第44話 閑話 ~生き残ったからといって幸運とは言えない~

「一週間で確実に仕上げますので安心してください」


 ニコニコと愛想良く男が言った。


 シルヴィスの命令で馬車を二台購入することになり、馬車の相場の二倍の代金を支払いをすれば誰でも機嫌が良くなると言うものだ。


 エリックは自分のここ数日の環境の変化にもはやため息も出ない。ほんの二週間ほど前にはラクシャース森林地帯で盗賊団の頭目をしていたのに、今は北方のラディンガルドでシルヴィス達の使い走りをさせられている。


 思えばあの化け物に手を出したことが災厄の始まりであった。


 シルヴィスと名乗る少年によって、軀は文字通り壊滅させられたのだ。百二十三名のメンバーの内、生き残ったのは自分をいれて三名。もはや軀という盗賊団は存在しないのは明らかだ。自分達三名は軀の残滓に過ぎない。


 エリックだけでなく他の二人も突然夜中に飛び起きることが多かった。理由は分かってる。


 部下達が殺される光景を見たのだろう。そのシーンが時によって異なる。女達に報復を受けたシーン、八つ足アラスベイルというエルガルド帝国の暗部達との戦い、自分達の意思ではなく天使達に立ち向かわされ惨殺されたシーンのどれかであろう。


 エリック自身も傭兵として戦場に幾度も参加し、無惨な死体を見たことはあるし、自分も残酷に殺したこともある。


 だが、天使という存在に自由を奪われて突撃させられた時は恐ろしくて仕方なかった。あの恐怖はとても言葉で表すことは出来ない。絶望という言葉すら生ぬるい地獄に放り込まれ、発狂しなかったのは単に運が良かったにすぎない。


 天使長という次元の違う相手をシルヴィスは上回っていた。そして新たに現れた怪物達は天使長をあっさりと撃破してしまった。

 現れた三人は女神かと思ったほどの美貌の持ち主達であるが、その戦闘力は天使長すら一蹴するものであり、性的な対象と言うよりも恐怖の対象でしか無かった。


 しかもシルヴィスにより自分達の素性と悪行を知らされると、自分達への同情心など一切持たない。


 それどころかディアーネと名乗る専属侍女などは絶対零度の視線を自分達に向けて、


アレ・・をちょん切ってから痛みが癒えたところで顔を潰しませんか?」


 という恐ろしすぎる提案がなされたときには体の奥底から震えが来るのを止めることが出来なかった。


 さらにユリシュナと名乗る護衛の提案もエリック達には恐怖でしかなかった。


「目玉の一つぐらい無くても大丈夫だよな?」


 という恐ろしすぎるものであった。ディアーネもユリシュナも決して冗談で言っているわけではない事は理屈抜きで分かった。


 処刑はシルヴィスによって止められたがそれが慈悲でない事はすぐにわかった。


 シルヴィス達一行は魔族の領域フェインバイスに向かうことにしており、そのためにラディンガルドで準備を整える事になった。それから地獄だった。


 ラディンガルドまで徒歩であれば一月はかかる道のりだが、シルヴィス達の超人的な体力はそれを十一日で移動が終わってしまった。エリック達は戦いに身を置いているとは言え、シルヴィス達のような超人的な体力は無い。それを可能にしたのは、シルヴィスの術である。倒れ込んだエリック達に対し、術を発動させて無理矢理走らせられ術が解かれればまったく動けなくなり、翌日は酷い筋肉痛で苦しんだが、また術を発動させて走らせる。


 十一日間、ひたすら地獄の苦行にあえぎながら、ラディンガルドに到着した時は不覚にも涙が出そうになったほどであった。


「お前らはすぐに馬車の確保に動け。相場の二倍、三倍程度ならかまわん。ああ、あくまでも馬車だけだ。馬はこちらで確保する」


 冒険者ギルドでの帰り道にシルヴィスに命じられると三人は疲れた体を引きずって馬車を仕入れに向かって走り回ることになったのだ。


「団長……俺たちとあいつら……どっちが幸せなんすかね……」


 部下の一人がポツリと呟いた。盗賊稼業の際に最も残虐な仕事をしていたが、今のその表情は疲れ切っており精彩を欠くこと哀れなほどであった。


「あるいはどっちが不幸か……だな」


 もう一人の部下が皮肉気に笑う。剛胆な男で戦いとなれば何も考えずに飛び込んでいくような男であったが、その顔にはその剛胆さは残っていない。


「生きてれば何とかなる。幸いにしてあの化け物共は戦闘において誰も殺せない」

「でも、俺たちはあんな戦いに巻き込まれちゃ……」

「いや、そうとばかりは言えんぞ」

「え?」

「確かにあんな化け物共の戦いに舞い込まれれば俺たちのような虫ケラはすぐに死んじまう」

「……はい」


 自分達を虫ケラと呼び、それを認めざるを得ないという現状は三人にとって中々耐えがたいものであるが、現実を見なくてはならない。


「俺たちは虫ケラだ。だからお目こぼしされる可能性がある……そこに賭けよう」


 エリックの言葉に部下二人は小さく頷いた。


 それは自分が奴隷となった事を受け入れたと同義であった。もはや、自分達が生きるも死ぬもシルヴィス達の気分次第になっている。ついこの間まで狭い世界とはいえ強者の座に座っていたものとすればこの落差は心を蝕むものであった。

 自分達が見下していた弱者になってしまったという事実、そして自分達の上位者であり絶対的立場を持つ達がが、かつて自分達が弱者と蔑んだ者達に対して、礼儀を守るのを見るとさらに自分達を惨めにさせた。


 先に死んだ者達は、今の自分達を見て羨ましいと思うだろうか?それとも良かったと胸をなで下ろすかは正直判断がつかない。


「……惨めだ」


 エリックの小さなつぶやきはエリック達の心を重くするのであった。

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