魔王を倒したいはずの勇者

魔王を倒したいはずの勇者



山を超え谷を超え魔物と闘い、広い大陸の端から端まで旅をしてようやくたどり着いた魔王の城。鬱蒼とした森を抜けた先、海にせり出した崖の上にポツンと佇むその城は、まるで世界の全てから忘れ去られたように薄暗かった。人気どころか生き物の気配もまるでない。上空には雲が広がり、時折雲の中では雷が鳴りひびいている。

海から吹き上げる冷たい風は塩の匂いと湿り気を運び、足元の土を後方に巻き上げていった。


 門をくぐり広い庭を抜けると、正面には城の入り口となる大きな扉がある。軽く押しただけで簡単に開いてしまい、入るとそこは広い玄関ホールになっていた。左右には長い廊下、奥には上の階へと向かう横幅の広い階段が続いている。内部は薄暗いが、窓から差し込む光でなんとか周囲の状況は確認できる様だった。階段をいくつか上がり廊下を抜け、また階段を上がると、目の前の廊下のつきあたりに大きく豪奢な扉があらわれた。扉からは今まで感じたことのないような緊張感と存在感が漂っており、ここから先に踏み入ってはならないと直感的に感じさせる。

 しかし、この先に進み魔王と戦うことが自分に与えられた使命である以上、このまま戻ることは許されない。意を決して扉に手をかけ、部屋に踏み入る。


「待っていたぞ勇者」


 薄暗い部屋に響いた女の声に思わず顔を上げ、正面を見ると、広い部屋の奥、一段高くなった場所に置かれた椅子に、髪の長い女が肩肘をついて腰掛けているのが分かった。


「我が名はアイーシャ、お前たちが長きに渡り倒そうと苦しみもがいてきた魔王である。」


 そう聞こえた途端に薄暗かった部屋の中の灯りに一斉に日がともり、先程まで分からなかった細部までよく見えるようになった。

 アイーシャと名乗った魔王は、白い肌に赤い瞳と黒く長い髪を持ち、これまた黒いローブを纏っている美しい女だった。何百年も魔王を倒そうとしていながら未だ1度も魔王を倒せた者はいないというのに、年はまだ若いように見える。

 部屋の構造は旅に出る前に1度だけ見た、王都の城にある玉座の間にそっくりで、魔王が座っている椅子がまるで玉座であるかのようだ。


「私はグレイ。勇者としてお前を倒しに来た、魔王アイーシャ」 


 これまでの人生で未だかつて味わったことのないほどの圧を感じる。今にも押しつぶされ地に膝を着きそうになりながらも、部屋の真ん中に進み出て愛用の剣を構え言った。何百という年月に比べれば対して長くもないが、それでも積み重ねてきたものは俺にもある。これから先もなるべく生きていきたいし、帰ってからやりたい事もある。手の中にある垢にまみれた柄を強く握りしめ、地面を強く蹴りつける。未だ玉座に悠々と座る魔王に一瞬で接近し、灯りを反射して白く輝く刃をそこに振り下ろした。


 己の全てを込めた剣は、しかし魔王に当たる寸前、なにかに阻まれたかの様にその場から動かなくなってしまった。見れば魔王の体の表面から少し離れた辺りに半透明の薄い膜がはられており、本人は少しも焦った様子もなく同じ体制で座り続けている。


「ハッハッハッハッ!!愚かなものだ。我が魔力は魔力以外の攻撃を決して通さぬ。お前のその刃は我が身に少したりとも傷をつけることなど叶わぬのだ」

「なん、だと…」


 にわかに信じられないが、実際にどれだけ力を込めても剣はそれ以上前に進まなかった。魔王の言うことが本当ならば、誰一人として魔王に攻撃できる者はいないことになる。なんせこの世界には魔王以外に魔力を使える者など、もはや残っていないのだから。


「お前もかつて散っていった数多の勇者の如く、我の前に屈するがいい!!」


魔王が手をかざすと剣を弾く力は段々と強くなり、徐々に押し返されていく。この絶望的な状況をどう切り抜ければいいのか。焦りと悔しさのあまり睨みつけた視線の先で、魔王はニヤリと笑った。


その瞬間、俺は


























「うん。勝てないな 諦めよう。」

「………は?」


 一言そうつぶやき、先程まで押し返されていた剣を自ら引いて鞘に収め、回れ右をして部屋の入り口に向かって歩き出した。対する魔王は呆気にとられ、先程のいかにも悪そうな笑顔も忘れ、毒気を抜かれたようにポカンとした表情で何が起こったのかわからないというように呆気に取られている。後ろから攻撃されてしまうかもしれないと考え一度振り返り様子をうかがってはみたが、まああの呆然とした様子なら大丈夫だろうと判断し、普通に歩いて出口に向かった。

 扉の前まで来てから、命の取り合いをした相手とはいえ流石に何も言わずに帰るのもなぁと思い至ったので、一応挨拶くらいはと再び魔王を振り返り


「お邪魔しました。帰ります。」

「いやいやいや、ちょっと待てそこの勇者!!グレイ!!」


挨拶もしたし、これでいいだろうと先程登ってきた道をスタスタと戻っていく。

魔王がなにか困惑して話しかけながら追いかけてきているが、完全に無視を続けた。こちらとしてはもう1秒でも早く帰りたいのである。

 一応剣を向け戦ったので、敵わなかったから撤退したという言い訳も立つ。正直魔王の城まで到達した時点でやりきった感というか達成感に満ち溢れてしまって、このあと死闘を演じる体力もやる気も何もかもが失せてしまっている。

 ようやく長い廊下と階段を抜け玄関ホールまで戻って来ると、来たときのまま城の入り口である扉は開いたままだった。どうやら入った瞬間に魔王を倒すその時まで閉じ込められるというようなお決まりの仕掛けや魔法の類は無かったようだ。ほっとしながら扉を抜け、さて帰るかと一歩踏み出そうとした。




しかし





 その瞬間、すぐにそれが不可能であるということに気づいた。もちろん大きな怪我は幸いにしてなく、拘束されている訳でも無い。

 ただ、俺はあるものを持っていなかったのだ。

 それに必要になったものは適宜途中の店で買うか自分で材料を手に入れて作るかをしていた為。今この場で新たに手に入れる事も不可能だ。ここには町にあるような店はもちろん、勝手に使えるような物も無い。先程よりも大きな絶望が俺を襲った。


 来た時に空を覆っていた雲はいっそう暗くなり、雷の音も激しさを増し、地面は一面水浸しである。外はいつの間にやら桶どころか海をそのままひっくり返したかと思うほどの激しい雨が降っていた。

 雨粒を防げるほどのものを俺は今何も持っていない。仮に持っていたとしてもこれほどの雨の中ではあってもなくても変わらないだろうし、雨が強すぎて霧が立ったようになっており、手を伸ばした先より前は何も見えない。

 実際来るときに通ってきた庭は僅かに存在がわかる程度で、ほぼほぼ何も見えなかった。この雨の中森を歩くのは無理だろう。とても今すぐに帰ることはできない。

 この事実に打ちのめされながらも、天気など変えられない以上どうしようもない。そう判断し真後ろを向くと、そこには玉座の間からここまでついてきていたらしい魔王アイーシャが立っていた。


「なん…だ、きゅうに、歩いて、いったと…思ったら、こんどは、立ち止まって……」


 俺はかなり早歩きでここまで来たので、必死に追いついてきたらしい魔王はこちらを見やりながらも必死に息を整えていた。どうやら世界最強の魔力はあっても、体力はあまりないようだ。

 苦しそうにしているところ申し訳ないが、こちらとしてもどうしても頼みたいことがあるので、話し掛けさせてもらいたい。


「魔王アイーシャ」

「…?改まって、どうした。」


 だんだん息が整ってきているようなので、ようやく落ち着いてきたのだなと判断し、こちらの要件を伝えた。




「………雨宿りを、させてもらえないだろうか?」


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魔王を倒したいはずの勇者 @lyre

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