第34話INVADER ~底なしの暴食~ Part.5

「武器を預ける上に魔力封じの枷だって? 随分と厳重じゃねえか、ウォーレン」


 冗談めかしてこそいるが、グリムの心中は冷や汗で溺れそうになっていた。

 自分が嵌める分には一向に構わないが、問題はメアだ。


 魔力封じの枷なんか嵌めたら、変化魔法で姿を変えている彼女の化けの皮が剥がれて魔族の姿が表に出てしまう。それは誰から見ても最悪の事態に他ならない。


「ご不快に感じられるでしょうがご容赦を。警備の都合上、入城する全ての者に武装解除と枷の着用をお願いしているのです。近頃は魔族との争いも多く、また人間に化ける魔物もおりますから、此方としても警戒せざるおえないのです。城を出られる際にお外しいたしますので、どうかご協力を」


 真っ当な都合、筋の通った理由。

 ここまで綺麗に説明されては、拒むのがむしろ不自然となるが、かといって首を縦に振ることも出来ない。メアの正体がこの場で知られれば交渉も和平もすべてがご破算、それこそ踵を返して遁走することになりかねない。


 ……のだが、心臓が早鐘を打っているグリムを尻目に、堂々と一歩を踏み出したメアは、掌を差し出してこう言った。


「枷を嵌めるのは構わぬ。だがその前に、枷を検(あらた)めさせてもらいたいのじゃ」

「それは構いませんが……。メア殿、理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「知れたこと。入城する者を魔族と疑い枷を嵌める、なるほど理屈の通った話じゃから拒みはすまい。しかし同時に、我らも警戒せねばいかぬじゃろう? この城が既に魔族の手に落ちていて、旅人を捕らえる罠ではないという保証もないのじゃからな。であれば、その枷とやらに、封以外の魔法や、呪いが込められていないという保証がどこにあるのじゃ」


 私はお前達を疑っている。

 門前で堂々と言い放たれたメアの言葉に、衛兵達がざわめく。

 ある者は憤り、ある者は呆れ返り、ある者は訝った。


 そりゃあそうだろう。魔族が人間の城を乗っ取って、しかも罠として活用しているなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある、妄言とも呼べる発想の飛躍。そんなもの議論にも値しない失笑ものの戯れ言なのだが、ただ一人、ウォーレンだけは受け止めていた。


「疑心暗鬼を生じ、信心を滅す。貴女達を疑う我々が疑われるのも当然でしょうな。――ではメア殿、気の済むまで枷を検めてくださって構いません。先程も申したとおり、魔力封じ以外の魔法は掛かっていないはずです」

「時間はかからぬよ、騎士団長」


 手渡された金属製の手枷をメアはじっくりと眺めていく。

 輪の外側と内側に彫り込まれた同じ呪文は、枷を閉じると効果を発揮するようになっており、さらにその呪文を媒介として込められた魔力封じの魔法を見るに、この国には優れた鍛冶屋と、優れた魔法使いがいることうかがい知れる。


 扱うのが苦手でも魔法の知識を有しているメアには、その効果のほどは確かめるまでもなく明らかだった。


 なのに、である――


 彼女は確かに効果があると確かめた上で、その枷を自らの腕に嵌めたのである。

 しかも、カチリと鍵までかかりもう外せない。

となれば、当然グリムは緊張を強いられる。なにしろメアの行動はいきなりだったし、彼は次善策を模索している最中だったから、流石にその動揺は顔に出ていた。

 ところがだ――


「安心するのじゃ、グリムよ。この通り、魔力封じ以外のまじないはかかっておらぬぞ・・・・・・・・


 メアは人間の姿に化けたまま、ぬけぬけと言ってのけた。


「……お、おう。そうみたいだな」

「ほれ、次はお主の番じゃろ。呆けてないで枷を嵌めるのじゃ」


 腕輪を受け取りながらもグリムはまだ混乱状態だが、すぐに考えても仕方が無いと自分を納得させる。運が味方したのなら舞台裏まで覗く必要は無いし、下手な言動は余計な疑念を招くだけなのである。


 とまぁ、そこまで理解はしているが、グリムがすぐに枷を嵌めることはなかった。無論、指示には従うが、彼の場合は魔力を封じる前に武装解除が先なのだ。

 なにしろ彼の背負っている大剣は流れ込む魔力によって重さを変える代物のうえ、枷をしたら『授かりし者ギフト』としての能力まで封じられることになる。


 つまり順番を間違えると、この場でひっくり返って仕舞いかねないので、彼は先に身につけていた武器の類いをカウンターに並べた。

 大剣に山刀マチェット、左胸のナイフ。

 刃物がごろんと転がっていく。


「ガメるんじゃねえぞ。装備に手ェ出しやがったら追っかけてって斬るからな」

「管理は徹底させていますのでご安心ください。それよりも、グリム殿――」


 ウォーレンの細められた視線がグリムをしっかりと捉えている。


「――右足のナイフをお忘れのようですね。そちらもお預け願えますか?」

「あぁ悪い、忘れてた。あんまし出番がないもんでね」


 そう言いながらグリムは内心で舌打ちすると、ブーツの右側に隠していたナイフを抜いてカウンターに投げ刺した。


「これでいいか? 流石に目聡いな、騎士団長を張るだけはある」

「王を守護するのが我ら騎士団の務め、使命の為ならば憎まれ役などいくらでも演じましょう」

「……立派な覚悟じゃが、それだけでよいのかのう」

 思わずぽつり、メアの呟きは聞き逃されてもおかしくないくらいに控えめだった。

「メア殿、なにか仰いましたか?」

「いや、お主らの使命に口をだせる立場にはないな、妾は。独り言じゃ、忘れてくれ」


 すんなり引き下がった彼女を見つめるウォーレンは何か言いたげな様子であったが、王を待たせていることを思い出して思考を切り換えたらしい。


「ご協力に感謝いたします。それでは参りましょうか、王様がお待ちですよ」


 元から伸びている背筋を更に引き締め姿勢を整えた彼は、軽く頭を下げてからグリム達を先導を始める。

 ダンスホールにもなり得そうなエントランスを抜けて、そこからは外周沿いの廊下を延々と歩き続けるグリム達。侵入者対策のために玉座への最短ルートを伏せるのは、まぁよくある策だから嫌味を言うようなことではなかった。


 階段を上がり廊下を歩き

 また階段を上がり、そして歩く


 エントランスから玉座の間への距離だけでも、街の入り口から城までと同じくらいの距離がありそうである。

 しかもウォーレンが押し黙っているから始末が悪い。時折すれ違う使用人や衛兵たちに挨拶こそ返しているが、グリム達には一言も発さないので空気は重たくなるばかり。


 そんな時だった。

 徐々に高まっていく緊張感をほぐそうと、窓の外へと目を向けたメアがグリムに声を掛けた。


「――む? 見てみるのじゃグリムよ、下に練兵場が見えるのじゃ」

「訓練中みたいだな。士気は、一応高いみたいだ」


 遠く窓越しであるため流石に練度の程は判断しづらいが、それでも気迫は充分伝わっており、浮き足立っているグリムにもその影響が出ていた。

 彼もまた自身を落ち着かせるべく軽口を叩く。


 ……というよりも、黙ったままだと吐きそうだった。


 一国の主相手、しかも近衛兵たちが監視している中に魔王女を引き連れて入ろうというのだから、彼の心中はもう大嵐である。いっそこと、もう一度タコ野郎と戦う方がマシと思えるくらいに、彼にとっては不向きな勝負なのだ。


「なぁウォーレン、稽古付けて欲しいって言った手前でなんなんだけどよ、その前に手合わせも頼みてぇ。受けてくれるか?」

「……ご冗談を。『授かりし者ギフト』が相手では、私程度では勝負になりませんよ」

「授かり物は使わねえ、のままで通用するのか確かめてぇんだ。どうだい騎士団長様、一本勝負、付き合ってくれねえかな」


 その提案に、規則正しく刻まれていた鎧の足音がぴたりと止まる。

 合わせてグリム達も足を止めたが、ウォーレンは振り返りはしなかった。


「……弟子というのは、やはり師に似るものなのでしょうな、グリム殿。旅立つと決めたあの夜に、弟も同じく一本勝負を申し込んできましたよ」

「へぇ、そいつも初耳だ。勝ったのは?」


 深呼吸が一つ。

 やはりウォーレンは背を向けたままだが、そこから感じる哀愁は記憶の中にいる弟を思い浮かべてのことだろうか。そうして絞り出された彼の声は、心なしか震えているように聞こえる。


「ありがとうございます、グリム殿。もう充分です」

「…………?」


 意図が分からず、グリムは眉根を寄せていた。

 しかし、その真意はすぐに明らかとなる。


「教えていただけますか。弟の、最後を」

「あ……あぁ、いや…………、どうして――」

「――そう感じるか、ですか? 簡単です。私も立場上、訃報を伝えることがありますので、知らせを運ぶ人間がどのような表情を浮かべるかは身に染みていますよ」


 無人の廊下を静かに揺らす兄の悲哀、その響きに掛ける言葉が見つからずグリムは声を詰まらせていた。どう伝えるべきか、なにから話すべきなのかが頭の中で回り続けるばかりなのだ、自分だけがその役目を果たせると分かってはいるのだが……。

 するとそんな彼の袖を引き、メアが優しく頷いてみせた。


 ――見たままを、見たままに

 それで充分だとでも言うように


「……ウォードは、あいつは戦って死んだ、最後まで。勇者を守るために戦って死んだ」

「立派でしたか」

「ウォードらしい死に様だったと、そう思う。俺が言えるのはそれだけだ」

「そう、ですか……」


 ウォーレンの首が上へと傾ぐ。

 如何に騎士団を率いる者といえども心はあり、家族の訃報に胸を痛めないはずはない。だが、しかしというか流石というか、彼は数瞬だけ弟の死を悼むと眉根に力を込めて振り返った。

 剣を握る者にとって死は常に傍にあるのだから。


「私の我儘にお付き合いくださり感謝します、グリム殿。貴方がこの国へやってきたのも、何かの縁なのかもしれません」

「悪い知らせばかりで、すまねえな」

「いいえ、私は感謝しております。何処にいるかも、生きているのか死んでいるのか、それさえも不明のまま長い年月が過ぎ、気を揉み続けておりました。こんな形で残念ではありますが、おかげで長年抱えていた胸のつかえが僅かには晴れました」

「ウォードもまた勇者じゃ。いや、弟君だけではない。魔王城に臨んだ全ての人間、あの場に立った全ての者は皆すべからく勇者だと、妾はそう考えている。月並みな言葉かも知れぬが、誇りに思うのじゃな」

「ええ。たとえたもとを分かっていようとも、ウォードは私の誇りであり続けています」


 落ち着きながらも力強くウォーレンは微笑み、そして改めてグリム達を案内すべく前を向く。

 だが歩を進めていくうちに、彼は段々とこれまでと異なる緊張感を纏いはじめ、玉座へと続く扉が見えた頃には、衛兵達には聞こえぬように声を落としてこう言ったのだった。


「王は勇者様からの言伝を心待ちにしております。ですがどうかお二人とも、くれぐれも油断成されませぬよう、お気を付け下さい」


 それはきっと、ウォーレンが発せられるギリギリの警告だったのだろうが、グリム達がその意味を知るのは、手遅れとなってからであった。

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