その二十一 応援・告白2
もうすぐ、夏休み。期末試験も終わったし、後一週間もすれば、高校最初の夏休み。
「最近堤野さんの顔見てないね。放送部が忙しいのかな。誰か聞いてない?」
昼ご飯の後の紅茶を小さな口で啜っていた捺稀さんがカップを置いて聞いてくる。最近は部室で昼ご飯食べて、食後に捺稀さんの淹れた紅茶を飲むのが習慣になっていた。なんてゴージャス。ご相伴は上部と新人を入れて計六人、さすがに部室は狭くなってきた。
紅茶と言えば、茶葉を分けてもらい自宅で淹れてみたのだけど、教えてもらった通りやったつもりなのに、捺稀さんが淹れたものほどおいしくならなかった。口から鼻に抜ける香りがどうしても違うんだよね。それでも、アールグレイの強い香りとミルクの香りを嗅ぐと先日の夜、間近で見ていた捺稀さんの顔が脳裏に浮かび悶えてしまう。妄想が暴走しそうで誰にも内緒だ。
それにしても紅茶を飲む姿も、美しかわいいなあ。見惚れてしまうよ。手が届かないのが切ない。
「堤野さんって、二組のクラス委員の?」
新入部員の女の子が聞いてくる。彼女は
「堤野さんは、放送部と兼部しているからね。博物クラブは数合わせのために、無理に入ってもらったんだよ」
彼女は今はとても忙しいらしい。聞いていた予定を皆に話した。
「この週末の全国高校生放送コンクールの本選に出るので、十分の時間を惜しんで練習しているって聞いたよ」
「ふーん、真仁くん堤野さんと結構喋るんだ」
「え、だって、捺稀さん教室にいないことが多いじゃない。副部長として博物クラブの連絡事項を伝えるのが僕の役目になってるから……」
捺稀さんの返しに戸惑いながら言い訳っぽい返事をした。
「……まあ、そうだね。でも、それってわたしが部長らしくないって事かな」
「おいおい、痴話げんかはよそうよな」
「痴話げんかなんてしてない」
そうだよ、痴話げんかなんかじゃない。そんな関係じゃないし。くすん。
「おい、それは置いといて。調べてみたら全国高校生放送コンクール本選出場ってすごいんじゃね」
手に持つスマホの検索結果を見せてくれる。
それによると、六〇年以上の歴史があって、本選に出るって事は、全国の高校約一七〇〇の参加校から地方予選を勝ち抜いてきたってことだ。何気にすごいね。この学校が放送部に力を入れているから受験したって聞いた事あるけど、ほんとうなんだ。
昼休みに屋上の方から発声練習が聞こえていたけど、あれがそうか。うちの部を手伝いながらだから大変だったんだと思う。良く先輩に怒られなかったよね。
「そうだ、夏休みだし皆で応援に行こうよ! ……渋谷で本選やるらしいよ」
思いつきを声に出してみた。深い意味はなかったけど、彼女には何か恩返しをしたかった。
「渋谷か、いいね。行きたいところだけど、しかし遠いな」
上部は『渋谷』に反応していた。僕らの街からだと新幹線を使っても二時間以上掛かる。
「そうだね。渋谷なら、上野もすぐだよね」
意外に捺稀さんもすぐに反応する。
「もしかして国立科学博物館のこと考えている?」
「ばれた? だって、博物クラブにとって、国立科学博物館は聖地じゃない? 聖地巡礼は必須でしょ」
「え、なに、それ、なにかの宗教みたい。うちのクラブはそんな義務があるんですか?」
「ない、ない。部長の個人的趣味だから」
新入部員達がいるところでは捺稀さんの事は部長と呼ぶようにしていた。
「ぶー、判ったわよ。じゃあ、明日は隣町の博物館巡りね。新規の特設展が始まってるよ。わたしが、博物学がいかに面白くて興味深いか教えてあげるわ」
「明日は通常授業だよ。新入部員も増えたし授業サボるのはまずいでしょ。先日の事もあって、絶対僕ら目を付けられてるって」
「えー、土日は混んでるんだよねー」
「
そうと判るほど顔色が明るくなる。
「そうか、そうだね。早く帰れるから
「君たち、覚悟したまえ。このクラブは部長の理不尽につきあうのは義務だ」
上部が冗談めかして博物クラブの規則を教える。新入部員達の顔に緊張が走った。実質僕だけの規則のようなもんだけど、実際そんな規則はない。
「もちろん、冗談だけどな。そんな規則はないよ」
新入部員達の緊張が緩んだ。
「良かった」
「でも、博物館探訪は必須だからね」
とは捺稀さん。続けて持論を述べる、僕を誘った時と同じだ。ちょっと妬ける。
「博物館は面白いよー。その面白さをちゃんと教えてあげる」
なし崩し的に話が流れてしまったけど、良く考えたら渋谷に応援に行くのは無理があった。新幹線代を出すとお小遣いがなくなって、夏休み何もできなくなる。うちはアルバイト禁止なのだ。それに、保護者なしの僕らだけで長距離の旅行は問題があった。
なにもしないのは、申し訳ないので、応援のメッセージは送っておいた。
返事がないので心配していたら、後日準々決勝落選の報告がきて、お疲れさまメッセージを送ったのは、なんとなく皆に報告しそびれていた。
「ねえ、真仁くん。今日暇だったら図書館に寄らない? ちょっと調べたい事があるんだ」
「うん、いいよ。ついでに期末で間違えたところ教えてくれる?」
「おう、任せたまえ。わたしが丁寧に教えてあげる」
「よろしく!」
そんな話をしながら靴を履こうと靴箱を開けた。
「!」
中には見慣れない白い板が、履き馴れて汚れてきた靴の上に乗っていた。それを認識するなり直ぐに蓋を閉じる。
「どうしたの? 靴、はかないの?」
「あ、ああ、あの忘れものした。捺稀さん先に行ってて、すぐ追いかけるから」
「なに? へんだねー。その狼狽え方、なになに、さては靴箱に何か入っていたね」
僕が止める間もなく靴箱の蓋を開けられる。
「あー、なんだ。手紙? ラブレター? 今どき狙いすぎでしょ。とにかくよかったね。はい」
僕の靴箱から手紙を取り出し渡してくる。複雑だ。本当なら捺稀さんからのが欲しいのに。
それでも嬉しくないと言ったら嘘になる。ラブレターもらうなんて生まれて初めての経験。微妙な感じ、この時代に紙に書いたラブレター? 確かにロマンチックだけど、誰だろう、メッセージで送ってこなかったのはIDが判らないから? 印象を深くするなら確かに成功している。
でも、もろ手を上げては喜べない。捺稀さんに祝福されるなんて、嬉しくない。
捺稀さんに気がつかれたのは失敗だった。
「ねえ、ねえ、だれからの手紙、早く見ようよ」
「いやだよ。そんなの失礼じゃないか」
「えー、なによ。良い子の振りして」
ぷりぷりしている。え、焼きもち? 焼きもちやいてる?
「それは、そうでしょ。人の手紙を断わりなく見るのはとっても失礼な事だよ。捺稀さんも勝手に手紙を読まれたらいやでしょう」
「うーんそれはそうだけど。気になる、気になる。えい」
僕の手から手紙を奪うと逃げていった。
慌てて後を追いかける。クラスの方向とは別の方向、さては部室に向かってる?
「返してよー」
「返して欲しかったら、取ってごらん」
思ったより足が速い、捺稀さんも運動が苦手な筈なのに追いつけない。
部室に辿り着いてドアを開けると捺稀さんはソファに座って手紙を明りに透かしている。
「どれどれ」
さすがに開けるのは
「返してよ」
「だーめ、取り返してごらん」
手紙を手に持ち背伸びする。それを手を伸ばし取り返そうとしてソファの袖にぶつかりバランスを壊して捺稀さんの上に倒れ込んだ。
あ、柔らかい。身体の下で手紙を取られまいと捺稀さんが身じろぎする。僕はのしかかったまま、手紙を取ろうとのたうった。
「部長! 副部長! 部室でいちゃいちゃしないでください!」
声の方に目をやると、新入部員の
「いちゃいちゃなんかしてないわ」
捺稀さんは憮然とした顔をして身体を起こしソファに座り直す。僕は真っ赤な顔で慌ててソファから降りて立ち上がる。
「いや、今のは事故だから。バランスを壊しただけだから」
言い訳をして、捺稀さんが手に持つ手紙を取り上げる。
「あん。けち」
「そういう問題じゃないでしょ」
僕らの様子に
「ほら、どう見ても痴話げんかじゃない。ここはクラブ内での交際は禁止じゃあないんですね」
「そんな規則がそもそもないけどね。だいたい、わたしと真仁くんは付き合ったりしてないから」
「うそー。さっきのはどう見てもいちゃいちゃしているシーンでしょ」
「ないない、事故だから」
思いっきり否定しながら、ちょっと切ない気持ちが湧き上がる。
手紙は家に帰ってから開ける事にしてかばんの奥深くしまい込んだ。何と言うか捺稀さんがいるところでラブレターと思わしき手紙を開けるのは自分の気持ちを裏切るようで躊躇われたのだ。
肝心の捺稀さんにこっそりと目をやると、そっぽ向いて足を所在なげにブラブラさせていた。彼女が何を考えているか表情からは読めなかった。というか、彼女が考えている事が読める事は少ない。
「それで、図書館は行かなくていいの?」
「あっ……」
結局図書館には行ったけど、いつものように会話が弾む事はなく。(もちろんごく小声での会話だよ)捺稀さんは怒っている訳でも、気持ちが沈んでいる訳でもなく、いつもと同じ様に見えるのに口数が少なかった。どうも落ち着かず期末試験の間違えたところを教えてもらう事も言い出せなかった。どうしたんだろう。焼きもちを焼いてくれているんだったら良いな。
僕は、答案の問題文を見直したけど、問題文も頭に入らずぜんぜん集中できなかった。
自分の部屋で机の上に白い封筒に入った手紙を置いて見つめている。
いったい誰が…… 思い当たる節は全くなかった。
表には僕の名前が、裏を見ると丸っこい文字で差出人の名前が書いてある。「紙屋 帆乃花」読みは〈かみやほのか〉さんでいいのかな。同じクラスの人ではない、女性で間違いないようだ。名前には心当たりはない。
カッターナイフを手に取り刃を長めに出す。封筒の閉じた面に合わせて刃を慎重に進めていく。普通の封筒のように端を切り開いて封を開ける気にならなかった。初めて受け取った異性からの手紙を無遠慮に開けるのは、何と言うか『もったいない?』いや、違う、言葉にし難いが傷をつけたくなかったんだ。それは想い人からのものではなくても僕の人生の『初めて』を大切にしたい気持ちからだった。
慎重に開けて、中から薄い桜色の便せんを取り出す。
『東雲 真仁さま
きっと私の事は覚えてらっしゃらないと思います。
文化祭の博物クラブの展示で説明をされていた東雲さま、余りの混みように気持ちが悪くなってしまった私に椅子を用意してくれて落ち着くまで様子を見ていただいてました。お名前はその時に名札で知りました』
そんなことあったかな。うーん。ああ、思い出した、あまりに混み過ぎて具合悪くなった人が何人かいたなー。あの中の誰かなんだ。
『私が落ち着いて元気になると、展示の詳しい説明をしてくださいました。とても判り易く、興味深くケルトの歴史の一端を知る事ができました。
その際にも、さりげなく私が人いきれで気持ち悪くならないように気に掛けていただいていました。そのことにも感謝しています』
褒められると複雑だ。捺稀さんに教えてもらった事をそのまま解説しただけなのに。僕が自分で調べて学習した事なんかはなかった。
『ありがとうございました。
つきましては、お礼をしたいので明日の放課後実習棟の屋上でまっています
紙屋 帆乃花』
えーっと、これはお礼の手紙だよね。ラブレター? じゃないのかな…… 手紙なんてもらった事ないからワカラナイ。
その時、スマホが振動する。
あ、捺稀さんからだ。
『真仁くん。手紙だれからだった?』
なんだろう、随分手紙の事、こだわるな。焼きもちかな? 焼きもちだと良いな。
『知らない人。ラブレターじゃないよ。この前の文化祭の御礼の手紙だった』
『なにそれ?』
『博物クラブの展示で混みすぎで具合悪くなった人を介抱したんだけど、その時の事の御礼だった』
『ふーん』
ちょっと間が空いた。
『で、なんだって? それだけじゃないよね』
『会って、御礼したいって』
『あー、なんだやっぱりラブレターじゃない』
『え、そうなの?』
『そうだよ。御礼にかこつけて告白するって。古今東西よくあるシチュエーションだよ』
意外な事に、ドキドキしてきた。
『うん、うん。親友の幸せを応援するよ』
『いらない!』
思わず、強い調子で返事を送ってしまった。湧き上がってくる感情に鼓動が跳ね上がる。これは、怒りか。『応援する』捺稀さんには最も言われたくなかった。自分の気持ちの持って行き場がない。たとえ、告白を取り消したとは云え僕の好意を知っている筈の捺稀さんにその言葉を掛けられる。こんな残酷な事はない。そんなことが判らない捺稀さんに怒りを覚えていた。
そのまま、スマホの電源を切ってその日はふて寝した。とはいえ中々寝つけなかった。
次の日、朝にはすっかり落ち着いてスマホを起動してみると捺稀さんからメッセージが幾つも入っていた。
僕の最後のメッセージに『どうしたの』とか『返事ちょうだい』とか来てたので、『あとで説明します』『手紙の話題はもうしないでください』と送っておいた。
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