26 - 憂鬱な復帰

 周囲の生徒の視線が痛い。


 生徒と教師が恋愛関係にあったこと、そしてその生徒が自殺を試みたこと。きっとあることないことが噂になって私のことを淫らな女とでも思っているのだろう。


 このような立派な進学校で恋のために人生を棒に振って命まで捨てようとした。私が愚かだったことは認めるが、すでにこの場所でやり直すことはできないのかもしれない。


 彩華は身体的、精神的に異常はないと判断され、三日前に中央病院を退院した。


 学校に通うまでは葛藤があった。私のことをクラスメイトはどう思っているのだろう。いや、噂はすでに全校生徒にまで行き届いている。校内のどこにいても冷たい視線が向けられることになるかもしれない。


 久々に登校し、自らの席についたが、クラスメイトがこそこそ話している声が周囲を取り囲み、そのすべてが彩華を傷付けようと機会を伺っているように感じた。


 朝日が差し込んで明るい教室は、彩華にとって眩しすぎて目を開けていることが辛かった。



 「おっはよー!」



 突然大きな声が教室内に響き渡り、彩華は肩を震わせて驚いた。


 目立ちたくない。人と関わりたくない。そう願っているのに、足音はまっすぐに彩華の方向にやってくる。


 ずっと俯いているが、その人物はすぐ前の席に座って、彩華の顔を覗き込む。



 「おはよ!」



 そう言って、その男子生徒は机にペットボトルのドリンクを三つ置いた。顔を上げると、玲央が笑った。



 「三種類あるんだけどさ、どれがいい? 炭酸? カフェオレ? スポドリ?」


 「・・・カフェオレ」



 玲央は炭酸飲料とスポドリを両手に持つと、天に「どっち?」と聞く。いつの間にか天がそばに立っていた。



 「お茶が良かったな」


 「爺さんかよ」


 「若者だってお茶好きはいるから」



 そう言って玲央はスポーツドリンクを天に渡した。



 「これ、ありがとう」



 彩華はペットボトルを手に取り、恐る恐る顔を上げて玲央に礼を伝えた。



 「快気祝いだ。気にすんな」



 彩華はカフェオレのキャップを回し、一口含んだ。


 それはとても甘く、優しい味だった。


 気を遣ってくれている。病室で話したように、彩華がひとりにならないように、明るく接してくれているのだろう。だが、この状況では余計に注目を浴びることになって辛い。



 「私、大丈夫だから」


 「知ってるよ。もう元気なんだよね。良かった」



 天は当たり前のことのように返事をした。



 「そろそろうるさいのが来るな」



 玲央が言うのと同時に教室にふたりの女子生徒が飛び込んできた。中学生の頃は会わない日がないほどに仲が良かった親友の姿が。



 「彩華ー!」



 春香は勢いを落とすことなく玲央を突き飛ばして奪った椅子に座る。



 「おはよ!待ってたよ」


 「おはよう・・・元気だね」


 「私はいつでも元気!」



 全力疾走してきた春香に付いてきた芽衣咲は息が上がって深呼吸をしている。



 「お・・・おはよう。彩華ちゃん」



 彩華は思わず吹き出した。高校生になってから一度も学校で笑ったことがなかった。当たり前のことが、当たり前でなかった生活は、当たり前のことができるようになっただけでパッと明るくなった。



 「ってなわけで、彩華は今日からクラスに戻ってきた。皆仲良くしてやってくれよ? 俺の大事な友達だからな」


 「ちょっ、恥ずかしいからやめて!」



 玲央がクラスメイトに彩華の宣伝を始めたが、急いで止めた。自らが思っていたより大きい声が出たことに驚いた。


 周囲でこそこそとしていた生徒たちも、人気者の玲央が友達と宣言したことで、彩華を見る目が変わるだろう。


 学校生活はまだ二年残している。辛かった時間など笑い飛ばせるようになるほど、楽しい時間を過ごせば良い。



 「そうだ、彩華。日曜空いてる?」


 「うん、特に予定はないけど」


 「じゃ、遊びに行こうか」



 芽衣咲がスマホを差し出し、その画面に映る内容に彩華は目を通す。新たにできたショッピングモールが土曜日にオープンすると書かれてある。



 「これ、テレビで観てね。九十九つくもグループっていう大きい会社が作ったんだって。すごく大きいらしいよ」



 天は偶然ショッピングモールの計画から完成までのドキュメンタリーを観たことを思い出し、グループトークでこの場所を提案した。



 「うん、行きたい」


 「俺たちも行くわ」


 「部活は?」



 玲央はすでに手首の捻挫は治り、バスケットボールは問題なく練習できるようになった。この状態で部活を休めばさらに先輩に目を付けられるのではなだろうかと天は心配した。



 「いいんだよ。なんか適当に用事って言っとけ」


 「家の事情ね。了解」



 真面目で優等生だと思われてきた天は玲央の影響でサボり癖が付いたと悪い噂が流れないか不安ではあるが、今しかできないことがあるのもまた事実だ。



 「けど、休んでる間勉強してないから、不安だな」


 「それなら天に教えてもらえばいいよ。学年トップの優等生だから」


 「天くんってそんなに頭良かったんだ・・・」



 何も知らなかった。ずっとひとりで誰とも関わらないようにしてきた弊害で、周囲の人間がどんな性格で、誰と仲が良いのかも把握していない。


 でも、これからはもっと自ら関わりを持つように努力してみよう。すでに四人も親友がいる。きっと大丈夫だ。



 「これくらいの勉強ならすぐに追いつける。任せて」


 「ありがとう」



 楽しい時間はすぐに終わる。チャイムが鳴り、ホームルーム開始の時間になった。



 「そこふたり、早く教室戻らないと遅刻になるぞー」



 保科に代わって急遽担任を務めるようになった教頭が教室に入ってきて、見慣れたふたりに警告する。



 「戻るよ、春香」


 「おっけ。彩華、また来るね」



 ふたりは慌ただしく教室を飛び出していく。その背中に彩華は小声で「ありがとう」と呟いた。



 「んでさ、そのショッピングモールなんだけど・・・」


 「おい、早く席に戻れ。ホームルームだ」


 「もうちょっといいじゃないっすか。せっかく彩華が戻ったのに」


 「おしゃべりは休憩時間にいくらでもできるだろ。それに、しつこい男は嫌われるぞ」


 「それはやだ!」



 玲央は急いで自らの席に戻り、室内に生徒たちの笑い声が広がる。その雰囲気の中、彩華も笑い声を上げた。


 今日も一日がはじまる。そして、これから明るい毎日が続いていく。


 過去は変えられない。でも、そのすべてが嫌なものではなかったはずだ。


 もっと楽しい未来を、生きていこう。

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