69.
名誉騎士の兄、メルヴィル前侯爵は現在六十歳だった。
六人兄弟を抱える侯爵家は貧しくはなかったが豊かでもなく、継げる爵位も全員分あるわけではなかったから、必然的に爵位を継ぐ三男までは大切に育てられ、四男以下は穀潰しとして明らかに扱いが粗雑であった。
父親はどこかに婿入りをして爵位を得ろ、どうせ婿入りするなら金持ちの所にしろ、とことあるごとに三人に言い、虐げた。
食事の質や量、つける家庭教師の数、着る服や部屋のグレード、従者の有無。
ただ婿入りする為には礼儀作法は完璧でなければならぬ。
領地によっては魔獣討伐に駆り出されるかもしれないから、剣の腕もしっかりしていなければならぬ。
馬鹿ではいけないから、最低限の教師はつける。
学園にも行かせる。
だが女に媚びろ、気に入られろ、婚約まで取り付けろ。
これらを強制され、三人は反発した。
四男と六男は冒険者を始めた。
五男は魔道具についての勉強を始め、気づいた時には西国ウェスローへの特待生扱いでの留学を認められ、止める間もなく出て行った。
学園を卒業後、四男は騎士団へ入って子爵家の次女と結婚し、平民の道を選んだ。
六男は冒険者を続けると言って家を出て、音信不通になった。
「育ててやった恩を忘れよって」が父の口癖であり、嫡男であった前侯爵もまた同意見だった。
どこかに婿入りをして繋ぎを作ってくれれば良かったのに、結局三男までは身内で固まってしまった為に、相も変わらずメルヴィル侯爵家は目立たない存在であり続けた。
風向きが変わったのは、六男が英雄となってからだった。
北国ノスタトルでのスタンピード制圧の為に赴いた先で、ボスを倒して英雄になったのだという。
我が国ではまだいなかったSランク冒険者となり、騎士爵となり、名誉騎士という新たな地位を設けてまで王は六男を遇したのだった。
誰もが六男の出身であるメルヴィル侯爵家に群がった。
どのように育てれば英雄になるのか。
どんな子供時代だったのか。
彼はどんな生き方をしてきたのか。
問われて、新たに侯爵となっていた長男は何も答えられなかったのだった。
虐げられ、上三人と差別されて育ってきた、と言えばいいのか。
下三人は家を逃げ出し、逃げ出した先で六男が英雄になったのだと、言えというのか。
言えるはずもない。
嘘をつくことはできる。
だが名誉騎士自身の口から真実が語られた瞬間、侯爵家の名は地に落ちるのだった。
結果として無難な話に終始し、誰もがつまらない話題にすぐ飽きた。
皆が知りたいのは、どのように育ち、そしてどのような冒険の果てに英雄になったのか、なのだ。
ずっと音信不通であった弟の生き様を、説明できようはずもない。
挽回すべく、名誉騎士を「最愛の弟」として茶会や夜会に招いた。
個人的にも招待を出し、名誉騎士が気軽に行き来できる我が家であるとアピールを狙った。
男爵家縁の娘と結婚をしたと聞いたから、そんな下賎の女ではなく、高貴な女を紹介してやるとも言った。
花見の招待も、観劇の招待も、孫の誕生日会も、全て弟は断ってきた。
全てだ。
近況を教えろと手紙を送っても送り返される。
丁寧に「手紙を送ってくるな」と書かれた手紙付きでだ。
わざわざ屋敷に出向いてやれば、門前払いされる。
せめて中に入れろと言えば、騎士団を呼ばれる。
やがて「名誉騎士は実家の侯爵家と絶縁しているらしい」とまことしやかに噂が流れ、本人も否定しなかった為に、群がってきていた貴族は潮が引くようにいなくなった。
息子が後を継ぎ新たに侯爵となったが、男孫ができたのは遅かった。
上に娘が三人、諦めかけた頃に息子が生まれた。
その二年後に、六男の所にも息子が生まれた。
二歳差ならば息子の従者にすることができる。
さっそく打診したが、にべもなく断られた。
給与や待遇を優遇してやると言ったのに、断ったのだった。
ただでさえ腹立たしいというのに、さらに王太子の友人として六男の息子が認められたと言うのだ。
王子王女の友人は同年代から選ばれることが多いが、五歳差くらいまでならば選ばれる可能性はあった。
だが王太子は孫を選ばず、六男の息子を選んだのだった。
我が家は六男が生まれ育った実家である。
そして自分は長男であり、家長なのである。
何故六男に負けるのか、理解ができなかった。
孫が選ばれないのか、わからなかった。
こちらから歩み寄ってやっているにも関わらず、六男が実家に寄りつかないことも不満であったし、周囲から実家について問われても「関係のない家です」と言い切ってしまえる六男の神経も、理解ができなかった。
育ててもらった恩を忘れやがって。
新たに生まれた娘を孫の婚約者にしてやる、と譲歩してやったにも関わらず、「娘には自分で相手を選ばせる」と断ってくる。
では会う機会を設けるから、娘を家に連れて来いと言えばこれも断る。
実家が、侯爵家が、打診してやっているのにだ。
名誉騎士とその妻は英雄として、この国では無視できない存在になっていた。
兄が存命でありながら、弟が仲良くしようとしてこない。
王家主催の夜会で、名誉騎士を背後に従えた王に冗談混じりに訴えたこともある。
名誉騎士は眉一つ動かさず微動だにせず、そんな名誉騎士を見ながら王は笑い、「よほど嫌な思い出でもあったのだろうなぁ」と言ったのだ。
周囲で聞いていた上位貴族には、嘲笑われたのである。
どこまでも虚仮にしてくる六男であった。
娘をこちらに嫁がせ繋がりを作り、潜り込ませた従者は息子に取り入って、そこから王太子への繋ぎを作る。
名誉騎士と妻が引退してしまえば、男爵位を継ぐその息子の時代である。
これまでも孫娘達には王太子に取り入るよう指示していた。
王妃主催の茶会には、王太子も参加する。
王太子の相手選びの為に上位貴族の令嬢を茶会に呼んでいることは暗黙の了解であった。
筆頭侯爵家が邪魔をしてくることもあったが、名誉騎士の実家であるからか、他の貴族にしたようなあからさまな妨害を受けることはなかった。
おかげで孫娘は今でも王妃の茶会に呼ばれ、王太子に侍ることを許されている。
にも関わらず、王太子の冒険者パーティーに六男の娘が入ったというではないか。
お付きがいるとはいえ、野営もするというのだった。
焦らないわけがない。
娘を早々に引き離す必要があった。
孫は今年で二十歳。
六男の娘を嫁として迎えるつもりであった為に、婚約者もまだいなかった。
孫自身、誰か好いた相手がいるわけでもなかったので都合が良かった。
だが正妻として迎えてやるのは、癪に触る。
今までさんざん断り続けて来たのだから、娘は愛人で十分である。
孫には狩猟小屋へ行き、娘と一夜を過ごせと言えば大人しく従った。
だから今、目の前で見ている光景は悪夢であると信じたかった。
孫が出かけて行った時、前侯爵は家にいた。
すでに爵位を譲り普段は領地に住んでいたが、この日ばかりは結果が早く知りたくて王都へと出てきていたのだった。
深夜、騎士団が大挙して押し寄せ、前侯爵と現侯爵一家を縄で縛り上げて騎士団本部へと連行したのだった。
どれだけ抗議しようが全く相手にされず、別々の牢に入れられ、一人ずつ取り調べを受けているようだった。
貴族牢ではあったけれども、上位貴族用のそれではなかった。
不満を言えば、「あなたは前侯爵ですから」と言われ憤慨した。
最も敬うべきは自分だろう。
叫ぶが、要求は聞き入れられなかった。
そして再び縄で縛られ連れて来られたのは、重罪人が入る牢であった。
鉄格子ごしに中を見て、前侯爵は己の目で見たものが信じられなかった。
「ひ…っ」
喉が引きつり、悲鳴が漏れる寸前に牢の扉が開けられ、引きずって中へと入れられる。
前侯爵の両脇を騎士が固め、中にいる「モノ」の正面に立たされた。
「それ」は正面壁に凭れ掛かるようにして、床に直座りしていた。
前侯爵は最初人形かと思ったのだった。
身体中が血塗れであり、顔も髪も赤黒く染まり元の状態がよくわからない。
服もそうだ。
だが、見覚えがあった。
ずっと唸り声を上げ獣のようにも見える「それ」は、夕方頃に送り出した孫に似ていた。
しかし、おかしい。
両手足が、ないのだった。
二の腕あたりを紐で縛られ、太股あたりを紐で縛られたその先が、ない。
なんだこれは。
呆然と立ち尽くしていると、両脇を抱えた騎士は吐き捨てるように言った。
「バートン男爵令嬢を誘拐し、強姦しようとした男だ」
「…な、…ッ!?」
ではこれは、孫なのだった。
前侯爵は怒りに任せて怒鳴りつけた。
「貴様ら、孫になんて仕打ちを…!!これは犯罪だ!!犯罪だぞ!!」
「主犯が何を言う。笑わせるな」
「なんだと…!?」
「こいつは自白したぞ。今は証拠を固めているところだ」
「馬鹿な…!」
「冒険者共も吐いたぞ。前侯爵、おまえの指示だったとな」
「何を、何を言うか!嘘をつくな!」
目を見開いた前侯爵を見下ろす騎士団員の視線は侮蔑の色を宿している。
「冒険者を阿呆だと思っているのか。依頼は人を介したとしても、紋章付きの馬車で御大層に乗り付けたら、バレるに決まっている」
「…し、知らん!」
「おまえもこうなりたいのか?」
「ヒッ!…こ、こんな、こんなこと許されると思っているのか!わしは前とはいえ侯爵だぞ!!孫を元に戻せ!!解放しろ!!」
「名誉騎士殿のご息女を狙って無事で済むと思っているのか」
「…なに…!?」
「おまえは名誉騎士殿の兄でありながら、名誉騎士殿の逆鱗に触れたのだ。逃げられると思うな」
団員の言葉は蔑みと怒りに満ちていた。
「…な、…何かの間違いだ!あいつの娘は孫に懸想して、会いたいというからあの場所を提供してやったんだぞ!!それをあの弟が勘違いして暴走したのだ!!あげく孫にこんな惨いことを…!早く治せ!!」
「封蝋を偽造したな?筆跡も別人の物だ。…そのあたりのことも、詳しく聞かせてもらおう」
「ふざけるな!!わしは何も知らん!!」
解放しろの一点張りで暴れ出す前侯爵に、両脇を抱えた騎士はうんざりと顔を見合わせ、頷く。
牢の入口を振り返り、一礼した。
コツ、と足音を立てて牢内へ入ってくる者の気配に気づき、前侯爵は怒りのままに振り返った。
どうせこいつらの上司だろう、文句を言ってやるつもりだった。
「…ご無沙汰しております、兄上」
腹の底から震えが来るような、氷点下を思わせる声音と表情に、前侯爵は文句を言いかけた口を引きつらせた。
声は一切、出なかった。
両脇を固める騎士すらも、びくりと身体を竦ませていた。
「兄と呼ぶのは今のが最後です。…さてメルヴィル前侯爵、私自ら尋問する許可を陛下から頂いた。…殺しはせぬ。死ぬ前に回復してやるからな」
「ひ、…ッ、」
自覚なく、全身が震え出す。
「隣へ連れて行け」
「御意」
即答し、騎士は迅速に行動する。
嫌だと叫び、泣き喚く男を容赦なく引きずって隣の牢へ入れ、手足を枷で繋ぐ。
ゆっくりと足音を立てながら名誉騎士は牢へと入って来るが、騎士達は知っていた。
名誉騎士は、足音など立てない。
威圧等の必要外では、気配もない。
足音は、わざと立てているのだった。
名誉騎士の怒りの深さが見て取れた。
騎士達は素早く離れ、牢の扉を閉めて控える。
そこから始まった「尋問」は、騎士達ですら耳を覆いたくなる程のものとなった。
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