クールな先輩の恋愛実習相手になりました

火渡燐(ひわたり りん)

プロローグ

プロローグ

みお先輩、もう3年なのに恋愛の単位まだ取ってないらしいんだよね」


 その言葉を聞いたのは、高校入学後間もない4月下旬のことだった。


「え、恋愛ってだいたい2年の3学期くらいには取っておくのが普通ですよね?」

「普通はそうなんだけどね。3年生になると受験が近づいてくるから、恋愛の実習に割く時間を捻出するのが難しくなるし。受験科目にない副教科、それも恋愛なんてやってる暇ないでしょ?」


 新入生歓迎会でピンときて入部を即決した地歴部の部室で、僕、久我くがりくは2年生の先輩と雑談していた。文化祭前など特別な仕事があるときは別として、地歴部のまともな活動は週に1回あれば多い方だ。活動がない日は暇な部員がふらっとやってきては雑談したり本を読んだりして帰っていく憩いの空間になっている。今日は2年の女子の先輩が1人と僕以外まだ誰も来ていなかったが、普段はもっと人が多い。


 氷川ひかわみお先輩は地歴部所属の3年生で、既に引退している。それでもまだ頻繁に部室にやってきて、本を読んだり2年生の人たちと雑談したりしている。今日は来ていないが、入部してまだ2週間も経っていない僕が既に5回くらい会っているのだから、いかに頻繁かわかろうというものだ。


 3年生が放課後に部室に頻繁に来て、あまつさえ勉強している様子がないとなると、受験は大丈夫なのか心配になるのが普通だろう。僕も心配になって周囲の先輩たちに聞いたことがある。先輩たち曰く、氷川先輩は普通に勉強がめちゃくちゃできるし、模試とかも普通にA判定ばっかりだし、順当にいけば普通に合格できるんじゃないかとのことで、心配は無用だった。



「3年生になってまだ取ってないって、それ大丈夫なんですか? 卒業できないですよね、単位を揃えないと」

「一応、恋愛の実習は期間が最短で4ヶ月だし、まだ間に合うのは間に合うんだけど……。あれだけ美人で頭も良くて人格もまともな先輩なら誰かに頼めば断られる可能性なんてほぼないだろうし、なんなら相手になってもらえないかって何度もいろんな人から頼まれてるはずなんだよね。なのに、実習が途中で上手くいかなくて単位を取れてないとかそんなんじゃなくて、そもそも誰とも組んでないみたいで……。あたしも何度か心配して聞いてみたんだけど『大丈夫、そのうちなんとかするから気にしないでいい』の一点張りで」

「そろそろ『そのうち』なんて悠長なこと言ってられなくなる時期だと思うんですけど、本当に大丈夫なんですか?」

「うーん、分かんない。あの先輩がまさか口だけで適当なこと言って先延ばしにしてるとは思えないんだけど……。恋愛の授業とか実習は嫌いだって言ってたし、本当はやりたくないんだろうね。どうせ本物の恋愛じゃなくて形だけなんだから、適当な男捕まえて適当なとこに疑似デートしに行ってレポート書いて単位ゲットすればいいと思うんだけど。嫌がる男なんてほぼいないでしょ、氷川先輩なら」



 氷川先輩は、控え目に行っても大変な美人だ。端正な顔立ち、長い黒髪、すらりと伸びた足。吊り目がちの目から覗く視線は鋭く、真っ直ぐな立ち姿もあいまって「可愛い」よりは「美人」、あるいは「凛としている」という言葉が似合う。あと、身長が高い。以前聞いてみたら168cmだと言われた。女子としてはかなりの高身長だ。ちなみに僕は161cmちょっとで、160cmあるだけマシなのかもしれないが、まだ1年生ということを考慮してもかなり低い。先輩よりも7cmも低い。ウェルカム成長期、ビバ成長期。背の順で前の方に来るのはもう嫌だ。可愛いとか言われても男子高校生としては何も嬉しくない。


 先輩は凛としていて厳しそうな雰囲気があるから、性格も厳しいのかなあ、なんて初めに会ったときは思ったもんだけど、実際には別にそんなことはなかった。確かに愛想はあまりないし割とずっと無表情だったりするけど、別に無口ではないし、話していると分かる通り、見た目ほど厳しい人じゃない。おまけに面倒見もよく、今のところ僕が地歴部の唯一の新入部員ということもあってか、学校生活や勉強のいろいろを気にかけてくれている。


 そんな先輩が恋愛の実習を終えてないと聞いて、僕はもちろんびっくりした。でも、あくまでびっくりしただけで、他に何か思ったわけではない。強いて言えば「僕も恋愛の実習やらないといけないのか、嫌だなあ」くらい。先輩の単位のために僕が協力できることなんて全くないし、もちろん僕が先輩の相手を務めるなんて考えすらしなかった。クラスメイト相手でも嫌がる先輩が、まさか会って間もない2つ下の後輩を相手にするわけがないのだから。






 だから、先輩から実習相手を頼まれたとき、僕は自分の耳をしばらく信じることができなかった。

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