第2章 縮まる距離

第1話 映画館デート(模擬)

 1週間ちょっとが経ち、いよいよ模擬デート、もとい恋愛実習の当日。


 あまり早く来ても仕方がないし、でも待たせるのも申し訳ないから、15分前行動。今は10時20分で、駅から少し離れた人の少ない場所で先輩を待っていた。約束は10時半だから、まだ10分くらい時間がある。


 休日の渋谷に来るのはかなり久しぶりで、高校に入ってからは初めてだ。相変わらず人が多いなあ、なんて思っていると、後ろから声が聞こえた。


「ごめんなさい、待たせたかしら」


 あ、こういう会話ってラブコメのマンガでも定番だよなあ、なんて思いつつ、振り返る。


「いえ、さっき来たばかりで——」


 あ、やばい。

 先輩の姿が目に入った瞬間、言葉の続きが吹っ飛んだ。


「どうかしたのかしら?」

「あ、その、来たばかりなので気にしないでください」

「そう、ならよかったわ」


 内心の動揺を押し殺しつつ、可能な限り冷静に。

 たぶん、うまく返事できていたと思う。


 白のブラウス、紺色の膝下ロングスカート、水色のカーディガン。僕は正直ファッションに詳しくないけど、学校での、つまり制服の氷川先輩よりも大人びていて綺麗だと感じた。たぶん、先輩の私服を見たのが初めてだったからという理由もあるだろうけど。


「今日は天気が良くて助かったわね」

「はい、そうですね」


 こっちを見つめる先輩の切れ長な目をまっすぐ見れず、つい視線をそらしてしまう。凛としたその視線も、今の僕にはあまりに破壊力が強い。


「久我くん、調子が悪いのかしら? なら無理はしない方がいいと思うのだけれど」


 まずい。あまりに挙動不審すぎて、体調が悪いと思われている。


「あ、いや、ちょっとぼんやりしてただけです。体調は全然問題ないんで」

「なら、別にいいけれど。じゃあ、行きましょうか」


 今から観に行く映画の話をしながら、映画館への道をゆっくり歩く。幸い、歩いていれば前を見るだけでいいし、先輩と向き合うこともない。沸騰しそうだった頭とか、たぶん火照っている顔とか、あとドキドキしている心臓とかをクールダウンするにはちょうどよかった。




 今まで、女性に対して可愛いとか美人だとかそういう感想を持ったことは多少あったけど、それはあくまで単なる感想だった。これほど強烈な、心の底から湧き上がるような感情を抱いたのは初めてだ。よくわからないけど、こういうのを一目惚れって言うのかもしれない。まあ、仮にそうだったとしても、先輩と付き合いたいという気持ちは別にない。そもそも、お互いに意識せず事務的にやるというのが契約条件だし。


 だから、この気持ちは恋ではない。恋であるはずがない。






 そういえば、こういうときは歩幅を合わせるのがセオリーと聞いたことがあるけど、いかんせん氷川先輩の方が身長が高いし、むしろ僕が合わせてもらっている側だ。もうちょっと身長欲しいなあ、なんて思いつつ、人でごった返す繁華街の道を抜けていく。それと、別に本当のデートってわけじゃないから服も適当に選んだけど、こうなるのならもうちょっと考えて選ぶべきだったかもしれない。



 映画館は待ち合わせ場所からそう遠くなく、ゆっくり歩いても10分で着いた。いろんな作品のポスターが壁に貼られていたり、映画の予告が流れていたり、大人気のアニメ映画のキャラの等身大看板が置いてあったりして、なんとなく賑やかな雰囲気だ。何より、休日ということもあって、人が多い。



 もし僕たちが本物の恋人なら、「内容を一切気にせず時間の都合だけで映画を選んで、興味のない作品でもイチャイチャして過ごす」なんて芸当もできるのだろう。でも、もちろん僕と先輩はそんな関係じゃない。だから、前もって上映する作品と時刻は調べたし、上映スケジュールに合わせて集合時刻も決めた。観る映画についても、既に先輩と相談して決めてある。


 先輩曰く、オリジナルのミステリー映画で、ミステリーとしての完成度が高いと評判の作品らしい。先輩は映画より小説が好きだと言っていたけど、そんな先輩でもちょっと気になっていたのだとか。



「今日観る映画って、このミステリー映画でいいんですよね?」


 券売機の前に立って、チケットを買う前に念のため先輩に確認する。これで間違えていたら、今日の予定が初めから崩れてしまう。


「そうね、その予定だったはずよ。ええと……学生割引で1000円。思ったより安いのね」


 先輩が財布から千円札を抜いて、券売機に入れる。続いて僕も千円札を入れた。ちなみに、実習にかかる費用は自分の分をそれぞれが払うということになっている。同じ高校生の身だし、「男性が奢るべき」みたいなしきたりはお互い面倒なだけということで、先輩からの申し入れで別々で会計することになった。

 こういうところの価値観がばっちり合うのも、先輩が僕を選んだ理由の1つなのかもしれない。正直、こちらとしてもすごくやりやすくて、助かっている。


 券売機で2人分の席を隣同士の配置で確保し、発券した。出てきたチケットのうち先輩の分を渡す。


「これ、チケットです」

「ありがとう。ここで待っていても仕方ないし、先に入ってしまいましょうか」

「あ、僕ポップコーン買いたいです。1回やってみたかったんですよ、映画館でポップコーン」

「別にいいわよ。そういえば、久我くんは映画館にあまり行かないと言っていたわね。私も似たようなものだけど」

「アニメ映画で気になるのがあったら観に行きますけど、あんまり頻繁には行かないですね。あ、先輩も要ります? ポップコーン」

「いえ、私は別に」



 売店の列に並びながら、こっそり先輩の様子を窺う。単なる見間違いかもしれないが、上映案内のディスプレイを見ている先輩の口角が少し上がっているように見えた。表情の変化に乏しい先輩の表情が変わるくらいだから、相当楽しみなのだろう。


 しばらく待ってポップコーンを買い、先輩のところに戻った。


「先輩、戻りました」

「なら、そろそろ入りましょうか」


 上映開始は11時だから、あと15分くらいある。まあ、ポップコーンを食べながら他の映画の予告編を見るのも悪くないだろう。

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