3.学校の先輩

 新聞部の部室は、校舎から渡り廊下を行った先にある、部室棟の二階にあった。優利がドアを開けて中に入ると、奥のデスクに着いていた、一人の女子が顔を上げて「おかえり」と行ってきた。

「ただいま戻りました、部長」

 優利はほっと息を吐いて応える。重かった気分が、部長の顔を見た途端に少しだけ軽くなったような気がした。新聞部の部長、久藤瑠璃くとう るりは三年生で、今年は受験を控えているというのに熱心に部活に打ち込んでいる。しかも新聞部は優利と久藤の二人しか部員がおらず、そんな廃部寸前の部活に精を出す久藤は、変わり者として有名だった。

 成績が良く、縁の無い眼鏡をかけた顔立ちはいかにも美少女な彼女が部にいて、それでも男子生徒の一人も入ってこないのは、変わり者だからなのかもしれない。――と、優利は思っているのだが、実際のところはどうか分からない。ただ、彼女と同じ部にいることを冷やかされることはあっても、羨まれることはほとんど無いため、たぶん何かはあるのだろう。

 何にせよ、優利にとってそれはどうでもいいことだった。たとえ変わり者だったとしても、久藤は優利にとって数少ない、変に気負わず会話ができる人物だった。

「首尾はどうだ? 昨日決めたときは、お姉さんだから話しやすいかと思ったが……もしかしたら逆に、姉弟だから話しにくいところもあったんじゃないか?」

「大丈夫です。ちゃんと話、聞いてきました」

「でかした。……原稿はどうする? ここで書いてもいいが、帰ってからゆっくりやってもいいぞ」

 いつもなら、原稿は部室で書いている。原稿は手書きで、書き上がったものを、久藤が持ち込んだ私物のノートパソコンを使って清書するのだ。だから今日も、優利はそうするつもりだったのだが。

「ここで書きますけど……どうしてですか?」

「いや、体調が悪そうに見えたからな」

 優利は、顔を半ば隠すように口元に手をやった。歩いてる途中、気分を落ち着けようとはしたものの、顔に出ていたらしい。

「大丈夫です。ちょっと休憩入れてからここで書きますよ」

「そうか。無理するなよ、最近暑いからな……ふう。この部室にもエアコンがほしいよ……」

 久藤はうんざりした顔で言う。部室には扇風機が置かれていて、唸るような音を出しながら首を振って風を送っている。扇風機の背後に水を凍らせた2リットルのペットボトルがあり、多少は涼しい風が吹いているものの、クーラーがある教室よりかはだいぶ暑い。久藤は暑いのが苦手らしく、その足は、水を張ったタライに突っ込まれていた。

「優利。タライいるか?」

「あー……いまはいいです」

 断りを入れて、優利は自分の席に着く。机の下から原稿用紙を引っ張りだし、自分のペンを手に取ると、ノートを見ながら文章を書き起こし始めた。他人との会話と違って、文章はすらすらと思い浮かんできた。



 ――優利が部室で原稿の作成に励む一方で。


 こころは図書室の椅子に、暗い顔をして腰かけていた。

「ごめん、俺が急に話しかけたから」

 側に立っていた吉備の言葉にはっとして、こころは顔を上げ、手を振って否定する。

「ミカさんのせいじゃないですよ! たぶん……優利、私のこと避けてるんじゃないかな」

「こころちゃんを? どうして」

 こころは首を横に振る。分からない。以前は――というほど昔のことでもない。ほんの一年くらい前までは、当たり前のようにいっしょにいた。登下校も遊ぶときも、クラスメートより姉弟で過ごす時間の方が多かった。それが、中学校に入ってから、だんだんと距離が空いてきたのだ。

「どうしてかな……何か嫌われるようなこと、言っちゃったのかなぁ」

「うーん、そんな感じじゃあないと思うけど。なんか気を使わせたかな。……そういえば、二人でなに話してたんだい?」

「話というか……インタビュー受けてたんです。優利は新聞部だから。読書感想文におすすめの本、記事にするって」

「へえ。じゃ、これがこころちゃんおすすめの本か」

 吉備はテーブルの上に置いてあった本を拾い上げた。目を細めて表紙を見るその表情は、嬉しそうに微笑んでいる。

「俺もこの話、好きだよ。仲の悪かった妖精と竜の国が、姫と王子のおかげで友だちになるんだ。呪われた竜の王様を助けるシーンなんか、アツくていいよな」

「私もそのシーン好きです! 呪いを解くために、妖精の女王様をお姫様が説得するのも本当にカッコよくて……この先生の他の作品も好きです。ミカさんは読んだことありますか? 明星ルーシィ先生の、他のシリーズ」

「だいたい読んだけど、妖精と竜シリーズが一番好きだな。妖精が本物っぽくてさ」

 こころは大きく首を縦に振った。妖精も、そして他の登場人物も、みんな実際にいて、見てきたものを直接書いたような現実味があるのだ。自分では書こうと思っても書けない文章で、だからこそこころは、明星ルーシィを尊敬していた。十年前に彼女が初めて書いた絵本『人魚の船』を買ってもらったときからのファンだ。……といっても、そのときこころは二歳だったので、読み聞かせてもらった記憶がぼんやりとあるだけだが。

「……明星先生は、もしかしたら本物の妖精に会ったのかな」

「え?」

「こころちゃんはどう思う? 妖精って、いると思うか?」

 首を傾げ、こころは数秒考えた。常識的に考えれば、いない。けれど――

「きっと、いるんじゃないかなぁって思います」

「……へえ」

「現実に会えるかどうかなんて分からないけれど……会えないから世界のどこにもいないって、もし私が妖精だったら、そう思われるの何だか寂しいし、悲しいですよ」

「寂しいし、悲しいか。こころちゃんはそう思ってくれるんだな」

 こころの答えを聞いた吉備は、どことなく喜んだように声を弾ませて繰り返した。

「そう思ってくれるんなら、とっておきの話を聞かせてあげよう。妖精は本当にいるし、会うことだってできるんだ」

「えっ……本当ですか?」

「妖精と人間は、夢で繋がってるんだ。妖精の夢、見たことない?」

 こころは驚いて頷いた。妖精が出てくる夢はしょっちゅう見る。昨日見たのはいま目の前にいる吉備だったが、一昨日は、黄金の翼を持った妖精が天を飛び回る夢を見たはずだ。見るのを『会う』と言うなんて、と怪訝に思うこともなかった。吉備の表情は、微笑んでいたが、どこか真剣で、何かを訴えかけようとしているように見えた。

「夢を見ると妖精に会えるのは、妖精の王国とこの世界が、夢の扉で繋がっているいるからなんだ。子供だけが見る妖精の夢は、その気になれば何だってできる。扉を開けて妖精の国に行きたいって願えば、夢の扉を開けられるんだ」

「夢の扉……ミカさんは、見たことあるんですか?」

「もちろんさ。それに、夢の扉を開いたことだってある」

 あっさりと言ってのけられる言葉に、こころはびっくりしつつも、それが嘘だとは思わなかった。きっと本当に、ミカさんは夢の扉を開いて妖精に会いに行ったことがあるのだろう――理由も無いのに、何故かこころはそう信じていた。

「私も……妖精に会えますか?」

「ああ、絶対に。信じていれば、夢の扉は見つかるさ」

 夢の扉、その向こうにある妖精の国。いったいどういうものなのだろう。もし見ることができたなら、どんなに素敵なことなのだろう――こころはいますぐにでも家に帰って、自分のベッドの中に入りたくなった。

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