第3話
なにも変わることなく日々は過ぎている。
しーはたまに私の家に来てはなにかを言おうとして、だけど結局何も言えないまま少しだけ休んで帰っていく。膝枕だったり、添い寝だったり、抱き合ってみたり、そんな風にしてしーの苦痛を慰めてあげられるのはとても嬉しいことだ。しーは少しだけ元気になったと思う。それが私のおかげなんだってうぬぼれるのはとても心地がよかった。
しーは変わらずノゾミと寝ているらしい。ノゾミのうなじとか、隠せるけど見える場所にキスマークが増えたりする。もちろんわたしはそんなの気が付いていないから、ノゾミとまだデートをしている。でもそれはなんだかぎこちなくて、しーが来るときにたまに慰めてもらう。
慰めて、慰められて、相談に乗って、笑い合う。
わたしの目に、しーとの関係は理想的な親友に映っていた。
「なんだいサクノ、君、しーに乗り換えでもする気かい?」
呆れたようにからかってくることりんにしーとわたしは顔を見合わせる。
寝転がってくつろぐしーの腕枕で、一緒にスマホの動画を見てただけなのに。
なにかおかしかったっけ、と首を傾げると、ことりんは肩をすくめてちーたらをかじった。お酒も飲めないのに、ことりんの趣味はなんだか酒飲みっぽい。コップ片手にちーたらをかじることりんはなんだか哀愁が漂っていて、しーとわたしはくすくす笑った。
「ことりん拗ねてるのー?」
「まさか。君が河野臨と上手くいっていないと聞いて心配してやったのに、ずいぶん楽しそうだと思ってね」
「え、あのことりんが心配……?」
「明日はサイクロンだね」
「君たちもしかして僕が嫌いか。そうなんだろ」
じとぉっと睨んでくることりんにまた笑う。
むっとしたことりんは立ち上がると私の足を掴んでぐぐっと引っ張ってくる。ベッドから引きずり降ろされそうになる私はわざと悲鳴を上げた。
「きゃー!おかされるー!」
「人聞きの悪いことをふぼっ」
顔面に飛んできた枕にことりんがたたらを踏んだ隙に、しーが私を抱き寄せた。眼鏡が衝撃で枕といっしょに落ちる。ぎゅっと抱きしめられながら見上げると、しーはことりんを怖い顔で睨みつけている。まるで本当にことりんがごーかん魔だとでも思ってるみたいな目だった。
「しー?」
ふたりの間のことなんてなにも知らないわたしは、不安になってしーの手に手を重ねた。
ハッとして気まずそうな表情になるしーに、頭を振って眼鏡を拾ったことりんはむすっと唇を尖らせた。
「まったく。君は少しは手加減というものを知れ」
「ご、ごめん、つい」
「わたしもびっくりしたよ!確かにことりん悪人顔だけどちゃんと謝らなきゃだめだよ」
「おいサクノおい」
「うん。ごめんねコトリ」
「『うん』じゃないんだが??」
しーとわたしが笑うとことりんは頭痛がするみたいに頭を押さえる。ため息を吐いて、それからふっと笑って肩をすくめた。もちろんこんなことで本気で怒ったりはしない。しーはちゃんと謝ったし、ことりんもそれは分かってる。この辺りはさすがは親友っていう感じだ。
その直後にはもうおかしな雰囲気も残ってなくて、みんなで身を寄せ合ってスマホで動画とか観た。もう10回目にもなるしーの家のお泊り会だから、なんかそんな感じで適当にくつろぐだけになりつつある。最初の頃はもっとこう……あれ?案外最初もそんなのだったかも。まあでも、親友がお泊り会なんてそんなものかな。
そうこうしているうちに8時55分。
いつも通りにふたりに声をかけて、私はベランダに出た。
ノゾミのところに通話を飛ばしてみるけど、何コールあっても彼女は出ない。
最近はずっとこうだ。まあ別にこれはいいケド。デートとかして最低限の恋人っていう体裁さえ保ってくれるならそれでいい。しーと親友であるために、ノゾミにはまだ恋人でいてもらわなきゃいけない。
気にせずわたしは笑った。
「あ、もしもしノゾミ?こんばんわ」
内向きのカメラで背後を覗く。
しーはじっと私を見ていて、ことりんはそんなしーの横顔を見ていた。
ちょっと前、この時間にしーがことりんと揉めているらしいのに気付いてた。今日はそういうのはないらしい。どうやらしーとことりんの関係はずいぶんと目まぐるしく変わったようだけど、視線の向く先だけは一度も変わらなった気がする。
まあ、そんなことも、わたしは知らないんだけど。
それをおかしなことって、しーはまったく疑わない。
親友としてふつうに接してたら、しーがノゾミやことりんと関係を持ってることなんて嫌でも分かる。それくらいにずさんだった。いや、まったく開けっ広げっていうことでもないんだけど、こう、本気で隠してない感じがしてた。しーは本心のどこかでわたしに知られることを望んでいるみたいだった。
それなのに、しーは知られてないって思ってる。
それって、こんな状況でまだわたしが知らないと思えるくらいには、知られたくないと思ってるってことなのかな。
しーは今、どんな気持ちなんだろう。
親友の恋人と寝て、別の親友とも寝て、裏切っている親友には慰められる。
しーの状況は、とても異常だ。歪で、今すぐにでも全部なくなっちゃいそうなくらいに不安定。
しーの沈黙っていう、ただそれだけで辛うじて成り立ってるだけ。
しーは言えない。
言えない。
親友だから、言えない。
しーはわたしを失いたくないって、そう思ってくれてる。たぶん、きっと。それは私と同じ気持ちだ。私はしーの親友でいたい。しーと永遠にいっしょにいたい。そのためには『親友』っていう立場が必要だ。
だからわたしはなにも知らない。
しーの気持ちも、関係も、なにもかも、知らない。
そうすることで私はしーの親友を続けている。
変わらないままに、ずぅっと、続いていく。
でも本当にそうなのかな。
知らないで、知らないだけで、本当に私はしーの親友でいられるのかな。
分からない。
わたしには、分からない。
だから仕方ないんだ、今はこうするしかない。
なにも知らないわたしでいることしか、今を続けることはできないはずだ。きっと。
なにも言えないしーは少しかわいそうだけど、仕方ない。仕方ないんだ。
「―――え?もう?う、うん……分かった……うん、おやすみ。うん。じゃあ、また」
始まってもいない通話を終える。スマホをだらんとぶら下げながら、とぼとぼと部屋に戻った。
今までと比べるとあまりにも早くて、しかも私が落ち込んでいるから、ふたりは簡単に理由を悟った。顔を見合わせて、しーが痛まし気に顔を歪める。ふらふらとしーに抱き着いたわたしは、力なく笑ってしーを見上げた。
「あはは。今日はちょっと忙しかったみたい。まだまだいっぱい遊べるね」
「そっか。うん。夜はまだまだこれからだよ」
しーが優しく頭を撫でてくれるから、わたしはとっても幸せな気持ちでいっぱいになる。
見つめ合ってると、ことりんががさっとめちゃくちゃ大きなポテトチップスの袋をテーブルに置いた。しばらく置いてあったけどなんだかんだ開けるタイミングがなかった業務用のチョコ掛けポテチ。
まさかと目を見開く私に、ことりんはにやりと笑う。
「そうと分かればこいつを開けるのは今ではないか?」
「おぉー、ぼうとくのハイカロリー……!げっへっへ、えちご屋、おぬしも悪よのぅ」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
「じゃあ僕は誰なんだよ。開けるぞー」
「ひゅーひゅー」
開封されたとたんにあまい匂いが部屋に広がる。
覗き込んだことりんはむむっと顔をしかめた。
「案の定少し溶けているな」
「割り箸持ってくるね」
「ええいガマンならん!わたしは先にいかせてもらうー!」
「なぜ目に見えている轍を踏むんだ君は」
「ぐはぁ!あまい!しょっぱい!べったべたなった!」
「ああもう、酷いありさまだな。口にまでついているぞ。君は本当に大学生か」
さんざん呆れながら、ことりんはウェットティッシュを差し出してくれる。手を拭いてるとしーが割り箸を持ってきてくれて、改めてみんなでチョコポテチを摘まみながらわいわいと騒ぐ。
すっかり通話のことなんて忘れて、わたしはとっても楽しい夜を過ごした。
さすがにこの時間帯に食べきるにはハードルが高すぎるポテチを、それでも半分くらいは食べちゃったところで宴もたけなわっていう感じになる。時刻はちょうど日が変わったくらい。明日は私が全休で、ふたりは二限から。つまりたっぷり寝ててもいいからもうちょっと夜更かししてもよかったんだけど、キリもよかったし大人しく眠ることになった。
例によってじゃんけんで寝床を決めると、ことりんが負けてマットレスになる。
ああそうか、今日もするんだ。
うっかりそんな風に納得してしまって、私は首を振る。
わたしはなにも知らない。
知らない。
ふたりが始めるのはわたしが眠った後だ。だから知らない。
私はふたりの邪魔をしないようにと、早々に眠ろうとした。
だけどどうにも今日は寝つきが悪い。寝る前にあんな重いものを食べちゃったからかな。でも眠れないでいると変に疑われるかもしれないから、わたしはすやすや寝息を立てた。むにゃむにゃ寝言を食んだ。
だから仕方ない。
わたしを眠ってると思ったことりんがベッドに移って来てしーに覆いかぶさるのが分かっても、それは仕方がないことだった。
「しー、んっ、ちゅ、ふ、……なんだ、今日は積極的なんだな」
「うん。激しくしてほしいから」
「へぇ。そうか」
「サクノが目覚めるくらい、激しくして?」
「っ、君はまさか、んむっ」
「んっ、ふ、ぁ。変なこと気にしないで。いいから抱いて。お願い。激しく、全部、全部台無しになるくらい」
「―――ああ、そうだな。全部、全部ぶち壊しにしてやろう」
「ふふっ。うん。……して?ね、コトリ」
仕方がない。
仕方がないでしょ?
こんな声が聞こえてきたら気まずいから寝たふりを続けるし、でも眠れないのは、仕方がないことだ。訊きたい訳じゃない、知りたい訳じゃない。
私が眠れないのは、だから、仕方ない。
仕方ないことなんだよ。
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