第93話 閑話 ~今際の際~

「アジェリナの様子はどうだ?」

「医官の話では明日には良くなるという話です」

「そうか。何よりだ」


 エルガルド帝国皇帝ルドルフ四世と皇后リティルが食事をしながら会話をしていた。


 末子であるアジェリナは健康であるが、この夜は熱を出し夕食を共にしていなかったのである。


「ラフィーヌも明後日には戻るという話です。それまでにはアジェリナも元気になりますよ」

「兄上のおっしゃるとおりです。ラフィーヌはアジェリナが熱を出して寝込んでいるともなれば大いに取り乱しますよ」

「あれのアジェリナの可愛がりぶりは親として心配になるというものだ」


 ルドルフの声に苦いものが混ざる。しかめ面をしているが、周囲の家族達は笑いをかみ殺している。


「あなた、無理に厳しい顔をしなくて良いのですよ」

「何を言う。私は今後の二人の事を考えてだな」

「父上、今さら無理ですよ。父上がラフィーヌとアジェリナに甘いのはわかってますよ」

「兄上の言うとおりだよ。父上は本当に二人に甘いんだから」


 家族達の容赦の無い言葉にルドルフ四世は憮然とした表情を浮かべた。それを見てまたも皆が笑う。ルドルフ四世が娘二人を溺愛しているのは周知の事である。


 ドォォォォォン!!


 そこに爆発音が響き渡った。突如響き渡った爆発音に和やかな雰囲気は吹き飛んだ。


「何事だ!?」


 ルドルフ四世の言葉に護衛の近衛騎士達の警戒も一気に上がった。扉の向こうで騎士達が走り回っている様子が聞こえてくる。


「一体……何事だ?」

「アイゼルク様、これは」

「ヴィランシア、いざとなったらセラムを連れて逃げろ」

「アイゼルク様……」


 アイゼルクの言葉にヴィランシアは不安げな表情を浮かべた。この帝都、いやエルガルド帝国において最も安全な場所であるはずの皇宮において、この発言が皇太子から発せられたという事実はヴィランシアに大きな衝撃を与えた。


 バタン!!


 しばらくして、近衛騎士が飛び込んできた。その顔には恐怖と焦りが色濃く浮かんでいた。


「陛下!! 皆様方!! 魔族の襲撃です!!」

「何!! 魔族だと!?」

「はっ既に近衛騎士団長レンゼンハイル侯、副団長ウィーグル伯が討ち死にされました!!」

「な、何だと!!」


 騎士の報告が皇族に与えた衝撃は計り知れない。それだけ、二人の実力は皇族達の信頼を得ていたのである。


「現在、近衛騎士達のみならず魔術師団も魔族を討ち取るために全力を尽くしておりますが、魔族が強すぎます!! 陛下達には一刻も早くここから……」


 報告の途中で騎士の目がグルンと白目を剥くとそのまま倒れ込んだ。騎士の延髄には一本のナイフが深々と突き刺さっていた。


「ふふ、案内ご苦労」


 そこに黒髪、黒眼の少年が立って不敵な表情を浮かべニヤリと嗤っていた。もちろん、この少年はシルヴィスの姿に化けたミラスゼントだ。放たれる威圧感に部屋に居た者達は凍り付いた。


「さて、エルガルド帝国皇帝ルドルフ四世陛下とそのご家族の方々とお見受けする」


 ミラスゼントはニヤリと嗤いながら慇懃に一礼する。


「お前が……」

「ふ、ルドルフ四世ではないのかな? ふむ……そちらの赤子がルドルフであったか」

「ひっ」


 ミラスゼントの言葉にヴィランシアが恐怖の叫びを上げる。ミラスゼントの目に込められる光に自分達の命など何の価値も見いだしていないことを察したからだ。


「ルドルフは儂じゃ。貴様は何者だ!!」

「そうですか。あなたがルドルフ陛下でしたか……では、魔王ルキナ様のためにここで消えていただく」

「魔王ルキナ……ついに来たか」

「ふふ、今までは見逃しておいたのだがな。今度の救世主達はかなりやっかいと判断されたのだよ」


 ミラスゼントの言葉にルドルフが訝しんだ。今のミラスゼントの言葉に何かしら違和感があったのだ。


「おのれぇぇぇ!!」

「うぉぉぉぉ!!」


 ミラスゼントに二人の近衛騎士が襲いかかった。


「愚かな……」


 ミラスゼントは薄く笑うと両手を無造作に振ると騎士二人の体が両断された。騎士二人を両断した剣圧はそのまま背後の壁まで切り裂いた。

 両断された騎士達は呆然とした表情を浮かべつつ、そのまま床へと転がった。


「きゃあああああああああ!!」


 給仕係の若い侍女が絶叫を放った。


「みんな逃げてください!! ここは私が……が……」


 ジランが家族を逃がそうと叫んだがその瞬間にミラスゼントがジランとの間合いを一瞬で詰めるとジランの腹にナイフを突き立てた。


「ジラン!!」

「ジラン!! いやぁぁぁぁぁ!!」


 ルドルフとリティルの叫びが響き渡った。


「おやおや~もう少しがんばれよ。親より先に死ぬのはさすがに可哀想だろ」


 ミラスゼントはそう言ってもう一本のナイフをジランの首に当ててニヤリと嗤うと同時に喉を切り裂いた。


「ジラン!!」


 リティルが倒れ込んでいくジランに向かって駆け出した。この時、リティルの頭には自分の命の危険など意識の外にあった。彼女の心にあったのは息子が崩れ落ちるのを抱き留めると言うことだけであったのだ。


「ふ、愚かな」


 ミラスゼントはニヤリと嗤うとすれ違いざまにナイフを一閃するとリティルの首を切り裂いた。首の三分の二を切り裂かれたリティルは鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちた。


 リティルは手を伸ばすがあと少しのところで届かなかった。


「貴様ぁぁぁぁ!!」


 ルドルフは対魔族の魔術である聖閃ザインガースを放った。の力を借りて放つ閃光は魔族の防御陣であっても穿つ事が出来るはずであった。


 だが、ルドルフの放った聖閃ザインガースはミラスゼントの体をすり抜けた・・・・・。防ぐでも、はじくでもなく、すり抜けたのだ。これはミラスゼントのもつ力が圧倒的に上回っている故であった。もし、これがヴォルゼイスやシオルなどであれば無傷と言うことはあり得ないのだが、ルドルフの放った神の力は所詮借り物であり、ミラスゼントを傷つけるような威力ではないのだ。


「あ、ありえ……」


 ルドルフが呆然とした声を発したところでミラスゼントはルドルフの首を切り裂いた。


(あ……ここまでなのか?)


 ルドルフはそのまま崩れ落ちる。床に転がったまま、自分の放った聖閃ザインガースがすり抜けたのかが気になっていた。


聖閃ザインガースがなぜ何の影響もなく……すり抜けた? こいつが魔族である以上、影響が皆無と言うことはあり得ない・・・・・


 ここでルドルフはこの疑問に対して、思考が行き着いた。それは自分の信じていたモノが根底から覆されるような感覚に襲われる。


(こいつは魔族ではない……人間でもない……ならば……なのか)


 ルドルフは心のどこかでディアンリアがシルヴィス討伐の件でわざわざ降臨したことから違和感を感じていた故にたどり着いた答えであった。


(なぜ? 神が我々を……? く……ダメだ……体が動かぬ……せめてセラムだけだも……)


 ルドルフの視界は急激に暗くなっていく。暗くなった視界の中でアイゼルクがヴィランシアに逃げるよう叫んでいるのが聞こえてきた。


 ミラスゼントがアイゼルクを斬り伏せてニヤリと嗤い姿を消したのとルドルフが命を失ったのは同時であった。

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