第2話
「もしもし、しー?」
『……うん。サクノ』
返ってくる声は明らかに活力がない。心の震えがそのまま声に移ってるみたい。きっと私が知ってると思ってるからだ。それなのになかなか連絡しなかったからかな。本当はすぐにでも会って話したかった。でももしかしたらしーは自分で言いたいかなって思って少し様子を見てみた。だから連絡しなかったのは仕方ないことだ。
ああ、今すぐにでも安心させてあげたい。しーの思ってるようなことはなにもないよって。
けど、こういうのは電話で済ませるものじゃないでしょ?そう、だから安心させてあげられるのは少し後だ。仕方がない。
「あのね、話したいことがあるんだけど。うち、来てくれる?」
『分かった。今から行く』
「ん、おっけー。待ってるねー」
通話が途切れる。
スマホをベッドに放って部屋を見回してみた。
いつも通りの部屋がなんとなく片付いてないように見える。や、実際そんな綺麗かって言われると自信ないけど。っていうか今からしーがうちに来る。別に初めてとかじゃないけどなんか緊張してきた。あああ、ちょっと時間開けてもらった方が良かったかも。とりあえず掃除くらいはしないと。
慌てて部屋を片付けて掃除機をかけている途中でインターホンが鳴った。
カメラを見てみると、俯いたしーが立ってる。こんな時期なのにびっくりするくらい薄着だ、あんまり寝癖も整えられてない。やっぱり辛かったんだろう。一も二もなく飛び出した感じで、軽く肩で呼吸してるし。
「はいはーい。開けるねー」
直ぐにエントランスの鍵を開いて掃除機を片付ける。上がってくるまでの間に給湯器にスイッチを入れてあっという間にすぐに湧いてもらう。しーはコーヒーよりココアの方がいいかな。辛いときは甘いものを飲んだ方がいいと思う。
カップに粉を入れてお湯が湧くのを待ってると、もう一度インターホン。
扉を開けば、しーはやっぱり俯いてそこに立ってた。震えてる。当たり前だよね、外はこんなに寒い。
「いらっしゃい。あがってあがって」
しーの手を引いて部屋に連れ込む。凍りついてしまいそうなくらい冷たい手だった。私の手の熱は奪われるばかりで、しーを暖かくできない。座布団に座ってもらってる間にお湯が湧いたから、しーの分のココアと私のコーヒーを用意した。
「突然呼んじゃってごめんね。来てくれてありがと」
「……うん」
差し出したマグカップをしーは両手で包む。沸きたてのお湯が入ったそれはきっとそうしているには熱すぎるのに、そのままじっとココアの湯気を見つめていた。
コーヒーをひと口飲んで舌を火傷する。これからしーにかける言葉はできるだけ暖かくないといけない。そのためならこんなのへっちゃらだった。私は言葉を選ぶのが苦手だから。
「しー、話っていうのはね」
ぴくりと身構えたしーが私を見る。
どきどきと揺れる瞳。顔色が悪い。クマだって隠せてない。髪は乱れてる。今にも泣きそう。それなのにどうしてしーは嬉しそうなんだろう。もしかしたらしーの願っているみたいにする方がいいのかな。私がしーを嫌いになって、しーは私の恋人を取ったひどい人で、そんな終わりがいいのかな。
でもね、しー。
わたし、なんにも知らないんだよ。
「最近、わたしケンタイキ?ってやつかもしれないんだよね」
「……………………ぇ?」
しーが呆気に取られてぽかんと口をひらく。
今の顔よりはよっぽどいい。
私はため息を吐いた。
「わたしってゆうよりはノゾミがなんだけど、なんか最近冷たいの。デートしててもずっと上の空だったり、その、え、えっちなことも、してくれなくなってね?」
だからわたしはしーの痕を見ていない。見られない。ノゾミはわたしに裸を見せないから。
伝わってくれたみたいで、しーの瞳が分かりやすく動揺した。
小さく口が動く。『なんで』って、しーそんなにノゾミのことを信じてたんだね。でもね、これがほんとなの。わたしはなにもしらない。それが本当のこと。
「ほら、ノゾミってモテるでしょ?もしかしたらわたし飽きられちゃったのかなぁって」
じわっと目頭が熱くなる。わたしはノゾミの恋人だからノゾミに飽きられたりなんかしたら辛い。だから泣いてしまうのも普通のことだ。私はどうしても感情が表情に出やすいから。
そしたらしーはどうしてくれるの?本当のことを言うのかな。悲しんでる私に、自分が奪い取ったからだよって。そんな訳ないよね。だって、親友なんだもん。そんなこと言えるなら、そもそも直接言ってるでしょ?
「そ、んなこと、ないと思うけど」
ほら。
しーは私を慰めようとしてくれる。自分がいっぱいいっぱいでも関係ない。
わたしがなにも知らないから、もう、しーはなにも言えないんだもんね。よかった、わたしがなにも知らなくて。
「うぅ……でもわたしぜんぜんお子様だし。ノゾミもっとオトナな人がいいかもだし……」
「そんなことないよ。サクノと河野さん……お、お似合いだと思うよ?私は」
突っ伏す頭をよしよしと撫でてくれる。しーに撫でられるとそれだけで嬉しくなる。悲しい気分もどこかに行って、私は自然に笑ってしまった。
「自分で言ってたでしょう?倦怠期。ほら、今はちょっとだけ上手くいってないだけだから。きっと大丈夫だよ」
「うん……えへへ、ありがとしー」
しーの言葉にいっぱい元気づけられる。これまでだってたくさん元気をもらってきた。しーはとても優しいから私はつい甘えてしまう。やっぱりしーとは親友でいたい。なにも知りたくない。このままがいい。しーだって私に嫌われたくないでしょ。だから言えないんだもんね。だからいいんだよ、なにも言わなくて。
しーにいっぱい慰めてもらったわたしは、ちょっと恥ずかしくなってコーヒーをすする。ほっと一息ついてから、今度は親友としてお返しをしなきゃなって思った。だってしーはあんまりにも辛そうだ。一方的に慰めてもらうのはおかしい。
「ごめんね、わたしばっかりぐちぐち言っちゃって。しーも、甘えてくれていいよ?」
「え?」
「だってしー、なんだか疲れてるみたいだし」
頬に触れる。しーがピクっと震える。暖房に少し暖まってるけど、まだ奥は冷たい。少しやつれてる。クマをなぞる。しーは唇を震わせた。それも少し荒れてるね。よっぽど疲れてるんだろう。かわいそう。
「私は、大丈夫だよ」
「むぅ。無理してる」
「そんなんじゃないよ」
苦笑するしーがゆるっと手を払う。
しーは強情だ。
私は立ち上がってしーの方に行く。きょとんとして見上げてくるしーをえいっと倒して膝枕した。くしゃっと歪むしーの顔が痛々しい。少しでもそれが和らぐようにって撫でてあげると、しーはもぞもぞ顔を背けた。
「ほんとに、そんなんじゃ、ないんだよ」
「はいはい。わたしなんだってお見通しなんだからねー」
「……ふふ、そうだね」
スカートに染みて、しーの熱が私に触れる。
幸せだった。しーが私にこんな弱みを見せてくれる。親友だからこそ。
「ごめんね、少しだけ、こうしていてもいい?」
「もちろんじゃとも」
「ありがとう……ありがとう……」
ちゃんと言うから。
囁きが布を透ける。
わたしには聞こえなかった。私はただしーの頭を撫でる。私はしーのことはなんだって知ってるから、変な言葉はかけない。しーはそうして欲しがってる。それが一番しーにとっていいことだ。なにも知らないわたしに優しくされることが、しーを慰めるんだ。
だからね、なんにも言わなくていいんだよ、しー。
なんにも言わなくて、なんにも知らないわたしに慰められていていいんだよ。
このままが一番幸せだから。
それがきっと、親友っていうことなんだよ。
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