その二十九 クリスマスイブ

 街に鈴の音が鳴り響き、赤い服を着た白ヒゲの老人が徘徊する季節になった。世界はすっかり冬の看板に掛け替えられ、冷たく乾いた風が木々から古いかわをはぎ取っていく。


 子供たちが飾り立てられたケーキをウインドウ越しに選び、プレゼントをねだっている。


 僕は木の葉を巻き上げる冷たい風にコートの前を閉じて前かがみになる。風は冷たいが気分は高揚して足取りは浮き浮きとスキップでも踏みたくなる。今日は捺稀さんとクリスマスデートだ。にやけ顔が自然と早足になる。


 懐のスマホで時間を確認すると待ち合わせまでにまだ時間はある。今日は待ち合わせ場所に早めについて待っていたい。クリスマスのデートは中学の頃から憧れだった。当時好きだった子とクリスマスにデートする事を夢想していたものだ。告白もできずに終わったけど。


 いまは両思いと言う訳ではないが(いまだ未定なのは不甲斐ない)好きな子とクリスマスにデートできる。待ち合わせ場所で待っていると云うのにも憧れていたから。

 捺稀さんに(デートと云う言葉は使わず)クリスマスイブに会おうと言ったら快い返事をもらえたのだ。一応コースは考えてある。映画のチケットもちゃんと手配したし、無論アニメとか怪獣映画とかじゃないよ。さすがにラブロマンスは憚られたので冒険物にした。気に入ってもらえると良いんだけど。


 まず、喫茶店で時間を調整する。それから映画を見て、食事の予定。

 捺稀さんに告白してから半年以上立つ。色々あって、ふたりの距離は近づいているって実感している。それに、いつまでも中途半端にしているのは良くない気がする。別に妹に煽られた所為じゃないよ、僕も次に進みたいしね。最初に告白した頃と違って振られても博物クラブと云う縁があるから、二度と会えないと言う事もないと思っている。


 だから、約束を破る事になるけど今日こそ返事をもらおう。


 頭の中で今日の予定を反芻はんすうしているうちに捺稀さんの姿が目に入る。

 青地のタモ帽(ベレー帽のてっぺんに毛糸のボンボンがついたやつ)に黒いイヤーマフを着けてフェイクファーの縁取り付きブラウンのケープ(丈の短い袖無しのコート)を着ている。ボトムスはひざ上のチェックのミニスカートにニーハイブーツ。僕もファッション用語が少しは判るようになった。これは博物クラブでとにかくいろんな本を呼んだおかげだ。


 捺稀さんは僕に気がついて駆けてくる。


「待ったー?」

「ううん、五分くらいかな」


 そばまで来るといつもと雰囲気が違うのが判る。


「あれ、今日はポニテじゃないんだ。それに眼鏡じゃないし、コンタクト?」

「うん。今日は気分を変えて下ろしてきた。それに映画を見るならコンタクトの方がよく見えるしね」


 そう言って微笑む捺稀さんは、いつも以上に美し可愛い。今までも映画館の時にはコンタクトにしていて見慣れていた筈なのに、ハロウィンの時に強く意識した。コンタクトだと綺麗な瞳が良く見えてドギマギしてしまうのだ。


「いつもの眼鏡も良いけど、よく見えるはずなのにコンタクトにしないのはどうして?」

「コンタクトは長く付けてられないの。体質的に合わなくて痛くなっちゃう」

「そうなんだ。大丈夫、僕は眼鏡女子好きだからいつもの捺稀さんもす…… 素敵だよ」


 あう、ここで好きだと言えない自分は不甲斐ない。いや、僕は変わるんだ絶対に今日はもう一度告白する。


「もう、属性(眼鏡かけてるから)でわたしを褒めるの最低だよ」

「そんなー、そうじゃなくって、捺稀さんだから…… 素敵なんだ」

「判ってる。 からかっただけだよー」


 にこりと、いたずらっぽい笑顔で見つめてくる。鼓動が二倍に跳ね上がった。


 今日はクリスマスイブ、いつもと同じじゃデートした甲斐がない。きっと上部ならうまく会話するんだろう。褒めるの恥ずかしくて苦手だけど、今日は頑張る。


「……もう、そんな事言うと、褒めまくっちゃうよ。

 捺稀さんはどんな格好をしても可愛い。中でも今日は、ケープにミニスカート、ニーハイブーツが似合ってすごく美しくて可愛いです」


 ああ、最後は丁寧語になっちゃって締まらなかった。


「もう、そんなに褒められたら恥ずかしい。いつもはそんな事言わないのに真仁くんらしくない。そんな事言うんだったら帰っちゃうぞ」


 心なしか頬が桜色になっている。唇もとがりぎみ? 照れている?


「それは困る。うそうそ可愛いのはほんとだけど、あんまり褒めないようにする」

「いやだ、褒めても良いよ」


 何だどうした。捺稀さんがやたら可愛いぞ。


「とにかく、(こほん)映画までには時間があるから取りあえずお茶をしよう」

「りょうかい」


 ふたりとも照れ隠しの笑顔でごまかして、近くのカフェに駆け込んだ。


 クリスマスの街はどこか浮かれて、カフェもカップルばかりで目のやり場に困る。他人から見た自分たちも同じだなと思わずにやつく。混みあったカフェのおでこがくっつくように狭い臨時席でたわい無い話題を笑顔で交わしていた。こんな場面に憧れていたんだ。


 映画の選択はまあまあグッドだった。はらはらドキドキで最後のどんでん返しですっきりとさせてくれた。


 食事もネットで調べた『街の洋食屋』が売りのお店に席を予約していて、これは当りだった。フレンチとかイタリアンとか食べた事ないので作法が判らないしね。おしゃれだけど気安い感じのお店で値段がリーズナブルで味も良かった。


 いつものように視聴した映画の論評したり、この半年の出来事を振り返って盛り上がった。本当にいろんな事があったからね。僕は馬鹿みたいに調子に乗っていた。捺稀さんは笑うし丁々発止で話題に返してくるんだけど、ふと黙って俯く瞬間があったけど僕はそれに気がつかなかった。いや、気がついていたけど、疲れたのかなと思って無視していたんだ。


「あー、楽しい。真仁くんも出会った頃の『つまらない奴』は卒業だね」


 調子に乗っていた僕はここで賭けに出た。懐からラッピングされた包みを取り出した。


「捺稀さん。これ、クリスマスプレゼント」

「えー、そんなの良いよ。どうしたんだろ今日のきみ、いつもの真仁くんらしくないよ」

「僕も色々と鍛えられたからね。いいから開けてみて、似合うと思うよ」

「わたしだけもらって、わるいなぁ」


 中からは銀色に薄い緑色の筋の入った髪留めが出てきた。


「わあ、綺麗」

「見た時に、捺稀さんに似合うと思って思わず買ったんだ。この緑が捺稀さんの瞳と合うと思って。付けてみて」


 彼女は髪留めをつけると照れ臭そうに微笑んだ。


「うん、思った通りよく似合ってる」

「ありがとう。大切にするね。ごめん、わたしは用意してないのに」

「そんな、捺稀さんの笑顔が一番のプレゼントだよ」


 そんな、臭い科白がすんなりと出てくるようになったと、自画自賛して、ここで賭けに出た。


「約束を破ってしまうんだけど、いつまでも自分の心をごまかせない。僕はやっぱり捺稀さんのことが……」


 その先の言葉を遮るように捺稀さんは立ち上がって声を荒げた。


「ごめんなさい、いまはその先をわたしに伝えないで。いまわたしには余裕・・がないの」


 彼女はそのまま店を出ていってしまった。


 僕は呆然として席に座ったまま固まっていた。何が起きたか理解できないでいる。

 他の席の可哀想な人を見る目が痛い。


 ウエイトレスのおねえさんがすっと近寄ってきて小声で声を掛けてきた。


「どうしました?」

「僕にも何が何だか」

「何があったかは知りませんが、すぐ追いかけたほうがよいと思いますよ」


 はっとした。


「ありがとうございます」


 多めの代金をテーブルにおいて店を飛び出した。


「あ、お客さん、おつり……」

「結構です」


 外に飛び出して左右を見回す。もう姿が見えない。


「どっちに行ったんだ」


 なぜか判らない。僕はまずい事をしたんだろうか。僕が約束を破る事がそんなに許せなかったんだろうか。わからない。どうしたら良かったんだろう。告白なんて考えなければ良かった。


 ひとり焦る気持ちを他人事のように街にはクリスマスソングが流れ、人々はどこに向かうのか笑顔を浮かべ揺れ歩いている。


「そうだ、駅、駅に向かってみよう」


 駅に向かって人々をかき分け足早に歩く。姿を見つけ出せない。僕は叫んでいた。


「捺稀さん! どこ? 僕が悪かった」


 浮かれた街から返事が返る事はなかった。

 肩を落とし、疲れ果てて家に帰り着いて、机の前に力なく腰を下ろした。


 ブブッ。スマホが振動する。急いで手に取ってスリープを解除する。

 捺稀さんからだった。


〔真仁くん、今日は突然帰ってしまってごめんなさい。きみが悪い訳じゃありません。きみと見た映画も食事も会話も楽しかったです。でも、ごめんなさい。わたしはある問題を抱えていて、いまはきみの気持ちは判っていても答える事ができません。いずれそのうち必ずきみには説明します。だからいまは待っていてください〕


 全然判らない。告白しようとしたタイミングで退席されたら怒らせたかと思うのが普通じゃないか。僕が悪い訳じゃないと言われても訳が判らないよ。


 でも、捺稀さんが悩んでいたのは薄々感じていた。全然心当たりがない。いまは待っているしかないのか。

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