第五話 たまゆらの街役場
「ちょっと、待ってっ……てば……」
息も絶え絶えになりながら彼の背中を追いかける。たぶん、そんなに早いスピードではないのだろうけど、通勤のときくらいしか歩かないデスクワークの茜にはそれでもかなりきつかった。
十メートルほど先を行っていたキヨが足を止めてこちらを振り返ると、あきれ顔でぼやいた。
「お前、自分が体力ないって思い込んでるだろ」
なんとか彼の元までたどりついた茜は、息苦しさのあまり膝に手をついてしまう。もう限界だ。
「だって、たまに、通勤の電車におくれ、そうになるときくらい、しか走らないしっ」
運動不足なのは自覚していた。ジムにでも通おうかなぁとスマホで近隣のジムを検索してみたこともあったけれど、三日と続かない自信があったのですぐにスマホの画面は閉じてしまってそれっきりだ。
「お前はいま、生霊の状態だって説明しただろ? お前の肉体がどんなに運動不足だったとしても、霊魂には関係ないはずだ。それなのに苦しいのは、お前が自分は運動不足で走るのが苦手だと思い込んでるせいだ。背筋しゃんとして、自分は走れるって思ってみ?」
そう言いながら、キヨは茜の後ろに回って両肩を掴むとぐいっと後ろに引っぱって、無理矢理茜の背筋を立たせた。そんなことされると余計苦しくなるじゃない! と思ったのだけど、意外にも身体を起こしてみても苦しさはかわらなかった。というより、そもそも自分が呼吸をしていたかどうかすらよくわからなくなって、手を口に当てる。いつもなら手のひらに当たるはずの呼気が感じられなかった。
「……え、私、息をしていない??」
「当たり前だろ、霊体なんだから。ほれ、もう一回走ってみろ」
トンと、軽くキヨに背中を押された。彼の手に押し出されるように、自然と茜の足は前へ出ていく。すると、今度はすいすいと楽に足が動いた。息苦しさも感じない。そもそも呼吸をしている感覚もない。このままどこまででも走って行けそうな気がした。
後ろを振り向くと、ずいぶんキヨが遠くに見える。もうこんな距離走ってしまったなんて、信じられなかった。
「うわぁ、すごい! キヨ! 私、こんな風に走って爽快になったの久しぶり!」
キヨに手を振ると、彼は手をメガホンのように口にあてて大きな声で返してくる。
「生霊としての身体感覚に早く慣れることだな! ぐずぐずしてる時間はないんだ! とっととお前のじいちゃんのこと探しちまおうぜ!」
「うん! そうだね!」
そこからの道のりは楽だった。走るキヨに付いて行くのが全然苦じゃない。むしろ、身体が風になったかのようで気持ちよく走れていた。
そして、二人はとある建物の前に着く。三階建てのレンガ造りの建物だ。
「えっと……『たまゆら街役場』?」
正面玄関の上に掲げられた立派な木製の看板を読み上げる。
「そう。ここ『たまゆらの街』にいる霊たちは、全員この街役場に居場所や生業、この街に来た日付なんかを登録しなきゃなんないんだ。まぁ、住民票みたいなもんだな。だから、それを見ればどこに住んでるのかがすぐにわかる」
入り口の石階段を上るキヨに、茜も少し遅れてついていく。
「それって、誰でも見れるものなの?」
「いいや。そうじゃないけど、俺の職業忘れたのか?」
キヨの職業? そういえば、駅で会ったときに自己紹介してくれた覚えがある。
「あ! 警察、みたいなもんだっけ?」
「そう。だから、仕事の範囲内なら俺は他人の登録情報も見れるんだ。人捜しは、俺の仕事の範疇だからな」
街役場の中に入ると広いスペースに木製のベンチがいくつも置かれ、その奥にはカウンターが見えた。さらにその奥には、お客さんの対応をしたり、忙しそうにデスクワークに励む役場の人、いや、霊たちの姿もある。たしかにお役所っぽい。しかも案外賑わっている。
「ねぇ、ずっと不思議だったんだけど。この世界でも働かないと食べていけないの?」
死んだあとまで働かなきゃいけないのはちょっと気が重いなと思っていた茜だったが、キヨは苦笑を返してくる。
「いや、霊がこの世界に留まるだけなら、別に飲み食いする必要もねぇし、仕事をする必要もねぇ。とはいえ、ぼーっと来世に渡る日を待つのも暇だろ? だから、暇つぶしとか趣味として仕事してんだよ。もちろん何にもせずに、日々ただぶらぶらしてたり、他のことして過ごすヤツも多いけどな。俺の仕事もそんなようなもんだ」
「ふぅーん」
キヨは、そのまますたすたと壁際に置かれた記入台へと歩いて行った。
茜も隣へ行くと、キヨに一枚の紙を渡される。
そこには、氏名、住所などを書く欄が並んでいた。このあたりも、現世の住民票申請書にそっくりだ。ただ一つ違うところは、現世では『生年月日』となっている欄が、この用紙は『逝去年月日』となっているところだろう。
(そっか、亡くなった日を書くのね。えっと、おじいちゃんが亡くなったのは……)
氏名欄には、祖父の名前『久保誠司』と記入し、逝去年月日欄には彼の命日を記す。
「住所は、いまはわからないから空欄でいいのよね、キヨ。……キヨ?」
書き方を確認しようとキヨに尋ねた茜だったが、彼はなぜか茜の書いた文字を見て酷く驚いたように目を大きく見開いていた。
「キヨ、どうしたの?」
もう一度茜が声をかけると、彼はハッと我に返ったように茜を見つめ、そして呻くような声で聞き返してくる。
「お前の探している祖父ってのは、久保誠司っていう名前なのか?」
低く、慎重に一つ一つ言葉を置いていくような声。
じっとこちらをみつめる瞳ににじむ凄み。茜は怖さすら感じてこくこくと頷く。
「そう、だけど……」
「じゃあ、お前は久保茜なんだな」
生まれたときは父の姓だったらしいが、物心つく前に両親が離婚したためそれからずっと茜は久保姓だ。
「う、うん。久保茜だけど、それがどうかしたの?」
茜がおそるおそる問いかけると、キヨは何かを答えようと口を開けたものの結局何も言わず、ふいっと視線を外した。そして、茜が書きおえた申請書をくしゃっとつかみ取り、すたすたと申請カウンターの方へと歩き出す。
「なんでもない。ほら、時間ないんだろ。とっとと、お前のじいちゃんのとこにいくぞ」
「う、うん……」
キヨの様子が気になったが、時間が限られているのも確かだ。
(おじいちゃんをみつけて、今度こそ謝まらなきゃ)
自分を奮い立たせるために、茜はそっと拳を握る。正直、祖父が自分をどう思っているのか、それを知るのが怖かった。昔のようにあたたかく迎えてくれるだろうか。それとも……。
十五年ぶりの再会。あれだけ願った再会だったのに、会うのがちょっぴり怖かった。
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