第2話 墓穴
蛇さんにドロドロにされるところでした。内側をトントンとノックすると、わたしは食事ではないと理解して吐き出してくれました。
彼に悪気はないと理解しています。悪臭のする粘液でベトベトにするのは勘弁願いたいものでした。太陽の光でテラテラとわたしは輝いています。
服が完全にダメになりました。もともとの傷みに加え、この出来事で布切れのようです。もし体液を落とそうと、川で洗おうものなら手元には何も残らないでしょう。仕方ありません。脱ぎ捨てます。
そういえば、あの巨体を維持する秘訣が気になります。あの蛇さん以外の生きものと遭遇していません。なので一体何を食べているのでしょう。
案外、この砂漠にも生きものが多く生息しているのかもしれません。そもそも、砂漠となる以前の森に蛇さんほどの巨大な生きものはいたでしょうか。記憶にありません。特に気にする必要はないでしょう。
今もむかしも生きものは大きく移動します。人がその例でしょう。わたしですら音をあげる極寒の地に住む逞しい人々がいるほどです。
ひたすらに歩き続けました。やがて老人の手の如き木ではなく、みずみずしい青葉をつけた木々が見えてきました。生命溢れる美しい森に着いたのです。
森と砂漠の境界は線がピシッと引かれていました。それはもう明確に区切られています。不自然でしたので、愚かなことに砂漠は人工的に作られたのではないかと思ってしまいました。
しかし、わたしの知る人類の技術では、巨大な自然を制御することなどできません。それが可能ならわたしに不死の罰を与えた神と、人類は並んだと言えるでしょう。
川を探すとしましょう。身体中が粘液に覆われている状態で人に会えません。それに個人的にも気になってしまいます。
腐敗臭に誘き寄せられた蠅が周りをブンブンと飛び回っています。魔法で体の汚れを落としてしまいたくなるものです。
しかし、魔法の行使を好ましいとは思っていません。誤解しないでください。魔法を使うのが嫌いなだけで、技術自体は好ましく思っています。ですので限られた時間と空間で、道を極めようとする魔法使いを尊敬しています。自分で使うのが本当に嫌いなだけです。
小鳥の囀りや獣のうねり声、土の質感を頼りに川を探しています。なかなか淀みなく流れる清らかな川の発見には至りません。濁った水溜りは見つけました。そのそばには足を怪我した鹿がいました。
足の傷から足バサミのようなトラップにかかってしまったのでしょう。辛くもここまで逃れられたと。かなり弱っています。捕食者がここを訪れれば、まず間違いなく餌となるでしょう。
酷な話だとは思いません。我々の見えないところでそれらは常に起こっています。ですが、人というのは何事にも優劣をつけます。とくに目につくものを大切とします。わたしが彼を助けたいと思うのは不自然ではありません。
「暴れないでください。安心してください。大丈夫です。あなたに苦しみは与えません。あなたはもう痛みに泣かなくて良いのです。さぁ抱擁を受け入れてください。もう目を開けないでください」
鹿はそっと死に抱きしめられました。ここに用はありません。後にしましょう。
さらに時間が経ち、テラテラと光っていた粘液が乾き始めました。皮膚と一体化しカピカピになってしまいます。髪は老婆のように潤いがなく、手櫛で髪を解こうとしても引っかかってしまいます。
これはこれで有りなのではないでしょうか。不死ゆえに老化を味わえません。肉体は今回のような外的要因がない限り、常に一定の状態に保たれます。簡潔に言います。とても刺激的なのです。とはいえども、やはり嫌なものは嫌でした。
興味深いものを発見しました。川ではありません。人工的に作られたと思われる道です。
森が砂漠となるほどの年月です。町はとっくのむかしに滅んだと思っていました。これほどくっきりと道があるのなら、まだ栄えているのでしょう。町はどのような変化を遂げているのでしょうか。期待で胸が膨らみます。
そのためには汚れを落とさなくてはなりません。川を探そうと向かいの森に目を向けますと、三十代後半ぐらいと思われる数人の男性が、こちらを凝視していました。
彼らの身なりは清潔とはいえません。着古されシミが点々とついた服に、雑に剃られた髭。黄ばんだ歯と色の悪い肌。きっと武勇に優れた豪快な方々です。
彼らは顔を寄せ合いヒソヒソと話しています。何か企んでいるのでしょうか。狩人にしては獲物を狙う冷静さと落ち着きが欠けています。
「こちらを見ているようですが、どうかしましたか?」
恥ずかしさを我慢して話しかけます。彼らは慌てふためいてします。いくつもの戦場を切り抜けてきたであろう強者にしては、やけにフレッシュな反応でした。彼らの中でリーダー的な立ち位置だと思われる人物が道まで出てきました。
「我々はただの放浪者ですよ。それよりも神官様こそ、森の方から出てきて、さらに素っ裸。それに何やら匂いますし、全身が汚れています。一体全体に何があったんですか?」
「神官? わたしはそんなご大層な人物ではありません。ただの旅人です。この粘液については、先程厄介なのに襲われたせいです」
「またまたご冗談を。白髪に、赤い瞳。そしてその落ち着きよう、まさしく教会の神官様ではありませんか。……もしかして、本当に違うのですか?」
彼の瞳に映るわたしはキョトンとしています。彼は次第に額から猛烈に汗をかき、強く恐怖し出しました。心なしか、彼から漏れ出る声が震えています。ゆっくりと来た道の方へと後退を始めました。
「なぁあんた。俺を襲わないでくれよ。そんな変な姿をしてるからって、あんたをウグルだと思っているってわけじゃねぇ。ただよ、何事もあり得るんだよ。頼むからこっちに来ないでくれ」
彼の恐れているウグルとはなんなのでしょうか。彼の言いぶりからわたしと似た白髪、赤眼の容姿で、人を襲う存在なのでしょう。
「安心してください。わたしはあなたを襲いません。それよりもウグルとは何なのでしょうか?」
彼は目を見開き、とても驚いたかのような顔をします。コロコロと厳つい顔を年頃の少女のように変える姿に、不思議なかわいらしさを覚えてしまいました。
「あんた、俺を騙そうとしているのか。ウグルを知らないなんてあり得ない。あんた、もしその身を一旦拘束させて貰うと言われたらどうする?」
「別に構いませんよ。乱暴なことはしないでくださいね。非力ながら抵抗させてもらいますよ」
大人しく両腕を差し出します。拘束を受け入れるために差し出したのですが、男性は後ろに大きく飛び退き、わたしの胸に矢が突き刺さりました。
仰向けで倒れます。さらに何本もの矢が体に刺さりました。今すぐに起き上がり、矢を抜くこともできなくはありません。穏便に済ませられるように祈りながら待つとしましょう。下手に不死を見せたくありません。
最悪、彼らを始末すればいいのです。取り逃して不死の噂が広まろうとも、時間とともに忘れられるか、伝承になるだけです。
森の二人も出てきます。ひとりは弓を、もうひとりは先の鋭い太い槍のようなものを持っています。その先っぽでわたしの体をツンツンと付いてきます。
「反応がない死んだのか?」
「いや、裸で森の中を抜けてきたやつだ。もっとしっかりと確認してくれ」
「おう」軽い掛け声とともに、槍は皮膚を容易に貫きました。肋骨を的確に通り抜け、心臓をまっすぐ潰します。
やはり彼らは傭兵と盗賊を兼業しているのでしょう。あの太い槍なのか見極めるのが難しいもので、心臓を的確に潰すのは並大抵のことではありません。中央の男性の恐怖心は、戦場で培われた一種の能力でしょう。
先端はうっすらと開いた目を潰しました。そこからとても厳重に守られている生命の源、わたしの全てを記録している領域を侵しました。
それでもわたしの思考にはなんらの支障はありまへん。はたして人は、生きものは、どこでモノを考えているのでしょう。単にわたしが特殊なだけです。
彼らはウグルと呼ばれる存在を恐れて、わたしをひたすらに傷つけました。お腹から鮮やかな紅色の腸が溢れています。左足は鳥の脚のようです。
彼らの名誉のために言っておきましょう。別に彼らとて、好んでこの残忍な行いをしていません。途中で真ん中の人は胃の中のものを吐き出しました。またわたしを解体するふたりも顔をしかめています。
それでもわたしが、ウグルと呼ばれる白髪に赤眼の化けものか見極めようとします。
体を傷つけられて、痛くないのかと問われるかもしれません。結論から述べます。うっすらとしか痛みを感じません。不死になってから不思議なことに痛みを感じにくくなりました。死ないので様々な外傷に無頓着となったからでしょう。
それに傷付けられようが、拷問にかけられようが、血を舐められなければどうでもいいのです。もし、血を舐めようとしたら、止めなければなりません。生きものは普通に生き、死ぬべきなのです。
彼らの話から得られたウグルの情報をまとめてみました。常に生き血を求めて、森を、洞窟を、人里を彷徨っています。その外見は人と同じでありながら、夜でも猫のように爛々と輝く赤眼、そして狼のように鋭い爪と牙が目印です。
彼らがわたしを警戒したのは無理もないでしょう。ウグルは不死の怪物です。矢を何本か射った程度で警戒は解けません。命がいくつあっても足りなくなります。
また神官も白髪や銀髪に赤眼らしいので、根源的な場所に共通点が存在しているのでしょう。はたまた単なる偶然でしょうか。それはともかく、わたしの容姿はそれなりに良い方です。少し傷ついてしまいました。
最終的にわたしをウグルではないと判断して、黄金のネックレスごと埋葬してくれるそうです。彼らが本当に申し訳なさそうに穴を掘ってくれます。
戦場で生きてきたであろうものたちに、立派な道徳意識があるとは思いませんでした。彼らがわたしの血を口に含まないことを祈ります。
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