140字小説 まとめ3

晴れ時々雨

第1話

彼女の内側の手首に白い傷痕を見つけた。目の色で僕の動揺を悟った彼女は吹き出して、猫だよと言った。もう死んじゃったけどね、と付け足し懐かしげに撫でる仕草に僕は不愉快になった。生きた証を彼女の体に刻んでこの世を去った動物への敗北感が僕を打ちのめした。同じことがしたい。いつか何としても

#140字小説 昏い目標



「間」 というニュアンスにひっかかり、瞬間を拡大してみた。レンズの倍率を上げていくとそれぞれにピントの重なる拡大された瞬間が視認できた。

「瞬間は更なる微細な瞬間の集合で構築されている」 という何とも哲学的な結論を得たわけだが、最終段階として隣の紺野くんの目を抉り出した。

#ナイトレーベンのささめき 瞬間



この界隈についていかに住みやすく(彼にとって)居心地がいいか長ったらしい彼の講釈が一通り終わると、今度はずっと黙りこんだ。皮肉に満ちた顔つきから、ようはこんがらがったホームシックに罹っているのだ。僕は錆びた鋏で、潜りの産婦人科みたいに彼のお尻の糸を切った。ちょっと痛いですねー。

『お題絵をもとに』




蜘蛛になり損なった蟲がまた人を誑かしている。ひとのいい人間なんて、つまらない駄洒落みたいな子どもが蜘蛛もどきの言うことをすっかり信用するものだから辺りの景色がそれらしく変幻していく。ただ一言嘘だと言えばあっさり元に戻れるというのに、喋れない吾輩には伝えるすべがない。

#呟怖



「なになに、道に迷って出口がわからないだって?」

枇杷の大樹にぶら下がる蓑虫が大声を張り上げる。

「愚かな人間に教えてやろう」

蓑虫が振り子の要領で示した先に、緑色の鳥居と黄色い祠があったがどちらも玩具程の大きさで通れるようには見えない。

「あるからって通れるとは限らない」

#呟怖



夜道を歩くとき、空いた手を誰かが握る。視えない正体をしている手は少し小さくて、私を励まそうというより心細がっているようだった。そのとき流れ込んでくる発信者不明の記憶の断片がノスタルジーを煽るから離しがたくなる。帰れる?と後ろを見ると無人の闇。家の鍵を出す、私の空いた手。

#呟怖



緋色に燃える太陽がまばたきごとに沈んでいく。手前の岩を掠めながら水平線へ消えるとき、願い事を探した。あした、(いいことがありますように) 心の中で唱えるのにそれさえはっきり言えない。夕日がぜんぶ隠れると残照の対比で辺りは急に薄闇になる。旅客機灯火が点滅して宇宙船になる時間。

#140字小説 ひのいりのいのり



夢に唐突に少年が現れて目が覚めた。心臓が高鳴り厭な汗をかいている。首筋の汗を拭う手が震えている。あの少年に見覚えがあった。道ばたで野垂れ死んでいた少年だった。関わり合いになりたくなくて放置したことを恨んでいるのだろうか。だとしたら生きていたのか。一瞬にして死を見せつけた癖に。

#140字小説 昼間から悪夢



夜になると微熱を出す僕の体を労るが決して縄を解こうとはしなかった。昼間はずっと縄が絡んだまま微睡み、夜になると思い出したように熱を出す。まるで俗世を懐かしむように。彼は屍人の冷たさで僕を撫でる。その隔たりが、僕がまだ生の中に居ると気づかせるのだ。彼は生きているのか。知らない。

#140字小説



蝸の家に住んでいる。家主は戸締りをするように言い付け、僕を置いて出かけていく。誘いに乗りいつの間にか同居することになった蝸はとても無口だった。履いてきた靴も服もどこかに隠されこのままでは表に出られないが大した不満もなく留守を預かる。今がいつなのか景色がどんなか知らないが心地いい。

#140字小説 蝸牛の家



女はカシスのジャムのついた指をずっとしゃぶっていた。食パンの袋は空だった。底にこびりついた残りのジャムを掬い執拗に口に運ぶ。赤い粘液にまみれた唇に出入りを繰り返す指。垂れ下がった縮れ毛がジャム瓶にひっつく。ふと女の服の下が気になった。あの中にも似たような物があるんじゃないかと。

#140字小説 ふやけた指



いつまでも来ないタクシーを待つ。

雨降りの夕方だからきっと渋滞しているんだなんて物分りのいいことを言う彼の貧乏ゆすりでバスドラのダブルストロークを連打できそうだった。

昔なら歩いたかもしれない。

一人力強く歩く未完成の壁画の女。

未完だから。

歩けるのよ。

#生首ディスコのドレスコード https://t.co/BoDNvDBf3r



耳を傾けるとは顔の角度のことだ。こうして僕は人の人生に口を挟み、全く共感できない事情に頷いてきた。それが仕事だから。水晶には常に逆位置の世界が映っている。僕の住む世界だ。

#生首ディスコのドレスコード https://t.co/WVOzCkyfNG



当日の流れを彼女に説明してもらっている間、僕の心に一人の女の子が生まれた。その少女は父親の名前を明かせないような子供を抱え今親元を離れようとしている。大人になった少女が式を挙げていないのに僕ときたら暢気に花嫁にすべて任せてしまって、ごめんよ、ごめん。僕たち幸せになります。 https://t.co/X2W3qj8UKW



狩人の歌う数え唄は羊が増えない

#生首ディスコのドレスコード https://t.co/syxrNAV4JZ



着ている物を全て脱ぐとその人は体についた一つ一つの傷の謂れを語り始めた。それは枝から落ちた果実のようだった。こんなに汚らしい食べ方をするのは凡そ人間らしいと笑いが込み上げたが、それがどうその人に伝わったか定かでない。人が果物を食うならまずやることがある。私はその人の皮を剥いた。

#140字小説 躾



家で心臓が眠っている。綿埃だと思っていたそれは真っ黒な心臓だった。私が存在に気づいた事を知った心臓は肥大化し、生活を阻むほどに成長した。心臓は方々から伸びた血管を部屋中に張り巡らせ家に根付いた。心臓は黒々と律動する。どこへ循環しているのか、血液が勢いよく流れる音がする。#呟怖



眠ってからしばらくすると顔を舐める人がやって来る。背後の扉を開けて忍び込み、長い舌で私の顔を舐めに来る。恐ろしくて身動きが取れない。目も開けられないけれど舌だとわかる。それは呼吸で頬を撫でる。私が眠れないときも泣いて眠るときも毎晩顔を舐める。夢のような脳裏に浮かぶ異形の姿。#呟怖



着てきた服を脱いで綺麗にたたんでから大型洗濯機にそっと体を入れる。コインランドリーで洗うのは服じゃなくていい。ぐるぐる回る水の中では体育座りの体勢が一番適している。水生生物でさえ見たことのないような角度から眺める有酸素世界は、人の服を勝手に持ち去る人間がたまに居たりして滑稽だった

#140字小説 逆になってみる



殺害計画を立てた。

まず一人になるのを待ちながら後を尾ける。途中に立ち寄るコンビニで怪しまれないように距離をとって店内に入りカレーパンとコーヒーを買ってまた後を尾ける。張り込みじゃないし、カレーパンは匂いで尾行がバレそうだと彼が笑う。ねぇ誰を殺そっか。僕じゃない?ああそうかも。

#140字小説 計画は殺害的に



レンジが止まるまでの間や、水をコップに溜めるとき、ほんの少しの時間彼女は心を留守にする。行先は過去。僕と過ごした時間へ出かけている。言葉にできない日々を送ってきた僕らには振り返る昔がある。生きる次元が変わってしまった今もそんな顔をさせるのが僕なのが嬉しくて触れないキスをする。

#140字小説 霊障



雨を彷彿とさせた。

それは彼女の立てる衣擦れの音なのか喜悦の声の迸りなのか定かではないけれど、喩えるなら、留守番で置き去りにされた昼寝明けに聴く、窓の外の土砂降りの音。どこにも誰もいなくなった世界に佇む建物の屋根をただ真っ直ぐに叩きつける雨音に似ていた。差し置いて、圧倒的に独り。

#140字小説 茫茫




保育園の下駄箱に片方づつ色の違う靴が入っていた。僕は3歳にして衝撃を受けた。常識が覆った瞬間だった。あとで聞いたところによると、あれは同じデザインの色違いの靴だということだ。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。幸いなことに彼女はそのまま育ってくれた。もう何十年も囚われている。

#140字小説 早撃ち



長いこと男から離れた体を維持し続けた私たちは、かつて感じ得ためくるめく官能の狭間で快楽の波に揺蕩ってきた体を持て余し、ふとした事で互いを慰め合う境地に陥った。ほんの興味本位と箍の外れた欲望の擦り付け合いだったはずが、彼女の淫らに緩んだ顔を見ているうちにおかしな気が湧いてくる。

#140字小説 順序



眠る前に彼が髪を乾かしてくれるのがとても好きで、終わってしまうのが惜しくて体中の水分を髪に集める能力を身につけた。いつまでも乾かない私の髪を乾かし続ける彼。途中でくたびれて2人でお茶休憩を挟む。更けていく夜にドライヤーの音が大きさを増していく。彼が飽きてしまわないうちにこの辺で。

#140字小説 あたたかい髪



大丈夫、大丈夫。何がそうなのか自分でもわからないまま脳内で繰り返す言葉はいつの間にか音に形を与える。青が黒に見えても大丈夫。ずっと同じ場所に座っていても大丈夫。壊れても、壊しても大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫じゃなくたって大丈夫。唱える。それだけを。繰り返し。

#140字小説 呪文



夜配達員が自転車に乗って夜を配り回る。ブリキのバケツに入った夜を各々が受け取って各自の部屋で広げると夜になる。けれどいつも私の家を素通りしていくので、私の元へ夜が来た試しがなかった。今回こそ声をかける。すると配達員は自転車を降り、その証である夜印のキャップを私に被せどこかへゆく。

#140字小説 ながいながいシフトのおわり



届いた小包にペンチが入っていた。あなたの爪が欲しいのでこれを使ってとった爪を送り返してくれと書かれた手紙と、送り先の印字された封筒が同梱されていた。見ず知らずの差出人だった。無視はしたが品物を捨てられずにいた。数日後、催促めいた手紙が届く。それから手紙は毎日投函される。

#140字小説 美しい工具の誘惑



淵に棲む青い鯉がもつ一枚の鱗には特徴があった。ずっと昔、まだ青鯉が若い頃、その鱗は周りと同じだったが何故かそれを欲しがる子供がいて、子供は聞き分けなくその鱗にぶら下がりしつこく付き纏った。ぎゃふんと言わせようと急流に身を任せても激しく尾鰭を振っても離れず、とうとう根負けした鯉は子供に理由を尋ねた。子供が言うことを掻い摘むと、床に伏した婆から長寿の霊薬である青鯉の鱗を盗ってこいと唆されたらしいのだ。鯉は阿呆くさと思ったが子供の余りの熱心さに少々絆され、交換条件を元に許してやることにした。

その鱗をやる代わりに、お前が失くなった鱗の代わりをしろと出た。

そういうわけで青鯉の鱗の一枚は青くなく、よく見ると子供の顔をしている。青鯉がこの淵でヌシだのマボロシだの呼ばれるようになった由縁だ。

こんな物は異物でしかないし多少痛痒かったが、生き永らえる道程でいったらなんだかんだ良い退屈しのぎにはなる。

なんでそんなことを知っているか、あんた聞きますか。何を隠そうわしゃあ鱗を食った婆なんですよ。すっかり床も上げて、巷からは離れてしまいましたが平和に暮らしておりますわい。もう滅多なことでは死なんらしいから、互いに長寿になった孫にだって逢おうと思えばいつでも会える。ただ鯉はケチだ。

『淵のヌシたち』



部屋中のドアというドアを開けて回った。一番近いドアの部屋は昨日の餌をまだ咀嚼していた。ここは食べる速度は遅いが選り好みせずに何でも平らげるので好印象だった。隣とその隣も残飯が放置されている。マジックハンドを最大に伸ばして残り物を排除する。掴んだ物は新品の服とテレビのリモコン。ぽい。

#140字小説 部屋を飼う


胸が苦しくて眠れない夜が続き、これはいけないと病院へ行くと医師は私の胸を開き病状を説明した。診察台の背もたれを起こし、立て掛けた鏡に写る、開胸された私の気道には何かが詰まっていた。

「恋です」

医師が気道を圧迫する異物を鑷子でつまみながら私の判断を仰ぐので気取って除去してもらった。

#140字小説 妙なさっぱり感



乗車券の確認に車掌が巡回する。その時初めて列車に乗車していることに気づき、切符がしまわれていそうなポケットを探ると隣席から鰐顔の男が僕の手を制した。「拝見します」車掌が挙動不審な姿勢の僕の胸に手をつっこみ心臓を抜き取る。赤く拍動するネオンの球を硝子布の鞄に詰めて車掌は過ぎていく。

#140字小説 夜行<やぎょう>列車



お化け屋敷に住むようになってだいぶ経った。その間に5、6回は引越ししたと思うが正確に覚えていない。僕自身、人を驚かせようとしたことはない。ただ、ずっとお化け屋敷から出られなくて次の住処に移動するのも僕の意志とは無関係。殆ど一人だけどたまに目が合う人がいて、僕は嬉しくなる。

#140字小説 やぁやぁ



何かが破壊されるような、崩壊の不可逆性に抗うような、弦楽器の限界に挑むような、単純にガラスを引っ掻くような、悲鳴。突然の命の終わりは目まぐるしい生の営み。クライマックスから始まるエンドの声。オーディエンスがたった一人なんて忍びないから最期まで聴いてやるよ。叫べ。あらん限りに。

#140字小説 断末魔



俺を殺そうとヤツが迫ってくる。しかし中学時代ヤツは俺のタイムを超すことがなかったので追いつかれはしない。俺は全力疾走する。ゴールテープを、自己新を、大会新を、世界新を叩き出すつもりで。突如体が重くなり辺りが水に沈む。ヤツがバタフライで追いかけてくる。宗旨替えしたのかよ。ずりぃぞ。

#140字小説 チャリで逃げる



近所で起きた殺人事件の聞き込みに刑事が訪れる。自分ちの近くで人殺しがあるなんてこの辺も物騒になったもんだ。お尋ねの時間に見かけた人影を報告すると、刑事は手帳に書き込むためにバディの脳天にペン先を突き刺しインク代わりの脳漿でメモを取った。古風だ。靴も磨り減らすのだろうか。アーメン。

#140字小説 目撃情報



眩しい青空の下、庭一面に張り巡らされた物干しロープに隙間なく干した洗濯物が太陽光を反射して白く光りながらはためく。ふいに風がやみ、干したTシャツの真ん中が筒型に突き出る。シャツの下に子供の足。どこの子だろう。「ぱあん」 突然始まる銃撃戦ごっこ。鮮血が滲んだシャツが翻る。私一人の庭。

#140字小説 トリコロールの庭



導火線に火のついた爆弾を眺めていた。これが爆弾を抱えるということか。かなり前から火がついているが一向に縮まらない導火線を、線香花火でも眺めるみたいにみつめる。おそらく爆発はしないだろうが、これは爆弾なのだなあ。起爆したら一体どんなふうに爆発するのだろう。やや綺麗だ。火花は。

#140字小説 私のバクダン



「甲羅のカーテン!!!」

するとクソガキ共は弾け飛び気を失った。またやってしまった。しかしさすがに甲羅剥がしは洒落にならない。さっきのガキも口の利き方がえげつなくてつい反撃したところだった。おっと太郎が来る前に証拠を隠滅しないと。次のクソガキを探しつつ倒したガキ共を砂に埋める。

#140字小説 亀さんの苦労




姉がドレスを切り刻んでいた。

「なにそれ」

「シンデレラのドレス」

姉はシンデレラを舞踏会に行かせない気らしい。

「マジでそんなことやるの、なんで」

「知らん。何となく」

あたしは王子とかどうでもいい。正直好みじゃない。でも姉が無意識で意地悪をするのはわかる。誰かが本を読んでいるのだ。

#140字小説 おとぎ話の日常



いつも憂鬱な顔をしている少女は今日も憂鬱な顔をしていた。彼女には昔双子の弟がいて、二人は瓜二つだったが彼女が女だったことで弟は魔物に魅入られ連れ去られたのだという。しかし弟を見た者は一人としてなかった。まだ若いのにたくさんの心労をしょいこんだ少女の憂鬱が晴れる日が来るといいのに。

#140字小説 月はふたつ昇らない



ちょうど良い水源を見つけたので洗い物をする。すると岸に横たわる女がいた。なんだかもの苦しそうである。私が水辺にしゃがみこむと意識を取り戻し呻いたので様子を窺う。どうやら物盗りか何かに追われ逃げ延びたらしい。私は鉈についた血糊を洗い流し目の細かい布で拭った。「それはツイていましたな」

#140字小説 命とり



帰宅中不意の着信。公衆電話?

「すぐそこの電話のところにいるんだけど」

見回すといつもの通り道に設置された電話ボックスに女がいた。

「来ない?」

女は服の下に何も着けていなかった。深く俯いているように見えたが頭がなかった。しかし抱くに不都合はない。快楽の呻吟が笑いに変わる。

#呟怖 電話ボックス




海岸にいると色々なものを発見する。異国からの漂流物に混じって男が流れ着いていた。この人、同じ学校に通っていた子だ。可哀想に、何かの事情で溺れたみたい。胸を押すと息を吹き返した。私を誰かと勘違いしてるみたい。だから含んだ潮水を口移しした。わかったから、そのままおやすみ。#呟怖



高校時代のクラスメイトに出会いよく分からないうちに彼女の家へ行くことになった。彼女がそういう展開に持ち込むとは意外だった。彼女だけはそうしないと思っていたので、ついて行くことにした。

私は昔から聞き役しかしない質だったが、それでも彼女の会話は酷かった。私の目を見ながら、まるでそこに私がいないように話す。これは会話じゃない。けれどそれは一般的な物の見方で、彼女と私には当てはまらない。少し滑稽ではあったが気分を壊すほどではない。こっちを気づかうような対応をしてくる性格の持ち主なら私はついていく気にならなかっただろう。

彼女の言うことは仕事に対する不満に終始していたが、詳しい職種や環境などひとつも説明しないまま話は進み、前後の繋がりから推し量るしかなかったがそれより、玄関を開けて靴を脱ぎ鍵を置いて靴を揃えるという一連の行動が流れるように心地よく、私は都合のいい音源だけを拾いつつ会話をミュートした。

音を消してみると彼女の動きは絶え間なくスムーズで、もし彼女がマリオネットか何かで、彼女を操る主が居るとしたら熟練の人形師だろう。彼は年老いて、きっと彼女を創ったのも彼だ。糸は鯨の髭か、襟についたレースはアンティーク、背中のボタンもそう、しかし髪の色はどうにかした方がよかった。

彼女はオーソドックスな水色のワンピースを着ていたが、髪は目の覚めるような黄色とオレンジのツートンだった。夏の色と言われれば許されるのだろうか。

弛まず動き続ける肉厚の唇。人形師の芸は細かい。彼女は徐に白いカラーボックスから薬瓶を取り出して喋りながら手の平に数錠出し、口へ運んだ。

いつの間にか私の目の前に透明の液体が入ったグラスが置かれていた。そしてもう一度ボックスに手を伸ばすと、小さいガラスの薬瓶から赤く透き通ったカプセルをひとつ取り出し、指でつまんだ。それは柘榴の実のようにしっとりと輝き、光を受けて赤一色のプリズムが壁に反射した。

「 」

彼女がそれについて何か言ったがミュートしていて聞こえなかったので解除した。

「え?なんて?」

彼女はもう一度全く同じ口の形をした。

「これは存在できる薬」

ふうん。

「あなたよく私がわかったね。もう3日飲んでないのに」

彼女が柔らかいカプセルを爪で持つものだから、カプセルはきゅっとへこんでいる。指の力を入れたり抜いたりするのでカプセルがぷにぷにと変形し、体温と湿気でとうとう被膜が破れ中の薬剤が溶けだした。

蜂蜜のような液が爪と指を汚す。薬で汚れるなんて変だけど、と考えるうちに彼女はいなくなった。

ああそうか。招いたのは私か。彼女の流れるような生活の仕草は、私が普段していることか、しているつもりになっていることか、そうしたいと思っていることだった。

夏色もどきの元クラスメイトなんて居ない。

カーペットにこぼれた錠剤を拾う。

『夏のレプリカ』



彼は氷漬けになった苺を私の唇へ置いた。それはじわりと皮膚にくっついたあと溶けて滑り落ちそうになった。慌てて口を開き氷苺を招き入れる。溶けた水分が口の端から伝い、シーツを濡らす。溶けて私の口から溢れた、赤い実を覆う氷の水を彼は啜り、舌に残されている苺を奪うと私の顔の上で噛み潰した。

#140字小説 つめたい苺



おじさんは箱の中から無造作に掴み取った私たちを一個一個更にばらばらに分解して床に広げるとその上で横になった。私たちはもがれた体でおじさんの体を包み込む。繋がっていたときは一人分でしかなかった私たちは6つのパーツに別れると6つの意思でおじさんを愛撫する。頭以外も言葉を持ちみんな囁く。

#140字小説 「「「「「「おじさん、すきよ」」」」」」



事故だろうか。ブレーキを踏む回数が増えた。路肩に検問中の電光掲示板が見えた。

「運転ご苦労様です。はい、行っていいですよ。お気をつけて」

馬鹿なヤツがどこかで強盗でもしたのだろう。俺には関係ない。愚か者は高く飛び俺は地を深く掘る。深く深く。明日は雨。だから今日中に。

#呟怖 埋める



体中をまさぐられているような感覚だ。細かい波頭のひとつひとつが太ももの奥を撫でていく感触。流れに乗って鳥が羽撃きをやめる、目に見えないものの形。触れられそうなほど立体的な雲が鋭角で私に侵入する。景色たちが私の中に自分たちの胞子をばら蒔く。狂おしく腫れた子宮が自然の子どもを育む。

#140字小説 絶頂



「はいチクッとしますねー」

そう言ってから針を構え産毛の密生した色白の皮膚に先端を刺す。針が血液を吸引する勢いで皮膚表面にできる窪みに足元を取られないよう六肢を踏ん張る。素晴らしい感覚に一時陶酔すると容赦なく飛んでくる彼女の手を、血液で膨らみ重くなった腹を抱え躱す。「蚊がいる!」

#140字小説 ぷ〜ん



幼い頃、自分にしか見えない人がみえていた。気づくと一人で遠い公園にいたり、池に入ろうとして大人に叱られたり、一緒にいたはずのその人はいつの間にか私を置いて消える。大きくなると見なくなり、記憶が薄れかけたときあの人がまた現れた。もうひとりにしないで。あなたをひとりにはしない。#呟怖



いばらの木に絡まっている男がいた。通りかかった僕と目が合うと男はバツが悪そうにはにかみ、聞いてもいないのにそうなった理由を説明し始めた。「どうせすぐ抜けると思ったんですがね、」男が言いながら身動ぐと枝ががさがさと鳴った。「服が絡まってうまく抜けられない」

男は顔が動かせなくて自分が何も着ていないことに気づいていないようだった。たぶん当時ここを走り抜けようとした体勢のまま木と接触した体の一部が枝と同化し、髪も腕も一本の樹木から彫り出された彫刻のように一体化していた。接合部を近くで見ると彼の養分と木の養分が行き来するように脈打っている。

僕の視線がいけなかったのか、彼は明るめの声を張り上げた。「心配は無用です。慣れたもので、今では腹も減らんし疲れもしないのです。困ったことと言えば、冬前になると剪定にくる職人が間違って私を切ってしまいそうになることぐらいで、花目当てに集まる虫や鳥たちが世の中のことを教えてくれるので、この森の向こうがダムに沈んだことだって知っています」

そう自慢げに顎を上げると、南国の少女の耳に挿した花ように、彼の顔の横で白い花が揺れた。

僕は会釈をして足早にいばらを後にした。森の向こうに豊富な水源などない。僕は街へ向かう。木立の奥はいばらで覆われている。そこを抜けてきたのだ。

『棘の砂漠』



スイッチは押したくなるものだと思う。シーソー型の、ONともOFFともマークのないスイッチがアスファルト上に設置されていて、これはアスファルトをどうにかするものなのか、今の状態がONなのかOFFなのか全く説明がないくせに唐突にそんなところにあるから僕はパチンと押した。塀の猫が、んむーと鳴く。

#第6回カクタノ140字小説コンテスト




砂漠に時空旅行した蝉はとまる木がなくて困った。信じられないくらい長く飛んだがどこにも木がないので疲れきって着地した。夏には慣れているので暑さは平気だ。ちょっと歩いてみるか。手足を使って砂地を移動する日が来るなんて考えもしなかった。歩くのに慣れると走れるようになった。しゃかしゃか。

#140字小説 蠍の祖先って言いたい





いわく付きの古壺を譲り受けて部屋の片隅に設えた。譲り主からは返品不可としつこく念を押されるような代物だった。夜更けになると壺から女が出てくるらしい。それを楽しみに早めに明かりを消すと小半時ほどで女が這い出てきた。覚束無い足取りで寝床に近づき顔を覗き込んでくる。女は人形だった。

#140字小説 糸なしの糸繰り人形は夜に踊る




あの人の足を貝で呑みこむ。気づくと訪れていた夜明けを幾年も越え、漸くこの手に堕ちてきた愛しいあの人の足の隠し場所はそこにしかないと心が鳴る。念を映さぬ身体の一部。背は広すぎ、肩では情緒に欠け、耳は残してやりたい。根であればいちばん悦いのだろうが私は陰。そこまで高望みはしない。

#140字小説 足張形




空を見上げる人に何をしているか尋ねた。「雲を数えている」

私たちは少し似ていて、少し違う。

だけど同じものを殺し、同じものを食べる。

#ナイトレーベンのささめき https://t.co/r6QvCre8tx



ため息混じりに彼が物を捨てていく。特に思い入れのない映画のチラシやパフェに刺さっていた洒落たピックや綺麗に剥がせた包装紙やまだ食べられる半端なかまぼこたちは、取っておいただけあって何となく鮮やかなまま市の可燃物用ポリ袋に雑多に詰め込まれゴミになっていく。私はすごすごとベッドへいく。

#140字小説 おやすみも捨てた



おばあさんの家へ行き二言三言交わして少し沈黙するとだいたい、ズレた眼鏡の奥から柱時計を振り返って、そろそろおやつの時間だ、ってクッキーとジャムを用意し始める。その柱時計は大きくて古くて、もうずっと前から3時5分で止まっている。

#140字小説 おやつの子



小さな人間を飼うのが流行っている。僕が飼っているのは体長15センチほどの「ドジな人間」。話さないけど言葉は通じているみたいで、呼ぶと来るんだけど僕のところに辿り着くまでに転んで、自分の眼鏡を踏んづけたりする。友達のところの小人間は20センチくらいあるけど凄く痩せてる「探偵」だって。

#140字小説 ふたりはあまり仲良くならないね



去年の秋口に買ってやった彼の靴が真新しいまま夏になった。履かないのであれば靴箱にしまうなりしたらいいのに。彼が言うには、せっかく買ってもらったし気に入ってもいるけれど、この靴を履くととんでもない所へ連れて行かれるから、そのうち帰って来れなくなるような気がする、ということらしい。

#140字小説 羽の生えた靴



友人などと電話したりすると必ずと言っていいほど来客を疑われる。わかりやすく言い換えると、僕は一人暮らしなんだけど、電話相手に僕と相手以外の声が聞こえると言われるのだ。僕には聞こえないんだから不気味を通り越して頭にくる。いい加減にしろ。すると窓が曇り、ダッテ、と文字が現れた。

#140字小説 まじでなんかいんのかい



彼と暮らすことを想像しながら暮らしていたら幻覚を見た。ある日、干そうと思ったベッドリネンの中に彼は眠った姿で現れ、そんなことはあるわけがないから幻覚だということにはすぐに気づいたがなかなかおもしろいと思ってそのまま暮らすようになった。彼は鍋の味見をして、塩気がどうのこうの言う。

#140字小説 突然の現実と幻覚



ワイングラスに沈んだ枷の鍵を中身を零さずにとるには舌を使うしかなくて、長くなるように育てられた私の舌は彼のお気に入りだった。葡萄酒で赤く染まった舌は指のように器用に動くことを覚え、それに絡みつく彼を酔わせた。鍵は掛けてもらうために外す。夜の間だけの自由。それは彼だけのもの。

#140字小説 鍵夜


自分がどうしてこんなところに居るのか深く考えないことにしようと思った。原因を突き止めた方がすっきりするのは判るが、そんな自分を自分として留めておく自信がない。なんだか膿んだ傷を放置するようで気味が悪かったけど、これ以上自分が変わっていくのが怖い。せっかく変わらなくてよくなったのに。

#140字小説 怨霊のたまご




ゾンビは本当にアンデッドなのか。物理的に脳を破壊する以外にゾンビをやっつける方法はないかと模索するために一体のゾンビと共に暮らし始めて50年が過ぎた。やつの食に対する姿勢は貪欲を徹底している。足がちぎれようが弾みで頭が燃えようが焦げた顔から剥き出した歯をかちかちと鳴らすのを忘れない。

#140字小説 焦げ腐った生首と暮らすおじさん


7/22

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

140字小説 まとめ3 晴れ時々雨 @rio11ruiagent

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る