第5話

『どうして泣いてるの?』

 どうして泣いていたんだっけ。

 ぼんやりと考えてみてもきっかけは思い出せない。

 でも、寂しくて泣いていたのは覚えてる。この世界には私しかいなくて、周りのものはなにも信じられなくて、全部が敵で、それなのに独りでいるのが寂しくて、泣いていた。

 どこで泣いていたんだっけ。トイレか、屋上か、ロッカーの中とか、教卓の下?あの頃の私はいつもどこかで泣いていたような気がするから、それさえ明確には覚えてない。でも多分そこには私しかいなかったんだろう。いつも通りに、ひとりぼっちで泣いていた。

 そこに声をかけられたから、私はびっくりしてしまった。

 私はひとりのはずなのに、そうじゃなかったから。

 恥ずかしかった。どうして話しかけたんだって思った。

 覚えている。

 しーの顔だけは、くっきりと。

 ああそっか、これは夢だ。

 しーと初めて出会ったときの夢。

 泣いている私に、同じように泣きながら・・・・・・・・・・話しかけてきたしーを、覚えている。どう考えても慰めようとするような、そんな話しかけ方だったのに自分が泣いているものだから、私はつい笑ってしまったんだ。こんな間抜けな敵なんていてたまるかって思った。

 彼女は私に話しかけたその時には、もう、私のなかで特別な女の子だった。

 今思えば、それはただの偶然だったと思う。

 世界全部が敵だなんて、そんなの違う。優しくしようとしてくれた人は他にも居て、私がただそれを拒んでいただけのことだった。今になればそんなことは分かる。けど、それでもしーは特別だった。

 私はその日からしーといっしょに居るようになった。

 最初は私が付きまとうだけだった。クラスも違ったから、教室に押し掛けたり下駄箱で待ち伏せしたり、ずいぶんわがままなことをしたと思う。けどしーは優しいから拒めなくて、困ったように笑いながら受け入れてくれた。気が付けばその表情は柔らかな笑顔になっていた。今みたいな親しみの笑顔になった。私から行かなくても、しーからいっしょに居てくれるようになった。

 わたしはしーといっしょに居ることが当たり前で、私はいつでもどこでもしーの面影を探してた。そして本物のしーを見ると声をかけたくてたまらなくなった。もちろん堪え性のないわたしは、そのつどそのつどしつこいくらいに声をかけた。なんだったら入試では受験会場が一緒だったから、休憩の度に声をかけた。しーはその度にいろいろな笑顔を見せてくれた。

 幸せだった。

 大好きだった。

 このまま一生いっしょに居たいと思った。

 しーもそう思っていてくれた。

 だから卒業式のあの日、しーは言ったんだ。

『ずっとお友達でいようね』

 そう、言ったんだ。

 しーの言葉は私の心の奥の奥にまで突き刺さった。一生それを大事にしていこうと思えるほどに深く。そしてあまりの衝撃に涙さえこぼしながら、私はしーの手を取ったんだ。


『■■■■■』


 目を開く。

 夢を見ていた気がする。

 私は夢を基本的に覚えていないけど、夢に見るならあれだ。しーと私が初めて出会ったときの記憶。それ以外の記憶に、わざわざ夢に見る価値があるとはあんまり思えない。

 ごろりと寝返りを打ったら、しーの寝顔がすぐそこにあってドキリとする。

 どうしてしーがこんなところに、え、っていうかなんで裸で?

 寝ぼけた頭に急速に血が巡る。同時に昨夜の声が、熱が、吐息が、脳裏を駆け巡った。

 しーとことりんは、昨日、した。

 眠る私の後ろで、声を上げて、夜が壊れてしまわないかって心配になるくらいに。

 しーはずっとされる側だった。

 だからしーの声が耳鳴りみたいにずっと残っている。

 しーの、親友の、声。

 仕方なかった。仕方なかった。だってあんなの、仕方ない。

 興味なんてない、知りたくなかった。しーのあんな声なんて。

 仕方なかったんだよ、あれは。

 そう、仕方なかった。だから今はそんなこと考えてる場合じゃない。

 起きてしまったんだ。しーたちより先に。

 見ればしーとコトリは絡み合うみたいにして寝息を立てている。部屋はふたりの匂いでいっぱいで、息をするたびに体が熱くなるみたいだった。これはとてもよくない。わたしはこんなの知るべきじゃない。

 慌てて身体を背けてぎゅっと目を閉じる。

 そんな動きが伝わったのか、首筋にかかる吐息が少し乱れる。

「―――……ぅ、ん」

 どこか艶っぽい声。

 昨日あんなにも声を上げていたせいで少しだけざらついたしーの声が、私の胸を弾ませる。

 知らない、知らない、知らない。

 こんなの、私は知らない。

 私は慌てて寝息を立てた。むにゃむにゃと寝言を噛んで、ごろりと寝返りを打つ。

「ん、わっ、」

「んぁっ」

 腕がしーの肩にとんっと乗っかって、しーは慌てて身体を離した。その反応でことりんも目覚めるような声がする。ふたりは眠気をすっかり取り去ったようで、なるべく私を起こさないようにとベッドを降りる感じがする。

 寝返りを打ったせいで、ベッドの濡れたところに転がり込んでしまった。

 とても冷たい。

 でも私は頑張って寝息を立てた。そして寝づらそうに見えるように眉根をひそめて唸る。もぞもぞ動いていると、私は慎重に抱き上げられた。しーだ。シャワーの音も聞こえてくる。しーが片付けている間にことりんはシャワーを浴びているらしい。しーの身体からはとっても濃いしーの匂いがして、鼻が動こうとするのをどうにか抑えることになった。そのせいで「ふごっ」って変な声を上げてしまって、しーに声を潜めて笑われる。

 私はマットレスに寝転がされて、むにゃむにゃと寝返りを打つ。

 さらりと、優しい手つきで頭を撫でられる。

 心地がよくて自然に頬が緩んだ。でもそれはすぐに離れて行ってしまう。

 風が吹いていく。しーの匂いが窓の外に飛んでいく。

 抱き上げられた時にパジャマに染みついた匂いをこっそりと胸にしまった。

 それからしばらく眠り続けたわたしは、忙しそうな音が足並みを遅めて給湯器とか包丁の音が聞こえてきた頃にやっと目を覚ました。

 あくびをしながらきょろきょろと見回して、一番最初にしーの笑顔を見る。

「おはよう、サクノ。ぐっすり眠ってたね」

「ん……おは……」

「目覚めたなら顔でも洗ってこい」

「ぅいー」

 ふらふらと立ち上がったわたしは洗面所に行こうとして、ふと振り返る。

 透明人間が寝転ぶ低反発マットレスを見下ろしてはてなと首を傾げた。

「あれ、わたし、あれぇ?ベッドは?」

「ああ、うん。びっくりしたよ。夜中にどさって音がして」

「君は下手したら僕を殺すところだったんだぞ」

「あへぁー、ごめんごめん」

 そういうことになったらしい。無難だと思う。私がベッドの壁側に寝てたって事実さえなかったら。うん、まあ、気が付かないわたしは謝りながら納得するんだけどね。

 そんな訳でなんとか寝起きドッキリを乗り越えて、おおよそ無事にしーの家でのお泊り会は終わった。とりあえずわたしはなにも知らないでいられたっていうことでいいと思う。かなりきわどかったけど。

 ああ、でも。

 さすがに私は、知らんぷりできなさそうかもしれない。

 でもそれも、仕方ない、よね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る