第26話UNSTOPPABLE ~強行追跡~ Part.6

 メアは走った。


 少女らしい弱さを魔族らしい強さで支え、王女らしからぬ形相を浮かべながら一心不乱に駆け抜けた。村へと通じる一直線の道は、綠光に灼かれたおかげで森の中とは思えぬほどになだらかで、いっそ踏み固められた道よりも走りやすく、メアが赤いヒールで思い切り踏み込めば、綠光から逃れた両側の木々が、シルエットをぼかして背後へと抜けていく。


 村までは僅かに数十秒ほどで、だがまだ遠くの正面で跪いている人影に彼女は叫んでいた。


「グリム!」


 その声は悲痛の一言に尽きる。彼女には見えているのだ、どんどん大きくなる八本足の影がこれからしようとしていることが……。


「グリムッ! 何を呆けておる、逃げるのじゃッ!」


 悲鳴にも似たメアの声は、確かにグリムの耳届いていた。届いてはいたが、彼は跪いたままでまんじりとも動かない。


 ……動けるはずがなかった。


 タコ野郎が綠光を放つ直前、地面に剣を突き立てて盾の代わりとしたのは、咄嗟の判断としては上出来だったと言えるだろう。だが景色を呑み込んでしまうほどに強力な魔法を、直撃を避けたとはいえ正面から受ければ、『授かりし者ギフト』といえども無事で済むはずがない。


 ダメージはありありで、むしろ動けないまでも生き残っていることの方が奇跡に近いのだ。

 青息吐息でありながらも、グリムはまだ生きていた。

 しかしそれはつまり、敵にしてみれば全く以て面白くない事態である。地形が変わるほどの攻撃を受けて尚、形を保つどころか生き残っている相手と相対したならば、徹底的に息の根を止める必要を感じることだろう。


 叩けるときに、可能な限り叩く


 これは古今東西に通じる戦いのあり方の一つであり


 だからタコ野郎は


 無慈悲に触手を掲げると


 動かぬグリムを踏みつぶした


「――ッ⁈ き、貴様ァアアアァアァァァァッ!」


 その光景に触発されたのは、少女の部分よりも王女の部分よりも、メアの中にある魔族の部分で、彼女は咆哮とともに両手の平に焚いた獄炎の火球を激昂のままに投げ放つ。

 南瓜だいの火球は蒼い尾を引きながら飛んでいき、タコ野郎の頭部に命中すると、メアの感情を表すように纏わり付いて燃え続けた。


「許さぬぞ貴様、もう許さぬ……。泣こうが喚こうが決して許さぬ、貴様の全てが灰燼に帰すまで、地獄の焔に抱かれるがいいッ!」


 それは燃えさかる怒りのままに、メアは執拗に火球を放ち続けた。


 何度も何度も


 何発も何発も


 ひたすらに執拗に


 燃えさかる怒りは冷める気配を見せず、メアにも止める気など微塵も無かった。

 まだ足りない、まだ足りない。こいつを消し炭にするまで徹底機に灼き続けると決めた攻撃は、着弾時の爆発で蒼い火の粉をまき散らし、やがてタコ野郎の頭部のみならず触手にまで焔を広げ始めた。


 だが、しかし――


 触手から放たれた細い綠光が、唐突にメアの頬を掠める。

 タコ野郎は全身の半分以上を獄炎に包まれているにもかかわらず、全く意に介さぬといった様子で反撃に転じてきた。うねる触手から放たれる綠光の乱れ打ちは、回避に回ったメアを追い立て続け、ついには複数の命中弾をもって彼女の動きを止めるに至る。


 肉を削がれることはなかったがそれでも威力は十分で、傷を抑えるメアは恨み深くタコ野郎を睨めつけていた。


「グゥっ……、小癪な……ッ!」


 片膝を付きながら吐き出せるのは恨み言が精々。綠光を喰らった箇所が焼けるように痛む中で、悲鳴を堪えたがせめてもの意地であった。


 そのタフネスは、なるほど賞賛に値するものであるのだが、それだけでは生き残れぬのが戦場の非情。相手がひたすらに耐えるのであれば、より強力な攻撃でもって押し潰すのが最も単純な攻略法であり、タコ野郎はその方法に則ってとどめを刺すべく、メアに狙いを定めていた。


 逃げ回る相手を捉えるための乱れ打ちではなく、耐える相手を貫くための一点集中。

 ダメージ深く、まだ足の動かないメアは、だが絶体絶命の状況にありながら顔を伏せることはなく、敵の姿をその赤い瞳に映し続けていた。いくつもの綠光が瞬いても、彼女は目を逸らさずに、ただ無念のうちに覚悟だけを決め、降り注ぐ綠光をその身に受けるはずだった・・・・・――


 メアは身動きできなかったし、タコ野郎は完璧に狙いを付けていた。にもかかわらず、触手から同時に放たれた綠光は標的を外し、彼女の背後にあった家を貫いただけ。


 狙いを外されたことに困惑しているメアであったが、最も驚いているのはおそらくタコ野郎であったはずだ。なにしろ外した原因は、踏みつぶしたはずのグリムが力尽くで触手を押し上げ、タコ野郎のバランスを崩した所為なのだから。


 しかも彼は持ち堪えるどころか、徐々に徐々に触手を押し返していく。サイクロプスにも匹敵する大きさの相手に対しての、常軌を逸した力勝負であるのにむしろ彼の方が優勢で、青筋立てて歯を食いしばる姿は、世界を支える巨人に被る。


「な、め、て、ン、じゃ、あ、ねぇ、ぞ……ッ!」

「な⁈ グ、グリムッ⁈」


 喜びよりも驚きに目を剥くメアの前で、グリムはついに触手をはね除けると、すぐさま高く飛び上がって、斬りつける代わりに怒声と共にタコ野郎の頭を蹴りつけた。


「――こンのクソ野郎がァ!」


 とはいえ流石に大きさが違いすぎ、蹴り一つで吹っ飛ばすことは叶わなかったが、それでもグリムの一撃はタコ野郎をぐらつかせ、あまつさえ跪かせる。その打撃音は凄まじく、大鐘を鳴らすのに匹敵する響きを夜の森に轟かせると、反動で飛び下がった彼は、言葉を無くしているメアの傍に着地した。


「お、お主……無事だったのじゃな……」

「危うく焼け死ぬとこだったけどな、所構わずバカスカ燃やしやがって。折角、あの極太魔法を耐えたってのに、、味方に灼かれたんじゃ冗談にもなりゃしねえよ」

「うぅ、そ、それはすまなかったのじゃ。だが仕方ないじゃろ、お主が踏みつぶされるのを目の当たりにした瞬間、身体の芯が燃える滾って歯止めが利かなくなってしまったのじゃ」

「……誰が殺られて頭は冷やしとけ、カッカしすぎると仇も討てねえぞ」


 怒りが力となるのは疑いようもないが、過ぎたるは及ばざるがごとしと格言にも在るとおり、過度に熱くなるとサクリと命を落とす羽目になる。だから冷静になっておけとグリムは助言をしていたが、メアの意識は既に怒りから離れていた。


「とにかく無事なのじゃな⁈ 怪我はしておらぬのかッ?」

「図体の割に非力だった。それに、こちとら勇者のパーティで前線回復師フロント・ヒーラー張ってたんだぜ。スカしに誤魔化し、深手を避けるのはお手の物だ。仲間を治すことそうだが、なにより先にくたばらねえのが俺の仕事だからな」


 それは勝ち残るためではなく生き延びるための術であり、例えば、死に至るダメージを負うと直感した場合、その攻撃を受ける前から回復を始めておく。すると、動けはしなくとも、命を繋ぐことは叶い、命が繋がったのであればまだ立ち上がる機会は残る。


 こすかろうがなんだろうが、生き延びること。

 それがグリムの戦いである。

 まぁ、それはさておきだ――


「メアはどうしてここにいる、じいさん達はどうした?」

「のじゃ? あぁ、案ずるな、すでに丘を下っている頃合いじゃ。危うく流れ弾で消し炭となり掛けたが、みな無事に逃げているじゃろう。妾が約束を違えるとでも思っているのか。だとしたら、とんだ不敬じゃぞ?」

「…………」


 メアは自信満々に、或いは不遜に胸をそびやかしてこそいたが、どことなく寂しげな横顔にグリムは目を細める。あの綠光からじいさん達を守ったとすれば、その方法は想像が付き、その為の代償もまた想像に難くない。


「おい、メア――」

「平気じゃ」


 にべもなく、彼女は言い切った。


「そんな顔をするでないグリム、妾ならば平気じゃ。妾が守り、村人達は無事に逃げおおせた。それが結果で、それが全て、妾は約束を果たしたのじゃ、憐れみを向けられる謂われはない」


 なるほど毅然と振る舞うメアの言うとおりであり、グリムはあくまでも王女としての威厳を失わない彼女に向けて「よくやったな」と礼を言う。

 その瞬間に、僅かにだがメアの瞳は潤んでいて、彼女は細い声でこう続けた。


「じゃがどうしても……、お主がどうしても妾を労いたいというのであれば、彼奴を倒した後で存分に聞いてやるのじゃ」

「それなら、さっさと片付けねえとな」


 小休止はおしまいで、二人は幾本の足を踏みしめるタコ野郎と改めて相対あいたいする。兎にも角にも、この場を凌がなければ先の話など夢と同じだが、幸いなことにまだタコ野郎の動きは鈍い。

 どうやら獄炎が利いているようで、ならばこの機を逃すことなくグリムは態勢を整える。まずはメアの手当が先決か。


「《癒やしの光よエルク》」


 出し抜けにグリムが唱えれば、触手からの綠光で灼かれたメアの傷がみるみるうちに消えていく。治療だけじゃなく体力回復も効果に含まれている回復魔法なので、万全とはいえずともこれで彼女は動けるはずだ。


「驚いた、痛みも疲れも綺麗に消えたのじゃ。初歩の回復魔法でここまで出来るとは、勇者のともとは伊達ではないのじゃな」

「動けるならそれでいい。あとは――」

「――彼奴をどう倒すか、じゃな」

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