マリーシア

ホバー

1. 不老不死、博物館、レプリカ

『不老不死の人間が生物学上の確率では5人いる』

 そんな文章が目に入ってきたのは、僕が久しぶりの仕事に向かっている最中、混雑した電車の中だった。


 昼も過ぎようというのに、車内は人で溢れている。普段からなかなか電車に乗ることのない僕は、すでにこの仕事を受けたことを後悔しつつあった。

 僕は電車の振動に合わせて揺れる人の波から左足を庇い、背を壁に預ける。

 前に立つサラリーマンが横目にチラチラと、松葉杖を抱える僕を気にしているようだったので、僕は目深にかぶった帽子をさらに沈ませる。


 そして、手元で光り続けるスマホに目を向けた。

『不老不死の人間が生物学上の確率では5人いる』


 『不老不死 』と入力された検索欄の下に現れたその文章は僕の見間違いではないようで、当然の事実を示すようにそこに表示されたままだ。


「面白いなぁ」思わず、そう呟いてしまうほど、僕にとっては面白い出来事だった。







 僕が、タクシーから降りると、最初に目に入ったのは少々年季の入ったオフィスビルのような建物だった。

確かに、一言に博物館といっても色々な種類があるのはわかっていたが、こんな住宅街に擬態するような形で、ひっそりと存在する博物館は実在するのだろうか。


 不安に駆られ、後ろを振り向いた時には、僕の乗ってきたタクシーは音もなく走り出しており、僕は思わず息を漏らす。やはり、こんな仕事を受けるべきではなかったのかもしれない。


 途方に暮れて、ぼうっとその場に突っ立っている僕の肩に、ぽつんと何かが落ちてくる感触があった。まさか、と空を見上げると、今度は顔に同じ感触が当たる。黒々とした鬱憤を湛えた雲が、空を覆い尽くしていた。


「雨に濡れるぐらいなら、他人の傘でも迷わず入りな!」


 そんな言葉が、鐘を鳴らすように頭に響く。

 一瞬の迷いはあったが、目の前のビルを目指して、慣れない松葉杖を動かした。

 



 僕が建物の自動ドアをくぐる頃には、雲はその鬱憤を解消するように多量の水を降らせていた。コンクリートを打ち付ける雨音が、自動ドア越しに聞こえてくる。

 しかし、そんなことよりも僕の興味を引いたのは、玄関ホールの中央に堂々と鎮座している巨大なマンモスの骨格標本だった。意図的に照明を落としているのか、館内は薄暗い。そんな中で唯一ライトアップされているマンモスのしなやかな牙を見て、ギョッとした僕はバランスを崩しそうになる。


「お待ちしておりました!」


 突然、薄暗い玄関ホールに男性の声が響く。ライトアップされたマンモスが標本にされた恨みを晴らすため、意思を持ったのかと恐怖したが、すぐにその標本の裏からスーツを着た男性が顔を出した。


「ええと、賀川さんですか?」


 恐怖で早まった鼓動を感じながら僕がそう尋ねると、男性はこちらへ勢いよく歩み寄ってくる。


「はい! 本日はお越しいただき、ありがとうございます!」


 握手を求めるように賀川さんは手を出すので、僕も松葉杖を支えに応じる。太い眉の彼は身に余る実直さを身体中から漂わせているようだった。


「大変な時期に、わざわざすみません」

 賀川さんの視線から、足のことを言っているのだということはすぐにわかる。


「気にしなくて、大丈夫ですよ。むしろ、こういう時こそ暇なので」

 僕は浮かせた左足を、なんでもないように左右に振る。賀川さんは申し訳なさそうに、目を細めた。


「それじゃ、さっそくですけど」


 賀川さんに促されるまま、僕はマンモスの横を通り過ぎて、奥へと進んでいく。

 PR活動なんて初めての経験であったし、まさか、この僕にそんな仕事が回って来るとも思っていなかった。

 しかも博物館、それも個人で新しく開く博物館を宣伝してほしいというのだから、新手の詐欺を疑うのも仕方がないことだ。







「どうですか、この剥製なんて、素晴らしいでしょう」


 まるで、初めてここに来たかのように目を輝かせる賀川さんの横で、僕は感心があるように見せるため、相槌を打つ。


「ここは動物の展示が多いんですね」


 そうやって展示品を見て回る僕たちを、カメラを持った青年が追いかけてくる。

 事前に館内を歩く姿を撮影するという話は聞いていたので、前日からずいぶん緊張していた。しかし、実際は撮影と言っても、小さなカメラを持った青年が、僕らの周りをぐるぐると回るだけだった。確かに撮影と言えなくもないが、施設のPRというよりもホームビデオに近い。


「そういえば」三匹並んで展示されている鹿の標本の前で、僕は賀川さんに向かって言う。

「入り口のマンモス、凄かったですよね」


 賀川さんは僕の言葉を聞くと、はにかむようにして笑う。

「実は色々置きたいものが多すぎて、あのマンモスは、玄関ぐらいにしか入らなかったんですよ」

「でも、入り口に置いておいて、盗まれでもしたら大変ですよね」

 閑静な住宅街でマンモス強奪、そんな一面の朝刊が来たら、なかなか愉快だろう。


「ああ、もし本物だったとしたら、歴史的にも大損害ですよ」

 賀川さんはそう言って笑う。

「だったとしたらって、本物じゃないんですか?」


「まさか。マンモスの標本なんて、個人の博物館程度じゃ、手に入りませんよ」

 レプリカですよ、レプリカ。そう続ける賀川さんの言葉を聞いて、僕の意識は遠い昔の、あの日に引っ張られているような気がしていた。電車の中で見たあの文章が思っていたよりも僕の意識に入り込んでいたのかもしれない。やけに重い箸の感触が手に蘇る。


「骨のレプリカって、簡単に作れるんですかね」

 気がつけば、そんな言葉が口を衝いていた。

「本物の骨にシリコンで型取ったり、最近だと3Dプリンターで手軽に作ったり、まあ、やろうと思えば、簡単に出来ますよ」

 やってみますか? と笑う賀川さんに曖昧な返事をしながら、僕はなんとなく、足を速めた。







 動画を撮影し終わった後は、記者を招いての取材があるという話も、聞いていた。自分が呼ばれた以上、取材というのも、曖昧な回答が繰り返される国会のような、罵倒に近い質問が飛んでくることになるだろうと、ある程度の覚悟を決めていた。が、そうはならなかった。



 薄暗い館内の一番奥には草木が生い茂る大きなジオラマが爛々と照明に照らされていた。人工的な草木の中に、シカやキツネ、イノシシといった現存する動物たちの剥製が展示されている。そのジオラマは山の風景をそのまま切り取ったようなリアリティに溢れており、動物の息遣いが今にもこちらへ聞こえてくるような気さえした。


 そんなジオラマの前には、あまり似つかわしくない無機質なパイプ椅子が二つ置かれており、僕たちはそこに相対するように座っている。


「休日は何をして過ごされているんですか?」


 緊張しているのか、顔をわずかに紅潮された青年がメモ帳を片手に僕へ問いかけた。先程まで彼が持っていた小さなカメラは近くの三脚に固定されている。


「まあ、トレーニングしたり、読書したりですかね」


 僕がそう言うと青年は力強く頷きながら必死にメモ帳へペンを走らせる。

 今時、わざわざ手書きでメモを取らなくても、いくらでも方法はあるのではないかとも思うが、口には出さない。僕だってそれくらいの良識は兼ね備えている。


 最初に小さなカメラを持った彼がパイプ椅子に腰掛けた時も、まさか君が記者なのか、と問いかけるような真似はしなかったし、畏まって渡された名刺のフリージャーナリストという文字の下に「賀川」の苗字が見えたからといって、このPR活動は賀川親子と僕によって構築されているのか、と鼻で笑うこともしなかった。


 それくらいの良識は僕にだって、ある。




「先程、骨格標本に興味を持たれているようでしたが」


 賀川青年は赤かった顔をさらに紅潮させながら、質問を続ける。

 賀川青年が質問を投げかけ、僕がそれに答える、そんなシンプルなやりとりを繰り返しているだけなのに、何故こうも上手くいかないのか、僕にはわからなかった。


 もはや、彼はインタビュアーというよりも、僕の返答を朧げに繰り返しながら、メモを取る機械に近く、いたずらにテンプレートの質問を消費していくだけだ。しかも、事前に考えていた質問が書いてあるカンニングペーパーをどこかで無くしてしまったようで、それに気がついてからの彼は、まさに目も当てられない状況だった。


「先程、骨格標本に興味を持たれているようでしたが」彼は続ける。

「何か、骨に対して思い入れがあるんですか?」


 僕も決して、この取材が失敗してほしいと願っているわけではない。出来れば、この青年にも自信を持って仕事を続けていってほしいと思っているし、この記事をきっかけに僕への仕事が増えてほしいとも、思っている。


「そうですね」僕は続ける。

「確かに、ありますよ。小さい頃、骨に関する思い出」


 なぜ、これまでの人生で誰にもしたことがないこの話を、香川青年に話そうと思ったのか、それは必死に頑張っている彼を見て、何か輝かしい成功体験を作ってあげたいという気持ちになっていたのかもしれないし、

 ただ賀川さんの話や、朝に見た文章から、古い記憶が刺激されただけなのかもしれない。


「これは今まで、どこにも話したことないんですけど」


 僕がそう言うと、賀川青年は驚いたように「えっ」と声を上げた。それから前のめりになって僕の方を見る。「詳しくお願いします」


「ちょっと荒唐無稽な話なんですけど」あらかじめ言っておかなければ、相手の理解を得られないかもしれない。


「でも、今の僕があるのは、きっとこの頃の所為なんです」

 そう言って僕が笑うと、視界の端に映るジオラマの草木が、夏のそよ風に揺られたように微かに靡いた気がした。

 

 

 

 

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