第6話 遺書と悪魔

 時は遡って、貞平と宅間が氷上山を下りていくのを見送っている中井刑事と高松刑事。黄色いN600が爆音とともに去っていくのを見ながら、目を合わせる二人。


 辺りは、雲と地面との間に湧き上がるような湿気が森の冷気と相まって薄らと靄(もや)を形成して漂わせている。木々の隙間から蝉の鳴く声が反射して木霊していく。


「それにしても・・。縁という奴がこの世には、あるもんなんだなぁ・・。タカ坊と俺。それとこの事件と大きな蝙蝠・・。うまいこと繋がらなければ、ここで出会うことすらなかったろうなぁ」


感慨深げに腕組みをしながら、道と斜面を隔てる白いガードレール越しに森の方を見渡した中井刑事。


「ええ、そうですね。それに、四十五年も前の失踪事件が、この氷上山で起きたとすれば、偶然とはいえ、今回の事件との接点を疑いたくなるのも、無理はありませんね」


高松刑事も森の遠くを見ながら、深くため息をついた。


「確かにな。偶然にしては、出来過ぎている・・。かと言って、偶然が必然である可能性もある。まあ、四十五年前の話は、彼らに任せて、我々は先を急ごうか。んっ?!あれは?」


 貞平たちの車と入れ違いに、静かに所轄のパトカーが一台、山道を登ってくるのが見える。やがて、中井刑事たちを探していたのか、その前で停まると、二人の制服を着た警官が降りてきた。


 二人の警官は白い紙の入った透明なビニール袋を中井刑事に手渡すと、2言、3言話しただけでそそくさと帰って行った。中井刑事がそのビニール袋を空に掲げて、高松刑事と二人で透かすように見上げている。


「これが、例の右手に持っていた白い紙・・いや、封筒と便せんですね」


「さっきの警官の話では、仏さんの遺書だったとの事だが・・。なんて書いてあるんだろうな・・」


 中井刑事は厚い雲に覆われた空をぼんやりと見つめるように、遺書の文字を追った。薄汚れたわら半紙に毛筆で書かれた文字が躍っている。


 ところどころ墨が滲んだようになっているのは、書いている最中に、わら半紙が湿り気を帯びていたからに、他ならないのだろう。中井刑事の隣から高松刑事が覗き込むようにして、二人は遺書を読み始めた。


『ご存じ様 

 私は今、ここに告白を致します。高橋昌代は、今日に至るまで普通の生活を送ってきました。いえ、普通の生活を送らせて頂いたと言った方が良いでしょう。


 私は二十歳で結婚し、二人の子供にも恵まれ、夫にも愛され、幸福を噛みしめることができました。それと同時に罪深き苦悩もありました。そう、私にとって、この何十年問日々は幸せと苦悩の連続であったのです。


 ただ、私は今日、遠き日の過ちを懺悔しなければなりません。そう、四十五年前の忌まわしき事件の事です。それら全ては、私、高橋昌代の犯行に間違い御座いません。


 例え、それが幼心の遊びだったとしても、取り返しのつかないことをしてしまいました。まさに万死に値するのではないかと、私の心の奥底にずっと棘として残っておりました。


 全ての罪を清算をするために、私はこの世と決別を致します。このような罪深き私をお許しください。


日高市・・ 高橋 昌代(旧姓 野中 昌代)』


二人は読み終えると首を廻しながら、視線を森の中へと移した。


「四十五年前の忌まわしき事件・・か。なあ、偶然にしては、あまりにも出来過ぎている感じがするなぁ、高松」


「まあ、何の事件かは書いていないので、はっきりと断定できませんが・・。ただ、先ほどの貞平さん達に伺った話からすると、失踪事件と関係があるように思えますね」


「確かに、流れから推察すれば、そうなるだろな。しかし、四十五年も前の事件だぜ。それが今頃になって、こういう形になったのかが判らんなぁ」


高松刑事が頷きながら聞いている。中井刑事は首を傾げながらも続ける。


「まあ、仮に、この仏さんが、仮に六十前後だとすれば、当時、十二歳から十八歳の間ぐらいに相当するから事件の関係者でもおかしくはないんだがな」


中井刑事が高松刑事に振り返る。高松刑事が大きく頷きながら言う。


「確かにそうなんですよ。この遺書の中にある『幼心の遊びだった』のくだりから推測するに、やはり、失踪事件に関係した人間のように捉えられますからね」


「まあ、俺も御多分に漏れず、そう思うんだがなぁ。ただ・・この遺書の内容は、どうにも腑に落ちないんだよなぁ」


中井刑事が右耳を掻きながら、訝しげに遺書に視線を投げる。


「えっ?!何処がですか?自分の罪を告白して自殺した遺書のようにしか見えませんが・・」


「そうか?遺書にしては、変だろう?宛名が”ご存知様”だぜ。お知り合いと言う意味だろうけど、意図的に宛名を隠そうとしているようにしか見えない。しかも、告白すると言っておきながら、その罪の内容に対して具体性に欠ける曖昧な中身だ」


「なるほど・・」


「もし、告白するなら、もっと具体的に、どのように犯行を犯したのか書いてあっても良さそうなものだろう?それに、家族がいることをほのめかしていながら、家族に対する贖罪は書いていない。これらの宛名を不明にしていることや内容を精査すると、遺書の体(てい)を成していないんだよ」


中井刑事は吐き捨てるように言った。高松刑事が訝しげに尋ねる。


「つまり、それは、自らの意思を以て書いていないということですか?」


「その通り。筆跡鑑定による本人確認が必要だが、仮に本人が書いたとすれば、誰かに強要されて書かされたのか。それとも、元々違う意図を以って書かれたものなのか、どちらかになるだろうな」


「そうなると、自殺の可能性以外に他殺の可能性も出てきますね」


「ああ。そうだなぁ・・」


中井刑事がおもむろに腕時計を見る。既に十時十五分を過ぎている。


「おっと。そろそろ、少年たちも起きた頃だろう。家庭訪問に行くとするか・・」


「それじゃ、私が先に電話してみましょう。一報を入れておいた方がいいでしょうから・・」


 中井刑事が大きく頷く。おもむろに高松刑事は、携帯電話と警察手帳を取り出して電話を掛け始める。中井刑事がそれを横目で見送りながら、昨日の無惨な遺体が吊るされていた場所へと視線を移した。


(それにしても、今日は一段と森の中が暗いな。ジメジメとした湿度以外に、何かこう、ひんやりとした冷気のようなものが、体にまとわりつくように重い空気を感じる。四十五年前の事件・・。本当の正体は何なんだろうか・・。その接点が全く見えない。本当に自殺なのか。それとも他殺なのか。いずれにしても、何者かの意図によって描かれた絵図は既に走り始めている・・)


 そんな事をぼんやりと考えていた中井刑事に高松刑事がゆっくりと話しかける。


「中井さん。今、三人の少年の家に連絡を取ってみたのですが・・残念ながら、二人の少年は熱を出して寝込んでしまったらしいです。ただ、一人だけ話すのは大丈夫みたいです」


「んっ?!それは誰だい?」


「ええっと、三国 太郎 君という男の子です。昨日、ちらっと見かけたんですが、メガネをかけた背の高い子でしたよ。お母さんの話ですと、何とか話せるみたいなので、行ってみますか?」


「よしっ!早速行こう!」


 中井刑事と高松刑事は青色のセダン型 覆面パトカーへと乗り込んだ。静かで軽快な始動音が流れると、勢いよくエアコンから風が吹き出して社内へ冷気を送る。


 高松刑事が運転席に座り、急いでナビをセットする。青い覆面車は氷上山の斜面をゆっくりと下っていく。重々しく、鬱蒼と茂った森を横目で追いながら、二人はしばし黙ったまま、滑走する景色に向かって、ぼんやりとした想いを投げていった。


 氷上山の入り口へ差し掛かり、右に曲がって広瀬町へと覆面車は進んでいく。空は、黒く濁った雲に覆われ、夏の蒸し暑い空気が重く流れて、エアコンの冷気に当たっているにも関わらず、二人の額に玉模様の汗を滲ませていくのである。


 やがて、広瀬川の脇道へと入ると、川辺に咲く野花の香りが窓の隙間から二人の鼻孔へと入ってくる。春には桜が満開になる川辺だが、今は緑色の葉が暑い夏の風に揺られている。穏やかな水流の音に混ざって、蝉たちの重奏が聞こえてくる。


 徐々に大きな国道の道路標識が目に飛び込んできた。高松刑事が緩やかにハンドルを切ると、その一本手前の道を右へと折れて、閑静な住宅街へと入っていくのだ。


 昔の広瀬町の住人からすれば、ここは最近の土地開発で出来た新興住宅地で築20年未満の目新しい住宅が立ち並んでいた。昔から住んでいる中井刑事にとって、殺伐とした木造建築物が立ち並んでいた頃とは打って変わって、外壁に新しい素材を使用した近代建築物。すなわち、外壁の形や色が十人十色のように混雑しているような建築物は、綺麗だが温かみの無い無機質な物のように思えて、どうも落ち着かないのである。


 やがて、目的地に着いたらしくナビが騒いでいる。門とその周囲を取り囲む塀は、西洋風な感じだが、屋根は深みのある茶色を纏っており、壁は淡いクリーム色で最近の保湿、保温をうたった壁のようだ。


 二人は、今風の二階建ての一軒家を見上げる。家の左手に2台停めることができる車庫が完備されており、左右にも一軒家があるため、覆面車の駐車には気を使って、車庫と道を塞がないように器用に高松刑事が停めた。


「ここか・・三国君のお家は」


「そうらしいですね」


 二人は覆面車を降りて、門の横に据えてあったインターフォンを押した。暫くして、母親らしき甲高い声で応答があった。


 先に電話連絡を入れていたことが功を奏したのか、すんなりと応接室へと通されて、コーヒー二つとオレンジジュースが二つ、茶菓子まで用意されていた。奥側のソファには小学五年生の三国 太郎が緊張した面持ちで座っており、その隣には心配そうに太郎を見守るやさしそうな母親。


 入り口側のソファに中井刑事と高松刑事が並んで座る。中井刑事と高松が会釈をして、中井刑事が、やさしく外行きの声で話を切り出した。


「えっと・・今日はお忙しいところ、お伺いして恐縮です。まあ、太郎君が疲れない程度で構いませんので、是非、我々に仏さんを発見した時の状況を伺いたいのですが、大丈夫でしょうか?」


「ええ、太郎も少し疲れておりますが、本人が是非、刑事さんとお話ししたいと申しておりますので、こちらこそ、宜しくお願いします」


 太郎の母親が軽く会釈をした。中井刑事がやさしい目を太郎に向けながら話しをしていく。太郎は、最初こそ緊張して顔を赤らめながら話していたが、氷上山のお地蔵さんまで辿りついたくだりから徐々に興奮してきたのか、堰(せき)を切ったかのように早口で身振り手振りを交えて話していくのである。中井刑事は時折、相槌を打ち、高松刑事が手帳を開いて必死にそれを書き留めていく。


 やがて、太郎の話が、遺体を発見したところへ差し掛かった。だが、次の言葉を聞いて、二人の刑事は一瞬眉をひそめた。そう、それは彼らが遺体を発見直後、その木の下にぼんやりとした白い少年の影が見えたということだった。中井刑事がやさしく問いかける。


「なるほど・・。そんなものが見えたのか・・。それは、どんな表情とか、詳しく分かるかな?」


「いえ・・全然。そこまで見えませんでした。一瞬の事だったのと、あまりに怖くて・・」


 太郎はその時の情景を思い出したのか、顔を強張らせて、両肩を震わせた。中井刑事が、その小さな肩を見ながら、恐怖心を和らげるように話しかける。


「それは、そうだろうな。でもな、君たちが大きな蝙蝠探しをしてくれたお蔭で、仏さんも早く見つかったんだ。まあ、ある意味良かったのかもしれないな」


「そうだよ。君たちのお蔭だよ」


 高松刑事も勇気づけるように言った。そう言われて、自分たちの冒険心から自責の念に駆られていた太郎も少し落ち着きを取り戻したようだった。


「まあ、今日のところは、これぐらいにして、そろそろ帰ろうか?まあ、三国君もゆっくり休んでな」


 中井たちが立ち上がろうとした次の瞬間だった。俯き加減だった太郎が、意を決したように、二人の刑事の方を向き直った。何かを悟った二人の刑事は浮き上がりかけたお尻を止めた。


「あ・・、あの・・。氷上山のお地蔵さんに気を付けて下さい。あのお地蔵さんは、四十五年前に建てられたんです」


 中井刑事と高松刑事が一瞬、眉をひそめる。中井刑事が太郎を脅かさないように、そっと話かける。


「んっ?!それは、どう言うことだい?三国君」


「そ、それは・・。実は今日の朝、お父さんと昨日の話をしていたんです。そしたら、あのお地蔵さんの話になって・・。お父さんは、あのお地蔵さんには悪魔が憑りついているっていうんです。しかも、二つの悪魔が憑りついていると言うんです」


『な、なんだって?』


思わず、二人の刑事は驚愕の声を発声した。高松刑事が興奮気味に言う。


「そ、その二つの悪魔って、一体、何なんだい?」


「そ、それが・・。お父さんが子供の頃、僕と同じように氷上山に登って遊んでいたそうです。そして、帰るのが遅くなって夜になってしまったんです」


二人の刑事は頷きながら、静かに聞き入っている。


「そして、お父さんと友達が、あの坂道を下りていたら、お地蔵さんの前で、話し声が聞こえてきたんだそうです。その声は、一人は男で、一人は女だったそうです。その声は二つとも低い音だったので、何を話しているのか、はっきりと聞き取れなかったそうです。お父さんたちは慌てて周りを見たそうですが、誰もいなかった。それで、あまりに恐ろしくなって、急いで山を駆け降りたそうです。でも、問題はその後だったんです。それから五日後に、お父さんと一緒に登った友達が事故で亡くなったそうです」


中井刑事と高松刑事は眉間に皺を寄せた。


「それは、初耳だったな・・」


「そうですね。あのお地蔵さんが関係していたとは・・」


「いや、三国君。それは、いつ頃の話になるのかな?お父さんの年齢と当時の年齢や季節が分かるかな?」


「ええっと・・うちのお父さんは今40歳だっけ?」


太郎の母親が軽く頷く。


「それと確か、僕と同じ年ぐらいって言ってましたから、二十九年前ぐらいだと思います。確か季節は秋って聞きましたけど」


「なるほど・・。四十五年前の事件から十六年経つな・・」


 そう言うと中井刑事は腕組みをしたまま目を閉じて考え込んでしまった。変わって高松刑事が話し始める。


「ところで、その事故で亡くなった男の子の名前とか、どんな事故で亡くなったのか聞いていないかな?」


太郎は首を大きく横に振って


「それが、お父さんに聞いたんですが、思い出せないそうです。お父さんが言うには、大分前の話で記憶が曖昧なんだとか・・」


と、残念そうに答えた。中井刑事が真剣な眼差しで頷きながら、そっと話かける。


「そうか・・。まあ、子供自分のショッキングな出来事と言うのは、その恐怖心から解放させる手段として、時に記憶を閉ざすことがあるからな。そういった自己防衛本能が働いたのかもしれないな」


「そうですね。何か手がかりが掴めそうだったんですが、残念ですね」


 高松刑事が渋面を浮かべている。それを横目で見ながら中井刑事がチラリと腕時計を見た。と、そこへ中井刑事の携帯電話が鳴った。


「もしもし、中井だが・・・。おおっ・・。何っ?!なんだって!ああ・・分かった。すぐに行く」


中井刑事が飛び上がるようにソファから立ち上がる。思わず高松刑事も腰を浮かした。


「ああ、驚かせて、すみません・・。ええ、ちょっと・・。我々、急用ができましたので、そろそろお暇(いとま)します」


「ええ、あっ、あの・・それでは、これで失礼します」


「こちらこそ、お構いもしませんで・・」


と、太郎の母が腰を浮かせたので、二人の刑事はそれを静止しながら、


「じゃあ、太郎君。また、何か思い出したら、おじさん達に教えてくれな」


 頷く太郎に目配せする中井刑事たち。壁に掛けられた時計が十時四十五分を刻んでいる。二人は挨拶もそこそこに、勢いよく玄関から出ていった。


 それを茫然と見つめる太郎とその母。この時の太郎の目の奥には、恐怖心とは、別の新たなる光が激しく光輝いている。だが、それを二人の刑事は見落としていたのだ。この少年の好奇心と冒険心を未だ止むことの無い雨でも消すことはできなかった。

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