第十一話
ここで、慶長二十年(一六一五)四月に発生した、大野治長襲撃事件のあらましを『駿府記』にみてみよう。
去九日之夜、従本城、大野修理大夫帰于宿所處、不知何者、従跡以脇指、左の脇より肩さきへ突抜云々、突捨一町程欠落之處、修理郎等共追懸切留
(去る九日の夜のことである。本城より大野修理大夫が宿所に帰ろうとしていたところ、何者かは知らないが、背後から脇差によって、左の脇から肩先に突き抜いたという。突き捨てて一町ほど逃亡したところで、治長の郎党が追いついて切り留めた)
『駿府記』著者は林羅山或いは後藤庄三郎と伝わるがもとより確証のある話ではない。ただ、家康の政治的動向を巡る著述は詳細にわたっており、家康側近の著作であることは間違いないとされている。その徳川の手による記録に、大坂城中で発生した大野治長襲撃事件の詳細が記されている事実を、我々はいったいどう解釈すべきだろうか。
治長は背後から左脇を刺されたとあるから、一見すると背後から左脇腹を狙われたようにも読めるが、その部分は広く肋骨が覆っているため、もしかしたら下手人は、最初から柔らかい腋窩部、腋窩動脈損傷による出血多量を狙っていたのかもしれない。
脇差の先端は肩先に突き抜けたとあるが、複雑に交錯する肩関節周辺の骨格を脇差で貫通できるだろうか。もしかしたら刃先は、大胸筋と上腕骨をつなぐ上腕骨大結節を切断したうえで肩先に突出したのかもしれない。
もし脇差が腋窩動脈を傷つけておれば治長は即時に死んでいただろうが、幸運にも急所は外れ、治長は辛くも一命を取り留めている。しかし刃先が肩先に抜けるほどだったというから重傷には違いなかった。
このように『駿府記』における治長襲撃の記述は、当時大坂城内にはいなかったはずの徳川家による記録という観点から見れば、不自然なまでに詳細なのである。
もとより下手人は片桐且元或いは家康の手の者という疑惑もあるにはあった(『日本耶蘇教史』『長沢聞書』等)が、なかでも最も嫌疑濃厚だったのが、大坂城内の主戦派にして治長が舎弟、主馬治房であった。下手人のひとりは治房重臣成田勘兵衛の屋敷に逃げ込んだとも伝えられており、噂の信憑性に拍車をかけている。
『駿府記』は下手人に関して
修理大夫弟主馬従者之由謳歌云々
(治長の弟治房の従者ではないかと噂されたという)
と記している。治房こそ治長襲撃の首謀者だという噂は、当時から沸き起こっていたのである。
記事は
依之城中諸牢人互疑騒動云々
(これによって大坂城内の牢人衆は互いに疑心暗鬼に陥り、騒動になったらしい)
と続くことから、惑乱をきたす大坂城から抜け出した牢人衆の一人が、城内で見聞きした「鮮度の高い噂話」を徳川方に漏らし、それを書き残したのが『駿府記』の記事ではなかろうか。
同書では下手人について、一町(約百十メートル)ほど逃亡して治長の郎党に斬られたとあるが、斬られたのは下手人だけで首謀者の検挙に関しては記録がない。当時の大坂方の内情から察するに、嫌疑はあっても主戦派が匿ってしまって、首謀者の検挙など到底かなわない状況だったのだろう。この事件を契機に、大坂城の意思決定の現場から穏健派が事実上排斥され、主戦派が主導権を握ることになった。いよいよ無法地帯と化した大坂城の混沌とした様子が目に浮かぶようだ。
重傷を負った治長は急ぎ城内に運び戻されて応急の救護を受けた。止血の措置を施され、主要な血管も損傷を免れたようだから血は間もなく止まるだろうが本当につらいのはこれからである。
現代よりもずっと不衛生で、消毒といっても民間療法に毛が生えた程度の医療技術しかなかった当代、創傷から感染症を引き起こし、それが原因で人が死ぬのは日常茶飯事であった。その意味で、治長はまだ危機を脱したとはいえなかった。
治療を受けながら横たわる治長は、左脇と肩先の傷口周辺に脈打つような熱を感じていた。頭痛に襲われ、悪寒は絶えず背筋を走っている。
この襲撃事件を受け、和平はきっと滞ることだろう。大坂城には自分以外にも穏健派がいないわけではなかったが、いまの城内で和睦を維持するということが如何なる事態を引き起こすのか、今回の襲撃事件で治長自身が思い知らされたばかりであった。斯くの如き事態を目の当たりにして、なお和睦を維持しようという譜代家臣の名前を、治長一人として挙げることが出来ない。治長と同じく穏健派だった織田有楽斎は、和睦条項違反を繰り返す牢人衆を御しきれず、とばっちりを恐れて退城してしまっていた。
高熱に浮かされながらも治長は、脳内で豊家存続の算段を必死に巡らせていた。
和平を維持しようという自分は主戦派に襲撃され、もはやその破綻は明白である。どこかで見た風景だ。まるで且元を追い出していくさになったあの時の焼き直しではないか。だからこそ再戦は免れまい。その責任を秀頼に負わせるわけにはいかなかった。
こうなったら、もう大坂城も大坂の地も要らない。豊家存続さえ果たされればそれで良い。和睦を維持しようという努力は主戦派の不当な暴力で頓挫させられただけで、秀頼本人は和睦維持を望んでいた。再戦は城内に居座ったならず者によって引き起こされたものだ。
この理屈で押し通すしかない。
来るべき再戦で秀頼に出馬させることだけは、なんとしても避けねばならなかった。
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