第11話PERSONA ~偽りを捨てて~


 世界に多く存在するものの中でも数少ない、全てに平等なもの。

 死にゆく老人にも、生まれたての赤子にも区別なく


 流れる雲にも、動じぬ氷塊の中にも存在し

 そしてそれは人間にも魔族にも等しく与えられ、過ぎていくばかり。


 悔しさに枕を濡らしていても時間は過ぎ、いつの間にやら翌朝である。太陽はぐぅっと背を伸ばしたような高さにあって、村人達も一日の働きをとっくに始めており、この時間になっても表へ出ていないのはメアくらいのもので、彼女はいまだにベッドの中である。


 とはいえ、彼女を責めるのは酷だろう。

 魔族で王女だとしても、歳はいいとこ十五かそこら、まだまだ子供と呼んで差し支えない年齢だから、現状を思えばむしろよくやっている方なのだ。


 蒼肌と額から生えている一本角。メアは魔族の姿のままで、だがすぅすぅと、少女らしい寝息を立てていた。

 体力的な疲労もあったが、なによりも堪えていたのは精神面での疲労である。


 考えてもみてほしい。

 長年争ってきた種族との戦争の最中、しかも後の運命を決定づけるであろう戦い最中に、突如として雲の向こうよりやってきた襲来者。その強襲を受け、城から逃がされた・・・・・かと思えば、同行者は敵である人間の剣士だったのだ。


 どこをどう切り取っても、一つの出来事だけで吐き気がするくらいの重さがあることは明白、メアの精神に掛かったストレスは、並の者ならばその場で泣き崩れるに違いない重量だ。それに加えて昨晩の一件とくれば、これはもう精神が折れても不思議ではない。


 無気力になったり、自暴自棄になったりしても誰も責めはしないはずだが、メアはまだ正気を保ったままである。亀裂の奔っている心を支えてくれているのは、きっと魔王女たる矜恃なのかもしれないが、いま重要なのは彼女がまだマトモであるという点と、状を理解し、使命を諦めてはいないという点だろう。


 くたびれてこそいるが、メアの神経はちゃんと張っていた。そうでなければ玄関から聞こえてきたホリィの声を、夢の中で聞き漏らしていただろう。


「メアおね~ちゃ~ん、おはよ~~! おきてる~?」


 メアは起きていた。……というよりホリィの声で目が醒めたのだが、素早く反応を示した頭に反して身体が僅かに出遅れたため、ベッドから窓側へと転げ落ちてしまった。それはそれは盛大に落っこちたので、毛布もシーツも一緒くたである。

 となれば、相当な物音も立つので、何事かと慌てたホリィがリボンを跳ねさせて寝室へと飛び込んできた。


「え? え? どうしたの⁈」

「いいや、大した事ではない――」


 寝起きでもしっかりとした気品のある声でメアは答えると、毛布の山からその姿を現した。

 一本角は消えて、肌色は人間のそれ。音もなく人間の姿に化けた彼女は、心配そうにしているホリィに向けて微笑んだ。


「――おはようホリィ。どうやら驚かせたようじゃな、手を滑らせただけじゃよ」

「あぁよかった。バタンバタンっていってたから、ビックリしちゃった」

「心配をかけてすまぬな。……ときにホリィよ、なにか用事があって来たのではないのか?」


 最初に聞こえたホリィの声には明らかに目的があったので、自分を呼びに来たのではないかとメアは尋ねた。とうのホリィは、ドタバタがあったせいで目的を忘れていたようだったが、首を傾げただけで思い出すことに成功していた。


「あっ、そうだった! あのね、おじいちゃんが呼んでるよ。朝ごはん出来たから食べにおいでって。出発するまえに食べていってね!」

「一宿一飯どころか朝食まで……、ご老人には頭が下がる」


 老人やホリィの厚意はやはり温かく、そこに深い感謝を抱きながらも、だがメアは複雑な気持ちを感じずにはいられなかった。彼等の行いはメアが人間の姿に化けているからこそ向けられているに過ぎない。彼等が善人なのは疑いようもない事実だが、それはあくまでも、同族である人間に対してだからである。


 もしも真実を目の当たりにしたら、彼等は一体どういう反応をするのだろうか……


 そんな不安がメアの頭をよぎるが、幸いにもホリィは別のことに気を取られていたようで気付かれることはなかった。とはいえ、気まずい状況であることに変わりは無い、次いだホリィの質問はメアにとって答えにくいものであったから。


「メアおねえちゃん? グリムおにいちゃんはどーしたの? 居間にもいなかったけど……」

「む? うむ、そうじゃなグリムは……」


 言葉に詰まる。

 というより、詰まらざるおえなかった。


 説明が難しいのもあるが、なによりもメア自身の気持ちが整理し切れていなかった。

 和解の兆しが見えた直後に突き付けられた現実と、唐突で無情な別離。その混乱は一晩明かした程度で腑に落ちるものではなく、いまだにメアの胸中に吐き出せない重石となって残っていた。

 それでも、一つだけグリムに関して確かなことがある。


 彼が戻ってくることはあり得ない。


 昨晩の彼が刃を退いた理由は定かではないが、これだけははっきりと言えた。なにしろグリムは人魔戦争の前線で戦い続け魔王城まで攻め込んだ勇者の一人、そしてメアは敵である魔王の娘である。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、どころの話でない。敵の親玉の身内ともなれば、むしろ憎み、敵視していて当然なのだ。きっと短い間であっても共有していたあの時間は、彼にとっては耐えがたい屈辱であったのだろう。


 そう思い、哀しみが湧き上がってくるのをメアは感じていたが、同時に僅かな安堵も覚えてしまっていた。少なくとも、これ以上グリムに恨まれることはない。そして、悲観に暮れながら彼の刃に掛かることも――


 これは不幸中の幸いというか、いいとこ探しというか……


 あまり前向きな考えでないことはメアも自覚はしていたけれど、後ろ向きなままでいるよりは、意味のある考え方であると彼女は捉える。それに、悔やんでも仕方が無いことなのだ、どうやってもグリムの気持ちを変えることは出来ない。


 きっとこの先、彼と出会うことは二度と――


「おう、ホリィじゃねえか」

「あ! グリムおにいちゃん、おはよー!」

「なぬッ⁈」


 扉が開きっぱなしになっている居間からホリィの姿を見つけたグリムが、なんとも呑気に少女に声をかけている。二人はなんとも穏やかな、じつに一般的な挨拶やら話を交しているが、メアはあからさまに混乱していた。


 それこそ頓狂な声を上げてしまうくらいである。


 だいたいグリムは昨晩、斬る斬らないの問答をした挙げ句に家を離れたのに、至極当たり前といった雰囲気でそこにいるから、メアの理解は完全に置いてけぼりを喰らっていた。それは起き抜けに頬を張られるよりも衝撃的で「何故ここにいるのだと」尋ねる発想さえ浮かんでこず、彼女はただただ、ホリィと話している彼の姿を目を丸くしたまま眺めているだけだった。


「ホリィは働きモンだな、子供なのによくやってるよ」

「えへへ~、ありがと!」


 褒められたホリィは自慢げな笑みを浮かべたが、彼女はすぐに首を傾げなおしてグリムの姿について尋ねるのであった。まぁ、色々と気になるのも当然である、なにしろ――


「おにいちゃん、どうして汗だくなの? シャツだって脱いじゃってるし」

「どうも寝付けなくてな、すこしだけ剣振ってた」


 そう聞かされてホリィはさっきとは反対側に首を傾げると、不思議そうに笑って続けた。


「でもスカーフはそのままなの? とっちゃった方がすずしくない?」

「汗拭き代わりに丁度いいし、取ると落ち着かねえんだ。……そんなにおかしいか?」

「うん! なんかヘンッ!」


 ホリィは悪意ない笑みで、元気よく答えた。

 上半身裸のくせにスカーフだけ巻いていれば、まぁ奇妙に思うのが自然なので、グリムも別段気にすることなく話を続ける。


「――んで、じいさんが朝飯できたから呼んで来いって話だったよな? ご覧の有様だし、汗流してからにするよ。俺のことは気にせず、先に食うように伝えてくれるか」

「うん、わかった」


 そう返事をしながらホリィは手近な棚を開けると、グリムにタオルを渡した。長くしまったままだったらしく、古めかしい香りがしているが、それでも綺麗なタオルである。


「コレ使ってね。ベタベタだとおにいちゃんも、きもちわるいでしょ?」

「ありがとうな、助かるよ」

「じゃあ、グリムおにいちゃんはあとで食べるとしてぇ。――おねえちゃんはどうするの~?」


 おねえちゃんことメアは未だ混乱中で、呼ばれているにもかかわらず口をあんぐり開けたまま。そんな判断力がどこかに飛んで行ってしまった彼女を正気に戻したのは、力強いグリムの声だった。


「……ったく、しょうがねえな。おい、メア・・!」

「ハッ⁈ な、なんじゃ……? 何用じゃ……?」

「朝飯どうすんのかってよ、ホリィが訊いてるぜ」


 どうしてメアがこんな変なことになっているのか分からないホリィは、やっぱり不思議そうに彼女を眺めていた。もしかしたら以外だったのかも知れない、これまでメアが見せていた堂々とした立ち振る舞いからは想像できないくらい、いまの彼女は抜けていたから。


「おねえちゃん、ヘンな顔してる」

「これはすまぬ、考え事をしておった」


 ようやく思考が追いついたメアは、グリムの表情をしっかりと確かめてから返答をする。腹を膨らませる前に、やることが出来ていた。


「――そうじゃな、妾もすることがあるので、あとから行くとしよう。ホリィよ、ご老人には感謝と謝罪を伝えてくれるか?」

「え~、二人ともダメなの? みんなでいっしょに食べたかったのに~」

「誠にすまぬな、ホリィよ。妾もなるべく急ぐのじゃ」


 よほど一緒に朝食をとりたかったらしく、ホリィはしばらくぶー垂れていたが、やがて観念したように頷いた。


「む~! じゃあ、はやく来てね! 約束だよ!」

「うむ、約束じゃ」


 メアがそう返してやると、ホリィは落ち込んでいた背筋を元気よく伸ばして、駆足で自宅に戻っていく。走り回っている子供を見ていると不思議と明るくなる物であるが、玄関を閉めて問題と向き合うときには、その表情は自然と神妙になる。


 メアも、グリムも、お互いに――

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