第1話 噂
「ねえ、知ってる? あのゲーム、何か変な噂があるの。怪談っていうのかな。君さ、よくやってるって言ってたじゃん。見かけたら教えてよ」
スマホの音声通話で話していた知人が、半笑いでそう告げてきたのに生返事をしながら、赤坂は画面の中の見知らぬ誰かを殴り飛ばした。
最近俄かに出回り始めたそのネット怪談ならば、よく知っている。
『ネオライフ』は、赤坂が入り浸っているオンラインゲームだ。普段は気ままに家や土地を作りながらのんびりと過ごすことを目的としているが、数多いる住人の中から嘘つきを見つけ排除するイベントが、定期的に発生する。
R18指定の課金シナリオを購入すれば、嘘つきを見つけた際に、告発した人によって処刑することができるのだ。その処刑と晒し首の画像があまりに悪趣味なため幾度か炎上しているが、それを上回る人気があるのか、改定される気配はない。
通常、処刑された『嘘つき』のアバターは首を落とされ、晒し首にされてから、日が暮れると自然消滅する。だが、噂によると、とある男のアバターが自分の生首を持って歩き去るところを、複数人が目撃したというのだ。見物人によれば、男は冤罪、もしくは組んだ相手の裏切りにより告発されて、処刑されたらしい。それを恨んで生ける屍になったのではないかと、ゲーム内の住人の間で話題になっているのだ。
その上、その男が残した手記が見つかったという。
赤坂は画面の中で、一人の男を取り押さえていた。赤坂が操る分身は、赤いヒールを履いたアバターで、男の嘘を暴き立てる。女を選んだのは、特に意味はない。ただ、性別が本来の自分と違えば、何かの時に身バレしにくいだろうという、大した根拠もない自衛のためだ。
見物人が幾人か周りに集まっていたが、そのうち誰かが赤坂を糾弾して騒ぎだした。あっという間に大人数が赤坂のアバターを囲み、告発されていた男を擁護し、逆に赤坂に疑いを突き付け、追い込んでいく。
赤坂は舌打ちをした。
ネットの手記を見て、すぐに判った。あれは、自分に宛てたものだ。赤坂が土壇場で男を裏切り、告発し、処刑したのことへの恨みが書かれていた。だが、裏切りを責められても困る。そういうゲームなのだ。
画面の中で囲まれた自分のアバターが処刑される前に、赤坂はゲームからログアウトした。イベントの途中での離脱にはペナルティが加えられるが、知ったことか。
問題なのは、あいつの方だ。どうプログラムを改造したのか知らないが、首を切られたアバターが消滅しないだと? 何か不正を働いた筈だ。それなのに、こちらのIDを晒すなんて、ありえない。
ましてや、上手いことネット怪談みたいな手記を残して、注目まで集めている。おかげで自分は界隈で袋叩きだ。ログインすれば今みたいに、すぐに囲まれやられてしまう。おもしろくない。
「ねえ、聞いてる?」
不審げな声を漏らすスマホを掴むと、赤坂はそれを床に投げつけた。
コンビニの袋をぶら提げて、赤坂は苛々と足を踏み鳴らした。人通りの多い駅前でわざと通行人にぶつかったら、相手が胸倉を掴んで凄んできたのだ。無様にへらへらと笑って頭を下げて、ようやく解放してもらった。全くついていない。
暗く街灯もまばらな土手を歩いていると、前方に、やたらともたついた足取りの男が歩いていた。あの歩き方は、知っている。
赤坂の唇が、厭な形で嗤った。
足早に近づいて、その横顔を覗き見る。間違いない。学生時代に、クラスで虐められていた奴だ。
「よお」
気配を殺して、唐突に、その耳元に声を掛けた。気弱そうな顔が、びくりと赤坂を振り向く。その怯えた顔に満足して、赤坂は馴れ馴れしく相手の肩を叩いた。
「久しぶりじゃん。覚えてる?」
忘れたとは言わせない、と圧をかけて脅してみたが、予想に反して、相手はにこやかな笑みを赤坂に返した。
「もちろん覚えてる」
「へえ、意外だな」
「忘れる訳ないよ。君もみんなと一緒に、随分僕にあれこれちょっかいかけただろ」
「そうだっけ」
「そうさ。君こそ覚えてないのか」
ひどいな、と、男は困った顔で笑った。その柔らかな目元が、じっと赤坂を見据えて次第に細められる。蒼白い街灯を通り過ぎて、辺りはまた、闇に沈む。
「ねえ、赤坂。どうだい、袋叩きにされるのは。みじめだろ?」
にい、っと三日月の形に唇が歪む。
一瞬、赤坂はくらりと目が回った気がしてよろめいた。
「赤いヒールを履いた裏切り者」
穏やかな顔がじっと赤坂を見つめている。
「どうして、俺だって判った」
「だっさい名前さ。君の昔のメルアドと同じだ」
優し気な顔が剥がれ落ちて、小馬鹿にした眼差しが、赤坂を貫いた。次の街灯まで、あと少し。ここはまだ、闇の中だ。
「簡単だったよ。噂を広めるのなんて」
ぐらりと回る視界の中で、赤坂は、相手の胸倉を掴んで力任せに引きずり倒した。
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