4 - 事件性

 「よし、行くぞ」



 山本やまもと英明ひであきは捜査車両の助手席から降りる。


 明秀大学附属高校、勉強が苦手で無縁だった山本でさえ名前を知る進学校だ。


 この場所で女子生徒が後者の屋上から飛び降り、自殺を図ったと通報を受けた。


 山本は警視庁捜査一課の刑事で、ひとつの班を任されるベテランだ。五五歳になり、定年退職まであと五年となった今でも昇進に興味はなく、現場で捜査を行う刑事人生を誇りに思っている。


 訳あって、ここ数年は別部署の課長職に就いていた。窓際部署かと思っていた場所で、あんな経験をするとは思っていなかったが、今となっては良い思い出だ。



 「いやー、綺麗ですね。俺の出身の高校とは大違いですよ」



 山本と共にやってきた若手刑事、島原しまばらは周囲を、見渡して感心する。


 彼は捜査一課の山本班に所属する刑事で、班の中ではもっとも後輩にあたる三〇歳の誠実な男。山本にとっては、息子ともいえるほど歳の離れた後輩だ。



 「そこらの高校とは財力が違うだろうな。ここにいるのは金持ちの家庭の生徒ばかりだと思うぜ」


 「恵まれた環境ってやつですか。俺らの世界とは無縁の人生を歩むんでしょうね」


 「わからないぞ? 将来キャリアで島原の上司になるやつがいるかもしれない」



 「ひえー」っと、島原は嫌そうに戯けた表情をする。


 山本と島原は校舎に入り、職員室に向かう。


 騒動があったばかりの校内は静まり返っていた。このような事件があったあとだ、生徒はこのまま下校することになるだろう。


 教師は外部からの問い合わせや、マスコミ対応に追われることになる。



 「失礼します」



 山本は職員室の扉をノックして顔を覗かせると、扉のすぐ近くの席に座る若い女性教員が立ち上がって、山本に頭を下げた。



 「警視庁の山本です」


 「同じく、島原です」



 室内に足を踏み入れ、ふたりは警察手帳を示す。



 「通報を受けた件で伺ったのですが」


 「お待ちください」



 彼女は職員室の奥に向かい、ひとりの男性教員に話しかける。男性は山本たちの姿を確認すると、ふたりのもとに歩んでくる。


 白髪まじりの、山本と同世代の男性だ。小柄で、温厚な印象を受ける。



 「学長の岳本です。私が対応致します」


 「早速ですが、通報の件につきまして、お話を伺いたいのですが」


 「こちらへどうぞ」



 学長の岳本は、廊下に出るとすぐ近くの部屋の扉を開けた。扉には応接室と書かれてあり、招かれるままに中に入る。


 山本と島原は、岳本に促されてソファに腰掛ける。岳本が座ったことを確認して、本題の話に入った。



 「飛び降りた生徒は関口彩華、二年生です。どうしてこのようなことになったのか、私も混乱しておりまして」



 岳本は酷く憔悴しているようで、両膝に肘をおき、足元を見つめている。



 「心中お察しします。何か、彼女についてご存知のことはないですか?」


 「恥ずかしながら、私も生徒の全員を把握できているわけではなく、関口さんは目立つタイプの生徒ではないので、私も彼女のことは詳しく知りません」


 「そうですか」



 それは、すでに山本が想定していたことだった。これだけ巨大な学校で、生徒数は数百に上る。


 学校の長が生徒の全員の名前と顔、さらに性格や交友関係を把握することは不可能だと言って良い。



 「それでは、担任の先生からお話を聞けますかね?」


 「わかりました。呼んでまいりますので、お待ちください」



 岳本はゆっくりとした足取りで応接室を出ていった。



 「精神的にきてますね」


 「生徒が自殺しようとしたんだからな。そりゃ、これからのことを考えたら気が重いだろうよ」


 「なんとか助かってくれたらいいですけど」


 「まったくだ」



 綺麗に清掃された応接室は、さすが来客が多い有名進学校といったところか。


 廊下を歩いていても、ゴミはなく、埃も見当たらないほどだった。


 山本と島原が話していると、扉が三回ノックされ、開いた。



 「失礼致します」



 入ってきたのは、女性の教師だった。


 眼鏡をかけ、白のブラウスと七分丈のネイビーのパンツを身に付けている。年齢はおそらく三〇代半ばから後半だろう。



 「関口綾華のクラス担任の保科ほしな柚月ゆづきと申します」


 「お忙しいところ恐れ入ります。警視庁の山本と島原です」



 女性は向かいのソファに腰掛け、山本の目をまっすぐに見つめる。



 「早速ですが、関口さんについて、最近何かおかしな点など心当たりはありませんか?」


 「関口さんはもともと大人しい生徒で、目立ちたがらないタイプです。担任として話すことはあるのですが、彼女から声をかけてくることはありません」


 「例えば、虐めがあったりはしませんか?」



 島原が核心をつく。生徒の自殺となれば、最初に思いつく原因は生徒同士の虐めだ。決めつけは良くないが、可能性として探っておく必要がある。



 「虐め・・・ですか。そういった行為を見たことはないんですけど、最近ふたりの生徒と一緒にいるところを見ることが多くなりました。そのふたりも私のクラスの生徒で、どちらかというと・・・明るい、若い人の言葉で言うと陽キャ、と言うのでしょうか。関口さんとはまったく異なるタイプの生徒なので、気にはなっていました」


 「その生徒の名前を教えてもらえますか? 直接話すことは可能ですか?」


 「樋山ひやま希空のあさんと宮地みやぢ帆音ほのさんです。教室にいると思いますが、他の生徒の目もあるので、この場所に呼ぶのは生徒たちが下校する時間でよろしいですか? このあとホームルームを行って、全校生徒を下校させる予定にしていますので」


 「わかりました。こちらで待たせてもらいます」



 その後、各教室でホームルームが行われ、生徒たちは次々と学校の敷地を出ていく。その姿を山本は窓から眺めていた。


 生徒たちはいつもと変わらずに話をしながら歩いている。


 綾華と面識がない生徒にとっては、学校が臨時休校になってラッキーくらいの感覚なのかもしれない。


 一五分ほど待って、保科がふたりの女子生徒を連れて応接室に入ってきた。



 「お待たせしました。先ほどお伝えしました、樋山希空と宮地帆音です」



 希空と帆音は緊張しているのか、顔を強張らせて山本と島原を見る。



 「少しだけ話を聞かせてください。あなたたちを疑っているわけではありませんので、協力をお願いします」



 島原の穏やかな声色に彼女たちの表情は和らぎ、ソファに座った。


 生徒に話を聞くのは、若い島原の方が向いているだろう。山本は口を出さずに、この場を彼に任せることにした。



 「関口さんと最近仲が良かったようですが、どういうきっかけで親しくなったんですか?」



 希空と帆音はお互いに顔を見合わせると、希空が話しはじめた。



 「関口さんはいつもひとりでいて、友達もいなさそうだったから、帆音と話しかけてみたんです。私たちは陽キャ、賑やかな方なので、関口さんからは話しかけにくいでしょうし」


 「話してみるとすごくいい娘だったので、私たちから積極的に距離を縮めようと思って・・・。それで、休憩時間は一緒にいて、お昼を一緒に食べていました」



 山本がふたりを見て気になったのは、綺麗に施されたメイクと、非常に短いスカートだ。


 彼女たちが話す通り、きっとクラスでは中心の存在なのだろう。そんな彼女たちが、目立たない彩華と親しくなろうと思ったのはなぜなのか。その答えは、彼女たちの話から見えてこない。



 「関口さんに変わった様子はありませんでしたか? 最近親しくなったから、あまり変化はわからないかもしれないけれど、何か気になったことはありますか?」



 希空と帆音は再び顔を見合わせる。



 「特にありません」


 「私も、気付いたことはないです」


 「そうですか。わかりました。ありがとうございました」



 これ以上の情報は引き出せないと判断した島原は頭を下げて、聴取を終えた。


 保科が扉を開けると、ふたりは応接室をあとにする。


 聞き込みはこれで限界だろう。彩華の交友関係は決して広くなく、他に友人と呼べる存在はこの学校にはいないそうだ。


 山本と島原は学長に挨拶を済ませ、校舎を出た。



 「刑事さんですか?」



 突然ふたり組の女子生徒に声をかけられ、山本は振り返る。



 「ああ、警視庁の山本と島原だ。君たちは?」


 「私は岸春香と言います。綾華の友達です」



 他に友人はいないと聞いたが、彼女から何か有益な情報は得られるだろうか。



 「関口さんについて何か知っていることはありますか?」



 島原が手帳を取り出して、メモをとる準備をして尋ねる。



 「高校に入ってからほとんど話していないので、わからないんです。すみません。中学の頃、仲が良くて、どうして綾華がこんなことになったのか知りたくて」



 そういうことだったか。



 「残念だけど、俺たちもまだ何も情報を掴めていないんだ。また何か進展があれば、話を聞くことがあるかもしれないから、そのときは協力を頼むよ」



 山本の言葉に春香は頭を深く下げた。


 彩華を心配していることがよく伝わってくる。中学生の頃は本当に仲が良い友人だったのだろう。


 山本と島原はパトカーに戻り、彩華が搬送された病院に向かうことにした。



 「岸春香・・・どこかで聞いたような名前だな」


 「あの生徒のこと、知ってるんですか?」


 「いやー、思い出せん」



 隣にいた生徒も、初めて顔を合わせたような気がしなかった。一体どこで会ったのだろうか。どれだけ脳内の記憶を辿っても、答えは出ない。



 「自殺の原因は家庭環境にあったりしませんかね?」


 「まあ、ないとは言い切れないな。とりあえず、病院に行って関口彩華の容態の確認と、家族に話を聞いてみよう」


 「了解です」



 屋上を調べた刑事によると争ったような痕跡はなく、目撃証言からも彩華はひとりで屋上に向かい、飛び降りたようだ。


 事件性はなさそうだが、「ない」と確信できるまでは踏み込むしかない。


 島原は捜査車両のエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。

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