冬青木坂の追憶

葛西 秋

冬青木坂の追憶

一八六四年(元治元年)七月

十二社の雨

 この月の中頃、江戸の西の外れ内藤新宿よりさらに西へ半里程、淀橋の池のほとりの十二社境内で、新徴組士しんちょうくみしである岩見いわみ清十郎せいじゅうろうが他殺体で発見された。


 昼なお鬱蒼とした樹木がう神社境内は日が沈めば直ぐに漆黒の闇に沈み、飯盛り女を多く抱える付近の料理屋旅籠はたご屋の灯籠とうろうの灯りも、この神域の闇を深めるだけである。流れ落ちる瀧の音が凶行時の物音を掻き消して、夜半に降った雨が下手人の手掛かりも争いの痕跡も洗い流した。

 ただ地面には緋色の腰紐が洗い流された血液の名残のように、身をくねらせて落ちていた。


 岩見の死因は背から胸を貫く刺し傷で、それは一刺しで肝の臓と心の臓を繋ぐ太い血管を断っていた。傷の深さや幅から凶器は太刀ではなく匕首か脇差によるもので、くびの血脈や心の臓を直接裂かないこの傷は、負った者の命の火が消えるまでその身に耐えがたい苦悶を齎したはずだった。だが岩見の死に顔は穏やかで、見ようによっては微笑しているようにすら見えた。


「本人に間違いないか、顔を確認してほしい」

 奉行所の役人に促されて遺体と対面した水野の脳裏に浮かんだのは、その死に顔の表情が故郷庄内の背にそびえる月山を語る時、岩見の顔に微かに浮かんでいたものと似ている、というどこか場違いなものだった。

 肩に何かあたった気がして横を見れば、水野にやや遅れてやってきた熊谷が遺体に手を合わせて拝んでいた。


 前日の夜、水野と熊谷は、自分たちの上役にあたる岩見が日頃の謹厳実直に見合わず、届け出の無いまま詰所へ帰らないことを不審に思っていた。新徴組の組士長屋が立ち並ぶ飯田町の詰所門限は厳しく定められている。

 岩見が戻らないまま翌朝早く、奉行所から内藤新宿の外れで武士の死体が見つかったという一報を受けて、それがどうやら新徴組士らしいと濁された言葉を聞き、まさかという思いで他数名の新徴組士と十二社に着いて目にしたのが変わり果てた岩見の姿であった。


 自分達の上役である岩見に間違いないと水野と熊谷が確認した後、このことは他言無用と庄内藩上屋敷からやってきた役人に念を押された。菰に巻かれた岩見の死体は戸板に乗せられ、詰所にひっそりと運ばれた。

 江戸市中の治安を守る新徴組士が、よりによって色を売る女がいる盛り場近く、化粧の香りも強く残る真っ赤な腰紐を携え倒れていたなどと、どう考えても自身の身持ちの悪さが招いた禍としか思われなかったためか、岩見の死についてこれ以上の詮議は無用、と常になく強いお達しが上層部からあった。


 しかし、友人らしい友人もおらず、たまに付き合いで遊郭に上がっても女郎を相手にしない岩見を知っていた水野と熊谷にとって、腑に落ちないことがいくつもあった。他の新徴組士達から寄せられた同情の気配が薄いのも不満だった。

 だが水野や熊谷が岩見の死に疑問を呈すると、そんなに岩見が惜しいならば後を追って腹を切れと逆に脅されて、それ以上彼らが何か言うことが許さる雰囲気ではなかった。


 参列するものは水野と熊谷だけという寂しい葬式の後、岩見は庄内藩に縁のある寺の墓地に埋葬された。月命日の墓参に水野と熊谷が二人揃って参ることも躊躇され、互いに半年過ぎれば雑務に追われてその墓参すら忘れがちになっていった。

 時代は大きな転換期を迎えており、昨日は一人、今日は三人と、櫛の歯を欠くように容易く人の命が落ちる日常にあって、誰ひとり、これといって目立つところのない一介の武士の死に一々構ってはいられないというのが現実だった。

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