第13話 挨拶(2)

「びっくりしているようだね」


 と第304さんまるよん基地通信中隊中隊長であり、啓太の叔父でもある伊原三佐が恵里奈に微笑んだ。

 そりゃまあそうだろう。まず名字が違う、しかも相手は部隊の中隊長、しかも九州北部と対馬を管轄する基地通信部隊の長である人物なのだ。驚かないわけはない。


「きっと名字が違うことでも驚いていると思う。そこから説明させて貰おうか」


 と伊原三佐は説明を始めた。


 そもそも啓太の父、旧姓伊原啓いはらさとしは、鳴無家に婿入りしたため、啓太と伊原三佐の名字が違うこと、そして啓太の両親と祖父母が死亡した事故のこと。事故の件に関しては、当時かなり大々的にニュースになっていたことから恵里奈も記憶にあった。


「私もその事故なら記憶にあります。そうだったんだ──」


 恵里奈が啓汰を見ると、啓汰は1つ頷いてかなしげなえみをか素かに浮かべた。啓汰にしてみればあの事故からまだ7年しか経っていないのだ。あの事故で両親、そして同居していた祖父母すべてを一瞬で失ったのだから悲しさと悔しさは残っていて当然である。

 さらに伊原三佐は啓汰の父親も昔自衛官であったこと、訓練で足を複雑骨折して除隊したことも話した。


「そうなんだ。お父様も自衛官だったんですね──」

「まあ啓太君は知らされていなかったようだがね」

「そうなんですか?」


 と恵里菜が慶太をみると、


「俺も叔父さんから聞くまで知らなかったんだよ。父さん、俺が自衛隊に入ることにずっと反対してたんだ」

「え、そうなの?」


 そう恵里菜が驚いた表情かおをすると、啓太は頷いた。


「そう、だったんだ。でもなんで?──」


 恵里菜が人差し指を顎に当てて首を傾げる。

 すると伊原三佐が、


「それはね、啓太君を試したんだよ。兄さんは自衛隊がどれだけ厳しいところかを身をもって知っていたから、啓太君が務まるかどうかをね。そして、入隊の意思が固かったからかな、兄さんは私に「慶太を頼む」、そう言ってきたんだ」


 と、補足してきた。

 それで恵里菜も合点がいったようで、


「なるほど、そういうことだったんですね。なんかお姉ちゃんと同じことしてます。お父様」


 と恵里菜はフフフと手を口に当てて笑った。そして、


「そんなお父様だったんですね、お会いしてみたかったです──」


 と、恵里菜はそう言って目から涙が溢れた。

 恵里菜は啓太の辛さと義両親となっていたかもしれなかった啓太の両親の死という悲しみが溢れてしまったのだ。


「でも、私は啓太さんと出会えて、とても幸せなんです。でもできたら啓太さんのお父様、お母様とお話ししてみたかったです」


 と、恵里菜は両手を顔に当てて泣き出した。

 そんな恵里菜をみて、伊原三佐は慶太を見て、


「良い娘さんじゃないか」

「はい、これが恵里菜ですから──」

「うむ、慶太君が下川三曺を選んだ理由がなんとなくわかるよ」

「そうですか?」

「うむ、下川三曺は雰囲気が義姉さんに似てるんだよ」


 と言われた啓太は、昔を思い出して、


「言われてみれば──そうかもしれません」


 と、啓太は少し恥ずかしそうに笑った。


「なに、それは良い事だと思うよ」

「はい──」




 伊原三佐と対話したその夜、啓太は夜勤に就いていた。


「鳴無三曺、変わります」


 と、隆太がやってきて、啓太は交換台を離れて裏の休憩室に入った。

 休憩室では、明美がコーヒーを淹れてくれていた。


「鳴無三曺、どうぞ」


 明美がコーヒーを勧めてくれたので、椅子に座って何気なしにいれてくれたばかりのコーヒーを手に取った。


「鳴無三曺、熱いから気をつけ──」


 明美がそう言いかけたのだけれども啓太は明美の注意を聞いていなかったのかそのままコーヒーを口につけたのだった。

 熱いのにそんなことをすれば当然──


「熱ッ!」


 と、こうなるわけで──。


「もう、だから言ったのに──」


 まあ、確かに言っていた。それを聞いていなかったのは啓太の方だから啓太に文句を言う資格はないわけで。


「ご、ごめん……」


 どうやら啓太は何かに気を取られてきがきではないようだ。

 それもそのはずで、啓太にとっては初めての──ほとんどの人が二度も三度もないわけだが──相手の両親に挨拶にいくわけだから、それは気が気ではなくなるのも頷ける。


「鳴無三曺、頭がどっかいってるでしょ」


 明美に指摘された啓太は、申し訳なさそうに頭を掻く。


「安川士長、今日鳴無三曺いないと思って2人で交換やりませんか?」

「え、2人きり?」

「バカなこと言わないでください!私、安川士長のことどちらかといえば嫌いなんですから」


 と、明美に印籠を渡された隆太は、


「ガーーン……」


 と落ち込んだ。

 まあ元々女好きで軽い隆太なので、こんな感じになるのもいつものことである。


「まあ、俺はいいよ。鳴無三曺、明後日でしたっけ、挨拶行くの」


 隆太に言われて、体がビクッとなる啓太。


「安川士長、デリカシーなさすぎ!だからモテないんですよ!」


 と明美が怒った。

 明美にしてみれば、好きだった、正確には愛していた啓太が別の女性に取られてしまったわけだから内心落ち着かないところもある。

 けれど、あの演習場整備の時にたくさん泣いてかなり吹っ切れているのも事実だ。


「うう、鳴無三曺、明美ちゃんがイジメル──」

「はいはい、安川士長、ちゃんと仕事する!」


 嘘泣きしながら啓太に救いを求めようとする隆太。その隆太にさらに噛み付く明美。

 傍から見れば愛称はいいようにも思えるのだが、まあこれは個人の好き好きにもよるものなので一概には言えないが──


「ううううう──」


 隆太がさらに嘘泣きをしていると、外線着信音がなったので応答する。


「はい、陸上自衛隊福岡駐屯地です──かしこまりました、少しお待ちください──外線からです──お待たせ致しました、どうぞお話しください」


 隆太も仕事はきっちりやる男なので、ある程度バカをやっても放置されないのはそういうところもあるのだ。

 でも、もう少し真面目にしていると、婦人自衛官WACからもよく見られるのだが。ルックスはそれなりに良いので「外見だけなら」という限定付きではそれなりに人気があったりもするのだ。


「なぜこんな男がいいのか、あの子は──」


 とぼやく明美。

 なぜかというと、こんな軽い男なのだが明美の同室者ルームメイトでもあり、前期教育隊からの同期でもある宮田みやためぐみ陸士長が隆太のことが好きなのである。できれば交際したいと言っているのだが「風○遊びをやめてくれれば」とも言っているのである。

 ここに気がつかない限り、隆太に春が来ることはなさそうでもある。


「あ、私機器チェックに行ってきますね」


 基地通信に限らず自衛隊にはいろんな機器があるため、定期的な点検が必要になる。

 その点検の一つが自衛隊独自でやっている「予防整備よぼうせいび」というものである。

 これは自衛隊の「機器愛護ききあいご」の精神からきているもので、壊れる前に整備をして少しでも機器を長生きさせると言うものである。こうする地道な努力のおかげで自衛隊はその少ない防衛費の中でなんとかやっているの減少なのである。

 なんせ防衛費とはいっても丸々機器や武器等の装備品の購入や保守整備にお金を使えるわけではない。どういうことなのかというと、防衛費の中で最も多くを占めるのが人件費、つまり自衛官等への給与や賞与なのである。この人件費が防衛費を占める割合は約4割強である。つまり、防衛費の約半分近くを占めているため、例えば5兆円防衛費が出されても2兆5千億円弱は人件費に消えてしまうため、残りでなんとかしなければならないわけなのだが、では残り全てが武器等装備品に使えるかというとそうではない。実質武器等装備品購入に使える金額は1千億円にも満たないのが現状である。それは既存装備品の維持費、土地建物等の維持・建築費等々とにかく限られた金額の中でややなければならないため、時には自衛官自ら身銭を払って日用品の補充等もしているのが現状であったりもするのだ。

 そういったこともあり、「予防整備」はとにかく一番やらなければならないことであり、異常を発見したらいち早く修理に出したりして金額を抑えながらやりくりしているのである。


 各機器装備品を点検していく明美。全ての危機装備品の異常がないことを確認した明美は交換室に戻った。


「危機点検異常なしでした」


 と啓太に報告をして危機点検簿に記録していった。


「異常がないといいよね」


 とポロリとこぼす隆太。


「安川士長、そんなフラグ立てないでください!」

「はい、すんません……」


 そんなこんなで時間は過ぎていき、啓太達はを回収せずに朝を迎えることができたのである。




 夜勤を明けた昼食もいつものように恵里奈と食べたのだが啓汰は言葉少なめであった。

 そんな啓汰を心配しながら午後を過ごしていた恵里奈は、加藤彩夏かとうあやか二等陸尉に早退願いを出した。


「彼氏が心配なのね」

「すみません──」

「いいわ。体調不良ってことにでもしておきましょう」


 と加藤二尉がハンコを押そうとしたとき、岡俊文おかとしふみ陸曹長がそれを止めた。

 

「どうしたの?岡曹長」

「室長、下川三曹は半休の代休が残っているので、こちらを消化する方が通りやすいかと」

「ああ、なるほど。じゃあ、半休の代休取っちゃいなさいよ。まだ30分くらいしか損してないから大丈夫でしょ?」

「え、でも。そんなことで良いんですか?」

「大丈夫よ、隊長が渋ったら隊長の弱みで圧力掛けてやるから。あの隊長、休肝日作んなさいって言ってるのに全然いうこと聞かないんだから!」


 加藤二尉はでもあるのだ。

 医官とは、簡単に言えば自衛隊の医者である。もちろん国家公務員の医師免許を持っており、学会等にも参加もしているし、実は自衛隊の医者=医官はかなり優秀でもある。それはなぜかというと、有事の際、戦時医療を行わなければならず、とにかくその瞬間での医療見立てをし、治療や手術にあたらなければならないからである。こうした技術は民間の医者にもかなり浸透してきており、その最たるものがドクターヘリやドクターカーの担当医師であったり、ER(救命救急)担当医師であろう。

 

「そ、そんなこと──」

「そんなこと心配しない!ほら一世一代の勝負に押しつぶされそうなんでしょ、彼」


 加藤二尉を心配そうに見る恵里菜であったが、加藤二尉は全く何も感じていないようで、それよりも今恵里菜が置かれた状況の方が大事であると認識しているようだ。加藤二尉も既婚者であり、その経験からも恵里菜のことを考えているのだ。

 

「はぁ、まぁそんな感じです」

「なら、こういうとき女はどうしなきゃいけないか、分かるわね?」


 ちょっと困ったような照れたような表情をする恵里菜に加藤二尉は一度息を吐くと、椅子から立ち上がり、机を回って恵里菜の前に立つと、肩に手を置いて恵里菜の目をじっと見る。


「まあ、そうですが仕事が――」

「そんなのほかのみんなで手分けすれば何とでもなる問題よ。それよりも彼を心配していると仕事が手につかなくなる方が問題よ」

「はあ――」

「もう、煮え切らないわね!ほら、彼のところに行ってあげなさい」


 加藤二尉はそういうと、恵里菜の肩においていた手で恵里菜を回れ右させると、背中を押した。

 その反動で数歩前に出た恵里菜は、一度回れ右して加藤二尉を見ると、


「すみません、お言葉に甘えさせていただきます」


 と、加藤二尉に一礼し、回れ右をして出ていこうとしたところを、例の勘違い男添島士長(※第7話参照)が、壁に取り付けられている帽子掛けから恵里菜の識別棒を取って恵里菜に渡した。

 

「ありがとう。では、行ってきます!」


 とみんなにそう告げると、健康管理室を飛び出していった。

 

「行っちゃいましたね」


 と恵里菜が飛び出していった健康管理室のドアを見ながら岡曹長が言った。

 

「ホント、下川三曹といい、彼氏といい、ホント世話が焼けるわね」


 と、加藤二尉はため息をつくと、苦笑しながら言った。

 

「まあ、これからの若い人ですからね」

「それ、私に言うの、岡曹長?」

「あ、アハハ――いや加藤二尉もこれからの人ですよ?」

「ま、私はもう子供もいるからね」

「まあそうですな」

「あ、岡曹長、言ったわね?」

「え?いや、それは言葉の綾で――」


 加藤二尉が岡曹長にニヤリと不敵な笑みを浮かべて言うと、岡曹長は慌てて、しかし何とか繕った。

 

「でもまあ、あの彼氏のおかげでしょうけど、下川三曹あかるくなったわよね」

「そうですね。あの一件以来、常に物陰に隠れようとしてましたからね」

「まあ、そりゃあのルックスだもんね。ホントあの時はタイミングが最悪だったわね」

「でしたねえ。あれ以来しばらく広報も大変だったようですし――」

「だったようね。この前もあの件の二の舞になりかけたけど、彼氏はあの子をよくわかってるわよ。常にあの子の前に出てあの子を庇ってたようだし」

「あれには私も感嘆しましたよ。本当にいい彼氏に巡り合えたなと――」

「そうね、まあドケチだけど、ね」

「それもそれでよかったと思いますよ、私は」

「そお?」

「はい。あの彼氏のおかげで、この駐屯地の中である程度免疫もついたようですしね」

「ああ、あの掲示板ね――」

「あれは傑作でしたね。司令も良く止めようとしなかったなと思いましたよ」

「あれね、司令も結構楽しんでいるらしいわよ?」

「そうなんですか?」

「そうらしいわ」

「へえ、あの司令が――」

「そう、まあ今の司令は柔軟な人のようね」

「それは言えるかもしれませんね」

「ま、厳しい人には変わりないんだけれど」

「そうでないと締まりませんからね」

「言えてるわね」


 岡曹長との会話も一段落したところで、「さて、と」と大きく息を吐いた加藤二尉は、恵里菜の机から作業中の書類を手に取った。

 

「というわけで、下川三曹の仕事を手分けしなきゃいけないんだけど――」


 と加藤二尉が周りを見渡した。

 と、一瞬目があって、さっと目を外した者がいた。

 その隊員のところに加藤二尉は静かに歩いていくと、

 

「添島士長、仕事やりたそうでうれしいわあ」


 と加藤二尉が添島士長の耳元に顔を近づけて言う。

 添島士長は、「え、いや、あの――」と口ごもる。

 そんな添島士長の今やっている仕事をみた加藤二尉は、

 

「あらあ?添島士長、それ午前中までに提出予定の仕事よねえ?」


 と割と大きな、部屋にもよく通るその声で言った。

 

「いや、これは――」


 と添島士長がなんとか取り繕うとしたのだが、加藤二尉の笑っていない目の微笑みに「ヒッ」という小さな悲鳴を上げると、

 

「いやあ添島士長、そんなに仕事したいならこれ、やってくれるわよね?」


 と加藤二尉が恵里菜のやりかけの書類を添島士長の机に置く。

 

「え、いや――こんなに?」


 おかれた書類の多さにびっくりした添島士長が声を上げると、加藤二尉がよりその目がきつくなった微笑みを浮かべて、

 

「んー?こんなに?」


 と添島士長に圧力をかけていく。

 それに添島士長がまた「ヒッ」と悲鳴を上げて周りを見ると、さっと目を離して、もしくはくすくす笑う隊員たち。

 

「や・れ・る・わ・よ・ね?」


 という加藤二尉に、添島士長は立ち上がって

 

「やらせていただきます!」


 と帽子もかぶっていないのに挙手の敬礼をする添島士長。

 

「それくらいやりたいのねえ。じゃあ任せるわ。あーその書類明日の朝までだからね。明日の9時には駐屯地司令に出さなきゃいけないから、朝一番には隊長に出さないといけないから。課業終了までにできなければ残業でお願いね?」

「ま、マジっすか!」


 加藤二尉の説明に添島士長は大きな声で反応した。

 

「ん?添島士長。私達自衛官って24時間仕事してのあの給料だからね?」

「え?」

「あなた、基地通信の仕事見たことあるかしら?」

「い、いえ――」


 を加藤二尉の問いに首を横に振ってこたえる添島士長。

 

「あらそう。基地通信の隊員はね、24時間勤務をするのよね?もちろん手当なんかなしよ?しかも土日も休めない。でも私達は土日休めるわよね?」

「は、はあ――」

「どちらが国に対して役目を果たしているのかしら?」

「え、えっと――」

「当然、基地通信の隊員達よね?」

「え、は、はい――」

「よねえ、それなのに残業だけでそんな反応するなんて、あなた自衛官辞めた方がいいわよ?」


 と加藤二尉が添島士長にきつい目を向ける。

 それに添島士長は、

 

「す、すみませんでした!残業してでもこれやらせていただきます!」


 と添島士長は涙目になって仕事に取り掛かる。

 すると、隣から後ろから「これやってやるよ」「一緒に終わらせましょう」と、あちこちから救いの手が伸びてくる。

 そのみんなの対応に、加藤二尉は「うんうん」とニコニコしながら頷いている。

 

 添島士長、なんだかんだとみんなに可愛がられていたりするのだ。成大に勘違いしたり、盛大に空気読めなかったりもするけども――



 さて、代休を得た恵里菜だが、男子営内隊舎を通り過ぎて婦人自衛官WAC隊舎へと向かっていた。

 

 ――どうしたらいいのかわからないけど、きっと身体を動かせばいいはず。

 

 確かに一理ある。

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