68.

 クリスが踏み入った時にはすでにサラに触れようとしていた男の手足は飛んでいた。

 サラがいるのに、と思ったが、父はもはや怒りに我を忘れているようだった。

 どさり、と重い音を立ててベッドの上に転がった男は、何故己がシーツに埋もれているのか理解できていないように目を瞬き、「え?」と呟いていた。

 サラは驚愕に目を見開き、男を見下ろし、そして眼前にいる父を見た。

 父はシーツに転がる男を床へと蹴り落としながらベッドに乗り上げ、拘束されていた縄を斬り捨てサラの身体を抱きしめた。

 クリスは悲鳴を上げて床に転がった男を眠らせるべきか迷い、しばしそのまま放置することにした。

 クリスもまた歩み寄り、父に抱きつかれて身動きが取れないでいるサラに笑いかける。

「サラ、怪我はないか?」

「お、…おにいさま…お父様…?」

「サラ、サラ、助けに来たぞ、もう大丈夫だぞ、サラ、サラ」

 壊れたようにサラの名を呼ぶ父に戸惑う様子を見せたサラはクリスを見上げるが、クリスは父の気持ちを理解していた。

「サラ、父上は職務を放って、おまえを助けに来てくれたんだよ」

「…っ!」

 見開いたサラの瞳から、涙が溢れた。

 父の背中に手を回し、抱きつく。

「おとうさま、おとうさま、ありがとう。サラは大丈夫、助けに来てくれたから大丈夫です。お父様、ありがとう」

「サラ、良かった、サラ…!」

 サラと父は涙の再会をしていたので、クリスは後でゆっくりサラと再会を喜ぼう、と思いながら、床で未だに現状を理解できずに呆然としている男を見下ろした。

「…あれ…?起き上がれない…何でだ…?」

 痛みも何もないのだろう。

 父の恐ろしさの一端を見たのだった。

「おい、女。何をしている。手を」

 サラに命令しようとする汚らわしい口を蹴り上げた。

 ちょっと力加減を誤った気がしたが、死にはしない。

 見事に飛んだ男の身体は、居室のテーブルの上へと落ち、ガラス製だったそれは派手な音を立てて砕け、破片が身体中に刺さって血塗れになった。

「ぎゃぁあああああ!!!!!あぁああぁがああ痛いぁあああぁあッ!!」

 叫びながら破片まみれの床を転がっている為、痛いのは当然だろうとクリスは思う。

 この段になってなお、自らの手足を失っていることに気づかないことに、呆れと同時に父への恐れも感じた。

 この域に達するにはどれだけの修羅場をくぐる必要があるのか。

「うるさい。寝てろ」

 父娘の感動の再会に水を差しやがって、と、そのまま睡眠魔法で眠らせた。

「お兄様、殺しちゃった?」

 サラに問われ振り返れば、父に抱きつかれたままのサラが多少困ったような表情を見せながらも、こちらに歩いて来ているところだった。

「そんなヘマしないよ。眠らせただけ」

「そっか。胸ポケットに偽の手紙が入ってるの。封蝋を偽造しているかもしれない」

「へぇ」

 破片を避けながら男の髪を掴んで、テーブルの下から引きずり出す。

 胸元にある手紙には、確かに我が家の封蝋があった。

「罪が一つ増えたな」

 胸元に戻し、クリスは立ち上がった。

 この男の有様を見ても、サラは悲鳴を上げるどころか顔色一つ変えていない。

 サラもまた冒険者であり、この程度の有様はいくらでも見てきているのだった。

 父を見れば、ずいぶん冷静さを取り戻しているようで安堵する。

「父上、待機させている騎士団を呼びますか?」

「…いや待て。騎士団総長が来たな」

「えっ騎士団総長自ら?」

 どうやって気配を感知したのかはわからないが、クリスはもはや問う気もない。

「おそらく陛下の計らいだ」

「なるほど…では迎えに?」

「エントランスで待てば来るだろう。…サラ、怪我はないな?動けるな?」

 念入りに回復魔法を唱える父に、サラは笑う。

「大丈夫です、お父様。早く帰ってゆっくりしたいですね」

「そうだな、そうだ。サラを早く帰さないと」

「父上、エントランスへ。騎士団総長が来られるなら、事情をお話ししなければ」

「私が対応する。おまえとサラは地下で待て」

「はい」

「地下?」

 首を傾げるサラの頭を撫で、背に手を置きながら父は歩き出す。

「メイドと御者をそこで待機させている。二人にこの現場を見せるのは酷だろう?処理が終わるまで一緒に待っていて欲しい。終わったら、クリスと一緒に皆で帰りなさい」

「はい、お父様。…それにしても素晴らしい切り口ですね」

 サラもまた、父の強さの一端を見たのだった。

「クリスやおまえも修行すればすぐだよ」

 いや、それは無理だと思う。

 二人は同時に思ったが、口に出しては「頑張ります」とだけ言った。

 エントランスにも男達が転がっていて、確かにメイド達に見せるのは酷だな、とサラは思った。

 父はその場に残り、クリスに案内されて地下へと降りる。

 扉を開ければ二人が立って待っており、視線が合うと二人揃って頭を下げた。

「サラ様、お守りできず、申し訳ございませんでした!!」

「すいません、お嬢様。一度ならず二度までも…俺は…!」

「二人とも、頭を上げて。…無事で良かった。怪我はない?私こそ、守れずごめんなさいね」

「とんでもございません!」

「父と兄が助けに来てくれたから私は大丈夫。全くの無傷よ。…少し、事後処理があるそうなの。私と一緒に、ここで待ってもらえるかしら」

「はい、サラ様」

「サラ、俺もちょっと行って来る。すぐ戻るから待ってて」

「はい、お兄様」

 地下の食料庫という話だが、埃もなく綺麗に掃除されており、今日の為に使用人が準備したのだろうことが窺えた。

 …誘拐現場として使われるとは露程も思わなかったに違いない。

 母に無事であることを報告したかったが、パーティーメンバーに兄と、いつの間にか父が加わっており、今話しかけることは躊躇われた。

 「こんなものしかないのですが」とマリアに恐縮されながら空箱を差し出され、ありがたく座らせてもらう。

 マリアと御者の分もあり、三人で囲むように座った。

 いつの間にか眠ってしまった、という二人に今までの事情を説明し、冒険者が敵だったから仕方がなかったこと、目的を知りたかったから大人しく誘拐されたことを伝えれば、本当に無事でようございました、と二人から心配されて嬉しかった。

 家族は本当に助けに来てくれた。

 母は司令塔として、父と兄は実行役として。

 相手が取るに足らぬ強さだったとしても、サラはそれでも怖かった。

 犯罪行為をしてまで自らの要求を通そうとするその歪んだ意志が。

 サラには理解ができない。

 何故人の意志も確認せず、人の迷惑も考えず、平気で人の心を踏みにじろうとするのか。

 反抗されることなど考えない、反抗されたら潰せばいいというその暴力思考には、同じように返されるだろう可能性が微塵もない。

 サラには恐ろしい。

 反逆されないと思っていることが。

 反逆されたとしても大したことがないと思い込めるところが。

 両親や兄を舐めすぎであり、そしてサラ自身が侮辱されているに等しい行為であった。

 だから彼らの今の有様は、自業自得でしかない。

 攻撃したら、反撃されることも当然予測しておくべきなのだ。

 彼らは反撃の痛さを見誤りすぎたのだった。

 それだけのことだった。

 しばらくして兄が戻ってきた。

「ごめん、待たせたね。俺達は先に帰っていいそうだよ。帰ろう」

「はい、お兄様」

 父と兄に任せておけば何も心配はない。

 サラはいつも、家族に守られているのだった。

 いつか私も家族を守れるように、もっと強くなろうと思うのだった。

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