を止め、鬱陶しそうに顔を上げる。彼の横に、三人の男子生徒が傲慢な態度で立っていた。

 金髪の生徒を先頭に、他二人が彼の後ろについている形だ。おそらく、リーダーとその取り巻きといった様子だろう。ラースと同じ赤いネクタイを着用した、高等部一年生の生徒だった。


「噂は聞いている。なんでも、学園長の遠縁の隠し子だという話だが……ハッ、その様子では本当に貴族の血が入っているのか、甚だ疑問だな」


 ラースの容姿を見て、彼らの一人が鼻で笑った。

 とりわけ整った顔立ちではなく、むしろ人相が悪い。三白眼の黒い瞳に、不健康そうな顔色。髪は襟足付近で揃えられているが、艶が無く色が黒いのも相まって陰鬱な印象を抱かせ、彼の凶悪さをさらに強調している。襟や裾から除く首や手首は明らかに痩せ細っており、貧弱な身体だと一目でわかった。

 後ろにいる男子生徒の発言にラースは特に怒りもせず、むしろ呆れたように言った。


「はいはい、育ちが悪くて申し訳ありませんねぇ。で、用件はそれだけか? 見ての通り、飯の途中だ。用事が済んだならさっさと立ち去れよ」


 ラースが虫を払うかのように手を振ると、正面に座っていたクラスメイトのスチールが青ざめた顔で止めに入った。


「ラ、ラース。彼らは、さっき話した伝統主義派の生徒だよ。しかも、生徒会候補。そう邪険にするのはまずいって」


「あぁ? あの貴族第一主義の連中か? 学術都市から平民を追い出せって主張している、時代遅れな思想の——」


「ラース!」


 スチールが慌ててラースを咎めるも、時すでに遅し。男子生徒の一人が、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「私達が時代遅れだと!? ラース・ハイドラゴン! 貴様のような平民がこのルフェニラに在学しているだけで反吐が出るのに、挙句の果てには私達を侮辱するなど……!」


「あ、あの、ハイドラゴンは、今日編入してきたばかりで、ふ、不慣れなだけで、あなた達を馬鹿にしてなど」


「黙れ! スチール・アンダー・ブラウン! 落ちこぼれの貴様の意見など聞いておらんわ!」


「ひぃっ! ごめんなさい!」


 すかさずスチールがフォローしたが、焼け石に水だ。今にも殺しにかかってきそうな迫力に、弱気なクラスメイトは半べそをかいた。

 大声で怒鳴ったせいで、食堂中の視線がラース達に集まる。中には、上級生が怪訝な顔をして仲介に入ろうともしていた。

 悪目立ちしていることに気づいた金髪の生徒が、取り巻きを宥め、穏便に事を収めようとする。


「まあ、待て。そう怒るな。私達は、喧嘩を売りにきたわけではないだろう。個人の思想についても、今は触れるべき問題ではない」


 リーダー格らしき少年は椅子を引き、ラースの隣に座った。


「食事中の非礼は詫びよう、ハイドラゴン。私はフリード・ヴァン・ラインハルトだ。君の隣のクラス、一年四組に所属している」


 横暴な態度ではないが、全く悪びれていない様子だった。フリードは形だけの謝罪をすると、簡単な自己紹介をしてさっさと話を進めようとした。

 ラースはその事に怒る気にもなれず、面倒な厄介事は早く終わらせようと続きを促した。


「はいはい。それで、四組の生徒が五組の俺様に何の用だ」


「編入試験を不正したのではないかと、一部の生徒から疑いの声が上がっている。それを確かめるべく、君に声をかけた」


「つまり?」


「君には、ルフェニラの生徒として見合った実力を示して欲しい。場所は運動場で……魔術の模擬戦とかはどうだ?」


 フリードの提案を、ラースは鼻で笑った。


「やだね。どうして俺様がわざわざアンタらの都合に合わせなくちゃならない。なあ、生徒会候補さん? 生徒からの点数稼ぎなら他を当たってくれ」


 フリードはラースの皮肉に眉を顰め、すぐさま問い直す。


「この話は君にも利があると思うが。不正で編入したと思われているのだぞ? 間違いなら、訂正しておくべきでは」


「その不正っていうのも、学園長とのコネで編入してきて、さらに試験が免除されたって話だろ? 訂正する必要ねえよ。事実なんだから」


 ラースがこともなげに言って、食事を再開する。

 彼の発言に、事を見守っていた生徒達がにわかに騒ぎ出した。


「例の編入生、試験を免除されたって話、本当だったんだ」


「やっぱり、他国の王族とかじゃないか? 実際昔あっただろう、そういう話」


「いやいや、絶対、裏社会関係だって。他校でも怪しい噂がいっぱいあるのに、ルフェニラだけ無いっていうのもおかしいしねー」


 面白おかしく話し始める彼らを一瞥して、フリードは言った。


「……不正を隠すどころか堂々と誇るなんて、恥知らずな」


 ラースを非難するフリードの声が、やけに食堂に響いた。軽蔑の眼差しは、横にいる少年だけではなく、野次馬にも向けられている。騒いでいた生徒達は、気まずそうに口を噤んだ。

 静かになった食堂で、フリードは席を立ち、懐から杖を取り出した。手首から肘ほどの長さで、素材には木材を使用した、オーソドックスな魔杖だ。

 魔術師にとっては剣士の剣と同義の武器を突きつけ、フリードはラースを脅す。


「今ここで私の魔術の餌食になるか、運動場で私と名誉をかけた決闘をするか、どちらかを選べ。前者を選べば、すぐさま病院送りにした後、然るべき手段で学園に抗議し、君を退学まで追い詰める。後者を選べば、君の名誉を尊重し、病院送りにした後、自主退学を進めよう」


 フリードはどちらにせよラースを退学させる気だ。彼の物騒な宣言は、正義感の強い上級生を動かすのに十分だったが、周囲が無理矢理止めに入った。

 謎の多い噂の編入生と、成績優秀者しか入ることが許されない生徒会、その有力候補者の対決に、大半の生徒は密かに沸き立っていたのだ。

 これで編入生が負けて退学になるのも良し、逆にフリードが負けてラースが勝つのも一興。編入生がどのような答えを出すのか、食堂全体が緊張した雰囲気に包まれる中、当の本人は齧ったパンを悠長に咀嚼していた。


「……なーんか勘違いしているようだから、言っておくけどな」


 パンを飲み込み、開いた口から発せられたのは、フリードへの返答ではなかった。


「コネで編入したのも、試験が免除されたもの事実。だが、それは特別に優遇されたってわけじゃねえよ」


 ラースは突きつけられた魔杖を指で軽く弾き、





 音もなく、破壊した。


「——!?」


 内側から光と熱を共なって爆発した魔杖を、フリードは咄嗟に手から放した。

 思わず手を押さえ、粉々の木屑となって地面に落ちた杖の残骸を、呆然と見つめる。周囲にいた生徒も、彼と同様に驚いていた。


「……何をした、ハイドラゴン。魔杖がこのように壊れるなんて、ありえないはずだ」


 鋼の剣が刃こぼれをするように、魔杖も使用すればするほど消耗し、やがて破壊に至る。

 だが、外部の衝撃で折れたり粉砕されることはあれど、このように内側から爆発するなんて経験したことがない。考えられる可能性は暴発を誘発した事だが、それにしても一体どうやって。魔術を使った形跡も無かったのに。

 困惑と苛立ちが入り混じった顔をするフリードに、ラースは端的に答えた。


「大したことはしてねえよ。魔杖の内部に仕込まれている魔法陣を、ちょっと弄って暴発させただけだ」


「これは私の魔力に調整した杖だぞ!? それではまるで、君が私の魔術に直接干渉したみたいではないか! そんな人外じみたこと、可能なはずが——」


「できるぜ」


 ラースは席を立ち、人差し指をフリードの首に当てた。


「次はアンタの身体で試してみるか?」


「……っ!」


「ハッ、冗談だよ」


 ラースは制服のポケットに手を突っ込み、銀貨を数枚取り出すと、フリードに渡した。


「悪かったな、杖壊しちまって。弁償代だ。足りなかったら学園長に請求してくれ」


 ラースはフリードの肩をぽんぽんと叩き、スチールを連れて食堂を後にする。

 不躾な視線に晒されながら吹き放しの廊下に出ると、弱気なクラスメイトはやらかした編入生に抗議の声を上げた。


「なんでだよ! なんで君は僕の忠告を無視するんだ! あれだけ、生徒会や伝統主義派には気をつけろって言ったじゃないかぁ! 絶対、目を付けられたよあれ!! うぅ……お腹痛い」


「あー、悪い悪い。ああした方が手取り早いと思ったんだよ。今後も絡まれたりしたら面倒だからな」


 腹を押さえるスチールに、ラースはへらへらと謝った。その態度が癇に障ったのか、スチールはラースの脛を思い切り蹴る。


「いっ!?」


「もう! 何かあっても、僕は知らないからね! 先に教室に戻っているよ!」


 怒ったスチールは、痛みで脛を押さえたラースを置いて先に進んだ。ラースは患部を摩り、痛みが引くまで廊下の隅に座った。

 外気に晒された廊下は日差しが入り込み、昼下がりの陽気さに包まれている。春の暖かさに眠気を誘われ、ラースは大きく欠伸をした。


(ちょっとやりすぎたか? だけど、模擬戦で直接怪我させるわけにもいかねえしな。あー、面倒臭え、どうして俺様がこんな配慮しなくちゃならないんだよ)


 目元をこすり、食堂での出来事にため息を吐いて、雲一つない青空を見上げた。


(さて、いつまで続くんだが。潜入任務と名の、この偽装生活は……)


 これから始まる——己の正体を隠して過ごす学園生活に、ラースは懸念を感じていた。


 現人神の天帝を君主とし、魔術によって栄えたシスティリア神国。

 他国の追随を許さない、まさに魔術大国であるこの国において、全ての魔術師の頂点に君臨する集団がいた。

 それこそが、魔導師。

 「魔術を先導する者」の意味を持つそれは、人口十億の神国に対し、わずか一〇八人にしか与えられない称号だ。

 真に魔術を極め、そして、新しき時代を切り開いた魔術師のみが、背負う事が許される栄誉。

 数多の魔術師が魔導師を目指し、多くが夢半ばで倒れ、一握りの天才のみがその境地に到達できる——まさに修羅の道。


 そんな屍だらけの道を、わずか十三歳で踏破した少年がいた。

 その名は、ラース・バルト。

 三年前、最年少魔導師として国中にその名を馳せた天才少年であり——今日、ルフェニラ魔術学園で編入してきた少年の正体でもある。

 国内でその名を知らぬ者がいない有名人が、なぜ正体を偽って学園に通っているのか。

 その理由は、彼が学園に編入する三日前に遡る。

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