第三話 夢の中の、目つきの悪いやつ

 その晩、茜は不思議な夢を見た。


 夢だとわかったのは、会社に行くスーツでいつもの通勤電車に乗っていたはずが、途中から外の景色が見慣れぬものに変わっていたからだ。


 車窓に広がるのは、西洋風とも和風ともつかない不思議な建物の景色。その建物には、なぜか提灯のようなものがたくさん灯っている。

 どこかレトロで、見たことがないはずなのになんだか懐かしい気持ちにさせる光景だった。


 しかもこの電車、もう長らく乗っているのに一度も駅に止まらないのだ。それなのに、車内の人は少しずつ増えていっている気がする。

 初めはまばらだった乗客が、いまは満員電車並に混んでいた。


 きっと、どれもこれも酒の勢いで眠りに落ちてしまった茜が作り出した夢なのだろう。

 そう確信するものの、茜は不思議な気持ちで自分の手を綴じたり開いたりしてみた。

 夢の中だというのに、やけに身体感覚に現実味がある。


(なんか、夢の割には妙にリアルなのよね。こういうときどうするんだっけ……そうだ)


 茜は拳を握ると、電車のドアを思いっきり右手で殴ってみた。

 鮮烈な痛みが、拳を襲う。


「い、痛ーっ!」


 手がジンジンしている。今の痛みは、本当に何かを殴ったときの痛みそのもののように思えた。


(……まってまって、これって……どういうこと? これは夢じゃないの?)


 痛む拳をさすりながら首を傾げていると、唐突に身体を左右に振られた。うっかり倒れそうになったものの足を踏ん張って耐えると、反対側のドアが開いて車内にいた人たちが外に出て行く。どうやら、どこかの駅に着いたようだ。


『終点、たまゆら~。終点、たまゆら~。ここからはご乗車できません』


 いままで一度も流れることのなかった車内アナウンスが、追い立てるように告げる。

 乗客がみんな降りてひとりぼっちになってしまった車内。


「終点? お、降りなきゃ」


 急に不安になってきて、茜は一番最後に電車から降りた。

 ホームできょろきょろと周りを見渡すと、少し先に改札へと向かう乗客たちの背中が見える。


 茜は急いでその乗客たちに駆け寄り、彼らの後について改札口へと進んでいく。


(それにしても、ここ。どこの駅なんだろう?)


 ホームの屋根は木造で、等間隔に提灯が下がっている。


 まだ朝のような気がしていたけれど、どことなく黄昏時のような薄暗さの中、ぼんやりと提灯の明かりが辺りを照らしていた。


 改札口も見慣れた交通系ICカード対応のものではなく、駅員さんが切符を切っていた時代のような昔ながらのものだ。

 定期券をタッチする場所がなくて茜は戸惑いながらも、他の乗客について改札を出た。


 改札の外には木製のベンチが並ぶ待合室があり、高い天井を太い木柱が支えている。どうやらこの駅舎は、全体が木造建築のようだ。


「いまどき、めずらしいわね」


 なんとなく懐かしさを感じながらぼんやりと眺めていると、背後から突然大きな声をかけられる。


「おいっ。なんでお前みたいなヤツがここにいるんだ」


 若く鋭い男性の声。


「え?」


 振り向くと、茜と同年代らしき二十代半ばの男が腕組みをして立っていた。

 一七○センチある茜よりもさらに頭ひとつ高い、すらりとした背丈。

 白い半袖のワイシャツを上から二つほどボタンを外して着崩したその男は、よく見れば結構、整った顔立ちをしている。

 しかしその意志の強そうな目は、いまは不機嫌そうな色をたたえて茜をまっすぐに睨みつけていた。


「お前って……私のこと、ですか?」


 私、変なことしたかな。もしかして、電車のドアを殴ったとこをこの人に見られていて咎められたのかなとびくびくしながら彼を見上げる。

 しかし彼が口にしたのは、意外な言葉だった。


「お前、死んだ霊魂じゃないよな。生霊だろ?」

「へ? い、生霊???」


 彼が何を言っているのかさっぱり意味が分からず、聞き返すことしかできない茜の様子に彼は大きなため息を漏らした。


「間違えて紛れ込んだのか。次の現世行きの車両が出るのはいつだっけか」


 そう言って胸ポケットから黒い手帳を取り出して、ぱらぱらと捲る。


「……くっそ。まだしばらく出ねぇみたいだな。そうだよな。こっちからあっちに行くやつなんて盆でもないかぎり滅多にいないしな。しゃーねぇ、発車時刻になるまで駐在に連れて行くか」


 一方的にそうまくしたあと手帳を再び胸ポケットにしまうと、彼は茜の手首を掴んで駅の出口の方へ引っ張っていこうとする。彼に握られた手首はしっかりと圧迫感と痛みを覚えて、そのリアルな感覚に茜は怖くなり咄嗟に足を踏ん張った。


 握られた腕を力一杯振ると、彼はあっさりと手を離してくれたから内心ちょっとほっとした。


「ちょ、ちょっと待ってください。これって、……私の夢じゃないんですか?」

「はぁ? 夢?」


 彼はあっけにとられたような顔をしたものの、すぐに何かに思い当たったように頷いた。


「ああ、そうか。そういう風に認識してるのか。たぶん、寝てる間に霊魂だけ抜けてこっちに来ちまったんだろうな」


「こっちって……ここ、どこなんですか? なんだか外の景色も変だし。だからてっきり、私、夢なんだとばかり思って……」


 さっきから何度も夢だと思おうとするのだけど、それにしては感覚がリアルすぎて違和感ばかりが強くなる。


「ここは、現世の人間たちが『幽世』とか『狭間の世界』とか呼ぶ場所だよ。俺は、『たまゆらの街』って言い方が気に入ってるけど。現世で死んだ人間の魂が、来世へと生まれ変わるまでのわずかな間、過ごす世界だ」


 彼は茜たちがいまいるこの場所のことを説明してくれているようだけど、聞き慣れない単語が多くていまいち意味が分からない。きょとんと小首を傾げる茜に、


「ああああ、口で言ってもわかんねぇよな。ちょっとこっち来て見てみ?」


 彼は再び茜の手首を掴むと駅の出口へと誘った。今度はさっきほど強引な感じは受けなかったので、茜も彼に引かれるままにトタトタと付いて行く。


 駅から出たところはロータリーのような広場になっていた。


 ただ普通のロータリーと違ったのは、昭和初期のような車やボンネットタイプのバスに並んで、馬に乗る人や乗合馬車のようなものも並んでいたことだ。まるで、歴史をテーマにしたテーマパークにでも来たような気分。


「ここの建物も物も、ここに来た霊魂が生前馴染みがあったものを想像で作り上げているんだ。だから、時代も地域間もバラバラ。ここの世界自体も広がり続けているみたいだしな」


 たしかにいろいろな時代のものが混じっているようだ。ロータリーには最新式の車も止まっているし、馬に乗った人もいる。今風のワンピースの女性がいるかとおもえば、大正時代の女学生のような袴に振袖の少女もいたりする。時代感がバラバラだ。


「お前たち生きた人間が暮らす世界を『現世』という。それに対して『たまゆらの街』は、基本的に死んだ人間しかくることができない世界だ。たまにお前みたいな生霊がまじっちまうことがあるがな。んで、その二つの世界をつなぐのが、さっきお前が乗ってきた電車。あれが、現世と『たまゆらの街』を行き来する唯一の手段なんだ。本来、死んだ人間の魂しか乗れないはずなんだが、たまに霊力が強いやつの生霊がうっかり迷い込んでくることもある。そういうやつがいないか見守るのも俺の仕事のひとつなんだ」


「ということは……あなたは、そこの駅の駅員さんなの?」


「いや、警察みたいなもんかな。生前も刑事やってたんで、その経歴を買われてこっちでも似たような仕事をしてる。というわけで、次の『現世』行きの電車が出るまでどっか行っちまわないように、俺が使ってる駐在所に来て欲しいんだがな」


 そういえば、さっきも駐在がどうとか言っていた気もする。

 生前ということは、この人は幽霊みたいなモノなのだろうか。そして、この街を行き交う人々も……。


 一見、見た目は生きている人間と何も変わりないように見えるのに、死んでいるだなんて不思議な感じがした。でも、常識ではありえないこんな不思議な景色を見せられては、どんな不思議な説明も妙に納得できてしまう。


 それに、いきなり連れて行こうとするから怪しい人かと思ったけれど、茜を保護してくれるつもりだったようだ。だったらもっとこう、優しい笑顔でも添えて穏やかに言ってくれればいいものを、にらみ付けて引っ張っていこうとするんだから、警戒されても当然だと思うのだ。


 だけど、そんなことより茜はさっき彼が言っていた言葉がずっと気になっていた。


 彼は、この『たまゆらの街』は死んだ人間の魂がやってくる場所だと言ってなかっただろうか?


(じゃあ、もしかしたらここにおじいちゃんが……)


 茜がいつまでも辺りを見回しているので、彼は隣でズボンのポケットから煙草を取り出して口にくわえた。ペーパーマッチで火をつけると、マッチを靴で踏み消す。その紫煙が、うっすらと空へと上っていった。

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