第91話 救世主にならされた者達⑥

「お父様、お母様……お兄様…」


 アジェリナを抱きしめながらラフィーヌは小さく呟いた。


「皇女様」


 そこに赤子を抱いた女性が声をかけてきた。皇太子アイゼルクの妻である皇太子妃ヴィランシアであった。その美しさはエルガルド帝国のみならず近隣諸国に響き渡っている。しかし、現在は憔悴のためにいつもの美しさは見られない。


「ヴィランシア義姉様。一体何があったのです?」


 ラフィーヌの問いかけにヴィランシアは恐怖に身を震わせながらポツリポツリと話し始める。


「あの時、私達は食事を摂っていました。そこに魔族が現れたのです」

「魔族……」

「はい。その者は我々に襲いかかってきました。アイゼルク様は私にセラムを連れて逃げろと命じ、私はセラムを連れて逃げ出しました。アイゼルク様も殺されました。皇帝陛下、皇后陛下もジラン殿下も殺されました」


 ヴィランシアの説明は辿々しく、また順序よくまとまったものではない、断片的な知識を話しているにすぎないことをラフィーヌは感じた。

 

(義姉様がここまで混乱されるなんて……無理もないわ)


 ヴィランシアは相手にきちんと伝わるようにいつもは具体的に話すことを心がけている。そのヴィランシアがこのようにしか話せないというのはそれだけの衝撃を受けた証拠なのだろう。


「お姉さま、私達はこれからどうすれば良いのですか……」


 そこにアジェリナがすがるような視線をラフィーヌに向けてきた。それにヴィランシアも同様の視線を向けてきている。


「大丈夫よ。私がいるから……」


 ラフィーヌはニッコリと笑っていう。もちろん、この未曾有の危機をラフィーヌは楽観視しているわけではない。それでも悲しみと不安に押しつぶされそうになっている妹を安心させることを優先するのは当然と言える。


「ラフィーヌ様、何人かの騎士が……実行犯の魔族について知っていたみたいです」

「え?」


 ヴィランシアの言葉にラフィーヌは驚きの声を発した。ラフィーヌの心の中で一人の人物の顔が思い浮かんだ。


「救世主様達と一緒に来た者だと……」

「シルヴィス……!!」


 ラフィーヌの憎悪の籠った声にヴィランシアのみならずアジェリナもビクリと身を震わせた。憎悪はどのような無力な者からのものであっても、相手を怯ませるだけの力があるのは事実だ。しかも、ラフィーヌは決して無力な存在ではなく、現時点で大国エルガルド帝国において最高権力者であると言っても過言ではない存在だ。そのラフィーヌの憎悪に身を竦ませないでいることは困難を極めるというものだ。


「魔族側についたとは思っていたけど、まさか暗殺者となっていたなんて……」


 ラフィーヌの怒りは頂点に達していたと言って良いだろう。それは後悔との裏返しであったとも言えるかもしれない。自分がきちんとシルヴィスを始末していれば避けられた事態であったという悔恨であった。


「許せない……必ず、必ず……」


 ラフィーヌは強く唇を噛み締めた。しばらしてラフィーヌの口から血がこぼれた。


「お姉様……」

「ラフィーヌ様……」


 その様子にアジェリナとヴィランシアは痛ましい表情を浮かべた。


「お父様……」


 ラフィーヌはしっかりとした足取りで父親、母親、兄達の棺を覗き込んだ。四つの遺体には既に死化粧が施されており、その表情もとても穏やかなものだ。まるで眠っているかのような様子を見て、ラフィーヌは数々の思い出が蘇った。


(お母様にはあの時、叱られたわね……ジラン兄様と喧嘩した時はアイゼルク兄様が間を取り持ってくれたわね……。お父様とお母様はそれを見て優しく微笑んでいた……)


 ラフィーヌの心に家族との思い出が占めていくに連れて、視界がぼやけてきた。


「う……うわぁぁぁぁ!!」


 涙が一雫溢れるとラフィーヌは子供のように泣き始めた。堪えて蓋をした感情を抑え込むことができなくなったのだ。一度崩壊してしまえばもはやその流れを食い止めることなどできない。


 ラフィーヌが子供のように泣く姿を見て、アジェリナとヴィランシアがラフィーヌに寄り添った。


 三人の親しい者達の死をレンヤ達は声をかけることもできずに静かに見ていた。


(ゴブリンを見逃してたら、どこかの村で同じ立場の人が生まれることになるんだ)


 レンヤはゴブリンを見逃した結果を見せつけられた思いであった。レンヤがヴィルガルドをチラリと見るとその目には哀しさが浮かんでいる。それは経験した者のみが持つ単なる同情ではなく、怒りを内包したとてつもなく深い哀しみであるようにレンヤには思われた。


「ヴィルガルド……」

「なんだ?」

「ありがとう……お前のおかげで俺は過ちを犯さずに済んだ」

「ああ、俺たちはチームだ。互いの至らぬところを補うのは当然だ」


 レンヤのお礼の言葉にヴィルガルドは口角を少し上げて答えた。その声には嬉しさの感情が含まれている。


「魔族との戦い……負けるわけにはいかない。ヴィルガルド、エルナ。もし俺がゴブリンの時のようなことをしようとしたら遠慮なく怒ってくれ」

「ああ、わかった」

「ええ、了解よ。それがレンヤの出した答えというわけね」


 エルナの問いにレンヤは力強く頷いた。


「ああ、俺達しか人の世界を救えない!! そのためには魔王を斃さないといけないんだ。じゃないとこんな悲劇が繰り返されることになる」


 レンヤの言葉にヴィルガルドとエルナもまた力強く頷いた。



 エルガルド帝国皇帝一家の暗殺事件により、エルガルド帝国では一気に対魔族強硬論へと傾いていく。


 その様子を見て嗤う者がいることをレンヤ達は気づいていなかった。


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