16.郵便屋

 急ぎ足で広場を横切り駆け込んだ郵便屋は、思いがけないほど忙しそうだった。宿と比べて活気はあるが、その活気は、人の賑わいが見せる温かなものではない。せっぱ詰まった、とても息苦しいものだ。

「やあこんにちは――おや、人間の子供じゃないか」

 入って正面にあるカウンターから、早口の声が飛んできた。カウンターの中には三人ほどの妖精がいて、声をかけてきたのは、ひょろりと背が高く、丸い目をした妖精だった。背の高い妖精を含め、全員が、エサミと同じひれのように広がるフリルつきの服をまとっていた。

「どうしたんだい、手紙を送りたいのかな?」

「いえ、あの……」

「ここにガウリィさんという妖精はいませんか?」

 カウンターに歩み寄りながら、こころが尋ねた。すると背の高い妖精は、丸い目をさらに丸くして、かと思うと、悲しそうに目を伏せた。

「ガウリィはいないんだ、飛び出して行ってしまったよ。仕事のついでとはいえもう戻ってこないかもしれない」

「おい、カシェ! 縁起でもないことを言うんじゃない!」

 カシェと呼ばれた妖精の後ろで、机に着いて何かを書き記していた妖精が怒った様子で声を上げた。カシェは大仰に跳ね上がると後ろを振り向き、

「だってガウリィは夢魔の主に逆らおうとしてるんだぞ! 少し前には風の町を夢魔たちが襲ったというし、ガウリィだって危ないかもしれない」

「いや、無事だ、無事に帰ってくるに決まってる。ガウリィの集配が遅れたことなんて、一度も無かったんだ」

 自分自身に言い聞かせているようなことを言って、奥にいた水の妖精はまた、ペンを持つ手をせわしなく動かし始めた。カシェは肩を竦めて小声で、

「ディエは心配性なんだ。あんまりにも心配しすぎるから、いつも自分で逆さまの言葉を言ってるんだ。そんなに心配ならガウリィの後を追っていけばいいだろうに」

「あなたは心配じゃないんですか?」

 こころに聞かれたカシェは、心外だと言わんばかりに口を開き、落胆したような表情を作って言った。

「実のところ、そんなに心配してないんだ。ガウリィは帰ってくる」

「どうして、そう言い切れるんですか? もしかしたらいま、夢魔がやってきてるかもしれないのに……」

「夢魔は水の底に行けないんだ。僕たち水の妖精は違うけどね。やつらが悪夢で町を水浸しにしても、夢魔をけしかけてきても、僕たちは大丈夫。ガウリィは襲われないだろう。まあ、自分の目的も果たせないだろうけれど」

「え? それって、どういう……」

 こころは言葉の意味をカシェに聞きなおそうとした。だがその時、勢いよく郵便屋のドアが開いた。そして雨風と共に、一人の妖精が入ってきた。背は低く、こころや優利より少し大きい程度。柔らかな水色の髪は腰まで届くほどで、サンゴや貝殻の髪飾りでまとめられている。子供のようにも見えたが、凜とした表情を見て、こころはきっと自分たちよりも大人の妖精だろうな、と思った。

「ガウリィ! 帰ってきたのか、良かった……!」

「ただいま戻りました……って、あら? 人間の子供……もしかして、ココロさん、ユウリさん?」

「私たちのこと、知ってるんですか?」

 小走りに寄ってきたガウリィは、二人の前に立った。ほとんど同時に、カウンターの内側から、妖精たちがガウリィの周りに集まってくる。

「あなたたちのこと、ラビー様からいただいたメッセージで知りました。ラビー様は、あなたたちを地底へとお連れするように、とおっしゃられたわ。妖精の騎士様の頼みだから、私は、喜んでやりとげるつもり」

「ありがとうございます。でも、ガウリィさんは……夢魔の主と戦う準備を進めてるって」

 ガウリィは、決然と引き締めた表情で頷いた。

「ええ。私、あなたがたのために、そして妖精たちのために、戦おうと思ったんです」

「妖精たちのために?」

 自分たちのために、というところを、こころはあえて聞かないフリをした。妖精たちが自分たちのために戦うのを、こころは初め、ありがたいと思っていた。しかしいまは、自分のために妖精たちが傷つき、そして消えてしまうのではないかと思うと、力を借りるのが申し訳ないと思うようになっていた。

 ただ、何を聞いたとしても、結局のところ、ガウリィの言葉は心苦しいものになっていただろう。

「私たちは、あまりにも夢魔の主に多くのものを奪われすぎました。仲間たちの命、安らかな暮らし、そして夢。このまま、ただ何もせず友だちや自分自身すら奪われるなら、いっそ全力で戦うべきなんじゃないかな、って」

「何度も言っただろう。騎士でもない俺たちが戦っても、夢魔にやられるだけだ」

 さっきまで、しきりに心配していた妖精――ディエがそう言って、ガウリィを説得しようとした。しかし、さらに何かを言おうとする前に、ガウリィが口を開いた。

「騎士様たちが戦って負けたからこそ、今度は私たちが、自分で戦わないと。自分の未来、運命、それを全部誰かに面倒見てもらうなんてできません。ミカ様もラビー様も、みんな消えてしまった。そして、エイザ様とリエル様は、地底に行ったきり、戻られていない。私たちを守ってくれるのは、私たち自身だけです」

 ガウリィにそう言われ、ディエはぐっと言葉を飲み込んだ。戦わなければ生きられる、という反論もできたのかもしれない。けれど、妖精たちは夢の力を日に日にすり減らしながら生きているのだ。今日や明日は大丈夫かもしれない。けれど、明日や明後日、一週間後はどうなっているか、分からない。だからこそ、ガウリィは戦おうとしたのだろう。しかし、

「……妖精の国は、穴の開いた水がめみたいなもの。とても小さな穴が開いた水がめ。毎日、ほんの少しずつこぼれていって、いつかは尽き果ててしまいます。でも、真上から首を突っ込んでみれば、まだ水があるような気がするでしょう?」

「命の水がこぼれ落ちていく、水がめ……」

 優利の言葉に、眉を寄せてガウリィは頷いた。

「暗い水がめの底はよく見えなくて、いつ水が尽きるか、分からない。けど、その『いつか』は絶対にやってくる。だから生きてるうちにやりたいことを、やっておきたいんです」

「けどガウリィ、一人で行ったって自分から夢魔にやられにいくようなものじゃないか。そんなことが君のやりたいことなのかな」

 カシェに言われ、ガウリィは初めて言葉に詰まった。

「そうですよ、ガウリィさん」

 こころが重ねて言う。ここで、ガウリィを止めなければならなかった。これ以上、誰かが目の前で消えてしまうのは嫌だった。

「確かに、夢魔の主が許せないのは分かります。けれど、戦うって言ったって、どうやって戦うんですか? 地底は、妖精の力が弱まる場所だって聞きました」

「それは……」

「ガウリィ。君は船を出して地底に突撃しようとでもしてたのかい。そんなことをしたって夢魔にやられるだけさ。夢魔の主は、ただ妖精を一人やっつけただけ。そうとしか思わないだろう? そして、そんな無駄な突撃に他の妖精が、いっしょになって行こうと思うかい?」

 カシェに口早に諭され、ガウリィはすっかりうなだれてしまった。しばし、外の嵐の音がよく聞こえるようになる。打ち付ける雨も、吹き荒れる風も、郵便屋を乱暴に殴っているようで、静かなのに、騒々しかった。

「……みなさんの、言うとおりです」

 うつむいたまま、ガウリィは消え入るような声で言った。

「みんな、ただ消えるためだけに戦うことはできないと、そう言って……」

「ガウリィ、君は賢い子なんだから初めからそれは分かってたことだろう。どうして聞いたりしたんだい。もしかして試しに聞いてみたら、誰かひとりでも誘いに乗ってくれると思った?」

 ガウリィが小さく頷くと、大げさなほど大きなため息をカシェは吐いた。

「もしついて来るやつがいたらどうするつもりだったんだい」

「えっ……」

「君が頼んだせいで決意を固めたりヤケを起こしたりして、そのまま君といっしょに消えてしまう。そんな妖精だっていたかもしれないだろう。どうしても戦うってならもう止められないけど、背負いきれないオプションは捨ててきなよ」

「う……はい、すみませんでした……」

 カシェは容赦がなかった。すっかりしょぼくれてしまったガウリィに、こころと優利はおろおろと視線をさまよわせる。クラスメートが先生に叱られるのを見ているだけで居心地が悪いのに、大人が大人を叱るところは、もっと苦しいような気分になる。お腹の辺りがぎゅっと掴まれたような、夢魔たちに襲われるのとはまた違った恐さがあった。

「あ、あの……ガウリィさん。ガウリィさんの気持ち、私はよく分かります。ミカさんもラビーさんも、目の前で……消えてしまったから」

「お二方の最期の場に、居合わせたのですか? どういった様子でしたか? やっぱり、怒りに満ちたり……もしかして、恐れたり、とかは……」

「ううん、全然そんな感じじゃありませんでした。二人とも、とても穏やかな顔を、していて……」

 話すうち、こころの目に涙があふれた。気分が落ち着いていたようで、ちっとも二人のことを冷静に見られない。ガウリィも同じ気持ちだったのだろう。こころから説明を受けたガウリィもまた、涙を流していた。

「お二方は、怒りやその場の勢いに任せて、戦ったわけではなかった……ただ誰かを守るために戦ったのですね」

「…………はい」

「やっぱり私、間違ってました。戦うことが、私のしなければならないことじゃない。私の使命は、あなたがたを地底の町に――」

「待ってください!」

 全て言い切らないうちに、こころはガウリィの声を遮っていた。ガウリィはきょとんとしてこころを見る。

「使命なんかじゃなくて……ガウリィさんの本当にしたいこと、教えてください」

「私の、したいことを?」

「私たち、いままで助けてもらうばかりで、何も返せなかったんです。ミカさんにも、ラビーさんにも、恩返しできないままで……せめてガウリィさんのやりたいこと、手伝いたいんです」

「ココロさん……」

 ガウリィは軽く目を閉じて、何かを考え込んみ、そしておもむろに口を開いた。

「私、手紙を届けたい」

「おや、それじゃあいつも通りじゃないか」

「違うんです、カシェさん。私の、私自身の言葉を書いた手紙です。色んな妖精たちに手紙を配るうちに……自分にも、伝えたい言葉ができたんです」

 その言葉に、誰も反対しなかった。こころと優利も、妖精たちも。誰もがみんな、ガウリィを見守っていた。

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