その二十三 夏休み

 夏休みは暇だ。昼過ぎまで寝てる事も一週間もすれば退屈でする事もなく飽きてしまう。左手のギプスも取れて完調になってもやる事がなければ暇だ。


 夏休みの課題は手を付ける気にもならず、放ってある。


 捺稀さんと出掛けるつもりだったので、自分では計画を立てていなかった。なのに捺稀さんとは休み直前のラブレター事件以来気まずい状態が続いていた。


 ラブレター事件、あれは、僕の靴箱に手紙が入っていた事が発端だった。捺稀さんはやたらその手紙を気にしていた。

 その手紙には、文化祭の時に人いきれで具合悪くなった時に介抱してくれた事への感謝が綴られていて、そして、会って御礼をしたいとしたためられていた。まさしくラブレターということで、拠りに依って捺稀さんは僕を応援するって言い出したのだ。いや、普通の友人関係ならそれ自身は変な事じゃない。でも、好意を寄せている相手に別の人との恋愛を応援するって言われちゃう僕は何なのか、いくら恋愛に疎いといえ、僕が好意を寄せているって知っているはずなのに、そんなことに考えが至らない彼女に怒りを覚えて仲が険悪になってしまった。



 手紙の主と会った時の事を思い出す。


 場所は実習棟の屋上、放課後。


「あの時はありがとうございました」


 屋上は練習場所のない運動部や、楽器の練習とか、それこそ放送部や演劇部などが発声練習できるようになっている。

 そこで僕は女生徒を前に緊張しきっていた。今日は夏休み直前で部活動はお休みになっているので、ここには僕と彼女と付添つきそいの女生徒しかいない。


 彼女は紙屋かみや帆乃花ほのかさん、ネクタイの色から二年生だと判る。年上かぁ。どんな話をされるのか興味があったし、断るなら会ってちゃんと断らないといけないと思ったから呼び出しに応じて指定の場所に来ていた。


「ほら、話すんでしょ」


 付添つきそいの女生徒が促す。


「あの、文化祭では介抱してくれて、ありがとうございました」


 あの時は具合が悪くなった人は複数いたので、彼女の顔は覚えていなかった。顔をよく見ると捺稀さんと全然違うタイプだけど、はっきり言ってかなり可愛い。艶やかな黒髪は肩にかかるくらいの長さで風にそよいでサラサラと波打っている。柔らかそうな眉と不安そうな黒い瞳、瞳に映る青空は不安からか揺れ動いている。小さめな鼻にメレンゲのようにふっくらとした唇はキュッと結び緊張感に溢れている。頭ひとつ低い位置から見上げてくる。


「どういたしまして、あれは僕の役目だったんだから気にする必要は無いです」


「その後、わざわざ付きっきりで説明してもらって…… すごく判りやすくて感動したんです」


「ありがとうございます。そう言っていただけたら、頑張った甲斐がありました。部員に詳しい子がいて、その受け売りだったんですけどね」


 まずい、緊張して言わなくても良い事をしゃべっている。紙屋さんの感謝を台無しにしているような気がする。

 紙屋さんは俯いて黙ってしまった。


「ほら、黙ってないで、言いたい事があるんでしょ」


 付添の子がさらに促している。なんとなく察する。単に御礼を言うだけならもう用事は済んでいる筈なのだから。


「あの…… アナタの事が忘れられなくて……」


 やっぱ、来たかー。


「言っちゃいな」


 何煽ってんだこの人、いやまずいんだけど。まずくはないか。紙屋さんは不安の余り両掌を強く握り込んでいる。そして、決心したのか顔を上げて唇を開く。


「あの、お付き合いしてください……」


 十五年の人生で初めて告白された。うん、何だか嬉しい、嬉しいんだけど。もったいないんだけど。断るつもりだけど。


 これは、いたたまれない。のどが張り付いたように声が出ない。僕もすごく緊張している。

 口が動かないので落ち着こうと頭を巡らした。


 青い空、梅雨が明けて青く高い夏の空に白い雲が遠くでもくもくと立ち上がっている。日暮れまでにまだ時間はあるけど傾いた日差しにオレンジ色の気配が忍び寄っている。僕らの周りを取り囲む武骨なフェンス。その向こうに教室棟と、上級生の教室の窓が見える。


 さらに頭を巡らすと屋上の出入り口のドア、その隣のガラス窓、そこに見覚えのある顔がふたつ覗いている。僕の視線に気がついて頭が引っ込む。


「あ」


 思わず声が出た。

 その声に、紙屋さんがびくっとする。その顔は答えを待っている。

 僕はちゃんと答えなければならない。曖昧にする事でどんなに傷つく事があるかを良く知っている。ひと言声を発した事でのどの張り付きは落ち着いた。気持ちを落ち着けひと言ひと言ゆっくりと話す。


「ごめんなさい。申し訳ないけど、好きな人がいるんだ」


 いたたまれなくて目を伏せる。返事はない。静寂の時が流れる。コンクリートの上に黒い斑点がぽつりぽつりと生じる。視線をあげると紙屋さんが俯いたまま走り去っていくのが見える。


「あんた、もったいないことしたね」


 付添の女生徒が捨てゼリフを残して歩き去った。

 ひとり残る僕は、途方に暮れる。なんだろう、ものすごくもったいない事をしたような気がする。後悔? いや、それはないだろう、後悔なんてしてたら紙屋さんに失礼だ。


 それよりも、今は……

 出入り口に向かって歩いていく。


「何でそこに居るの?」


 窓の影で身を縮こめた捺稀さんと上部に問い掛ける。


「だあーって、気になるんだもん」


 この人は…… まあ、好奇心からだけでもこういう事やりそうではある。


「そうだ、友人が呼び出されたりしたら見守るもんだろう」

「いや、だから。待ち合わせ場所、なぜ判ったの?」

「そりゃ、校内だというのにポーチになにか突っ込んで鞄を置いたまま教室から出て行けば何かあると思うだろ。だからこっそりとね。捺稀ちゃんとは途中で合流した」


 ああ、そうか手紙を返そうと思って、手に持ったままというのもはばかられ、ポーチに入れるところ見られていたのか。結局返し損なってしまったけど。ポーチの中の手紙が意識に上る、これどうしよう。結局、初めて受け取ったラブレターはそのまま手元に残る事になった。


 見ていただけなので恥ずかしくはあったけど、怒る訳にもいかず、そのままなし崩し的に部室に移動して、雑談しだべってその日は解散となった。僕は居心地の悪い思いをしたが、紙屋さんの事は誰も話題にしなかった。自分の心の中が整理しきれていなかったので、雑談は気持ちを落ち着ける役に立った。皆に少し感謝。


 そのまま、捺稀さんとはなし崩し的に和解した。なんだか、怒っているのが馬鹿らしくなってしまったのだ。はっきり言わなくちゃ捺稀さんには伝わらない。約束で僕の気持ちを直接伝えないことになっている。あーだ、こーだと考えても徒労に終わる予感しかなかった。


 そんな訳で手紙の主には手紙で丁寧にお断りをしておいた。丁寧だったよね。


 捺稀さんとは全然違ったタイプのどちらかというと可愛い人で、如何にも繊細そうで心配りのできる優しそうな人だった。


 気持ちが揺れたのは確かで、ちょっともったいなかった気持ちがないではない。

 もしかしたら捺稀さんに好きになってもらえるかもと甘い考えで親友として振る舞っている自分。しかし、何時いつまでも届かない気持ち、覚悟はしていたもののただ見ているだけ、そばに居るだけの日々に夜毎切なさに身もだえする事もしばしばあった。


 そんなところに可憐な花束を渡されたようなもの、手折る妄想もあながち無理からぬ事だと思うよね。


 いやいや、自分の心を見つめてみれば、かわらず捺稀さんの笑顔が浮かぶ、つまらなそうにぶすっとしている顔、面白い事を見つけて目を輝かす顔、ころころと変わる表情を見つめてときめいている自分の姿。


 やっぱり、初めてあった人と、幾つもの危険と苦労を共にした、捺稀さんは比べられない。


 どんなに、人の気持ちに鈍感でも僕がいま好きなのは捺稀さんで、僕が欲しいのは捺稀さんの心なんだ。この気持ち、自分は裏切れない。

 というものの夏休みに入ってしまうと会う機会がぐんと減ってしまった。捺稀さんの顔が見られないのは寂しい。メッセージや電話では毎日連絡は取り合っているけど。


 でも、何度聞いても予定があるとかで会えない事が続いている。つまらないので、なんとなく街に出てふらふらと図書館とか行ってみるがそうそう予定が合う訳もなく、図書館で過ごしていても目的がある訳ではない、手持ちぶさたになってため息を漏らすだけ。


 結局は空振りでとぼとぼと帰ってくる。

 考えてみたらいままではこんな事はなかった。いつでも会えた。平日は教室にいなければ図書室に行けば会えた。図書室にもいなければ部室には必ずいた。博物館や映画館に行く時は必ず誘ってくれた。

 いままでは僕から誘う事は殆どなかった。自分がどれだけ捺稀さんに依存していたか痛感する。


 待っているだけじゃダメだ。彼女とのイベントは全て始まりは彼女の行動が起点、僕は運良く(悪く?)その場に居合わせていたおかげで彼女との絆を結ぶ事ができた。


 でも、自分から動いて告白して振られたのはいやな思い出だな。中学でずっと好きだった子に告白もできず高校が別になって失恋してしまったことで焦ってたんだのもある。

 あれで出鼻を挫かれた、もっとも約束だからと言って待っていても、彼女が僕を好きになってくれる保証はない。

 彼女のお母さんにも言われた『捺稀から告白されるように頑張ってね』。どうすれば彼女から告白してもらえるか見当もつかないけど……


 今のままじゃダメな事は判る。単にいい人で、友達で終わる気がする。それは嫌だ。


 彼女に導かれ、憧れて、その姿を追って、見ていたい、傍に居たい、でもそれだけでは同じ場所に立てない。僕だって、頑張って彼女が見ているものと同じものを見たい。


 まずは、動いてみよう。面白ければ、興味深ければ、きっと喜んでくれる。

 そうだ、夏といえばプール。皆も誘えば不自然じゃないはず…… だけど結局、プールには行く機会は訪れなかった。

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