紫色の真実
髙橋
紫色の謎
部屋の中で男女が二人向き合って座っている。
女性の方は見るからにイライラしており、手に持っている紙の資料を今にも引きちぎらんばかりだ。
一方、男性の方はというと椅子の肘掛けに肘をつき、軽くこぶしを握ってその上にこめかみを置いている。表情も体も力が抜けきっており、ぐでーっとした印象を受ける。
女性の方がもう我慢できないとばかりに口火を切りだした。
「いい加減にしてください、西伊場さん!今月だけでいくつ依頼を解決したと思ってるんです?」
西伊場と呼ばれた男は億劫そうに視線を女性の方に向けると
「ちょっと・・若林君。あまりでかい声出さないでくれよ。二日酔いで頭をハンマーで殴られているみたいに痛むんだから」
若林と呼ばれた女性はそれを聞き、あからさまにため息をつくと
「ゼロですよ、ゼロ!いいですか!探偵事務所なのに解決した依頼がゼロってことはですね、収入もゼロってことなんですよ!今月の家賃と光熱費、諸々の経費の支払いはどうするつもりなんですか!
な・に・よ・り私の給料の支払いだって!」
とまくし立てるように喋りまくった。それを聞きながら探偵はこめかみを支える手とは逆の手で口をおさえて
「君・・・だからもっと声を落として・・・。僕吐きそうになってきちゃった。君の声ってかん高くて声量も大きいから、なんだか正気を失ったニワトリがパンクロックを歌ってるみたいで・・・」
「誰が発狂したパンクロッカーのニワトリですか!」
「と、とにかく聞こえてるから。ちょいと落ち着いてくれよ」
若林はふぅっと小さく息を吐くと、西伊場の顔をのぞきこむように見た。
まったくこの探偵ときたら。やる気を出させるだけでも一苦労だ。探偵事務所の助手ってだけでなんでこんなお守りのようなことまでやらなければならないのか。
「まったく、いい加減やる気になってくださいよ。でないと今月本当にピンチですよ。依頼だって来てないわけじゃないんですから」
若林はそう言い資料の一つをめくった。
「ほら、これなんかどうです?会社経営者で資産家のクルーザーが盗まれたんですって。その捜索依頼です。依頼料なんかも良さそうじゃないですか」
若林がそう言うと探偵はしぶしぶ資料を受け取り、目を通すと
「この依頼人の会社って前に脱税疑惑で査察が入っただろう。たぶんその証拠をクルーザーに隠してたんだ。クルーザーを秘密裏に処分して、証拠を消す。おまけに自分には保険金も入って、万々歳ってとこかな。脱税に保険金詐欺とくればたいした悪党だけね。保険会社に探してるってアピールするためにうちに依頼したってとこだろう。当然すでにクルーザーも抜け目なく処分されてるさ、見つかる可能性は限りなくゼロだね」
西伊場はそう言うと資料をテーブルに放り、横に置いてあるコーヒーカップに手を伸ばした。
「ならこればどうです。失踪した友人の捜索依頼。突然消えた友人を探してほしいんですって」
若林が資料を渡すと、西伊場は資料を一瞥しただけで
「依頼人の勤め先見たかい?サラ金業者だよ。友人なんて大嘘さ。大方借金してとんずらした奴の捜索だろう。こういうのって時間がかかりすぎるからパス」
そういうと西伊場はふたたび椅子の肘掛けにもたれかかった。
「いい加減にしてくださいよ、まったく。駄々こねてる場合ですか!」
そう言って若林はテーブルに放り出された資料を拾おうとしたとき、下に置いてある新聞のある記事が目についた。
若林は新聞を拾うと、その記事を読みがら
「へぇ、こんなこともあるもんなんですかねぇ」
とつぶやいた。
「何か気になることでも書いてあった?」
西伊場にそう尋ねられて
「いやそれがですね、尾崎西風っているじゃないですか。画家の。知ってます?」
「うーん、名前ぐらいは。その尾崎西武がどうかしたの?」
「西風ですよ。最近話題の新進気鋭の画家ですよ。個展開くたびにけっこうニュースになったりしてるじゃないですか。」
「それでその画家がどうかしたのかい?新宿のど真ん中で全裸でボディペインティングでもしたのかな?」
「新進気鋭すぎるでしょ!まったく。とにかくですよ!彼の絵って青が特徴的なんですよね。澄み渡る空とか、一面に広がる海とか、そういった青を使った絵が有名で評価も高いんですよ」
「ふ~ん、そうなんだ。それにしても君が現代美術に興味があるとはね。誰の影響?もしかして僕?」
「あなたのどこに美術の要素があるんですか。二日酔いで頭抱えてるばかりのあなたが」
若林がそう言うと西伊場は
「そうは言うけどもヘミングウェイやフォークナーだって大酒飲みだったんだぜ。そうするとつまり僕だって創作の才能はあるんじゃないか」
若林は目の前の男の横っ面を張り飛ばしたくなるのをなんとか抑えて
「それで!えぇと何の話でしたっけ。そうそう尾崎西風。とにかく彼の絵って青が特徴的なんです。彼の代名詞とも言っていいのが青色なんですよ」
「分かったよ。それでその青好きの尾崎画伯がどうしたんだい?」
「彼が今回のコンクールで発表した絵がこれなんですよ」
と言い、若林は新聞記事を広げて西伊場に見えるように正面で掲げた。その記事にはカラーの写真が付いていて、そこには一面に紫色の藤の花とぶどうとなすの絵が写っていた。
「ふむ、紫だね。全部紫。青は少しも使われていない」
西伊場はしげしげと写真を見ながら言った。
「そうなんですよ、青が全く使われていないんです。あの尾崎西風の絵にですよ!これって初めてのことなんですよ。しかもほとんどが紫色の絵なんて。いやぁ思い切ったことしますよね。今回のコンクールって若手芸術家の登竜門的なもので本人も並々ならぬ情熱を注いだ作品のはずなんですよ。それなのに思い切って得意の青ではなく紫なんて、どういった心境の変化があったんですかねぇ」
西伊場は新聞を受け取り、若林の話を聞きながらじーっと絵を見つめていた。
しばらくして顔を上げると
「君はずいぶん尾崎西風に詳しいんだね。ファンなの?」
「まぁファンというほどじゃないんですけど、美術関連の雑誌なんかをよく読むので」
西伊場は何か気になることがあるようで新聞を読みがらコーヒーをすすっている。
まるで朝起きて朝食前のサラリーマンのようだ。若林がそんなことを考えていると
「この記事によると尾崎西風は絵の具にもこだわっていて、特注のものしか使わないってかいてあるけど、そうなの?」
西伊場はそう尋ねた。
「あー、そういえば前に何かのインタビュー記事で読んだことがありますね。外国産の特注の絵の具しか使わないって。届くまで何週間もかかるそうですよ」
「ふぅん、その特注の絵の具しか使わないんだ?」
「そうみたいですね、それはもうすごいこだわっちゃって。その特注の絵の具以外じゃ描かないってぐらいですから。やっぱり芸術家ってこだわりが強いというか、変わり者が多いんですかね」
その言葉を聞くと、西伊場は顔を上げ、新聞を若林に渡した。そして
「分かったよ」
と一言だけ言った。
「え?何がですか」
若林が聞くと、
「決まってるじゃないか、尾崎西風がなぜ紫の絵を描いたかだよ」
それを聞くと若林は目を見開き
「本当ですか!?いったいどんな理由で?」
西伊場は指を一本立てて、
「彼が今回の絵で青色を使わず、紫色を使った理由、それは一つしかないよ」
「彼が人を殺したからさ」
「殺人って・・・いや待ってください!どうしてそうなるんですか?」
若林は突拍子もない西伊場の言葉を受けて一瞬固まったが、どうにか返答した。
「絵に使っている絵の具が青から紫になっただけで何で殺人犯になるんですか。支離滅裂にも程がありますよ」
若林のその言葉を聞き、西伊場はニヤリと笑うと
「まぁそうだろうね、あくまで僕の推理だから。聞きたい?」
そう言うと楽しそうにニヤニヤしてる。若林はじれったい気持ちを抑えながら
「ええ聞きたいです。なぜ、尾崎西風が絵の具を青から紫に変えたのか。そしてそれがどうして殺人につながるのかを」
それを聞くと、西伊場はコーヒーを一口飲んで話し始めた。
「まず考えるべきは絵の具だね、なぜ青から紫にしたのか、君はどう思う?」
「どうって・・・単純にそういう気分だったんじゃないですか。たまには青以外も描いてみたくなったとか」
「なるほどね、つまり気分で変えたと。たしかにその可能性もあるが、今回は大切なコンクールに出品する絵だ。このコンクールって重要なものだって君も言っていただろう」
そう言われて若林は
「はい、その通りです。このコンクールで入選すればその後の芸術家人生に大きな拍が付きますから」
「だとしたらだ。なおのこと自分が得意な青色で普通は勝負してくるはずだろう?それなのに青ではなく、紫ときた。それはなぜか?」
西伊場はさらに続けて
「そこで考えたんだ。彼は青色を使わなかったのではなく、使えなった事情があったのではないかとね」
「青を使えなかった事情・・・?」
若林はそう呟くと、青色を使えなかった事情を考えたが、さっぱりだった。
「彼は何らかの理由で青の絵の具を使えなくしてしまったのさ」
「その何らかの理由というのは?」
若林が尋ねると
「混ざってしまったんだよ、赤色とね」
「赤色と?たしかに青と赤は混ぜれば紫になりますけど・・・でも彼はなんで急にそんなことを?」
「赤と言っても絵の具じゃないよ。赤色をした別の何かとアクシデントで混ざってしまったんだ」
若林は息を飲んだ。そして口を開くと
「まさかその混ざった赤色っていうのは・・・」
「そう、血液さ」
西伊場が血液と言うと、若林は体中に汗がにじみ出てくるのを感じた。
「ここで殺人の話につながってくるわけだ。犯行が行われたのは数週間前。犯行現場は彼のアトリエだろう。アトリエってたいてい外との関わりが最小限の静かな空間だから、殺人をする現場としては申し分ない」
「そして殺した際に飛び散った血が青の絵の具を出しておいたパレットやキャンパスに飛び散ったんだ。彼、注文から届くまで数週間かかる特注の絵の具を使うって言ってたよね。再度注文してたんじゃコンクールの締切に間に合わなかったんだろう。だから犯行が行われたのはコンクールの締切前の数週間以内だね。それほどこだわりが強い人だから、代用品として市販の絵の具じゃ満足できない」
西伊場はさらに続けて
「青の絵の具に飛び散った血を見て、彼はさぞ焦っただろう。でもその時ふと考え付いた。赤と青を混ぜて紫を作ってしまえば青の絵の具をそのまま使えるということを」
若林は両手を握りしめている。汗がさらににじむ。
「青と混ぜているとはいえ、これだけの紫色を使った絵を一枚描けるほどの血となると相当の量だ。当然被害者は死亡しているだろう。その被害者なんだが、家族だろうね。それ以外の人間じゃとっくに騒ぎになっているだろうし。その新聞の写真を見る限り、尾崎西風って結婚指輪してるけど子供はいるの?」
突然質問されて、若林はハッとなった。新聞の写真を確認すると、たしかに写っている。尾崎西風の左手の薬指が小さく光っていた。こんな小さいのよく気付いたなと思いつつ、頭をどうにか回転させると
「えぇとたしか・・・そうです!結婚してます。前に見た記事で夫婦二人で自宅兼アトリエに住んでるって書いてありました。二人でってことは子供もいません」
「だとすると被害者は妻だな。おそらく口論にでもなってはずみで殺したんだろう。計画的なものではないね。でなければ大事な青い絵の具の近くで殺したりしないだろうから」
西伊場はここまで話し終えるとコーヒーをぐいっと飲み干した。
「これが尾崎西風が青色を使わず紫色を使って絵を描いた理由さ。どう思う?」
若林は急に投げかけられ戸惑いを隠せなかったが
「いや、どうって・・・まず何も証拠が無いですし、そもそも荒唐無稽すぎますよ。青の絵の具に血が混じったから全部紫にしたなんて。画家なんだから絵の具なんていくつもストックがあるはずでしょう。さすがに非現実的すぎます」
「やっぱりそう思う?」
西伊場は頭をかきながら答えた。
「そこに関しても一応仮説は立ててみたんだ。さらに胸糞悪いけど」
「もうここまで聞いたんですから全部聞かせてください」
若林がそう言うと西伊場は
「分かったよ。血が青色の絵の具に飛び散ったとき、彼はすぐに新しい絵の具を出そうとしたはずだ。しかし、飛び散った血と絵の具の青をジッと見つめるうちにある考えが浮かんだ。
“これを混ぜたらどんな色になるのだろう”ってね。そこで混ぜてみると自分が今まで見たことがない、理想の紫ができあがったんだ。彼は喜び妻の血と青の絵の具を混ぜて狂気の紫を作り出し、それで絵を描いたってわけさ」
それを聞き、若林は思わず身震いした。信じられない、恐ろしい話だ。しかし・・・
「恐ろしい話ですけど・・・それ本当なんですか何か証拠になるようなものでもあるんですか?」
そう尋ねると西伊場は
「まさか!推理だって言ったろう。彼はただ気分で紫の絵を描いただけなんじゃないか。君があまりに真剣に聞くもんだから、ちょっとからかってみたくなってね。ちょっとした怪談話になったろう?」
「やっぱりそうだと思いましたよ。もう!からかわないでください。さ、仕事始めますよ」
そう言って資料をめくり始めた。探偵はようやくやる気が出たらしく、大きく伸びをすると
「そのまえに新しいコーヒーを。君もどう?」
と言って、席を立った。
若林は西伊場のいつものタチの悪い冗談だと思っていた。
テレビから尾崎西風が逮捕され、自宅のアトリエで妻の死体が見つかったというニュース速報が流れてくるまでは。
紫色の真実 髙橋 @takahash1
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