第36話C.o.D ~果たすべき誓い~
眠っている。
……と、いうよりグリムは気を失っていたが、それも当然のことだ。
身構える間もなく、しかも魔力封じの腕輪まで嵌めた――ある意味魔法に対しては丸裸と呼べる――状態で、しかも魔族の中でもトップクラスの魔力を直に叩き込まれたのだから、むしろ気絶で済んで幸運だったといえる。
幸いな事に怪我らしい怪我はなく、彼はただ意識を無くして横になっているだけ。一見すれば眠っているようにも見えたろうし、事実、身体を休めている彼は僅かずつだが回復していて、放っておけばじきに目を覚ますだろうというのが、城付きの医者が出した診断だった。
だがしかし――
彼の意識は、顔面を叩いた硬い感触によって強制的に覚醒させられることになる。
鼻先を、その硬い何かに叩かれ、次いでガシャンと金属音。
痛みと騒音でたたき起こされたグリムは、痛む鼻を抑えようと腕を上げて、またも違和感を感じ取る。こちらもガシャリと重い音、しかし今度は音だけでなくズシリとした重さを感じた。
「……魔力封じの腕輪から、手枷にお召し替えってか?」
腕を見れば、金属の枠で固めた木製の手枷。しかもご丁寧に、枠と枷の両方に魔力封じの呪文が刻まれているという豪華仕様に舌打ちしながら起き上がるグリムは、ついでに自分の置かれている場所を把握した。
なにも難しいことはない、この場所ならば子供だろうと、一瞬見ただけで自分が何処にいるか把握できるはずだ。
灯りはぼんやりと灯る蝋燭のみで薄暗く
床も壁も頑丈な石造り
窓といえば天井付近に通気口があるだけで
寝床は湿った藁のみと場所を特定する要素はいくつかあるが、壁の一面を塞いでいる金属製の柵だけでも、この場を知るには充分だろう。
ここは地下牢。
目が覚めたグリムは、囚われの身となっていた。
「……チッ、なにが何やらさっぱりだな」
「起きたんですね、グリム!」
かましい割に小さな声。
その方向に視線を落とせば、透き通った翡翠色の妖精が目に入る。
「テューレ、無事だったのか」
「貴方の用心が功を奏しましたね、おかげで助けに来ることが出来ました」
「それはありがてぇけど、声落とせ。見張りに聞かれた台無しだぜ」
「大丈夫ですよ、見張りの方には魔法で眠ってもらってます」
言われてグリムが耳を澄ませてみれば、石壁に反響したいびきが確かに聞こえてきていた。
「……睡眠魔法、使えるのか。テューレは宇宙人で、えっとオーリアの生まれじゃねえのに」
「元々、私の故郷にも魔法に似た技術はありましたし、知識だけでいえば、貴方よりも遙か未来のものを知っているんですよ。それに、この星に流れ着いてからの数十年間、環境に適応する努力を怠っていたと思います?」
自信満々に答えるテューレからは、やはり身体の大きさとは比較にならない安心感が伝わり、彼女の包容力が見た目の数十倍はあると教えてくれているのだが――
「でも、私の魔法はそんなに強力じゃないので、あまり時間は稼げません。グリム、手を出してください、枷を外してあげます」
「そりゃ助かるが、鍵はどうする?」
「眠らせた牢番から鍵束を取ってきてます、さぁ早く手を」
その手際と抜け目なさに感心しながらグリムは言われるがままに腕を出したが、鍵束には数本の鍵がまとめられているために、すぐに解錠とはいかなかった。彼は両手首を枷で繋がれているのでテューレが枷を外してくれるのを待つしか無いが、彼女の小さな身体が災いしていた。鍵束といっても全てが金属製で重さもある、妖精サイズのテューレが扱うにはあまりにも重労働、なのでグリムはただ待つだけでは時間が勿体ないと口を動かすことにした。
「よく忍び込めたな、大した度胸だよ」
「隠れるのには自信があるんです。人間の世界には物が多いし、身体が小さいっていうのも結構便利なんですよ。それに、怖くてもやらなくちゃ。『星渡りの蝗(ローカスト)』からこの星を守るには、貴方達二人の力が必要なんですから」
「……メアはどうした」
グリムは目が覚めてから気になっていたこと尋ねた。すると、忙しなく鍵を試していたテューレの手が動揺に固まる。
「天窓から見てたんだろ? 俺が気ィ失ってからなにが起きたんだ」
「……メアちゃんは、捕まった。人魔の平和を訴えてはいたけど、誰も耳を貸さなかったんです。抵抗せずに、捕まってしまいました」
「そうなるわな、状況が悪すぎた。あれじゃその場で斬られてもおかしくねえよ」
「ええ。だからメアちゃんは、正体を明かしてすぐに跪いて和平の提案をしたんです。でも王様は聞く耳を持つどころか、嗤いながらあの子を見下ろしていました」
「あンの馬鹿、王女だってことも明かしたのか? 人類の敵、その大将の娘がのこのこ現れてんのに歓迎してくれる訳がねえ、世界中に誇れる手柄に変えられるのがオチだぜ」
手柄も手柄、大手柄だ。
魔王の娘の首を取ったとなれば、近隣諸国は勿論のこと、世界中に外交面で有利な材料となる。所謂、政治というやつだが、その世界では胸くそ悪い事を平然と行える神経が求められるらしい。その点でいえば、サディスティックなレリウス三世は適任だろう。
「んで、メアはまだ生きてるのか?」
「今のところは生きてます、ただ時間がありません。王様は城下町の広場にある処刑台で、メアちゃんを斬首刑にする気なんです」
「あぁ、あの王様ならやりそうだな。観衆の前で、
「だから、本当はもっと早くに貴方を助けに来たかったんですけど、牢の周りには見張りが多くて、中々入り込めなかったんです。ごめんなさい、遅くなってしまって」
「謝るなよ、テューレに落ち度はねえんだから」
むしろテューレは最善の行動をとっている。どこをどうしたら彼女を責める言葉が浮かんでくるのか疑問なくらいで、グリムは彼女を讃えていたのだが、とうのテューレは予想外の事態に冷や汗を掻いていた。
「――あれ、外れない⁈ そんな、全部試したのにッ⁈」
「慌てるなって。その鍵束は牢番が持ってたものだろ? なら牢の鍵かも知れない。警備関係もウォーレンが仕切ってるだろうし、枷のほうは別のトコで管理してるのかもな。あいつの慎重さならそれくらいやりそうだ。どれ、牢が開くか試してみようぜ」
グリムはそう言うとテューレを鍵束と一緒に手に乗せて、檻の隙間から突き出した。こうしておけば鍵穴に近くなるし、彼の掌を足場にしているから、テューレも重い鍵束を抱えて飛ぶ必要がなくなる。
そのおかげで負担が減ったのか、今度は彼女の方から話を振ってきた。ただし、彼女の語り口は気を紛らわすような雑談の類いではなく、慎重に藪をつつくような不安が香ってくる。
「……ところで、グリム。えっと、なんて訊いたらいいのか分からないので単刀直入に訊きますけど、貴方はいま、まともな状態ですか?」
「腹が減ってる以外はマトモだと思うぜ、この減り具合だと一日は経ってるだろ」
「正解です。でも、私が訊きたいのは肉体の状態ではなく、精神の状態についてなんですよ」
何故そこまで精神状態を心配されているのか、グリムはすぐに気が付くことが出来なかったが、気を失う直前の記憶に、彼女が抱いている不安の原因があるのだと思い至った。
「メアちゃんが言ってたのが聞こえたんです、私にも。あの子は、グリムを操ってここまで案内させたと言っていました、だから気になってしまって……、貴方が本当に――」
「――操られてる訳ねえだろ」
星を守るというテューレの願い。
それは人間であるグリム、そして魔族の姫であるメア、この二人の関係が信頼を元に成り立っていることが前提にあり、ここに打算や損得が挟まっていると彼女の願いは途端に崩れてしまう。であればこそ、テューレが慎重になって尋ねるのも理解できるところであるが、当のグリムは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。
「なんで笑うんですか?」
「そりゃあ、メアにゃあ無理だからな」
魅了や精神操作の魔法で相手を操ることは確かに可能だ。可能だが、そのためには針の穴を通す魔力制御とは別の、相手の心に染みこむ毒にも似た魔力制御が必要になるのだが……
「あいつの魔力制御はどんぶり勘定もいいとこ、どう考えても攻撃魔法向きだ。魔力量は凄まじいが、それだけじゃ逆立ちしたってネズミ一匹操れやしねえさ」
「じゃあ、どうしてメアちゃんはあんな酷い事を言ったんです? 貴方を攻撃までして……」
「庇いやがったんだ」
グリムの呟きには悔しさが滲んでいた。
あの場においては、メアのとった行動が最悪の事態を避ける唯一の方法だと分かってはいるが、自分が立てた策の尻ぬぐいを彼女にさせた事実は変わらない。それもこれも、グリムが身分を隠していた為である。
「まず、奴隷である者はそれを示す
「でも、グリムは本当に勇者と一緒にいたんですよね」
「それに関しちゃ俺は真実だけを語ってるけど、確かめる術がないだろ? だから連中は信じたいように信じた、まぁ奴隷が勇者の供だって与太を信じるよりも現実味が――」
――ガシャン
「やった、やった! 開きましたよグリム!」
グリムの言葉を遮って響いたのは重くも嬉しい解錠音で、ふわりと飛翔したテューレは空中で喜びを表す。彼がのそりと腰を上げて檻の外に出ても、テューレはぶんぶん飛び回っていた。
「喜ぶのは早いだろテューレ、まだやることがある」
「そ、そうでしたね。次はメアちゃんを助けに行かないと……!」
牢番は変わらずいびきを響かせ夢の中だったので、今のところは順調。そうして檻から解放されたグリムはテューレと共に階段を上り、地上階へと続く扉を開けたところまではよかったが、いざ地上階に出ても左右に伸びる廊下のどちらに進めべきなのだろうか。
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